第2話 槍の勇者

  *

大英雄。万歳。万歳。

諸手を挙げて祝福の賛美をうたう人々の喝采には、スッと心がすいた。

王城の展望デッキから、城の庭園一面を覆い尽くす人々に手を振る。その度に歓声が波打つように変化していく様は圧巻だった。


―はは、すげえや。俺たちがしたことはこんなに人を喜ばせることだったんだな。


デミランダ王国民全てが、俺たち勇者に涙し、讃える。身の丈に合わない気もするが、道を教えてやったばあさんに感謝されるのとはまた違う心の震わせ方が気に入った。


そんな熱狂の渦を巻いた勲章授与式が終わったのは昼間のこと。

魔王討伐の英雄をひと目見ようとした国民の相手の次は、その栄誉にコネとおこぼれを授かるべく群がった貴族らのパーティへ招かれた。


デミランダ王国の歴史的遺産に見合う質素な石造りの有り様は、城の外側だけ。

城内はこの大ホールのような、柱や壁、どこを見ても金箔と大理石で統一された内装となっている。


目にうるさい。

ここを旅立つ日もそう評した。


丸々と太った花瓶にこれでもかと挿される花は、どれも赤か白の花びらをつけている。

旅の途中で出会った、ひとつの芋に一喜一憂する村の人々に見せたなら、どんな言葉で揶揄するだろう。


そんなことばかり考えていた自分に気が付き、己が器の小ささを恥じた。


赤いカーペットの上では大臣や名のある政治家がワインを片手に談笑し、その周りの円卓という円卓に料理が並べられ、豪華絢爛の立食パーティが催されている。


目つきの悪さがゆえか、彼らを否定する内心がどこかに現れていたか、この槍の勇者に声をかける者も現れなくなった。


この料理、うまいな。なんの肉かは知らんが。


誰を気にすることも無く、心行くままに皿へ料理を盛り付けることができるから、良しとするか。


腹も膨れてきたところで、手持無沙汰になった俺は仲間の姿を探し始める。


女どもが団子になって集っているテーブルがあった。中心にいる薄着の彼は、我らがリーダー、ナイト・レヴンことレヴン・フェルトである。

優しい目をした容姿端麗の愛らしい顔が困った表情で、少し離れたところで淑やかにパンをちぎる聖女さんに視線を送っているようだ。


装飾の無い質素な白いドレスが良く似合う彼女は、聖女、ミラ・フルール。

長いまつ毛に透けるような肌。王国の男たちを虜にする美しくも可愛らしい彼女は、過酷な旅を嫌な顔ひとつせず俺達に笑顔を振りまき続けた。

そんな彼女も、結婚を迎えようとしている。

崩れかけた魔王城の瓦礫の山でレヴンから言い渡された婚約は、俺からすると驚きこそせず、むしろようやくかと安堵するほど彼らの恋路は純粋で無垢だった。


そんなレヴンにああまで女が集っている様を見せられると、流石の聖女さんも機嫌の悪い様子は手に取るように分かる。


そういえば、聖女は結婚したら聖女と呼んでいいのだろうか。熟考の余地あり。暇つぶしがひとつ増えた。


もうひとりの仲間の姿がない。

森の狩人、シトラ・ルーベン。

エルフの女狩人。凛々しく、強か。長い耳をその黄色い髪で隠すことなく、エルフであることに誇りをもっている。鼻も、目も、性格も、漏れなく尖っているものだから、俺とはすぐに喧嘩になる。


シトラの姉さんは無口だからなぁ。

こういう場は苦手なんだろうな。



「いつまで、こうしているつもりだ。ロウ。」


いつもの、抑揚のない声がした。

シトラは背後に、目化しもせず旅の装いで立っていた。


―シトラじゃねえか。

…おかしい。声が出ないぞ。



「お前は、いつまで眠っているんだ。」



―なんだと?俺は眠ってなんか―




すうっと、周囲が暗闇に包まれた。そして、いつの間にか自らの目が閉じられていたことに気付く。

瞼を開くと、今度は森の中に立っていた。



―そうか。これは俺の記憶だ。また、記憶を見ているのだ。

そう直感した。


ここからでは少し遠い森の一部では、大量の黒い煙を夜空へ送る火炎が見える。

ああ、見たことのある光景だ。そう、ぼんやりと思った。


「追手がそこまで来ている!足止めはもう難しいぞ!」


木の枝の上で、普段は黙って矢を番えるシトラが声を張っている。それをただ見上げるだけの俺の肩に、後ろから誰かが手を掛けた。

それは聖女ミラの小さな手だった。固い表情で、先ほどのパーティでむつけていた表情とは別人と思うくらいに、真剣なまなざしをこちらへ向けて立っていた。


「さあ、棺桶の中に。…大丈夫。多少目覚めたときに記憶の混濁があると思うけど、すぐに調子は戻るわ。心配しないで、精霊の加護が必ずあなたを掘り起こさせる。私が保証する。」


ミラが指差す地面には、彼女お手製の魔術式が組み込まれた棺桶が横たわっている。


ああ。知っているぞ、この感じ。胸の強張りと、跳ねて加速する心臓の音。このあと、俺はこう言うんだ。


「おい!話が違ぇぞ!お前らはどうするんだ!」


これは俺の声だ。俺の意志に反して口が勝手に動き、発音している。ミラの隣に立つレヴンは答えた。


「僕とシトラは、引き続き王の軍勢の足止めを。ミラは詠唱により、君を仮死状態にして棺桶ごとどこかの地中に転移させる。いずれ、誰かによって掘り出されたとき、それが君の目覚めの時だ。荒っぽい手段になってしまったが、これが最善だよ。亡命の話が罠になっていた以上、誰か一人でも安全な…未来へ飛ばすしかない。」


ボロボロの鎧をまとい、彼の手には光を失った聖剣が握られている。

彼が『人を傷つけられない』ハンデの中、俺達をここまで逃がしてきた苦労と思いがそこに現れていた。

ここで、分かったのだ。

俺の前に続いているのは、1人だけが3人の願いのために生きる、過酷な道であるということを。


「いつから、こんな準備をしていた?こんな術式、すぐに組めるもんでもないだろう。」


だから、尋ねたことを後悔した。お前らはどうするんだ!なんて。まるで分かっていないのは俺だけだと、哀れみを受ける側なのだと。そう自ら言っているのと、同じだった。

先ほどのどうでもいい質問に、レヴンは誠実に答える。


「亡命の話が飛び込んできたときからだよ。もし、亡命がうまくいかなかったら。そう考えると、保険がほしくなった。」


シトラが口を挟んだ。


「現実的に、他大陸の船と接触するなんてこと、成功率は高くない。この広い大陸で知らない船と待ち合わせ…誰かに見つかっても終わりだし、私たちの到着前に船が魔物に襲われてもアウト。そもそも、待ち合わせ場所に船が無事、その時刻に辿り着ける保証もない。」


これが最後のこいつらとの最後の会話になるのか。


「いつになくおしゃべりじゃねえか、シトラ。」


いつか言ってみたかった茶々を入れた。シトラの表情は変わらず。変わらず、つまらなさそうな顔だ―俺は、お前が頬を膨らますとこを見てみたかったのだが。


「亡命に賭けるしかない状況だったのも君は分かっていたはずだ!ロウ。隠れ家も見つかり、陸路には包囲網が敷かれ、『勇者は人を傷つけることができない』という致命的な弱点が王に知られてしまった以上、以前から他の大陸の国に持ちかけられていた亡命話に乗るしかなかったんだ。」


分かっているとも。分からないか、レヴン。俺はとうに納得している。ただ、お前らとできるだけ長く、話がしたいだけだ。許される限り。ここで誰もが口を閉じればきっと、お前はその剣をぶら下げて、あの火の元へ行ってしまうのだろう?

シトラが煙幕を括り付けた矢を空へ放ちながら、レヴンの言葉に続ける。


「そうだ。結果的には、その話のネタも既にデミランダ国に売られた後だったとは思いもよらなかったがな。…タイミングを間違えたんだ、私達は。おまけに棺桶もひとつしか用意できなかった。」


意地悪な気持ちが働こうとした。俺は止めようとしなかった。思うがまま、


じゃあなぜ、俺が棺桶に入る役割なんだ。


と、尋ねた。

聞くべきではない、そう知っていた。そんなものは、どうせ全て、言い訳がましく聞こえるだけなのだろうと分かっていたからだ。


しかし。


「それは…」


聞いてよかったと、思うことになる。


「あなたが、とても強い人だからよ。」


詠唱を止めてそう微笑んだミラは、俺に祈りを捧げるようにしてそう言った。


「俺が…強い?」


「そうだよ。僕は、正直もう限界だった。魔王を倒してもまだ戦いが続くなんて。心が折れそうだ。いや、折れているのかもしれない。今、僕の心のどこかではようやく背負った重荷を下ろせると安堵している。ダメだね、勇者失格だ。」


レヴンのその言葉は、誰に向けられた言葉か分からないほどにか細く、憂いを帯びていた。


「私は、お前らと一緒だったからここまで来られた。エルフは長生きだからひとりには慣れている。でも、それはひとりで戦うのとは違う慣れなんだ。私はお前たちのために戦った。お前たちがいなくなったら、私は―弓を置くだろう。」


「シトラ…。」


そのシトラの横顔からは何も感じられなかった。

空虚。

それゆえに、弓を置くというのは本気なのだと、そう理解できた。


「私は、みんなとは違う、もっと我が儘な理由。聖女なんて呼ばれる者が語る理由としては、笑ってしまうほど相応しくないの。聞きたい?」


「…いや。いいよ。」


彼女の落ち着いた色を宿す瞳がレヴンの後ろ姿を捉えていたところから、何となく理由を察した。

微笑んでみせた彼女から、変わらない純心さを受け取った。


ああ。

理屈ではなく、後付けもなく。

俺の仲間は、みんなは、ただ一重に俺に託すのだ―と、知った。


「分かった。分かったよ。仕方ねぇな。この俺、ロウ・ビストリオがお前らを置き去りにして、未来へ行く。王様の忘れたころにひょこっと現れて度肝を抜いてやるさ。」


「ハハ、そうだよ、その意気だ。僕たちは君のそんなところが好きなんだ。いつだって明るくて、前向きで。諦めるよりも先に行動してしまっている君が、僕たちは大好きだ!」


「よせよ…小恥ずかしい」


自らの身体を棺桶に寝かせる。

ひんやりと冷たく、死者の温度に合わせたかのようなそれが何とも言えない。

木々の隙間から見える数多の星が、手を伸ばしたくなるほどに瞬いている。


「俺も」


ミラが薄い棺桶の蓋を手に取った。


「俺もお前らが好きだ―」


ミラには聞こえていただろう。

レヴンやシトラにはどうだろうな。

ミラの微笑みと微かに聞こえた仲間達の声が印象深い。

棺桶の蓋が閉じられ、俺は目の前の暗がりをじっと見つめる。


「ありがとう…を、言いそびれたな。」


ふう、と、深く短いため息をつく。

それがために数百年後、墓に手を合わせに行ってやるか。

冗談で気持ちに、区切りをつけたつもりだ。


「それじゃあ、最後に一仕事やってくるよ。」



『第二の魔王、皇帝グラシオスを、殺す。』




  *

陽の昇り始めに目を覚ましたロウ・ビストリオは、そっと屋敷を後にした。彼は朧げな昨日のあらましを脳裏から引っ張り出す。レインとリリーシャ。このふたりの顔はもう覚えた。

(あいつら…付け入る隙が大いにある―彼らは利用できる。)

生きる目的を夢の中に思い出した彼は、勇者としての非情さを取り戻しつつあった。昨晩、彼らの内緒話を扉越しに全て聞いていたのである。

彼にとって、縁者を手にかけようが不慮の事故にて失おうが、それは全くどうでも良い話だった。彼自身の感性がそうなのか、冒険者という死に限りなく近いところで生きてきたがゆえの軽薄さなのか、それは誰にも分からない。

ひとつ確かなのは、『手足は確保できそう』という幸運に恵まれたことである。

(良い槍の調達はいずれするとして。身体の鈍りが気になるな…)

どうにも、重心や筋肉の張りに違和感を覚えていた。少しばかりのリハビリテーションが必要だ。何かにかこつけて、一週間ほど魔物狩りに興じたいところである。


そんなことを考えながら、木造の小さな民家の群れを抜けていく。屋敷があったのは住宅街の端らしく、道を覚えられる範囲でいくつか道を曲がれば、商店の立ち並ぶ大通りへ出た。果物や干した魚を店頭に並べる商人が、これ忙しとせわしなく手元を動かしている。


「本当に100年以上経ってるのか…?」


それは、当然の疑問だった。姿かたちをそのままとはいかないが、目にする家々は100年前となんら変わりはない。木造とレンガ造りの家がまばらに点在することも、雪を積もらせないための尖った瓦屋根も。そして、人々の身なりすら、何も洗練はされていなかったのだ。

なんだか不気味に感じたロウは、すぐ近くにいた店の前をほうきで掃く男へ声をかけた。


「おい、商人。ちと教えてはくれねえか。今は何年だ?」

「ああ?グラシオス歴110年だよ。なんだ兄ちゃん。ナンパか?やめてくれよ、俺には可愛い女房がいてな…」

「バカ野郎ちげぇよ気色悪い!失せろ!」

「いや、お前が去れ!ここは先祖代々受け継いだうちの店…っておい最後まで聞けよ」

(レインが嘘をついたわけではないようだな…ここは本当に111年後。しかし、なんら発展はない。これが平穏な治世ってやつか?そんなバカな話があるか…)


ロウは歩き始めていた足を止めて踵を返し、再度商人の男へ尋ねた。


「おい商人。ちと教えてはくれねえか。ここ数年で、戦争やら事件はないもんかね?」

「んだよまたかよ!ねえよ!そんなもんは!うちは家具屋だぞ!情報屋じゃねえんだよ!…ったくよう。それこそ事件といやあ、うちの仕入れ先だった大手の問屋が…っておい最後まで聞けって!」

(少なくとも平和か?だが、それにしたって文化水準が変わらなすぎるんじゃないのか。これ以上の進化が見込めないわけは…)


再び歩き始める。朝日が大通りの半分を照らし始めた頃だった。

ふと。店と店の隙間から伸びる、暗く細い道を見つけた。人が1人歩ける程度の幅しかない、道と呼べるかも難しいものだった。

それが彼の目に留まったのは、その奥に横たわる人影を見つけたからだ。

ロウはするりと細道に身体を滑り込ませる。湿ったその空間は、とてもじゃないが人を寄せ付けるものではない。高まり始めた商店街の喧噪がこもって聞こえ始めたぐらいの奥で、その人影に触れる距離まで来た。


「…あう…あ…うあ」

「おい。誰にやられた。」


まだ息があった。しかし悪臭が漂い、小蠅が集りつつある。薄汚い布に身体を包んだ女だった。一見して女に見えないほどに、髪の毛は抜け落ち、身体の脂肪という脂肪は削がれていた。


「…ご…しゅ…じ…さ…」


御主人様。聞こえるか聞こえないか、思い返せばそう言っていたかもしれない程度の小さな声でそう呟き、彼女は事切れた。ロウはそれに涙も驚きもせず、細めた眉をピクリとも動かさない冷ややかな目で、それを見守った。

しかし。

暗がりに目が馴れてきたところで、その後ろに続いている光景に瞳孔を開かされた。

同じような死体が3つ。布にくるまり、蠅を集らせ、既に腐敗した死体は、生ごみと同じ扱いのように見える。これは、尋常ではない。ロウの感性であっても、容易にそう判断できた。


「おい、兄ちゃん。随分、悪趣味だなあ。奴隷の死体漁りなんてよ。そんなに女に飢えてんのか?」

「お前…さっきの商人。」


身体が接するほどにロウを挟んでいる建物の壁に反響させた声が、ロウの耳に飛び込んできた。商店街に差し込んだ朝日と、ロウを囲む暗がりが陽と陰を確かに分け、商人は光の下に立っていた。ロウにとってそれは、痛く偽善を装った姿に見えた。


「臭いが移るぞ。止めとけ。それよりうちの店の奴隷もそろそろガタがきてなあ。お前さん、金があるなら買わねえか。組合には黙っててやるから、仲介手数料も取られねえぞ。どうだ。…ああ、単純労働用の奴隷だから奉仕の方はあんまり…」

「てめえ。まさがそれが正気じゃあねえよな?」


気が付けばロウは早足に男へと歩み寄り、襟元を掴み上げていた。

こめかみに青筋を浮かべ、彼の耳奥を自らが立てた奥歯の軋みが撫でる。怒り。目覚めてから初めての怒りに、彼の乾いた心が火に焙られる。


「お、おい。やめろ。お前まさか薬でもやってんのか?衛兵!衛兵ーっ!」

まばらな人影がロウと商人の悶着に気が付き、視線を集め始めた。そこへ茶色い革のベストを着た、軽武装の2名の衛兵が小走りにやって来る。

「おい、何事だ!」

「こいつ、薬かなんかやってるに違いねえんだ!路肩の奴隷とヤッて、それを見つけた俺に殴りかかってきたんだ!」

「は?てめえ…」

「お前!その商人を離しなさい!」

「冗談じゃねえ…薬やってた方が幾分マシだぜこいつは。…よこせ!」


ロウは商人を突き放すと同時にほうきを奪い取り、衛兵と距離をとった。周囲は既に人だかりができ始めており、どうにも逃げ場がない。取り押さえにかかる雰囲気があちこちから醸し出されている。


「なんだお前?我々2人にほうきで抗うのか?舐められたものだな!…ああそうか、薬で耄碌としているんだったな。ならばすぐに楽にしてやる!」


2人の衛兵は腰のロングソードを抜き、襲い掛からんと両手で構える。振りかぶりの位置で止め、一足に斬りかからんとする構えだ。3メートルほどある距離を足指の先でにじり詰めて来ようとする。

(右はロングソードの重さに慣れていないな、構えにブレがある…左は腕力だけはあるようだが、足腰が細いな。となると、右から来るか。)


「そら!」


右側の衛兵が大きく踏み込んでロングソードを振り下ろす。ほうきの柄を狙ってくることを彼の目線で察していたロウは、ほうきを即座に身体に引き付け、それを避けた。続く連撃。後ろへ下がりながら正確に避けていく。ほうきの先端をも掠らせず、じっくりと相手の息が切れるのを待つ態勢だ。


「何してる。代われ!」

(来るか!)


息が途切れた衛兵に代わり、もうひとりの衛兵が力任せにロングソードでロウの懐を斬りかかる。


「ほっ」


タイミングは上々。浮いたロウの前髪が刃に触れるか否かの寸前、ロウは前へ出していた右足の踵に渾身の力を込め、蹴った。ただのバックステップだが、その足捌きは相対した者からすれば残像を見るほどの練度。肉を断つと思われたロングソードはけたたましい音を立て、固い地面へ振り抜かれることとなる。


「おらあ!」


それだけに終わらない。ロウは地を抉ったロングソードの刀身を思い切り踏みつけた。当然、衛兵がそれを振り上げようとしたところに力が加わるものだから、手から柄がすり抜けてしまう。


「な、なにぃ」

「そして、突きぃ!」


ほうきの先端は目視できない速さで丸腰となった衛兵の眼前へ突かれた。あまりの速さに、枝でできた先端の穂体が鋭利に伸びたように見えたほど。風圧が衛兵の前髪をひと時遅れて掻き上げ、さながら春一番を顔一面に吹き付けられたかのようではないか。


「あふぁ…」

これにはたまらず。衛兵は情けない声を漏らし、気絶してしまう。


訪れる静寂。


『…おおぉ…。』


「おいおい…見たかあの早業」「衛兵さん、倒れちゃったよ?」「当たった?いや当たってない?」


ひとつの余韻を置き。誰が感嘆を漏らしたか、それを皮切りにギャラリーが騒めき始める。その注目は、ロウひとりに注がれていた。この時、もはや彼をいけ好かないジャンキーとして見ている者は誰一人いない。聴衆を味方につけたロウは、ほうきをくるくると手元で回し、残った衛兵に侮った表情を向ける。


「それで?薬中にぶっトばされたい次の衛兵さんってのは、どいつだ?」

「ちぃ…ッ、調子に乗るなよっ!俺はなぁ…」


衛兵は唐突にロングソードを腰の柄に収め、両手の平を前へかざす。


「攻撃魔法が使えるんだよ!くらえ!『ファイ―」

「その魔力もらった!『レコウル』!」


ロウの俊敏な脚が、衛兵との距離を一瞬で詰める。かざされた衛兵の両手を、ロウの両手が掴む。魔法を放つ手を鷲掴みする者など、ここにいる誰もが見たことも無い。そんなことをすれば、たちまち魔法をゼロ距離で食らってしまうからだ。


「な、なにああああああ」


しかしどうだろう。ロウの手が焼かれるどころか、どうにも苦しみ叫んでいるのは衛兵の方だ。手と足と頭をガクガクと震わせて、何らかの衝撃を受けていることは確かである。

しかし、特に音がするわけでもなく、不思議な光や風が起こるわけでもなく。


「ああああああ」


衛兵が叫んでいるだけ。


「ああああああ」


それもなんだか、涙と鼻水を垂れ流している。


「ああああああ」


大衆には、


「なんか…」「うん、なんだか…」「こう、衛兵さんには悪いんだが…」


『『きもっ…。』』


共通認識が生まれていた。


「ああああああ」


それもそのはずだ。見た目には、ロウに手を握られて、感涙に咽ているようにしか見えないのだから。


「ああ…ああう…あう…」


やがて、衛兵は膝から崩れ落ちた。


「な、なにが起きたの…」「いやねえ、なんだか気持ち悪いわ…」「あれも魔法なのか?」


ギャラリーは、先ほどと違った形で騒ぎ始める。ロウは衛兵から手を離し、その男の服で軽く手を拭う。彼の息は全く上がってはいなかった。


「おい、道をどけな。」

「あ、ああ…」


先ほどとは打って変わり、もう彼を取り押さえようとする者はいない。この場で、何が正しかったのかは誰も理解をしていないからだ。事の発端となった商人も、唖然とこのあらましを眺めているものだから、ロウは彼にほうきを投げつけ、その場を去る。

人々の視線を背中に集めつつ、彼は元来た道へ戻っていく。

(ダメだな、分からん。勇者の枷は取れていないのか…)

ロウは溜息をつく。確かめる機会を探っていた。『勇者は人を傷つけることができない』という枷が、未だに健在であるかどうか。先ほどは、いかに雑兵といえどもそれを確かめる機会ではなかった。

(もし、まだ枷があるなら…人間兵が邪魔だ。衛兵であっても、俺は手を出すことができない。精々、胸倉を掴むか人の魔力を掻き回す程度か…)

この街と同じく、それは111年が経とうとも変わっている気がしない。そうだ、あのレインとリリーシャのどちらかに殴りかかってみるか―ロウはそんなことを考えながら屋敷へと戻っていく。

(せめて、人間兵だけでも蹴散らせる仲間ができれば…)

彼の脳裏には、レインとリリーシャの顔が浮かんでいた。




  *

春らしい生暖かな日差しがカーテンの隙間から差し込んでいる。

小鳥のさえずり。

昨日のことが無かったかのような麗らかな朝。


悪夢もなく、胸に重りを背負うこともなく。

死体を埋めた次の日としては不思議なくらいに、僕―レイン・フォルディオは普通の目覚めを迎えた。


「れ、レイン様!」


パタパタとスリッパを鳴らして、廊下を誰かが走っている。

リリーシャだろう。

僕には、廊下は走ってはいけません!はしたない!と言うクセに、何かにつけ走っているのを見かける。

そんなことをしていると、また父に怒られるではないか。―いや、あの男はもういないのだった。

ああ。これはこういうことなのだ。

罪の咎を受ける恐れよりもこの、久方ぶりに窓を開けて寝る夏の夜のような解放感を―日常に感じ始めているから。

普通の日常を、演じることなくやってのけようとしているのだろう。

それは随分と、剛胆なことだ。


「レイン様!開けてもよろしいですか!」

「あーはいはい、どうぞどうぞ。」


僕がそう許可を出すよりも早く、リリーシャはドアを開けて部屋の中に飛び込んできた。ふわり、と、彼女のにおいがする。その百合の甘みを薄めたような香りに、つい長く息を吸ってしまうのは、彼女に気付かれてはいないだろうかと不安になる。


「昨日の!ロウと名乗る男がおりません!」

「うんうん…うん?なんだって?」


僕は緑の毛布を跳ねのけて飛び起きる。

しかし冷静に考えると、そりゃあ、そうか。僕も彼女も、目覚めた彼がどこへも行かずに知らない寝室で毛布に包まり大人しくしている、なんて都合の良いことを考えていたわけだ。

同じ状況なら僕でも歩き回るに違いない。


「屋敷の部屋は全て探した?」

「はい、粗方は…しかし、玄関の鍵が開いておりまして。」

「うわあ…それは十中八九外に出たな…!」


部屋は1、2階と多くあれ、大の大人が歩き回るにはさほど広くはない屋敷だけに、探していないのなら屋敷の中にいるとは思えない。

とりあえずは、彼を泊めていた2階の来客用の寝室へと向かった。


ベッドは乱れたまま。

部屋の中はもぬけの殻。

開け放たれた窓から吹き込んだ風が、僕の髪をかき上げる。

書置きのひとつも無さそうな状態だ。


「ああ…まあ、うん。彼の話が本当なら、死んでから百年以上経っているわけだし。街も人も変わってるんだ。どうせ帰ってくるよ。」

「そうですね…。」


リリーシャに、というよりは自分にそう言い聞かせ平静を装う。落ち着き払ったパフォーマンスの一環として、僕は部屋に入り窓を閉めようと外に身を乗り出した。


すると。


「…あ。いた。」


庭の片隅で、ひたすらモップを何かに向けて振り回す男がいるではないか。


モップを、何かに向けて。


しかしその光景には、どこにもおかしな点がなかった。


男のモップ捌き…もとい、棒捌きが完璧なのだ。

一呼吸に幾つもの充実した打撃を打ち込み、間合いを切らせないような足捌きで前へ前へと進んでは打ち、進んでは打つ。

それらが一連の動作であると認識するほどに、鮮やかな棒の運びであった。


美しい。


彼の振るうモップが風を切る音は、ここまで聞こえてくる。


「やはり…あの男は。ランサー・ロウなんだ。正真正銘の。」


胸が高鳴った。

本物の大英雄に会えたからか。いや、そんなありきたりなものではない。

その棒捌きに、体術に僕は感銘を受けたのだ。

人にはあそこまで洗練され、磨き抜かれた動きができるのか、と。


いつまでも見ていたい。


「なあ、リリーシャ、見てみろよ…ってあれ」


振り向くと、リリーシャはそこにはいなかった。

やがて、ドタドタと玄関の方から庭へ、ロウの元へ走っていくリリーシャの姿が現れた。


虫取り網を大きく振りかぶった状態で、ロウめがけて突進していく。あのだぼったいメイド服でよくも転ばずに走ることができるものだ。

と、そんな感心をしている場合ではない。

感動を、舞台を台無しにするようなリリーシャの突然の奇行。当然の権利として、僕は声を張り上げて抵抗する。


「おい、リリー!何をする気だ!やめろー!!」

「レイン様!ご心配には及びません!あの男、もう逃がしませんよ!!」


この異常事態をとっくに察知しているであろうロウはと言えば、モップをクルクルと身体の周囲で回転させ、ぴたりと中段に構え直したではないか。


まさか迎え撃つ気か。


流石に女性相手に、そんな。


いや、目が本気だ。


「やめてくれー!ロウー!」


「せーい!」


間抜けなリリーシャの掛け声と共に、虫取り網が真っ直ぐにロウの頭を狙う。


その寸分前に、ロウのモップがリリーシャの腹部を突いた!


…気がした。


突いて、いなかった。正確には、ロウが足を踏み込ませ打突を繰り出そうとした時、急に彼はモップを手から落としたのである。

結果。

リリーシャの虫取り網はすっぽりとロウの頭を飲み込んだ。

庭の中央に網ごとロウを引っ張ってきたリリーシャは、右こぶしを高々と挙げてこう言う。


「winner.」



  *


「屈辱だ。」


客間のソファに深々と腰をかけたロウはそう呟いた。無論、先ほどのリリーシャとの一件を嘆いた言葉だろう。


「ロウさん。いや、ランサー・ロウ。僕はあなたがかの大英雄、ロウ・ビストリオその人であると認めます。」

「それは…皮肉か?」


おお、怖い。ロウの眼差しにミリほどの殺気を感じたものだから、僕は慌てて訂正する。


「いえ…その。虫網の件を見ての判断ではなく。その前の、素振りを見てそう思ったのです。あの棒捌き、実に見事でしたから。」

「ああ、そっちな。そりゃあ、どうも。」


ぶっきらぼうにそう答えるロウは、客間をジロジロと見回す。

魔王が滅びた後、その復興などの影響で百年経ってもこの大陸の文化水準はあまり変わっていないのだと本で読んだことがある。そのせいか、100年後の世界であるはずなのにロウはつまらなそうな顔をして周囲の状況を伺うばかりだ。


「ところで。なぜあなたはうちの屋敷の地下室に埋まっていたんです?しかも、棺桶に入って。」

「あー。そいつはだなあ…。」


ロウはバツの悪そうな顔をする。言うか言わぬか迷っているかの様子にも見て取れた。


「お前さん。レイン…って言ったな。親は?」

「!」


今度はこちらが言い淀む番だった。いや、その件は元より話すつもりではあった。だが、まさか、この男の方からそれに食いつくとは。


「いない…いないんですよ。うちには、親が。」

「下手な嘘を吐くんだな。屋敷の内部は大体見て回った。俺が生活の痕跡を見落とすと思うか?少なくとも中年の男がひとり、いたはずだ。それから…リビングのカーペットのシミ。ありゃあ、血痕だろう。」

「な…」


扉の近くに立っていたリリーシャが動こうとしたところを、ロウは目線だけで制す。誰も動けやしない。全ての主導権を忽ち彼に奪われたのだ。


「何やら、訳アリみてぇだが。教えてはくれねぇのかい?」


まるでこちらが隠しているような言い回しに反感を覚えたが、咄嗟に中途半端な嘘を言ったのはこちらの責。人が1人、しかも親1人死んだことを隠しているのを察しながらも、僕たちの話を聞こうとするだけマシというものだ。


「…わかりました。このまま下手に隠して、印象を悪くされても困りますから。」


僕は観念した。大英雄だろうが誤魔化せないことはないと高を括っていたが、ご覧の有様だ。独特のオーラというかなんというか。

てっきり槍使いの勇者と言えば、戦闘特化で頭の良いイメージは無かったのだが。

僕は昨日起きた出来事を在りのままに話すことにした。


「はあーん。なるほどねえ。するってーとあれか。遺体を隠したのはいいが今は逃げも隠れもできずに迷走中、と。」


リリーシャが淹れた紅茶を一飲みに、ロウはそう言い放ってソファの背もたれに身体を預けた。


「そうです。とりあえずは、午後の来客をやり過ごさないと。」

「ふうん。…いいじゃねえか。手を組むか。」

「手を?」


思ってもみない提案だった。

犯罪者に手は貸せない―こちらから提案して、そう突き返されることを恐れていた僕にとって、事態は思わぬところで好転した。

僕は身を乗り出して尋ねる。


「具体的には、どのような。」

「死体隠しの手伝いをしてやる。いい方法があるんでな。その見返りとして、俺にも協力しろ。」


いい方法、というのも気になるが、ここではロウの求める見返りというのを気にするべきだ。一応は商人の息子。聞く順番を間違えてはいけない。


「何が望みなんですか?」

「最終目標は、皇帝の暗殺だ。」


ブッ


何を飲んでいるというわけでもないのに、何かを吹き出しそうになった。そんな僕とは異なって、リリーシャは扉の脇からロウがボロを出す瞬間を伺ってか、じっと彼を横目で見つめている。

仮にも勇者が、魔王ではなく王を殺そうというのが、農家が畑で魚を育てると言い出すくらいに突拍子のないものだ。訳を聞かずにはいられない。悔しいが、この勇者は話の聞かせ方が上手いのだろう。僕は導かれるままに当然の問いを投げかける。


「皇帝を、殺す?なぜ?」

「皇帝は今、いくつだ。」

「御年185歳。でしたかね。」

「いくら何でも長く生き過ぎだとは思わねえのか。」

「いや…だって皇帝だし…。」


神や精霊から、特別なギフトでも授かっているのだろう。そう解釈するのが一般的だ。

少なくとも、世間一般からすれば皇帝ともなれば普通の人間よりも長生きするという認識である。

それなのに、それを聞いたロウは鼻で笑うではないか。


「バカか。皇帝だからってんなことあるかよ。いや、それが一般常識だっていうなら大したもんだ。皇帝はな、別に何らかの祝福を受けたとかそういうんじゃないんだ。」


黙っていたリリーシャもこれにはたまらず、問いた。


「では…なんだと言うおつもりですか?」


たまに現れる彼女の強気な言葉尻と凛々しい表情に、僕はロウの言葉を待つ。


「ただの。魔物なんだよ。」


「ま―魔物?」


魔物って、その辺の国外に生息している、スライムとかゴブリンとか。

そういう類の、あの、魔物か?


「まあ正確には魔族か。あれは、魔王討伐の記念式典の夜だ。」


ロウは自らの膝の上で頬杖をついて、遠い目で語り始める。


「パーティーでな。シトラが国王グラシオスとワイングラスを片手に談笑している時だった。国王がグラスを落として、割っちまったんだ。

普通なら召使いでも呼んで終わる場面だが、シトラは作法も知らないもんだから、慌ててグラスの欠片を拾い始めた。いやーあいつはそういうところが可愛げのある女だったな。

んで、国王がそれを手で制したところ、たまたまシトラが拾い上げた破片が国王の指先を掠めてな。若干血が滲むくらいの浅い傷をつけたんだよ。」

「は、はあ…?」


ここまで話を聞く限りでは、それを糾弾されてシトラが罰を受けることはあっても魔物であるという話には結び付きそうにもないが。


「…だから、何だと言うのです?」


リリーシャは呆れた様子を深めたことを体現するように、顎を浮かせ目を細くして彼を睨みつける。ただでさえ切れ長い目は彼女の圧力を相当程度に強め、道すがらの異臭を放つゴミ溜めを見る貴族の女のように、それなりに怖い。

しかしロウはそんなことには気にも留めない様子。

それは、彼が勇者だからというよりも何か他に重大な迷い事に気を取られているからではないか。僕は彼の落ち着かない目の動きから、そう直感した。


ロウは一呼吸置くと、また先ほどの迷ったような顔を一瞬浮かべた後に、神妙な面持ちとなって語り始めた。


「こいつは、絶対に人に漏らせない話だ。だが、お前さんたちを信じて、話す。勇者には弱点があってな。類稀なる戦闘スキルやセンスを神から授かる代わりに、ひとつの枷がかけられる。それは『人を傷つけることができない』ことだ。」

「あ…」


先ほどの庭で起きた一件のことを思い出す。あの時、不自然にロウがモップを落としたのはそういう理由からなのではないか。


「勇者の行為が一次的に人を傷つける因果に繋がろうとすると、結果から逆流する何かによってその行為にストップがかかる。槍を振るおうとすれば槍を落とし、魔法を唱えようとすれば詠唱が止まる。

―シトラは、グラスの破片をそれによって落とすはずだった。しかし、王の指に傷をつけた。これが意味するのはひとつだ。」


シトラはロウと同じく、勇者であるがために人を傷つけられない。

彼女の手に握られたグラスの破片は、本来ならば国王を傷つける前に彼女の手から零れ落ちるはず。

国王が、ヒトであるならば。

実際は、王の指にグラスの破片は傷をつけた。


つまり、皇帝は魔物。


俄かには信じがたい。証拠もないことだ。そもそも勇者にそのような弱点があるだなんて、初耳なのだ。

が、仮に100歩譲って皇帝が魔物だからといって、この数百年で起きた弊害など、あったのだろうか。人は魔物に滅ぼされるどころか、ますます増長しているように思える。


「例え皇帝が魔物だとして、何か問題があるんですか?政治も目立って悪いわけでもないし、苦しむ人だって…」

「レイン様。我々奴隷階級は多く苦しみを抱える者で溢れています。」


屈託のないリリーシャの一言。

―そうだった。

僕はその失言を恥じ、赤面した。何より虐げられてきた人が目の前にいるというのに、余りにも浅慮な発言だったのだ。


「グラシオスは皇帝を名乗った。奴は侵略する王として、人間同士の戦争を繰り返すはずだ。そうやって世界の人間を相対的に減らしていく。」


人を使い、人を減らす。近年騒がれ始めた、『人間は互いに争う愚かな生き物』と嘆いたうたい文句があったが、それは、魔族が裏で糸を引いていたというのか。

ぞわり。冷たい血流が血管の中を掠めていったかと思うくらいの悪寒が、全身を駆ける。それは今まで語られたロウの証拠もない話に、僕が現実味を感じ始めた証拠だ。

そんな未来が本当にくるのならば、行きつく先は、この国の破滅。

仮にグラシオスが率いる軍が戦争の全てを制したとしても、どこかで力を蓄えさせていた魔族の軍団で最後に人類を間引くのではないか。

むしろそれすら折り込み済みの、猿芝居のような帝政が繰り広げられているのではないか。

真偽は分からない。

だが、目の前のこの男があのロウ・ビストリオだと言うのであれば―信じる他ない。その身を賭して、人の平和を実現すべく力を振るった人間の言葉を信じないなら、誰の平和も信じることはできないだろう。


「どうだ?事の重大さが分かったはずだ。ただでさえ奴隷制をひき、無力な人間を増やしている現状。富裕層には不満を抱え込ませず、不経済を奴隷階級に集中させて切り捨てている。」


「話は分かった。でも、僕に…どうしろと。」

「いやあ、まず何をするんでもさあ。」


まず何をするんでも。それに続く言葉はよく聞くアレかと、最後の最後でようやくロウの話の着地点を読むことができた。


「カネ。だよな?」


一瞬だけ期待した俗っぽい台詞を、彼は本当に言いのけるのだから。やはり嫌いじゃない、勇者。

金を集め、反旗を翻す。そういうつもりなのだろう。その次は、人、モノ、と集めるのだろうか。言うのは簡単だが、その実は途方もない道のりであることはここにいる誰もが分かること。ゆえに、そこに触れやしなかった。

それよりも、『人を傷つけられない』ハンデを持つ勇者である彼がどのようにして、皇帝を討とうというのか。目先の父の死体の隠蔽の問題と同じくらいに、僕たちの興味は十分に惹き付けられていた。

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