20. 四月


 数日後、金沢に戻った泉野高ナインはいつもの日常を送っていた。監督は甲子園から帰ると赴任先の学校に移り、新しい監督が着任する始業式の日までは代理で別の先生が日替わりで受け持つこととなった。部員が自主的に練習するのは前と変わらないが、毎日見守る人が違うのはまだ少しだけ慣れなかった。

(……あの舞台で、投げていたんだな)

 変わり映えのしない母校のグラウンドをランニングしながら、岡野はぼんやりと考えていた。

 センバツはいよいよ佳境を迎え、昨日行われた準決勝では出場三十六校から決勝に進む二校に絞られた。日本一の栄冠を賭けて、今この時に遠く離れた聖地で激闘が繰り広げられていることだろう。

 自分達があの場所で大阪東雲と対戦して勝利した事がまるで嘘だったように思うことがある。まやかしではなく、確かに甲子園の土を踏んでいたのだ。その証拠に、甲子園の土が詰められた小瓶が岡野の部屋の勉強机の上に置かれている。“飾る”のではなく“置いてある”のだ。岡野の中では、あの場所に居た事を誇るのではなく、出場した者全てが貰える参加賞みたいな位置づけだった。

 その昔、テレビで負けた高校の選手が泣きながら土を掻き集める姿を「あれは一種のセレモニーみたいなもの」と冷めた感じで見ていたが、当事者として経験した今では自分が間違っていたと考えを改めた。あの土は何でもない土かも知れないが、高校球児にとってあの場に居た事を示す唯一無二の価値がある代物なのだ。だからと言って自慢する気にならないが。

「おー、岡野」

 岡野を見かけた元クラスメイトが手を振ってきた。岡野も軽く手を振って応じる。

 金沢に帰ってきてから、声を掛けられることが増えた。同じクラスのチームメイトだったり近所の人だったりと些細なことだけど、これも甲子園に出た効果が出ているのだと思う。まぁ、それも一月すれば忘れるだろうと割り切っていた。別にちやほやされたいなんてこれっぽっちも思っていないし……前言撤回、これを機に可愛い女の子が声を掛けてくれるのは大歓迎、ウェルカムだ。でも、そうした子はみんな新藤の元に行く。現実とは非情なものだ。

 今回のように、学校で手を振ったり声を掛けたりするのは顔を知っている男子生徒だけ。美少女がネット越しに練習している姿を熱いまなざしで見つめる、マンガみたいな展開は一切無し。ちょっとくらい夢を見ても罰は当たらないと思うのだが。


 こうして、今日も何の波乱も起こらないまま練習を終えた。

 着替えを済ませ帰り支度を整えて部室を出ると、偶然新藤と鉢合わせした。どうやら新藤の方もこれから帰るらしい。

「これから帰るん?」

「あぁ」

「じゃあ一緒に帰らんけ?」

「いいよ」

 短い言葉のやりとりを交わした二人は、それから肩を並べて歩き始める。

 自転車で通える範囲の生徒は自転車通学だが、大半の生徒はバスを利用して通っている。岡野も新藤もバス通学組だった。

 校門を出た二人は押しボタンのある信号が青になるのを待って、横断歩道を渡って向こう側の歩道へ。学校の向かいにあるパン屋の駐車場にはバス待ちの生徒が大勢居た。繁華街の片町・タテマチへ行くにも、在来線の始発である金沢駅へ行くにも、このバス停から乗るしかない。方向は違うが、岡野も新藤も目的のバスが来るのを待つ。

 バスが来るまで手持ち無沙汰なので、岡野の方から話を振った。

「……新しい監督って、どんな人なんかな?」

「さあ。来てみないと分からん」

「あと少しで新入生も入ってくるな」

「……そうやな」

 分かりきったことではあるが、淡々と応じる新藤。四月は変化の月だ。新入生が加わり、クラスも変わり、先生も変わり、顔触れもがらっと変わる。それが良い方に作用することもあれば、悪い方へ転がることもある。でも、それはその時になるまで分からないことだ。

「でも、変わらんこともある」

 そこまで言うと、岡野は突然口を噤んでしまった。自分がこれから発しようとした言葉が、あまりに恥ずかしい事だと気付いたからだ。

(自分達が、自分達であることだ)

 恐らく、監督が変わって野球部の方針が変わっても、自分はこれまで通り程々に頑張ることを続けていくに違いない。限界を超えて練習したせいで怪我をする、なんて本末転倒だ。ゲームみたいに練習で稼いだポイントを割り振って能力が上がる、そんな端的かつ劇的な成長はまず起こり得ない。地道に努力を重ね、時には一進一退を繰り返しながら、コツコツと石を積み上げるように成長していくのだ。

 ……こんな分かりきった事を今更改まって言う必要が無いと寸前で気付いた岡野は、それきり口を閉ざしてしまった。

 それから二人は喋らず思い思いに過ごしていると、先に新藤が乗るバスが到着した。赤色の車体の真ん中にある扉が開くと、そのバスを待っていた生徒達が続々と乗り込んでいく。新藤も荷物を担いで乗車口に向かう。

「岡野」

 ぼんやりしている所に、新藤が不意に振り返って声を掛けてきた。

「これからも変わらず、よろしくな」

 言い終わったタイミングで扉が閉まり、バスは発車していった。

(……ずっりいなぁ)

 自分が伝えたかった事をさらっと言うなんて、ズルイ。主人公補正でも掛かっているんじゃないかと疑いたくなった。足元に転がっていた小石を蹴飛ばしてささやかな抗議を表す。……まぁ、仕方ないか。王道を往くスターだもん。

 凡人は凡人なりに、やっていくだけだ。進むスピードは違うけれど、足を止めなければ前には進んでいく筈だ。

 そうこうしていると、岡野が乗るバスが滑り込んできた。乗車口が開かれると岡野は吸い込まれるように車内へ乗り込む。席は空いているから座れそうだ。

 今日のご飯は何かな。肉だといいな。そんなことを考えながら窓の外を眺めていると、バスは発車した。




   (終)



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春を照らすカクテル光線 佐倉伸哉 @fourrami

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