第二章 妖精の国

異世界へ

 ユルトカラムの原っぱ行くよ、

 陛下の旅は厳かに、

 楽隊の調べも道行楽しげに。

 冷たい山々谷間は狭く、

 煌めく星が道行示す。

 北の龍のお姫さま、

 ご機嫌いかがと優しく笑う。



 どこかから歌声が聞こえてくる。澄んだ歌声に意識を澄ます。

 聞いたことのない音律だった。今まで聞いたことのある曲のどれとも違う。

 耕輔は目を開けてこうべを巡らす。歌の聞こえた方を探すがわからない。

 その時、ようやく自分が地面に直に倒れていることに気がつく。


 耕輔は立ち上がりながら土を払う。伸びをしてあたりを見回しつぶやく。

「ここはどこだろう。なんで僕はここにいるんだ」


 そこは小高い丘のようなところで、半径10mほどの円形に土を盛った舞台のような場所だ。

 何が起きているのか、意識がはっきりしない。頭の芯がちりちりして、頭痛はないが思考が定まらない。足元がふらつく、さっきまでのことがどこか遠い国で起きていたみたいで現実感がなかった。

 大きめの声でもう一度つぶやく。


「ここはどこだろう。

 なんで僕はここにいるんだ」

 声を出して、やっと意識がはっきりしてきた。

 手の甲をつねってみる。痛みを感じる。夢ではないようだ。


「そういえば、藤鞍さんはどこ?」

 彼女は見当たらない。しかし、この事態は春華が関わっていると疑問なく感じる。急に強い不安感が湧き上がってきた。ふらつきながら舞台のへりへ歩み寄り下を眺めてみた。高さは十mほど、それほど急な斜面ではないので降りられそうである。


 そのことで安心し、斜面を見下ろしていた目を上げて周りを見る余裕が生まれた。遠くに目をやると、はる彼方かなたに灰色に切り立ったけわしい山々が壁のように連なっているのが見える。空気が澄んでいるので、はるか遠くなのに細かいところがよく見え、それが距離をわかりにくくしていた。

 奥から手前に向かって分厚い雲が頂上を越えこの世界を覆い隠すがごとく広がろうとしているように見える。さすがにふもとは湿気のためがかすんでいる。その麓から暗く深い森が広がっているのが見える。


 この高台から先に向かっては、茂みがずっと先で低木の森となり、そのまま深い森へと続いている。ところどころ周りの木々を圧倒するかのような巨木が突き出しているのが印象的だった。


 そのまま左に視線を振ると、明るい葉色の低木の茂みが緩やかに草原へと続いている。草原の先は低いながらも丘陵地なので先が見えなかった。森と茂みは境界を争うかのようにくっきりと分かれている。


 手前側をよく見てみると、自分のいる高台から数百m先に、人が歩いて押し固めたような道が右手の森の中から茂みを通り、遠くでY字に合流しているのが分かる。そこから先に流れる小川には、石橋がかかっているので、姿はみえないものの人が暮らしているらしいことはわかった。


「作ったの人間だよな」

 暮らしの痕跡を発見して、安心とともに怖い考えが浮かんだ。

 さっきまでコレクシオにいたはずなのに、気がつくとこんなとこに居る。これが夢でなければ、魔法か何かでどこかに飛ばされたとしか思えない。そんな魔法は聴いたことない。

 もしも地球上のどこかでなければ『異世界?』


「はは、まさかね」

 自分を落ち着けようと耕輔はつぶやいてみる。でも、怖い考えが収まらない。ここはどんな世界かわからない、別に石橋を作ったのが人間とは限らないことを考えると、いやーな想像をしてしまいそうになっていた。


 しかし、空は青く澄んでおり、風はゆるやかで花の香りを運んでくる。

「いい香りだなあ、こんな香りがしている世界なら大丈夫だろ」

 なんて能天気な気持ちが浮かんでくる。花の香りと動物の形は関係ないのだが、とにかくその爽やかな香りで気持ちが落ち着いてきたことは確かだった。


 どんな花なんだろうかと考えていると視野の端、見下ろした先の方で何かが動いているのに気がついた。目をこらすと見慣れない格好をした背の高い人間がこっちに向かって歩いてくるのが見える。耕輔は慌てて身をかがめ姿を隠した。


 身動きせずもにのぞき見ていたら、数十m先まで近づいてきたときにやっとその相手が誰か気がついた。


 祐司だった。安心して立ち上がると、祐司もこっちに気がついて手を振りながら走ってきた。耕輔も丘から斜面を急いで滑り降り、祐司に走り寄った。


「おお、耕輔大丈夫だったか」

「祐司も元気そうだ」

 二人は互いに無事を確かめ合って笑顔を交した。



 その少し前のこと、耕輔が目を覚ました頃。

 祐司は低木の根元で意識が戻った。ふらつきながら木の幹に手をついて立ち上がり、あたりを見回してみるが見たことのない風景だった。植生が日本の東京と違う。ここは身長の二倍ぐらいの木々が立ち並ぶ茂みが草原につながる境界らしく、正面方向の向こうに草原が広がっているのが木々の隙間に見える。


 傍には幅2mほどの人や車輪で押し固められた道が続いており、その向こう少し遠くに小高い丘のような——というより古墳のように見える——場所が見えた。


「なぜこんなところにいるのか?」

 と独り言が口をついて出てしまう。


 さっきまではアンティークショップで魔法アイテムを見ていたはずだ。春華の悲鳴が聞こえた直後、視野が光に包まれた。気がつくとここで倒れていた。心は不信感に満たされていたが、まずは現状を把握しなければ次の行動も決められない。


 視線は友人たちの所在を、耕輔と春華を探すが気配は感じ取れなかった。

「まずは情報を集めて現状を把握しよう。

 あの丘にまず登ってみるか」

 まだ、はっきりしない頭を振って意識をしっかりさせながら歩き出す。


 わだちで歩きにくい道を辿たどって草原に出ると先で分岐している。それを左に曲がって丘をめざす。


 歩くとカチャカチャと音がなる。そこで初めて自分が木片を革ひもで留めた鎧のようなものを着ていることに気がついた。なんでこんなもの着てるんだと首をかしげならも歩いていく。


 小高い丘に近づいていくと上部が平たくなっていて、そこで人影が動くのが見えた。遠くでよくわからなかったが、近づいて行くと向こうも気がついたのか立ち上がる。それで耕輔らしいことに気がついた祐司は駆け出した。


 二人は再会した時に——といってもついさっきまでそばにいた。はず——抱き合いはしなかったものの手を握り合って喜びあった。

 急に知らない場所に飛ばされて——まさに飛ばされた——友人に会えたことがこんなに嬉しいことだとは。感涙ひとしおとまではいかないが耕輔はちょっとうるっとしてしまった。


 それが恥ずかしかったのか、照れ隠しに祐司に話題を振る。

「祐司のその格好、何?」

「耕輔こそ、それはなんだ。ピエロって訳でもないよな」

 その頃になってやっと互いに自分の格好を気にする余裕が生まれた。


 さっきまで着ていたはずの服はどうしたのか、祐司は平たく硬い木片を丈夫な紐で編んで鎧にしたようなものを着ている。下には金属の薄片を裏地に縫い込んだ鎧下を着ているのが、ゴワゴワして着心地が悪い。こんなもの着たのははじめてだった。これは分厚い肩当もあり、ズボンはよくなめした細身の黒い皮製で脛当すねあてが付いており、しっかりした皮の編み込みのブーツを履いている。まるで戦士の格好だ。背中には長剣まで背負っている。いや、さっきまではなかったはず。今は剣を背負っていた。


 耕輔は、厚手で緩めの布の服をきていて、その上から頭からかぶる薄めでダボダボの外套を羽織って、肩から布の鞄を下げている。外套は幾何学的模様が赤や緑や黒などで染め込んである。左手には見たことのないものが、

「これは楽器か?」


「おお?なんだ。俺は剣なんてもっていたんだ」

 祐司は、疑問符を立てながらも剣を抜いてみる。剣は幅広の両刃の大剣で柄には精美な飾り模様が作り込んである。握り具合を確かめながら振り回してみる。これが様になっている。というのも、祐司は代々古武術と神道系の修行を伝えてきた家庭に育った。幼い頃から武器術や徒手武術を修行してきておりなかなかの腕であった。


 耕輔は、楽器を弾いてみるが音楽の素養はないので曲にならない音が響くだけだった。すぐにあきらめて祐司の素振りを眺めている。想像のつかない状況に飽和していた心が、友人と出会えた安心感と祐司らしい振る舞いで——よくわからない時は、まず体を動かしてみる。幼い頃からの身についた習慣で、彼も状況を受け入れようと必死に体を動かしていた——落ち着いて冷静になってきた。

 頭が動くようになってくることで現実が押し寄せてきた。現状の原因が自分にあることを後悔とともに思い知る。


 突き上げてくる思いを耕輔は口にしないではいられなかった。

「祐司ごめんよ。祐司まで巻き込んで、また、僕はやらかしたんだ。

 昔、藤鞍さんをひどい目にあわせて、今度は祐司まで巻き込んで・・・」

 今にも泣きそうな声でうつむいている。

「帰れるかどうかわからない。こんなところに飛ばされて、ごめんよ僕のせいで」

 祐司に謝られずにいられなかった。

 感極かんきわまってポタポタと涙があふれ地面に水たまりを作らんばかりになる。

「ごめんよ。ごめんよ」

 と声を押し殺す様につぶやき繰り返すことしかできない。


 祐司は剣を背中に収めて耕輔のそばに歩み寄った。そしてそのまま、責めたりも、慰めたりも、なだめたりもせず喋るままにさせている。そばに立って穏やかな目で黙って友人を見ているが耕輔は気がついていない。


 耕輔がひくつきながら押し殺していた声が収まってきた頃を見計らい声をかけた。

「まあ、落ち着け。

 帰れないと決まったわけじゃないし、俺は結構楽しんでいるぞ。

 そりゃ初めはびっくりしたが、こんな格好に勝手になるって事は必要があるんだろ。

 これは冒険の始まりじゃないか」

 なんて気楽な事をのたまう。

「そりゃ巻き込まれはしたが、なんだかウキウキしてるんだ。

 冒険しようぜ」


 そんな気楽な友人の態度に耕輔は、友人から責められる、親友からとがめ立てられると思い込んでいた心が緩むのを感じた。親友の思いやりに気がつかないほど鈍くはない。気楽なことを云い言外げんがいに許していると告げているのだ、という友情が心にしみる。


 無理して笑い顔を作り顔を上げる。ここで『許してくれるのか』などと問えば、友人の気持ちに気がつかないほど鈍いと白状する様なものだ。

「なんだずいぶん楽しそうじゃないか。

 気が抜けて泣いているのが馬鹿らしくなってきたよ」

 涙をぬぐいながら。

「やっぱり巻き込まれたと思ってるんだ。

 よし、冒険にも巻き込んでやる」

 すっかり笑顔に戻り冗談をいう余裕も出てきたようだ。祐司もこういう極端な状況の時は下手に慰めたりしないほうがいい事を修行の中で見知っていたのだった。


「さて、耕輔には迂闊さを反省してもらうにしても、俺らのいるここはどんなとこなんだ。

 それに、藤鞍さんと川原さんのことは不明なままだからな」

「えっ、今度はプレッシャーかよ」

 がっかりした顔で言い返すが事実なので、思案と不安が混じった顔で祐司の顔から視線を周りに巡らす。


「祐司はどうだった。気がついた時」

「俺は気がついたらあの先の茂みで倒れていた。

 それからこっちに歩いてきたが人気はないし、藤鞍さんも川原さんも見ていない。

 どちらにしろ、まずは情報収集だな」

 祐司は冷静な声で答える。

 見ると冷静であろうと努めているのが判る。祐司だって高校一年なのだ、こんな状況に冷静でいようと努めているだけで内心は不安でいっぱいに決まっている。


 だが、家業の武術修行で叩き込まれた不動心も少しは役に立っているのも確かだった。

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