第6話

「いやぁ、奇遇だなぁ。兄ちゃんも上石病院に行くとは」

ゲラゲラ笑いながら、男は猫を撫でる。

「そっすね。でもイマイチ場所がわかってないんですよ」

「おうおう、連れてってやるよ!」

男は楽しそうに笑った。


キャンピングカーの後ろを、ついて行く。

見た目からは煽り運転でもしそうな雰囲気なのに、とても安全運転だった。

法定速度を遵守している。


「ついたぜ」

「はぁ」

こんなにもあっさり着くものか、と笑ってしまった。

俺はどこか自分を物語の主人公と勘違いしていたらしい。


「私達はね、どこか自分が物語の主人公だと、勘違いしている」

彼女は、中学生のころそんなことを言った。

「あいつらはね、そんな憐れなやつらなんだよ」


小学生のころ彼女に突き落とされた橋で、夕暮れを背に話す。

「なーんだよ!『彼は私のものって!』ばぁぁぁぁぁぁぁぁかっ!!ばかっばかっばかぁ!」

彼女は顔にでっかい紅葉をつくっていた。

「上石は、何したんだよ」

当時の俺は、下の名前で親しく女子の名を呼べなかった。

思春期真っ只中の中学生なのだ。

俺は叫んですっきりしたであろう彼女に、話しかけた。

上石、という呼び方に違和感を覚えたのか、俺をちらりと横目で見たが、特には触れずにこたえる。

「告白されて、付き合った」

「またか。こりねぇな」

俺は思わず言ってしまった。

「だって、私のことを少なからずとも、好いてくれたのだから。その想いには、こたえてあげたいんだよ」

「ふぅ〜ん?それで?」

「そしたら、そいつを好きな女子が、つっかかってきた」

「あーぁ」

俺はやっちゃったな、と思った。

「人はさ」

彼女はかつて俺らが落ちた川を眺める。

橙色に染まる川は、不規則に太陽を反射して光る。

「自分が主人公の物語を、自分で執筆してるんだ」

俺は橋の柵に背中を預ける。

「その物語と違うことが現実で起きると、想定していた続きが成立しない。だから、こうやって怒るのさ」

彼女は自身の顔の紅葉を指さす。

「私達はね、どこか自分が物語の主人公だと勘違いしている」


「もうちょっと、少年漫画みたいな展開があるかも思ったのになぁ」

俺はぼそっと、独り言を言った。

「ん?」

「いや、もっと道路が壊れて通れないとかそういう……試練っていうの」

俺はうまく言えなくて、下を向く。

「試練は、ないほうがいいぞ」

男は笑った。

「試練があって、乗り越えて、強くなれるほど、人間強くない。失敗しまくりだ」

男は続ける。

「それでも俺はな、自分が主人公だと今も思ってる。だから、お袋の安否も確かめずに来たんだ」

俺は男の顔を見た。

「世界最期に、生き別れたお袋と過ごすなんて、夢があるだろ?俺は自分が主人公だと信じて疑わねぇから、こうして来たんだ」

「……いいですね、そういうの」

病院の入院患者の多くは、終末を前にして、面倒が最後まで見られないと、半ば強制的に安楽死させられている。

自宅療養という名の、病院の追い出しもあった。

ひょっとしたら、彼の母親もそうさせられているかもしれないし、そもそもそれ以前に亡くなってるかもしれない。

「おい!あいてるぞ!」

男はバタバタと病院の入口で騒ぐ。

「すんませーーーん!山田、山田喜代子って入院してますかぁぁぁぁ!?」

個人情報の流出を、自ら率先してやっていた。

「お、落ち着いてくださいよ!」

「山田!山田喜代子をよろしくお願いしますー!」

「選挙運動じゃないんだから!」

興奮する男を抑えようにも、はるかに相手の方が体格がでかい。

「どうしたんですかー!?」

女性の声がした。

たぶん看護師だろう。

「あのっーーー!山田喜代子さんっていますかーあぁあ!?」

俺は力が抜けた。

黒くて、艶のある長髪。雪のように白い肌。

整った顔は、薄い化粧がされているが、間違えることなどない。

「上石……っ雪子……」

俺は掠れた声で言った。

「え?」

彼女は目をまん丸にした。

「んお?」

男は大人しくなった。

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