冥王星のプルート通り 2/3

 伯爵は長い顎髭をしごきながら言った。


「やはり生きておる者はいかんな。時間の大切さというものがわかっておらん。死ぬまでわからんのだ。全くもって、過去から未来へ流れる時間というものは生者にはもったいないものだということを改めて実感するわ。忌々しい」


 ジョーンズは気まずさを覚えながら言った。


「ああ、あの、あー……メルゴーさん、この度はご連絡もせず……」

「だまらっしゃい!」


 メルゴー伯爵の霊的な大音声が響く。伯爵は続けて言った。


「よいか。二時間だぞ二時間。百二十分。秒で言えばいくらだ! あ!?」

「え? あー、ええと……」

「七千二百秒でございます、旦那様」


 そう言いながら伯爵の背後から進み出たのは顔も腹も丸い、小さな口ひげを生やした小男である。伯爵は怒りの形相を浮かべた首だけを小男へ向けると地獄の底から湧き出るような低い声で言った。


「ヨロニイィィィィ……お前には聞いておらぁぁあああん……黙っとれぇぇぇええ……」

「これはこれは申し訳ございませんでした、伯爵様」


 ヨロニイと呼ばれた小男は少しも反省していなさそうな顔でそう言うと、ジョーンズへ一礼して言葉を続けた。


「ジョーンズ様でございますね。わたくし、伯爵様の執事をしております、ヨロニイと申します。お手紙、無事読んでいただけたようで何よりです。色々とトラブルがあったようですが、ともあれ、ご足労ありがとうございました」

「ああ、あの、はい、どうも……。ははは。ところであの……」

「この状況のことでしょう」


 ヨロニイはその質問を想定していたかのように、時の止まった廊下の中央で両手を広げた。彼のそばには、ワゴンを入院患者の足に引っ掛けて横転させかけている宙に浮いた看護師の姿があった。


「伯爵様のお力によるものです」

「その通りだ。ひれ伏すがよい」


 メルゴー伯爵は腕を組みながらそう言った。ヨロニイはそれを無視して続けた。


「ケルベロス蚕の発明により太陽系の生糸市場を片っ端から崩壊させた伯爵様は、逆恨みした投資家達から逃れるべく天の川銀河のあちこちを飛び回っていました」

「本当は蚕の頭をもう六つ増やしたかったんだがな。名付けて八岐の蚕」

「しかしとうとう追い詰められた伯爵様は、意を決して宇宙船の反物質エンジンコアをその辺のドライバーでこじ開けて臨界させ……そして帰らぬ人となったのです」


 ジョーンズはそこですぐそばに立つメルゴー伯爵を指さした。


「いえ、比喩的な表現です。話の腰を折らないでください。ええと……どこまで……ああ。そう、だがしかし、三十年もの時を経て、伯爵様は帰還したのです! 事象の地平線から! なんということでしょう! ですが残念なことに、その実体は量子論的に極めてあやふやなものになってしまっていました」

「時空連続体というやつは本当に意地が悪くてな。困ったもんじゃ」

「しかしその副産物として、時間に対してこれまでとは変わったアプローチで干渉することが出来るようになったのです……名付けて、〈選択的現実時間パラドックス現象〉」

「わしは〈カイロスの死〉がいいと言ったんだがな」

「伯爵様。死人に口なしです」

「こいつは毎回これを言うんじゃ。もう諦めとるわけよ」


 ジョーンズは言った。


「ええとその、その〈選択式なんとか〉っていうのは……」

「平たく言えば、伯爵様が選んだ任意の存在を時の止まった世界へ連れ込める、ということですね」

「そしてわしがこの時が止まった空間にしか安定して存在できんということも意味しておる。忌々しいことにな」


 それを聞いてジョーンズは少し考えてから言った。


「となると、厳密にはメルゴーさんはまだ生きておいで、ということなのですねえ」

「法的には死んどるがな。忌々しい。今のわしには何の権利も保障もないのだ」

「そこが今回の問題なのです」


 ヨロニイは深刻な顔つきになると言った。


「伯爵様が生前……ではなく……あー、もっとしっかりとした物理状態であったころに作成した遺言書をタテに取って、伯爵様の奥様が、残された全財産の相続を求めているのです」

「そんな馬鹿な話があるかと、そうわしは思っておるわけだ。なにせわしはまだこの通り生きておる! 金もいる!」

「ここでわたしが目をつけたのは遺言状のある文章です。そこには、『我が貞淑な妻へ』、との一語があったのです」

「……なるほど。ということは、これからメルゴーさんの奥さんの不貞を暴き……」

「『貞淑な』妻が相続の条件であることを主張することで……」

「我が財産を不当な相続から保護する、ということが今回の狙いなわけだな。わかったか、探偵よ」

「ふーむ。なるほど。よくわかりました。しかしですね、一つ問題が……」

「わかっておる。妻が実際に浮気しておるかどうか、ということだろう。確かにそれは問題だ」

「ですのでね」


 ヨロニイは真っ直ぐジョーンズを見て言った。


「あなたが奥様を誘惑してください。そうすれば確実です」

「は?」


 あっけに取られるジョーンズを無視してヨロニイは言った。


「あなたが奥様の不倫相手となり、あなたがその証拠を掴み、そしてあなたが私達にそれを提供するのです。これが、今回の私達の依頼というわけですね」

「よいか。これはくれぐれも秘密裏に行われる必要がある。相手方もタダでは済ますまい。きっと弁護士を立てて反証しようとするだろう……証拠は残せん」

「いや、いや、いや、ちょっと待ってくださいよ……そんなことはね、さすがの私も倫理的に……」

「そなたが倫理を語るか、〈人食いジョーンズ〉よ」


 シェオル・メルゴー伯爵は真っ直ぐにジョーンズを見つめて言った。それを見返すジョーンズの瞳は冷たく硬かった。伯爵は言葉を続けた。


「そなたには報酬として、金のほかに、ある機会を与えよう。〈人食いジョーンズ〉。それは謝罪の機会だ。そなたの過去に対してのな」

「謝罪……?」

「そうだ。これを見ろ」


 そこでジョーンズは目を剥いた。彼は伯爵の傍らに虚空を睨む亡霊たちを見たのだ。ダンギを。ケイスを。シンイチローを。マムを。それは彼のかつての部下たちであった。

 彼らの腹腔はいずれも空っぽであった。何かに食べられたかのように。

 それは見覚えのある、忘れようにも忘れられぬ光景であった。

 伯爵は言った。


「ジョーンズよ。わしはそなたのことを哀れに思っておる。そなたの力になりたいと思っておる。〈第三コブラ小隊遭難事件〉。あれは実に気の毒な事件であった。広い宇宙の中、傷ついた身体のまま、一人きりで救援を待ち続けるというのは、どのような気分であったか。想像しただけでも苦しいものだ。悲しいものだ。帰還をすれば、守るべき人々から投げかけられる〈人食い〉の汚名。そんなことがあってよいものだろうか。生き延びるためであれば誰だってそうするだろうに。無責任な奴ら。忌々しい。実に忌々しいことだ」

「ジョーンズさん。伯爵様のお力があれば、あなたが……口にせざるを得なかった彼らに、もう一度会うことが出来るのです。一時的に、ではありますが。それを有効に使わない手はないでしょう」


 うつむくジョーンズの手はわなないていた。伯爵とヨロニイはそれを見ると、廊下の奥へと遠ざかって行く。


「ジョーンズよ。わしはわしの与えられるものを提供する。そなたにはそなたの出来ることをして欲しいのだ……。頼んだぞ、探偵よ……」


 その声を最後に、ジョーンズは目を覚ました。タクシー運転手とならず者宣教師の激論は、まだ続いていた。


    ◆


「それにしても、とんでもないことになったもんだな、ええ。幽霊からの依頼か」


 ジョーンズの隣に並んでプルート通りの人混みを歩きながら、シンロはそう言った。だがジョーンズはポケットに手を突っ込んだまま、口をきかない。シンロはジョーンズの顔を覗き込むと言った。


「で、どうするんだ。この件、やめるか」

「いや。やるよ」


 ジョーンズは顔を上げ前を向いて呟く。


「金は金。依頼は依頼だ。引き受けた以上、途中で投げ出すなんてことは出来ない。それだけは出来ないんだ」


 シンロはため息をつくと、少し前を行く彼らのターゲットに目を戻した。艷やかな長い菫色の髪。前頭部から突き出た二本の触覚が揺れている。火星産と思わしきぴったりとした黒衣に包まれた肢体を見て、結構魅力的なのではないか、人間としては、とシンロは思った。それが故シェオル・メルゴー伯爵の若き妻、トロリアンの姿であった。彼らは既に二十分ほど、トロリアンのことを尾行し続けていた。

 シンロは言った。


「誘惑。誘惑か。どうやって誘惑するつもりなんだ?」

「そうだなあ」


 ジョーンズは顔に力を入れるとシンロの顔を見つめた。


「これで……どうだ」

「どうもこうもねえんだよなあ」

「そうかあ……」

「なあ、もしかして何も考えなしなのか、お前」

「いや、そうでもない。そうでもないぞ。ほら、あの映画あっただろう、あのロボットが出てくるやつ」

「どのロボットだよ」

「あのロボットだよ。あの……頭が尖ってる奴」

「あ、あ、あ。もうわかったぞ。やめとけ。絶対にやめとけ。お前じゃ無理だ。そもそもお前、宙返り出来たのか?」

「あー……」


 そこでジョーンズはとりあえず麻薬パイプをふかした。


「あれじゃないか。その気になればさあ、出来るんじゃないか」

「じゃあやってみろよ。ほら。そこでやってみろ。地面硬いから。ほら。やれ」

「あのさあ……お前は本当に意地悪だよなあ……」


 二人は喋りながらも角を曲がったトロリアンを追う。しかしそこで彼らを出迎えたのは銃口だった。その向こうにはトロリアンがいた。彼女は言った。


「あんたたち、何者なわけ」

「あー……おれはその……ただの殺人鬼で……」

「おれはその……ただの殺犬鬼です」

「ふうん。ただの殺人鬼と殺犬鬼が、なんであたしを付け回してるの? それも三十分も。何が狙い?」


 ジョーンズとシンロはアイコンタクトを取る。彼らは腹を決めた。ここがその場だ! ジョーンズは低く渋い声を作ると言った。


「お嬢さん。おれたちは……プルート通りを歩くあなたの背中にすっかり参ってしまいまし」

「ふざけないでね」


 ジョーンズの口説き文句は額に押し付けられた銃口で止められた。トロリアンは胸元から一枚の身分証を取り出す。そこには、『天ノ川銀河太陽系維持管理局監察部特別捜査官 カリヤ・エムペラード』の文字が輝いていた。彼女は続けて言った。


「この意味、わかるでしょ。もう一度聞くけど、何が目的?」

「カリヤ……?」


 ジョーンズは嫌な予感を覚えながら言うと、言葉を継ぎ足した。


「トロリアンじゃなく……?」

「トロリアン? 一体何の……」

「伏せろー!!」


 そう叫んだのはそもそも伏せる必要のない宇宙コーギーのシンロである。職業的素早さで身をかがめた彼らの頭上すれすれを、高速で飛来した電磁円月輪が青い影を残しながらかすめ、そして速度を緩めぬまま戻っていく。それを素手で受け取ったのは鳥頭の兜を被った大男であった。それを見てジョーンズはあっと叫び、そして左目の電脳でカレンダーを見ると頭を抱えて、シンロに言った。


「おいシンロ! おれたちはどうもボケていたみたいだぞ!」

「なんだジョーンズ、一体何を……」

「年度末だ! もうすぐ年度末なんだよ!」

「何!? もうそんな時期か!?」


 シンロは心底驚いた顔でそう言った。


「もうそんな時期なのか!?」

「鳥頭が来てるってことはそういうことだろ、畜生め、時差ボケかなんかか、なんで気づかなかった!」


 カリヤ捜査官は目を白黒させながら聞いた。


「あんたたち、一体なんの話を……」


 そこでジョーンズはサングラスを外し、素顔を晒した。


「どうだあんた、おれの顔に見覚えはあるだろう」

「ひ、〈人食いジョーンズ〉……!」

「そうだ。〈人食いジョーンズ〉だ。いいか。おれが生きているということは太陽系当局にとって都合が悪い。イメージダウンなんだよ。宇宙海兵隊のエリートが敗走したあげく部下を食って生き延びましたなんて醜聞はあってはならないんだ、絶対にな」


 彼らは再び飛び来る円月輪を転がって回避すると会話を続けた。


「だから当局はおれが存在したという証拠を消したがってる。すでにおれの本来の戸籍はない。あの事件を報じたアーカイブが今ではほとんど残ってないこと、あんた知ってるか? あとやつらがしなきゃならないのはおれ自身の処分ぐらいのもんだ。そしてやつらも焦ってはいるものの、あんたも政府の人間だ、わかるだろう、何をするにも予算の裏付けがいる。そしてやつらの優先度リストの上の方には、おれが入るスペースがもはやないらしい。それもそうだ、この宇宙にはもっともっと早急に対処すべき危険が山ほどある……レジスタンス……カルト教団……実存主義の哲学者……その他諸々。こういう反政府集団のおかげで、おれはなんとか今まで生きていられると言っても過言じゃあない」


 彼らはさらに飛び来る円月輪を再び転がって回避すると会話を続けた。


「ということでやつらは会計年度が始まるとまずはそういった問題に金をつぎ込む。解決するかしないかにかかわらず、粛々と事務を進める……だが予定通りに行かず入札は失敗し……事業は頓挫し……なんとかカタチをつけ……そして年度末が近づいたところでようやく一息つく。そこで思い出すわけだ。ああ、まだ始末しなきゃならないやつがいたな、と。カネもなんか余ってるな、と」


 彼らはさらにさらに飛び来る円月輪を再び転がって回避すると会話を続けた。


「予算が余ればその分翌年度の予算から減らされる。ということで、奴らは適当なタイミングで、リストに残ったおれのような小物たちへ、余った金を使い切るために一斉に殺し屋を送り出すわけだ。こんなふうにな! こっちとしては困ったもんだよ。まあ、年末に行われる星間ハイウェイ工事と同じようなもんだな。なんか急にドタバタあちこちの穴を掘ったり埋めたりしだすやつ。よくあるだろ、そういうの?」


 シンロが言葉を継ぐ。


「大方あの依頼人も政府の人間だろう。そんであんた、カリヤ捜査官だったか? おれが思うに、あんたも多分政府からうるさく思われてるんじゃないかと思うがね。最近なにか嗅ぎ回ったりしたんだろう。まあ、一石二鳥ってわけだ」

「そんな……」

「そんなもこんなもないさ。やるしかない」


 ジョーンズは腰から銀の銃を抜くと、鳥兜の大男に相対して言った。


「これがおれの恒例行事なのさ」

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