宇宙探偵人食いジョーンズ

ズールー

冥王星のプルート通り 1/3

 この広い宇宙は厳しく、無慈悲で、寂しい場所だ。だがそれでも、話し相手になってくれる誰かがいれば、なんとかやっていくことも不可能ではない。何をするにしても。

 少なくとも、お互いの話題が尽きるまでは。


    ◆


 停留させている単身用星間クルーザー兼事務所の狭い居室のベッドの上に寝転びながら、私立探偵サイトウ・ジョーンズは薄汚い肌着で麻薬パイプを咥えたまま、依頼人からの手紙を裏返したり、逆さまにしたり、近づけたり遠ざけたりしながら、とにかくぼんやりとした表情でひたすらそれを弄んでいた。そばには宇宙コーギーのシンロが不満げにフンフンと鼻を鳴らしながら寝そべっている。そのまま十分が経過した。しびれを切らしたシンロは言った。


「何してんの。一体、それは。マジで」

「いやさあ」


 ジョーンズは顎髭をさすりながら言った。


「なんかいい匂いがするんだよね。これ」

「そらお前、そうだろうよ。今どき紙なんか使ってメッセージを寄越すんだから。香りぐらいつけてくるだろうよ」

「はあ?」


 シンロはベッドの上に前足を乗せると信じられないといった顔で、生身のままの右目を麻薬で充血させたジョーンズを見つめながら言った。


「あのさあ、マジでこれ言うの何度目かわかんないんだけど、よくこれまで探偵としてやってこれたよな、お前。やっぱこの宇宙って、どっかどうにかしてんだよ。じゃないとおかしいよ、絶対」

「それを犬に言われたくはないよなあ」

「ああお前、それを言ったなお前……。いいかお前、おれは由緒正しい地球ロシアはクドリャフカの血筋でだな……」

「それでコーギーっていうのが信じられないんだよなあ」

「お前! お前! それは差別発言だぞ!」

「いいよいいよ、わかったよ。それで何、なんで香りがついてるのが当然なの……」

「何もわかってないぞお前、いいか、いつかさっきの発言は落とし前を……」


 そこでジョーンズがボールを居室の出口へ向けて投げると、狩猟本能に逆らえずシンロはそれを追いかけて走っていった。少ししてボールを咥えて戻ってきたシンロは、差し出されたジョーンズの手にそれを落とすと、どこかしらスッキリとした顔で続けて言った。


「あれしきのことで今回の件を許すおれではないが、まあ仕方ない、無知な地球人類におれが教えてやろう。いいか。今のこの宇宙で、文字データの電送で済ませずにわざわざ紙のメッセージをシャトルに載せて送ってくるような真似をする奴は、相当な気取り屋だ。用事があればスタイルを見せつけて終わらせずにはいられないような奴だ。そら、封筒の赤い蝋印を見ただろう? それはかつて地球で公式な文書だとかを送るときに使われていた代物らしい」

「ふーむ」

「手紙に香りをつけるのもそう。時代錯誤もいいところだ。頭がどうかしている。それにアナログな手紙の利点はもう一つある」

「それはわかる。記録に残りにくいんだ」

「そうだ。配達ルートさえ処理してしまえば、どこの通信ログにも情報は残らない」

「となると、どこぞの時代錯誤の貴族気取りが、秘密裏にヤバい事を済ませようと、わざわざおれに依頼してきた、っていうわけか」

「なのに依頼の内容がそれだろ」


 手紙には『妻の浮気調査』を頼む旨が、壮麗な手書きの飾り文字で書かれていた。


「絶対おかしいだろ! それにそもそも、どこからお前にたどり着いたんだ」

「先月広告を出したなあ」

「あのとにかく安さを強調したアレか」

「そう。そのあれ」

「なあ。おまけに呼びつける場所が冥王星だ。冥王星だぞ。あんなところに住んでる奴なんか確実にまともじゃない。絶対断ったほうがいいぜ、これ」

「なんだか今更そんな気がしてきたなあ……。まあでもほら、おれのモットーは、『困っているなら遠くても隣人』、だからさあ」


 ジョーンズは眉根を寄せながらそうぼんやりと呟いた。一瞬後、気づいたシンロはターミナルに駆け寄り、ジョーンズ探偵事務所の預金口座の入出金記録をチェックする。そこには三分前に振り込まれた依頼人からの前金が記帳されていた。


「いや、まあ、ね」


 麻薬パイプ片手に追いついたジョーンズがすまなそうに言った。


「まあ、ほら、お金があると、ね。色々と……ね」


 シンロはそれを聞き流しつつ船窓に近づくと、ため息をつきながら黄昏れた。おれに市民権さえあれば。今すぐ探偵免許を取って、この事務所を乗っ取ってやるのに。そうすればもっと宇宙は、世界はマシな、平等で公平な、正しい場所になる。きっとそのはずだ。そのはずなのだ……、と。シンロはそれを自分でも信じていないことはわかっていたが、ついそう思わずにはいられなかった。

 シンロの見つめるその先では、彼らに依頼人からの手紙を届けた配達人のシャトルが爆発する、小さな光がきらきらと瞬いていた。そしてそれは真空に飲み込まれて、すぐに消えた。


    ◆


 冥王星は呪われた惑星である。いや準惑星である。もとい、惑星もしくは準惑星である。どちらかを明言したものは冥王星惑星正教会もしくは冥王星準惑星連合会のいずれかの組織から付け狙われることになるので、一般的にはそのように呼ばれている。この論争が始まってから二千年が経つが、いまだに政治的な理由から決着はついていない。そのほうが経済学的な利点があるからだ。争い事が金を産むのは、三千年以上前からの真理であった。

 正教会と連合会の二重統治状態となっているこの比較的小さな天体は不安定な政情にあり、どちらの組織も犯罪人引渡し協定を太陽系当局と締結しておらず、介入も拒否しているため(どちらもそれを敵対組織からの差金と考えていた)、必然的にならず者達の巣窟となっていた。宙港から降り立ったジョーンズとシンロは、冥王星をぐるりと真っ直ぐ一周するプルート通りを、前者はただの殺人鬼の、後者はただの殺犬鬼のふりをして、殺人現地人や、正教会の殺人宣教師や、連合会の殺人タクシーの群れを避けながら歩いていた。レザーに身を包んだジョーンズの腕に巻くサビ加工された鋼鉄の鎖がジャラジャラと、シンロの履くスパイク付きの革靴がカチャカチャと音を立てる。強すぎる白色街灯のせいで白黒になった常闇の世界では、二人がかけた四角いサングラスは、眼球保護という点でも、怯えを隠すという点でも、とてもよく役に立っていた。

 ジョーンズの左目の電脳眼球に、依頼人から指示された待ち合わせ場所が表示される。それはシェオル邸と呼ばれる、ここから数キロ先の路地裏にある廃屋であった。ジョーンズは言った。


「なんかさあ、いやな場所だよなあ」

「何が? この星がか?」

「それもそうなんだけど、待ち合わせ場所がだよ。廃墟なんだよ。いかにもって感じがするだろ?」

「今更な話だよなあ、それ」

「まあそれはそうね……そうなんだけどね……」


 そこでジョーンズは人混みの中に見てはならないものを見た。そして驚愕に足を止め、くわえていたパイプを落とした。

 動悸が高まる。視界が揺らぐ。ありえない。そんなことは……。

 そうだ。幻覚だ。奴はもう死んだ。くそ。いい加減パイプをやめるべきか。

 だが……。ああ、おれはまだ、忘れられていないのか。

 顔を真っ青にしてうずくまるジョーンズに、シンロが近づき、心配そうに顔を覗き込む。ジョーンズは言った。


「大丈夫だ。大丈夫」

「本当かよ。顔色が悪いぞ。もしかしてまた……」

「大丈夫だって……」


 そう言いながらサングラスを外し、顔の汗を拭いて、パイプを拾い上げる。そのジョーンズの素顔を見た通行人の男があっと声を上げ、そして言った。


「ひ……〈人食いジョーンズ〉!」


 ああ、しまったな、という顔のジョーンズに周囲の注目が集まる。静寂が支配する。まだ覚えているやつがいるとは。騒動を察知したシンロはいつの間にか消えていた。賢いやつだ。それでいい。ジョーンズはゆっくりと立ち上がった。

 ジョーンズのまわりに空間が出来、人々は彼のことを遠巻きに見つめていた。その視線には、恐れ、軽蔑、怒り、好奇など、様々な感情が混じっていたが、好意的なものは一つもなかった。そして輪の中から進み出たのは額に『冥王星は惑星だ』の入れ墨をした巨漢。両手には電磁ナックルダスターを嵌めていた。

 巨漢は言った。


「おい、お前。〈人食いジョーンズ〉って本当か」

「ああ。まあ、そうだな。そう呼ばれることもある」

「てっきりどこかの誰かにすでに叩き殺されてたかと思ったが」

「お陰様で、まだなんとかやれてるよ。ありがとう」


 巨漢は筋肉をほぐすように両肩を回すと、ジョーンズを見下ろしながら言った。


「お前に会えたら聞いてみたかったんだけどよ。どうなんだ。あれは本当のことなのか」

「どのことかな。よくわからないが……。まあとにかく。君の聞いていることなら、大方あのことだろう。さて、もしそれが本当のことだとしたら、君、どうするんだ?」

「そんな奴はよお、生かしちゃおけねえんだよ、このゲス野郎が……。おれの信仰と、良心にかけてな……このケダモノめ!」


 巨漢は拳を振りかぶりながら叫んだ。


「死ね! 〈人食いジョーンズ〉め! くたばれ! お前は生きてちゃいけねえ!」


 その拳がジョーンズに届くことはなかった。腰をひねって抜き放たれた銀色の拳銃からの大口径弾は、一発目は巨漢の腹を、二発目は胸を、三発目は額の入れ墨を撃ち抜いていた。

 ジョーンズは銃をくるりと回すと、腰のホルスターに収め、そしてパイプをふかした。私立探偵サイトウ・ジョーンズ、前職宇宙海兵隊特殊部隊大尉。かつて学んだその技術は衰えを知らなかった。

 仰向けに倒れる巨漢はもう動くことはない。三度の銃声の残響はまだ続いている。取り囲む人々は息を呑んだ。ジョーンズは周囲を見渡すと言った。


「通してくれるかな」


 しかしざわめく群衆を押しのけて進み出てきたのは巨漢と同じ入れ墨を腕や腹に入れた狂信者達であった。彼らは唸り声をあげながら同胞の仇を討たんと、そして何より彼らの信仰が決して許すことのない存在を抹消せんと、抜け目なくビラを撒きながらジョーンズへの距離を詰めてくる。ジョーンズが再びその銃を手に取ったとき、群衆を跳ね飛ばしながら彼の元へ滑り込んできたのは一台の暴走タクシーだった。


「乗れ!」


 屋根にしがみついたまま言ったのはシンロである。静かに、だがすばやく開いた後部座席に飛び込む瞬間、ジョーンズはシンロに聞いた。


「なあ、なんでお前そんなところにいるんだ?」

「聞いてくれよ! 動物は毛が落ちるから駄目なんだってよ!」


 苦笑しながらドアを閉めると、タクシーは急発進する。差別だぞ、おれは知的生物だぞと叫ぶシンロを載せたまま、車はプルート通りを走りはじめた。アフロヘアの運転手はジョーンズに言った。


「よお兄さん。なんなんだいあの賢いペットは」

「訂正しろ」


 ジョーンズは鋭い声で答えた。


「ペットじゃない。あいつはおれのパートナーだ」


 運転手は眉を上げると、一言詫びてから言った。


「どこまで」

「シェオル邸までだ」

「おや。観光かい……」

「まあ、そんなところだよ」

「しっかり掴まってなよ……飛ばすからね」

「まあその、ぜひそうお願いしたいね」


 ジョーンズが後ろを見ると、何人かの入れ墨宣教師達が、エアバイクに載って彼らを執拗に追いかけて来ていた。


「ああ、ところで兄さん」

「なんだい」

「兄さんに聞きたいことがあるんだけどね。この星、惑星だと思うね、それとも、準惑星? どっちだい?」


 ジョーンズは運転手の襟に輝く連合会のバッヂを見て、そしてぐるりと目を回した。


「なあ、あのさ、今はそんなことよりも運転に……」

「そんなこと? そんなことって言ったか?」


 運転手はハンドルを握ったままジョーンズを振り向くと、きつい目つきで睨みながら言った。


「そんなことって言ったよな?」

「おい……おい! 前を見ろ」

「いいか、おれたちにとっては決して『そんなこと』じゃあないんだよ。これは祖先の誇りにもかかる……」

「前! 前!」

「おいあんた。おれの話聞いてんのかよ」

「前だって! 前アーッ! クソ!」


 ジョーンズは運転手の顎に一撃を入れ失神させると前に身を乗り出してハンドルを奪いそれを右に切る。大音量のクラクションを浴びながら危ういところで正面に突っ込んできた液化窒素トレーラーを避けるとそのまま左へ、右へと次々に際どく歩行者や対向車を避けていく。

 慌てたシンロがフロントガラスへ逆さまに顔を出して叫んだ。


「何事だよ! 何事だ!」


 ジョーンズがそれに答えて叫んだ。


「アーッ! 今はお前が邪魔だ! 上に戻ってくれ!」


 シンロは即座に顔を引っ込ませる。ジョーンズはハンドルを操作しながらなんとか運転手の右足をアクセルから離そうとするが運転手の履くサンダルがペダルに引っかかっていて戻らない。エンジンの回転数はますます上がっていく。正面の中央分離帯が猛烈な速さで近づいてくる。


「畜生め!」


 ジョーンズはハンドルを思い切り右に切って車体をスピンさせると銃を抜き、ダッシュボード越しにエンジンへ向けて残弾全てを打ち尽くした。衝撃で指が痺れる。車は横っ腹を強烈にブロックへ叩きつけると、エンジンルームから煙を吹き上げ、そしてようやくそこで停止した。

 後部座席にへたり込み、息をつくジョーンズ。シンロにまた怒られそうだと考えている彼が、数台分の正教会エアバイクの衝突衝撃に襲われるのは数瞬後のことである。


    ◆


 プルート中央総合病院に担ぎ込まれたジョーンズは早くも個室を選ばなかった自分の判断を後悔し始めていた。彼の右隣のベッドには惑星正教会のならず者宣教師が、反対側のベッドには連合会の暴走タクシー運転手が寝かされており、ジョーンズを挟んで終わることのない不毛な大激論が交わされていたからだった。もうそれは三時間も続いていた。

 左目の電脳で、隣のプルート中央獣医科病院に担ぎ込まれたシンロと連絡を取る。調子はどうだと聞いたら、折れた右前足が痛む以外は完璧だ、おかげさまでな、と帰ってきた。ジョーンズは苦笑した。

 起き上がってトイレにでも行こうか、いやそういえば依頼人に連絡を取っていなかったぞ、と思ったとき、ジョーンズは妙なことに気づいた。いやに静かなのだ。右を見る。入れ墨宣教師が口をあんぐりと開けたまま固まっていた。反対側を見る、連合会の運転手も同じく、怒りの表情を浮かべたまま固まっていた。

 向かい側を見れば、長いこと入院しているらしい老人の脈拍モニターも止まっていた。これは一大事だと思ったが、そもそも脈の停止を知らせる警告音も鳴っていないことに気づき、どうやらこれは本格的におかしなことが起こっているようだぞ、と考えた。

 全ての時間が停止していたのだ。

 ジョーンズは廊下に出る。そして聞いた。かつん、かつん、という足音を。そして見た。止まった時の中を、人混みを避けながらジョーンズへ向かって歩いてくる人影を。ジョーンズがそれを見て息を呑んだのは、その長い髭を生やした、威厳に満ちた顔に威圧されたからではない。その人影を通して、その背後が透けて見えたからであった。

 おぼろげな人影はそのまま真っ直ぐ歩いてくる。ジョーンズは考えた。一体これはなんだ。何が起きている。幽霊か? まさか。一日に二度も幽霊を見ることなどありえない。そんなことがあっていいわけがない……。くそ。くそ。パイプのせいか。パイプのせいだな。くそ。みんなやめろというが、『こんなことが起こるからやめろ』と具体的に言ってくれればおれだってやめたのに。ああもう目の前にいるじゃないか。なんなんだこの……この爺さんは。くそ。

 止まったはずの時間の中で、ジョーンズの額を冷や汗が流れる。人影は不満げな目つきでジョーンズを睨むと、古風な腕時計を見せつけて言った。


「遅刻だ。たわけめが。早速失望させてくれたな。みじめな貴様には、我々が今取り組んでいる問題の重要さがわかっておらんのか? いやそうだ、きっとわかっておらんのだろうな。たわけめが」


 それが今回の依頼人、故シェオル・メルゴー伯爵その人であった。

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