4-3

「それで? 陸路の運搬チームは全員捕らえたの?」

リムジンの後部座席から助手席に座る老執事に問いかければ、皺に囲まれた目が笑っていた。

「無論、ご指示通りに全員を生かして捕らえておりますよ。――カエサル様」

その答えに満足気に頷いたカエサルは、黄色味が強いアンバーな虹彩に冷酷な光を灯して笑った。

「列車の犯人たちは魔王に血祭にされちゃったし、せめてそいつらだけでも、俺の手であの世に送らないと、腹の虫が治まらないよね」

そして、暗闇に沈んだ平原が続く窓の外へと視線を向けた。


だが、次に続くカエサルのトーンからは、飄々としておどけた色が掻き消えていた。

「領地の港の監視を強化しろ。どうでもいいからずっと見逃していたけど、図に乗られるのは許せない。――今後は、組織との正式な取引を踏んでいない武器弾薬の輸送は、全て禁止する。逆らう者は、個人だろうが、テロ国家の手先だろうが即刻殺せ。――組織末端のマフィアまでの自由制裁を許可する」

「御意。――勅命、承りました」

老執事は胸に手を置いて恭しく一礼し、後部座席との仕切り窓を閉めた。


そしてカエサルは、ため息をつく。


――お前が面倒がって、もぐりの武器商人やテロリストを放置したことが、今回の事態を生んだ一端を担っているが、それは蓮を無傷で連れ帰ったことでチャラにしてやる。……だが。


青みがますます濃くなる紫の瞳には噴怒の光が輝いているが、その口元には氷の微笑を湛えている。


――俺達の部屋に無断で入り、蓮に接触したのはどういうことだ? まして、俺が警告したにも関わらず、妙なニックネームまでつけて、蓮のことを奴らに拡散したな? いずれ、その責任はきっちり取ってもらうから覚悟しておけよ、カエサル。


カエサルは、再び深々とため息をつく。

正直、あの男に借りを作ったことは痛い。

だが、続いて発した独り言には、いつもの飄々としたトーンに戻っていた。

「あーあ、高いもんについちゃったなあ。これから、どんな無理難題を押し付けてくるか、今から頭が痛いよ」

だが、ふと手に握っていたスマホの存在を思い出し、じっと手の中を見つめる。

そして、にんまりと笑った。

「でもまあ、それ相応のものが手に入ったんだし、良しとするか」

きっぱりと言い切ったカエサルの手の中にあるスマホの画面には、先ほど届いたメールが開かれ、短いメッセージが綴られている。


――今日は、色々とお世話になりました。貸して頂いたストールは、クリーニングして、後日お送りします。


メールの送り主を登録した名は、黒鳥オディール。

前の名は気に入っていたが、魔王のロットバルトに知られてしまった以上、今後は使えない。

それに、人を惑わし、虜にする魔性の彼には、こちらの名の方が相応しい。

名付けたのが、自分でないのが悔しくはあるが――。

カエサルは返信ボタンを押し、「俺の事は、ジークフリートって呼んで」と件名に記し、それから意気揚々と文字を打ちはじめた。


・・・・

「申し訳ございませんでした。――裏切った罪への覚悟は出来ております」

死を覚悟した男が、ベージュのトレンチコートの男の前に膝まづいて頭を垂れる。

その男を見下ろすヘーゼルの瞳には、冷酷な光が灯っていた。

「お前を殺すには惜しいが、――仕方あるまい」

カイザーが、アサドの頭部へと銃口を突き付けた。


だが、アッシュブロンドの若者は、主の逆鱗を真っ向から受け止める覚悟を胸に秘め、その銃口の前に立ち塞がった。

「アサドを処分するのは、止めてくれ! カイザー様」

リーンハルトは、まっすぐな瞳で主を見つめる。

「こいつが組織を裏切ったのは、オレだって許せない。けど、事情があったんだ。それにこいつは、身を呈してあいつを守り切ったんだ。だから魔王も、トレインジャックの後始末だけで見逃してくれたんだろう? だったら、プラマイゼロでいいじゃねえか!」

必死に捲し立てる拙い弁明に、ギロリと睨む主の殺気にリーンハルトは竦みあがるが、それでも強気の顔を向ける。

あの列車最後尾のデッキで、臆することなく魔王を見据えた、青年の横顔を思い出す。

――あれに比べれば、全然怖くない。

「もちろん、タダで見逃してくれとは言わないよ。――オレだって組織の人間だ。それくらいは、分かっているさ」

そしてリーンハルトは、ゴクリと唾を飲み込み、一世一代の大勝負に打って出た。


「今回の事をチャラにしてくれたら、世界一貴重な極秘情報を教えてやるぜ」


その突然の取引の申し出に、カイザーの頬がピクリと動いた。

だが、それだけで十分だ。

確かな手ごたえに、リーンハルトはさらに一歩、強気で前に出る。


「エスメラルダのメルアドだ。――どうだよ? アサドの命との取引材料とすれば、お釣りが来ると思うけど?」

随分な言いようだが、それに異論を唱えたのは、まさに罪を問われ、命がかかっている男だ。無論、極秘メールアドレスと自分の命を、天秤にかけられた事を怒ったのではない。

大きく首を振って、主を諌める。

「そんな甘言に乗ってはいけません、カイザー様。カエサル様は、エスメラルダ様とメル友になったと単純に喜ばれていましたが、いずれバレる時が来ます。その時、あの方がどれほどお怒りになるか……」

だが、カイザーは不機嫌そうな顔で、「黙れ、アサド」と一喝した。


「お前は、私の運転手からやり直しだ。そんな所に座り込んでいないで、さっさと車を回してきなさい。それと、エスメラルダという名は、今後一切口にしてはならない。――彼が禁止令を出した」

苦虫を潰したようなカイザーの言葉に、二人は目を丸くした。

「あんた、まさか魔王の前でその名を言っちゃったのかよ」

まずはリーンハルトが呆れた。

「そんなの、絶対に怒るに決まっんだろ!」

「あれほど、カエサル様から注意するようにと言われていたのに! それで、どうするのですか?」

運転手に降格したナンバー3からの詰問に、カイザーは余裕の薄い笑みを向けた。

「もともと、あの名は直接的過ぎて気に入らなかったのだ。だから、私が新たな名を命名してみた」

反省の欠片もなく、その自信に満ちた態度に、部下の二人がゴクリと唾を飲む。


カイザーは、リーンハルトからの電話越しに、彼が魔王と呼ばれた男に言い放った言葉を聞いていた。

――貴方に損はさせないし、絶対に貴方の許に帰ります。オレは今まで、約束を破ったことはないでしょう? ディーン!


あの高めのテノールボイスの青年とは、ぜひ一度会って話してみたいものだ。


あの時、過った想いを、カイザーは思い出す。

そして、交渉相手に向き直った。

「まずは、お前から私を紹介しなさい、リーンハルト。いきなり私からメールを送りつけては、黒鳥オディールが驚いてしまう。それと今後は、私の事をジークフリートと呼ぶように伝えなさい」

そして、「――彼とメル友か。悪くはないな」と小さく呟き、トレンチコートの裾を翻して踵を返す。

そのダンディな口元には、珍しく微かな笑みが浮かんでいた。


・・・・・・

ホームもタラップも無い列車のドアは、案外地面までの高さがある。

アサド、リーンハルト、そしてカエサルが軽快な身のこなしで地面へと飛び降りる中、最後に順番が回ってきた蓮は顔色を青ざめさせた。

顔つきと決死の雰囲気は、まるでスカイダイビングかバンジージャンプに挑む者のそれだ。

それを察して、ディーンは無言で飛び降りることに躊躇しているアドバイザーが居るドアの下へと向かう。

そして、その真下に立つと、蓮を見上げてニヤリと笑った。

「今回、無事に列車を止めた事で、勝手に通信を切ったことは許してやる。――それで、お前は俺にどうして欲しいんだ? 言えばお前の望みを叶えてやるぞ? ガキのお前と違って、ファック ミーと懇願されても、俺なら一応の努力はするつもりはある」

その挑戦的な申し出に、蓮はグッと言葉につまるものの、まずはいつものように負けん気の強さから虚勢を張る。

「そんな、悪魔の誘惑みたいな台詞はいりませんし、それはネット仲間のハンドルネームだって言いましたよね」

そして、紫の瞳を悔しそうに睨みつけた。

「言わせて頂ければ、今すぐそこをどいて下さい、オーナー。……と、飛び降りるのに邪魔なんで」

だが、グリーンの瞳に睨まれた紫の瞳は、さらに面白がるように色味を深めた。

「無理をするなよ、蓮。――さっきから、声が震えているぞ。本当は飛び降りるのが怖いんだろう、お前?」

そして、その腕を広げた。

「来いよ。――受け止めてやる」


そのリアクションに、蓮は唇を噛んで一瞬躊躇するものの、ひとつ息を吸って覚悟を決めた。実際、恐怖の為に、先程から膝が小刻みに笑い続けている。

「そこまで言うなら、今回は指示に従います。ですから、ちゃんと捕まえて下さいよ、ディーン。受け止め損ねたら承知しませんからね」

「まさかこの俺が、お前を捕まえ損ねると思っているのか?」

その言葉に勇気をもらい、蓮はギュッと目を瞑り、決死の覚悟で空へと身体を投げ出す。

ふわりとした落下の浮遊感の後には、がっしりした腕が蓮の背中に回された。

そして、首筋にしがみついた蓮の耳に、ディーンの呟く声が届く。

「無事で良かったが、あんな交渉は二度と御免だからな」

その穏やかなトーンに蓮もまたそっと目を開け、「はい」と囁くように答えを返した。

「心配かけて、ごめんなさい。あと、助けに来てくれて、ありがとうございました」

一度、二人はギュッと腕に力を込めて再会のハグを交わし、蓮もようやく地上に帰還する。


自然と顔を見合わせ、互いの希少な色の瞳を見つめながら惜しむように身体を放した二人に、トラックのドアの前に立つミラ―が大声で呼びかけた。

「そろそろズラかりましょうよ、ボス! それと坊や! さすがアタシの坊やだよ、よくやった!」

ショットガンを肩に担いだ男前な赤毛の女は、バチンと音がするようなウインクを投げてよこす。


また、二人の傍らには汗だくのジャクソンが並び立った。

ゴツゴツした大きな手は油まみれで、顔や白いワイシャツも所々赤黒いグリースで汚れている。

「パリには懇意にしている良い酒場がある。ここまで来たのに、美味いカルヴァドスを吞まずには帰れないでしょう? それに坊やも、ポモー・ド・ノルマンディは絶対に気に入ると思うぞ。一杯、奢らせてくれ」

そして、武骨な顔の緊張を解いた。それは、ジャクソン特有の分かりづらい微笑みだ。

「――この後、俺が懇意にしているとっておきの店に、二人を案内しますよ」


そんな甘言に釣られ、ジャクソンに先導されてヘリへと歩きだせば、客車に置いて来た二人の荷物の積み替え作業の陣頭指揮を執っていたスチュワートが振り返った。

その手には、いつもの愛用のタブレットがある。

「パリ市内の当社のホテルに宿をお取り致しました。今度は、ボスに御満足頂けるよう、当社のスィートルームをお取り致しました」

その言葉に、ディーンの口角が上がる。

「ウサギ小屋でないことは何よりだ。それより、スチュワート。俺がデューディリジェンスの為に空けておいた日は、あと何日ある?」

それには、スチュワートが即答した。

「3日です」


その答えに口元に満足そうな笑みを湛え、ディーンは傍らを歩く蓮の肩を抱いた。

「列車はこの後、パリには戻るが、この分では出発は1日先延ばしになる。このままデューディリジェンスを続けてもベルリンまでは辿りつけないが、お前はどうしたい?」

その問いに、蓮も口元に笑みを湛えた。

「デューディリジェンスは、もう必要ありません。今後の提案に必要な材料は全て揃いましたから」

そして、一旦言葉を止めて、肩を抱く男を見上げた。

「報告書を書く手間を省きたいので、貴方と一緒に代案を煮詰めたいです。鉄道事業部には、ダメ出しだけでは終わりたくないので。それと、ちなみにオレは、ベルサイユ宮殿とモンサンミッシェルには、まだ行ったことがありません」

その意味ありげな付け足しに、ディーンは紫の瞳に柔らかな光を宿した。

「それは、あくまでもビジネスとしての提案だろうな、アドバイザー?」

「当然。あくまでもビジネスですよ、オーナー」

その視線を受け止める蓮もまた、にっこりと微笑んだ。


パリ郊外の平原にポツンと佇む廃駅。

陽は落ち、辺りは薄墨を撒いたように、刻々と色を失っていく。

ヘリに乗り込む直前、蓮は夜へと変わり続ける瞑色の空を見上げ、煌々と輝く一番星の瞬きに目を細めた。

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