4-2

パリにある、フランス鉄道運行管制システムの管制室が、俄かに騒然とした。


電光掲示板に記される路線図で本日の運行終了を示す赤いラインに、突如グリーンの点滅が表示された。

しかも、その点滅は動いている。

それは、ありえない事だ。

つまり、誤って列車が迷い込んだことを示している。

「嘘だろ! 一体、どうして」という感想を、管制官の全員が抱くのも無理はない。

そのグリーンの点滅は、赤い運行終了を示す路線の途中に、唐突に現れたからだ。


ざわつく管制室を尻目に、そのワンフロア上の指令室では、沈黙を続けていた男が動き出した。

司令官を振り返り、問いただす。

「あの路線上にある物を全て除けるか、あるいはスルー出来るように分岐させろと言ったはずだ。――これは命令だったのだが? 当然、その作業は終わっているのだろうな?」

冷酷で淡々と問い詰めるその迫力に、司令はすぐさま階下の部下を呼び出した。


突然、アポイントもなく乗り込んできて、銃を突きつけて無理難題を言いのける男の要求に屈するつもりはない。

だが命は惜しく、分岐点を変更しているように指示した体を装い、現場管制室には一切指示を伝えていなかった。


ようやく司令は、当初に男が要求してきた事を、そのまま管制室に命令した。

だが、現場の管制室から帰ってきた答えは、司令とカイザーの期待を著しく裏切るものだった。

「あの路線は、一日1本だけの往復運行なので、その、分岐の必要はなく……」

歯切れの悪い司令のもの言いに、カイザーの眼差しがさらに凍える。

「どういうことだ。説明は簡潔に」

腕に抱えたコートの下で、キラリと黒光りする銃口に慄きつつ、司令は冷や汗まみれの丸い顔を真っ青に染めた。

「つ、つまりです。あの路線の分岐点を、こちらで遠隔コントロールすることは出来ないそうです」

「なぜ?」

「……故障しているそうです」

一瞬の沈黙の後、冷酷な光がヘーゼルの瞳に輝いた。


「貴様が今までしてきた事の結果がこれか。――ならば、貴様が座るその椅子は、明日からは別の者が座る事になる」

カイザーは、くるりと踵を返した。

「待って下さい! メンテナンスを後回しにしたのは、廃線間近の路線でありまして……」

懇願する為に後を追いかけようとした司令のこめかみに、バスッという籠った短い音とともに灼熱の感覚が走った。

それが、サイレンサー付きの拳銃から放たれた銃弾が掠ったと直感した途端、後を追い始めた司令はその場にヘナヘナと崩れ落ちる。

「ここでは殺さない。指令室に混乱を起こす訳にはいかないからな――」

「せいぜい、帰り道には気を付けろ」と、無情に言い捨てて背を向けた男に、司令はそれでも縋るように手を伸ばすが、トレンチコートを手にした男が出て行った自動ドアは、いつものペースを変えることなく、いつものようにゆっくりと閉まった。


カイザーは、廊下に出た途端に、待ち構えていた5人ほどの部下、その先頭にいる自分と顔つきが酷似しる男へと指示を出す。

「直ちにヘリに連絡しろ。――分岐点は、手動でなければ変えられん」

そして、スマホで子飼いの殺し屋を呼び出す。

だが、その返答は機械的な音声が告げるつれないものだった。

――お客様がおかけになった電話番号は、現在電波の届かない……

珍しく苛立った感情を僅かに見せ、カイザーは電話を切る。


「私も現地へ向かい、今回の失態の責を全うする。――魔王の逆鱗は、避けられない」

毅然と言い放った主の言葉に、部下の全員が絶望を確信して息を飲み、がっくりと頭を垂れた。


・・・・・・・・


「何でだよ? 何で、あんたがカイザー様を裏切ったんだよ。――そんなの、アンタらしくないよ」

リーンハルトは、ため息混じりに呟いた。

「カイザー様には、弟の筆頭秘書と同じくらい、命懸けで付いていきますって感じだったじゃん! ――いつものアンタって」

VIP二人を目的の部屋まで送り届け、ようやく本音を漏らした年若い殺し屋を前に、カイザーの組織ナンバー3の肩書を持つアサドは俯いた。

「家族を、……人質に取られた」

たったその一言で、リーンハルトの顔が凍り付いた。

「えっ? アンタ、家族がいたのか?」

その問いに、神妙にアサドはひとつ頷く。

「俺の本名は、アサド ハッサン マフムード。WHO職員をしているハッサンという父親が、紛争地でテロリスト達の手に落ちたと、トレインジャック犯のリーダーのバウアーに脅された。命を救う手段はただひとつ。――今回の、組織への裏切り行為だ。ご丁寧に、捕まった父の写真も見せられた」

地域にもよるが、イスラム教徒の名付け方には法則がある。本人の名の次に、父の名、そして祖父の名と続く。

だが、アサドはハタと我に返り、頭を振った。

「今は、そんな事はいい。我らが課せられた責務を果たそう。もうこの命は、父と共にとっくに神の許に召されている。。――俺は覚悟を決めた。今さら遅いが、カイザー様のために組織を守る為に動く」

強い覚悟の光が宿る黒い瞳に、リーンハルトは息を飲み、ただ小さく頷く事しか出来なかった。



・・・・・

通路でのやりとりを聞きながら、カエサルがスマホの表示を確認し、黒髪の青年もまた、ノートパソコンの前に陣取ると、液晶画面を凝視してスタンバイする。

カエサルにしてみれば、今日の午後。

僅か数時間に起こった出来事は、あまりにドラマティックすぎて消化しきれないでいる。

何より、目の前の青年を見誤っていた。

――あの魔王の命令を、毅然と撥ね退けた男。

しかも、ただミステリアスで魅力的な外見だけで、あの男がそれを許した訳でもなさそうだ。

彼の言う、win winの関係というのは、あながち間違いではないのかもしれない。


あの時の自分は、ヘリに向かって臆することなく主張する青年の横顔に、ただ魅入っていた。

だから、銃のオートロックを外す音が耳に届いた瞬間、身の危険も顧みずに咄嗟に彼を守ろうと手を伸ばしたのは無意識の行動だった。


そして、今。

彼はまた、違う姿へ変貌しようとしている。

その予感に、ゾクッとした身震いが体に走った瞬間、スマホの画面上部に表示されている圏外の文字が消えた。

――あいつら、ジャミングの排除に成功したのか。

そう思った途端、黒髪の青年の右手が、キーボードの上を舞い始めた。

画面には、次々とウインドウが開いていく。

彼のスマホからバリトンボイスが聞こえ始めれば、両手で操作していたキーボード上の動きは、さらに加速していた。

――何をしている? エスメラルダ。

カエサルのアンバーな瞳は、新たな顔を見せた彼に、ただ魅了されていた。



・・・


スタンバイ万全の状態で待つ間、祈るように組まれた蓮の両手は震えていた。


表面的には強気の姿勢でいるが、本心では怖くて仕方がない。

なにせ、自分のプランが成功するという根拠は乏しく、何の裏付けもないのだ。

だが、それを分かった上で信じてくれた金髪のオーナー。

間に合わない時には、暴走列車に迎えに来ると言った言葉の重みは、十分に分かっているつもりだ。

そして、ディーンに命ぜられたとはいえ、命懸けで協力してくれる闇の組織の男達。

今はただ、この命懸けのディールに勝つことだけに専念する。

蓮の顔つきが変わり、エメラルドの瞳が色味を増す。

その手の震えは消えていた。

そして、待ちに待った通信可能の表示を受け、さっきまで震えていたその両手は、直ちにシュミレーションした通りに動き始めた。


右手は、フランス鉄道運行管制システムへの介入を始める。

だが、左手で通信を開始したスマホのスピーカーからの状況の説明と問いかけに、直ちに別のアプローチへと作業内容を変更する。

――レールの分岐点を変えるのは、手動でないと無理だそうだ。今、ジャクソンとカエサルの部下が、汗だくで取りかかっている。そこは奴らに任せろ。……それで次はどうする、蓮?

バリトンボイスのトーンは、オーナーの顔をしている時と同じ、余裕のあるいつもの声だ。

その通常運転ぶりに背中を押され、蓮は自分を奮い立たせる。

――絶対に、この人の許に帰ってやる。


「この列車の自動運転システムを乗っ取ります」

その宣言に対して、返された問いは「出来るのか」ではない。

蓮が出来ることを承知した上での問いかけだ。

「――入ったのか?」

「あと、もうちょっと……」と言いかけて、蓮の声が躍る。

「入れました」

だが、続く声が僅かに曇る。

「でも、鉄道マニアのネット仲間でも、操縦法までマスターしている人材は少ないんです。それをクリアしたネット仲間へのアタリは付けていますが、彼からの返答が未だに……」


列車の操縦など、誰もが出来るもではない。

通信開始直後に、レールの分岐を変えようと、フランス鉄道運行管制システムへの侵入を始めた傍ら、蓮は世界中に散らばるネット仲間に呼びかけていた。


――緊急。でも、時間が無いから、出来る人だけ反応して。

そう前置きして依頼したのは、「フランス鉄道が運航する自動運転システムがある列車を、外部からシステムに侵入して停止させたい」というものだった。

そんな無茶なリクエストに応じられる者は限られる。


だが、蓮の顔が再び輝いた。

「来ました。フランスに居る、えーと……。」

そのハンドルネームに一瞬躊躇し、頬を赤らめた蓮は言葉を選びながら後を続ける。

「誤解しないで下さいよ。ファック・ミーさんからの返信です。彼は、英語のスラングをあまり理解していない人ですから、このハンドルネームは、決して彼が求めている欲求ではなく、まして、オレは彼とは一切面識はありませんから!」

だが、通話相手の声のトーンは明らかに変わった。

何やら揶揄する雰囲気が滲んでいる。

「そんな事は分かっているぞ、ガキが。――だが、お前にそんなに熱烈にアプローチする奴がいたのか? 意外過ぎて、そちらの方が驚きだ」

意味ありげな色を孕む問いかけに、蓮の手が一瞬ピタリと止まるものの、頭をブンブンと振って気を取り直したのか、言葉には強気な意志が込められる。

「言わせて頂ければ、オーナー。少し黙っていて下さい。これから停車の操作をしますが、繊細な作業なので通信を控えさせて頂きます。――では、ごきげんよう、さようなら!」

そしてアドバイザーは、躊躇することなく問答無用にブツリとスマホの通信を切った。



「なあ。――あいつら、遊んでいるのかよ? オレら、結構、真面目に仕事をして来たんだけど――」

いつの間にか戻ってきた、ジャミング排除チームの一人からの愚痴混じりの問いかけに、カエサルは盛大なため息と共に、肩をすくめて見せた。

「つまりは、もう大丈夫って事なんじゃないかな? そう判断した彼らの分岐点は全然分からないけど」

肩をすくめるカエサルに、リーンハルトが怪訝そうな眼差しを向けた瞬間、2人は身体に軽いGを感じた。

それはイコール、列車の減速のサインだ。


「――完全に、停車しましたよ」


顔を輝かせて、黒髪の青年が背後で見守る協力者たちを振り返った時、暴走した機関車の一番前の車輪は、僅かに通過用レールへの分岐点に乗り入れていた。

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