並行 その一

 常に誰しもが何かしらを演じている


 この言葉は昔の哲学者の言葉らしい。

 二年前この言葉に衝撃を受けた日、気付いた時には演劇部にいた。

 そして今は新入生の前に立っている。

 私は「アリス」を演じている。



 劇が終わると私は「部長」という役に戻る。

 今は「部長」なのでみんなに指示する。


 家に帰ると渡辺家の「長女」を演じる。

 今は「長女」なので母の手伝いをする。


 私は何かの立場に立った時、こういう役なのでこういう行動をとりこういう風にいる、というのを頭の中で常に考えている。

 なので演劇をする時もよく言われる

「お前の中のお前を捨てろ。お前はお前じゃない。お前はアリスだ」

 という風に完全に思い込むのではなく、逆に

「私はアリスを演じている。だから表情をこうして声色をああして…」

 と「演じて」いることを意識する。

 常にそうして生きているのでこの方が楽なのだ。

 私はこの名言に出会ってからそう生きている。



 翌朝「三年三組 渡辺妃奈」を演じている私は、教室に入ってただ一人のクラスメイトに小さな声で挨拶をされた。他はこっちを見ることさえしない。同じくらいの小さな声で返す。

 今は「アリス」でも「部長」でも「長女」でもないので大きな声で話す必要はない。「三年三組 渡辺妃奈」なので地味でいる。そこには昨日のアリスはいない。

 教室での役は私に合わない、本当の私じゃないと思うのはもう慣れた。

「新学期」というチャンスは掴めそうにない。

「英語で書くと『チェンジ』と『チャンス』は似てるよね」

 ふと思い出した中学の担任が言った名言は、今の私に特に影響を与えるわけではない。



 担任が教室に入り連絡をいくつかする。

「今日も三十一人全員いますね…あっ、失礼……」

 出席確認のあと担任の少し変わってしまったお決まりの台詞を聞きく。特にすることも無く授業が始まる。三年の一番初めの授業はLHRだ。

「教科係からいきます」

 理科係に手を挙げさっさと係決めから身を引く。


 前の方の席に座っている江田君は「クール」を演じている。でも母親の前では「ママ」と幼稚な声をあげるかもしれない。

 今体育係に手をあげた柿崎さんは「クラスのアイドル」を演じている。でも中学の時はいじめられていたかもしれない。

 淡々とLHRを進めている清水先生は「堅い担任」を演じている。でも夜は激しいほうかもしれない。

「鍵係やりたい人いる?」


 やはり皆何か演じている。常に演じることによって自分の居場所を確保している。ステージに合わせて自分の役を変える。役を演じるということは、自分を周りに合わせるということ。




 自分を周りに合わせてないやつを見つけてしまった。

 葉山和希。

 教室というステージに「ブツブツ言ってるやばい人」の役はない。確かにこいつには居場所も無かった。

 しかし彼はこの役を「今は」演じていたのだろうか。他のステージでは別の役を演じているのだろうか。そこには彼の居場所があるのだろうか。

「保健係余ってるよ」


 いや、彼はどこでもずっと同じだろう。



 あぁ、そうか。


 彼は気にしていないんだ、周りを、ステージを。

 だから自分の役も関係ない。

「あと委員長だけですね、やりたい人いますか」

 彼は彼なのだ。

 あぁ、どれ程生きやすいだろう。

「二つ目の係でもいいですよ」


 羨ましい、と思った瞬間理屈は無いが私の中の「三年三組 渡辺妃奈」が書き変わった。私の中の「三年三組 渡辺妃奈」はもう地味ではない。

 あとは周りの「三年三組 渡辺妃奈」を変える。


「本当にやりたい人いませんか?」



「渡辺妃奈。私、委員長やります。」



 手始めに「委員長」から演じてやる。

 私は私だ。

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