第21話

*☆*☆*

「少し 痩せたかの。具合はどうかな」

 かわいい孫娘を見る好々爺の表情で、コンラッドはマルカに問いかけた。

 月に一度は訪れるコンラッドを、リュキアスは歓迎していない。

 抱いているレイシアンに髪を引かれ、しかめっ面になりながら、今も間仕切りの壁掛けに身を寄せて、ふたりの様子を覗っていた。

「良い薬が手に入っての。明日届けようと思っておったのじゃが、なにやら式典があるそうで、執事めが明日はどこへも行くなと、もう うるさくての。 どれ、開けてごらん」

 テーブルへ置いた皮袋を押しやり、なおも皺深い目じりを細める。

 コンラッドにとって、いまのマルカは孫娘のような者だ。

 屋敷に出入りしている商家から、行儀見習にと頼まれ、執事が雇い入れた娘だ。

 気質は優しく、内気ではあるが申し分ない。

 身の回りの世話をさせていたのを、里帰りしたコンラッドの姪が気に入って、自分の侍女として東塔へ連れ帰った。

 姪は誕生したレイシアンの乳母として、東塔へ送り込んだ密偵だ。

 他の貴族たちも、アクスリーヌが懐妊した時点で乳母となる女性を一族から選び、用意した。

 それらの女性たちは、いま東塔にいる。

 コンラッドがアクスリーヌの動向を探るため、姪を乳母として遣わしたように、他の貴族たちも情報収集と暗殺のために、一族の女性を遣わしている。

 それは東塔側も、暗黙の了解で受け入れた女性たちだった。

 シムの虜囚であるアクスリーヌ側にとっては、拒否できない者だ。

 チャイの席で、エルバスからマルカの素性を聞いたコンラッドは、ラドゥラ・アインにしてやられたと笑った。

 短い間しか手元に置いていなくとも、マルカの心根は良くわかる。

 暗殺者として、その技量を発揮するとは思えない。

 レイシアンの側においても、アクスリーヌの寵愛を受けても、害を及ぼすはずはない。 

 マルカにとって、それが良いか悪いかわからないが。

 理由をつけて屋敷に連れ帰れば、ラドゥラ・アインの目は潰せる。しかし、マルカの代わりにやっかいな刺客を送り込まれては、こちらの都合が悪くなる。

 コンラッドにとって愛すべき少女ではあっても、状況が許さない限り不必要な手出しは出来ない。

 しばらく皮袋を手に取っていたマルカが、目を見開いた。

「これは この薬は。 コンラッドさま」

 マルカは皮袋の表面に指を走らせ、ルーヴィルの伝言を読み取った。

<明日・女神奪還・ともに来る>

 明日、ルーヴィルが来る。その時、ともにこの城から出られるのなら。

 一瞬マルカの頬に、朱が差した。

(でも、わたしは)

 この数日、マルカは微かな胸部の痛みを感じていた。

 歩くだけでも、息切れがひどい。

(だめ。兄さまの、足手まといになるわ。それだけは 出来ない)

 本心は、帰りたかった。

 兄とともに暮らした砦へ、帰りたい。

 ルーヴィルのそばで、穏やかに生きたかった。

 もう長くはない命だから、思うがままに生きて、安らかな場所で終わりたいと思う。

 ここで最後を迎えるのは、なによりも辛いから。

「そなたの身体が、心配でならぬ。一度、里帰りをせぬか」

 覗き込むコンラッドは、ともに行くのかと聞いている。

 けれど。

「はぃ でも。 でも、レイシアン様が、いらっしゃいますもの。わたくしは、ここに。ここに いたほうが  」

 コンラッドが口を開きかけたとき、扉の外で子供のぐずる声がした。

「失礼する」

 応えとともに、レイシアンを抱いたリュキアスが入ってきた。

「申し訳ないが、レイシアン様をお願いできぬか。わたしでは、とてもお相手が勤まらぬゆえ。コンラッド様には、まことに申し訳ないのですが」

 リュキアスは、困り果てた顔をしていた。

 剣の相手なら、一日中でもしてみせる。

 だが、子守りとなるとひとときで精魂つき果てる。

 レイシアンはリュキアスの腕から反り返り、理解不能の言葉で泣き叫んでいた。

 マルカの膝にレイシアンを預け、リュキアスは、ほっと息をつく。

「眠くなられたのですね。マルカが、います。ご安心なさいませ」

 しゃくりあげるレイシアンが、マルカを見上げてあくびをした。

 そのまま胸に頭をうずめ、目を伏せる。

 ときどき小さな泣きじゃくりを繰り返し、しがみついてくる。

 ぷっくりした子供らしい身体を抱いて、マルカは微笑んだ。

 寂しい、どこか痛ましい笑みに、コンラッドはマルカの想いを読んで、ゆっくりと席を立つ。

「レイシアン様には、マルカがお気に入りじゃからの」

 コンラッドを見返して、マルカは無言でうなづいた。

「また参るでの、無理はするでない。  よいな」

 見送ろうとするリュキアスを手で制し、コンラッドはそっと扉を出る。

 その姿が回廊の角を曲がるまで待って、リュキアスはささやいた。

「明日は、マルカ殿とわたしだけがここに残ります。マルカ殿の体調が思わしくないと、アクスリーヌ様がご心配召されておいでです。地下庭園のひとつを開けていてくださるので、ゆっくり休むよう、お言葉を賜りました。ご自愛なさいませ」

 伏目がちのリュキアスに、マルカは声を押さえて礼を述べた。

 眠る子供のそばでは、みな同じようにささやき声になる。

 熟睡したレイシアンを他の小間使いに任せ、マルカは自室へ下がった。

 まだ熱気の残る部屋は身体にこたえるが、人目を気にしなくても良いだけ心が休まる。

(兄さまに、会いたい。  会いたい)


*☆*☆*

「コンラッド様は、退出されました。マルカ殿は 部屋に」

 聖王のもとに伺候していたアクスリーヌが帰室し、リュキアスは共に帰ったレン・ルシアドに、不在中の報告をしていた。

 アクスリーヌはレイシアンと、涼しい地下庭園に降りている。

 侍女や侍従たちは、離宮へ赴く用意に出払って、人気はない。

「明日、おまえは秘密裏に、女神を葬れ。女神は、天に帰られたとアクスリーヌ様には、報告する」

 急なレン・ルシアドの言葉に、リュキアスは目を見開いた。

「もう、用はない。痕跡も残さず、始末しろ」

 一瞬、反抗的な色に染まった目を、リュキアスは床に落とした。

「かしこまりました」


*☆*☆*

 暗い執務室の窓辺で、ゼガリアは暮れてゆく空を見ていた。

 背後には、腹心が控えている。

 真昼にヤムと接触した者からの報告は、ゼガリアにひとつの決心をさせた。

 ここに控えている者は、いっさい心理的な束縛を受けていない。

 虐待の限りをつくし、育てた子供たちにほどこされる暗示は、道具と化した殺人者をつくりあげる。

 ゼガリアは自分の配下となる者に、この技をほどこしていない。

 ラドゥラ・アインが知れば、ただではすむまい。いや、すでに知っていて、監視されているのかもしれないが。

(時は戻らぬ。 ならば、突き進むしかあるまい)

 人として生きることを止めたときから、ゼガリアには己の終焉が見えていた気がする。

 流れに身を横たえ、速やかに終わりたいと望みつづけた時間。

 ここまで来て、ふと、あがいてみようと思ったのは、ルーヴィルのひたむきさに心動かされたからだ。

 見果てぬ過去への渇望を、代わりにつかみ取らせてみたい。

 はかない夢を、託したかった。

「おまえたちは、これまで通りにルーヴィル様をお守りしろ。そして、どこまでもお供しろ。他の者は、東塔を見張れ。カイドの指図で、かならずエルバスの配下は動く。いや、他にも動く者がいる。だが、何があっても、その者たちを殺してはならん。阻止するだけでよい。今回は、決っして痕跡を残すな。ルーヴィル様の為に、女神は無傷であらねば。誰ひとり、ルーヴィル様の邪魔はさせない。たとえ長老であろうと、ルーヴィル様を好きにはさせない。  よいな」

 朱紅から薄藍に変わりゆく空を、ゼガリアは凝視していた。

 あの空の下、乙女が待つ包床(パオ)へ騎馬を駆ったのは、本当に自分だったのか。

(帰る場所など、もうない。  だが、ルーヴィル様だけは)

 若者のひたむきさはゼガリアの琴線に触れ、せつない音を響かせる。

 この音だけに、心を動かされたわけではないと、自分の冷めた部分は言っている。

 なにか、もっと違う何かに突き動かされて、やまない。

 こうまで自分を駆りたてているものが何なのか、ゼガリアには見当がつかない。

 なかば畏怖に似た思いで従ったラドゥラ・アインに、反抗心がわいたわけではない。

 自分が選んだ運命に、逆らいたいのでもない。

(なぜ  だ ?)

 答えのないまま、ゼガリアは瞬きはじめた星空を見上げていた。

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