第20話

*☆*☆*

 アフロの柔らかな視線を受けて、聖王アルフィルドは微かに会釈をした。

 本当は駆け寄って、握手したい気分だ。

 けれど、臣下がいならぶ謁見の間において、それは許されない。

「こちらへ」

 玉座の横に席を用意させ、丁重にアフロを迎える。

 不快げに眉間を寄せたカイドは沈黙を通し、ラドゥラ・アインは狡猾さを内に秘めて耳を傾ける。

 反乱を境に、アフロは公の場所から遠ざかった。

 年に幾度か、アルフィルドがアストライア神殿の祭儀に訪れる以外、王城でふたりが顔を合わせるのは、初めてと言ってよい。

「陛下に、喜ばしい報せがございます」

 一連の挨拶のあと、巫女王は唐突に口を開いた。

「慶事やもしれません。行方のさだかでなかった大神官が、今、アストライア神殿においでです」

 整列した諸侯諸官が思わず息を呑み、それは驚くほど大きな音となる。

 その中で顔色ひとつ変えないシレーユ候と、コンラッド老子爵に不信を抱く者はない。

 互いに顔を見交わし、騒然とする中で、不自然なほど冷静なふたりを目にした者ですら、意にも介さなかった。

 シレーユ候は、まったく表情を表さないのが常である。そして老子爵は、おそらく事の意味すら理解できないだろう、と。

 壇上のアフロに集まった視線が、聖王の背後に立つカイドへ移り、右側をかためたラドゥラ・アインをとらえて、再びアフロに注がれる。

 カイドは不快さをあらわにして、アフロを睨みつけている。

 逆にラドゥラ・アインは、真剣な眼差しを床に落としていた。

「二日後の吉日に、ベルダの塔を開いて頂きたいのです。おそれながら陛下には、王城を離れて頂くこととなりますが、これは、いにしえより儀式に定められた事。どうか、ご不快に思し召されぬよう願います。式には、諸侯諸官の列席が義務づけられておりますので、陛下よりお言葉を賜りたく存じます」

「望みどおりに」

 チラと、皮肉った微笑がアルフィルドの口辺をかすめる。

 カイドへ向けた顔には、あからさまな敵意があった。

「天のご意志でしょう。二日後は離宮に参りますので、留守を守るカイドが、すべての手はずを整えます」

 なにか言いかけたカイドを制し、聖王は立ち上がった。

「皆に伝える。つつがなく、大神官をお迎えするように」


*☆*☆*

「女神を、秘密裏にお連れせよと おっしゃるのですか? それを、わたくしにせよと」

 カイドの執務室で、エルバスは姿勢を正したまま問い返した。

 繊細なイリスを刻み出した重い机の向こうで、ゆったりとくつろぐカイドの姿は、どこかしらだらしがない。わずかに眉をひそめ、エルバスはくちごもる。

「ラグーンで、大地の珠を見失ったのは、おまえの失態だ。あれさえあれば、聖太子の成人まで、待たずとも良かった。だが、女神さえいれば、きっとヒリングハムの扉は開く。どんな手段を講じても、女神をお連れしろ。明日は、城の警備もベルダの塔に集中する。良いな 」


*☆*☆*

 薄暗い室内で、ラドゥラ・アインは安楽椅子に身体を沈めていた。

 アフロのもとに保護された大神官が、ルーヴィルではないようだと報告は受けたものの、肝心の行方は判明していない。

「なぜだ。あれは、どこへ消えたというのだ」

 足元を固める手駒として、育ててきた。

 反乱に乗じて拉致したのも、カイドに対する布石だった。

 前巫女王が天意を受けて生み出した御子だからこそ、危ない橋も渡った。

 それが、ここに来て覆った。

「世界への鍵が、偽物だったのか。それならば、何の為に  」

 アルフィルドを擁立して、この国を握ったカイド。

 今その手には、四宝のすべてがあるはずだ。

 カイドがすべての四宝を手にしても、使い手となる者を押さえておけば安心できる。

 そう思えばこそ、ラドゥラ・アインは、四宝を発動できるだろう御子を奪った。

 最後には、カイドを蹴散らせる。

 そう、思って。

「大神官が現れた以上、ルーヴィル様は切り札ではないはず。もう、なんの価値もない。ならば、手放して差し上げてはいかがです? 」

 少し離れた位置に控えるゼガリアを、ラドゥラ・アインはねめつけた。

 忠実な部下の指摘どおり、二日後の儀式で星姫ベルダが認めれば、聖王と並び立つアルラントの大神官が誕生する。

 強大な力を有し、地の者の王を導く者として。

 流れは、大神官を推すアフロに移るだろう。

 このままでは、ラドゥラ・アインは敗者となる。

「そうはさせぬ。まだ、わしには剣がある。マルカと言う剣。そして、新しい手駒。女神さえ、押さえれば  」

 ゼガリアは、気づかれぬほど微かにため息を吐いた。

 しばし伏せた瞼の裏に、うねりゆく草原がある。

 宝石よりも綺羅々々しい、遠い記憶。

 騎馬を駆り、外套を吹き散らかしてゆく大地は、あふれるほどの夢に満ちていた。

 頬をかすめる風の感触すら、覚えている。

 弓なりの天を仰いで笑みこぼれたのは、いつの頃だったのか。

(もう、遅いのだろうか  )

 もう一度、ゼガリアはか細い息を落とした。

 

*☆*☆*

 ヘンダール亭からエルバスの屋敷へ帰る裏路地で、ヤムは足を止めた。

 昼の街に、人影はない。

 両側に、隔壁と店の壁が続いている。

 焦げつく日差しは街を焼き、分厚い靴底から煙でも出そうな勢いだ。

 ヤムは、目深に下ろしていた砂蛇(サンド・セム)の外套を、持ち上げる。

 ちょうど店と店の間を隔てる枝小路が、すぐ先にあった。

「用があるのか? 」

 両手で髪をかきあげ、辺りに目を走らせる。

「ちょいと急いでるんだ。手短にしてくれると、ありがたいね」

 枝小路の濃い陰に、気配が移動した。

『ルーヴィル様を、どうする気だ』

 厚い布を濾して、影はささやく。

 殺気のない、穏やかな声だ。

 答える前に、ヤムは頭上の気配へ流し目をくれた。

『危害は加えない。ルーヴィル様を、助けてくれるなら』

 不思議な気がした。

 長老の息子だから、守っているのか。

 命令なのか。

 だが、それは助けるという事ではないだろうに。

(ルーヴィルを、助ける?)

 胸のうちで繰り返し、ヤムは慎重に口を開いた。

「今日限り。あいつを、自由にしてやってくれと頼んだら、聞いてくれるのか? もし、聞いてくれるなら、涙がでるほど、うれしいんだがな」

 揶揄を含んだ言葉に、暗殺者はどう反応するのだろう。

 相手にとっては、無理難題のはずだ。

 攻撃を予見して身構えるヤムに、気配が動く。

『 承知した』

 強い日差しのなかで、ヤムはぽつねんと取り残されていた。

「  本気  かよ?」


*☆*☆*

 夕刻、王城より帰宅したエルバスは、二日後にひかえた儀式の手はずを執事に指示し、ヤム達の待つ奥へと向かった。

 心と同様に、踏み出す足が重い。

 己が命を賭けるのなら、これほども苦しまないだろうに。

(ヤム  いや、リエル)

 王制に反旗を翻すシークラー。

 そのなかに、ヤムがいる。

 エルバスの成そうとしている改革と、シークラーの成そうとしている革命は、その手段において大きな隔たりがあった。

 革命のもとに、自らの手で政権を勝ち取ろうとすれば、大量の殺戮を必要とする。

 多くの民が否応なく巻き込まれ、逃れる術もなく踏みにじられる。

(だが、人が死ぬのは、もう、たくさんだ )

 あの反乱の日。恐怖に狂った民は、手当たり次第に民家を焼き、蹂躙し、互いに殺戮を繰り返した。

 自分を失い、怯え、狂気にかられ、人の血と悲鳴に触発されて、短剣を振り上げた男の顔を、エルバスは忘れられない。

 赤く、いっぱいに見開かれた目が。

 怯える者を見つけ、狂喜してあげた、おぞましい雄叫びが。

(人は、どこまでも残酷になれる)

 留めようもない破壊の衝動と、あふれんばかりの慈愛を、人は身の内に併せ持っているのだろうか。

 生命の輝きを無残に崩し去る戦いをしてまで、人は求める。

 己が自由を。

 愛する者の幸せを。

 人としての、尊厳を。

(手に入れた物が大きければ、大きいほど手放すのは難しい。貴族達が、いつまでも貴族であろうとするように。選ばれた者の自尊心が、高いほど)

 人が殺しあうのを忌んで、神は地上を見捨てた。

 救いの女神は人の愛を信じ、身をささげた。

 地上が、人が、戦いを忘れ、愛と平和に包まれるよう願って。

 それでもなお、民が革命を望むならば、それは天意に他ならない。

 エルバスとて、神の意志には抗えない。ただの人だ。

(でも、止めたい。  民の戦いだけは)

 シークラーにとって、エルバスは敵対する貴族のひとりだ。

 いまの状況では、手を結ぶことはおろか、話し合いすらも不可能だろう。

 下手をすれば、エルバス自身が身を滅ぼしかねない。

 これ以上、屋敷にヤムやルーヴィルを置くのは、互いの立場を危くする。

 守り抜くと誓った相手を、無意味に失う事となるだろう。

(リエル  なぜ、シークラーに)

 そこまで思い悩んで、ふと我に返る。

 少し先で途切れている回廊は、瀟洒な建物へ続く小道だ。

 幾つかの段を降りて行くと、水辺に小さな造りのあずまやがある。

 訪ねようとしていた者は、夕暮れに抱かれて座り込み、足で水を跳ね返していた。

「何をしているのです?」

 あきれ返ったエルバスに、ふたりは 『ひまだから』 と、声をそろえた。

 軽いめまいでも起こしたように、こめかみを押さえるエルバス。

「わかりました。わたしが大変な宮仕えをしている間に、ひまなあなた方は、池の魚と友好を結んでいたのですね。  よく、わかりましたとも」

 陽が落ちれば、気温は急激に下がる。

 身震いを始めたふたりを従えて、エルバスは部屋を目指した。

 さっきまでのやりきれなさが、薄らいでいる。

 肩越しに振り返り、ため息するのも、どこかおかしみを覚えて頬がゆるんだ。

(そう、なにが起ころうと、このふたりは進んで行くでしょう。出会う前にそれぞれが、自分のやり方で歩んできたように。これからも きっと。わたしにできることは、ふたりにとってきっかけに過ぎないのですね)

 衣服を改め、熱い汁物をすする者達に、エルバスは二日後の決行を告げた。

 寸分の狂いも命取りになる、と。

「伺いたいことが。ルーヴィル様は、すべてを捨てる覚悟で女神を助け出そうと、お考えですね」

 何をいまさらと、ルーヴィルはうなづいて見せる。

「そうだ。おれは、もう帰らない。アルラントを逃げ出せたら、レイアを連れて、どこまでも逃げるつもりだ」

 しばし顔を見つめ、やおらエルバスは微笑んだ。

 くったくなく咲(え)んだ表情が、華やかな輝きを帯びる。

「では、アルラントを離れるまで、わたしの指示どうりに動いていただきます。よろしいですね」


*☆*☆*

「 陛下  」

 後宮の庭園にしつらえられた滝の内側で、アクスリーヌはいつもの午睡をしていた。

 そこへ唐突に、アルフィルドから迎えの使者が来た。

 取り急ぎ伺候した場所は、聖王以外の立ち入りを禁じている地下庭園だった。

 回廊をぬけて着いた部屋は、切り立った崖の中腹にテラスを張り出していた。

 広い窓の外は、水の幕だ。

 庭園を巡った後の水が集まって、窓の外に滝をつくっているとアルフィルドは言った。

 話の接ぎ穂がつかめず、言葉に窮している様子だ。

「陛下。お急ぎのご用件でございますか?」

 アクスリーヌは、重ねて問いかけた。

 后と認めていない女を、禁を侵してまで呼び寄せるなど、アルフィルドらしくない。

「急ぎの用でもなければ、あなたを呼びつけてはいけませんか? 」

 驚いて口をつぐんだ側妃に、聖王は笑いかける。

 初めて見せる顔だった。

 いくばくかの寂しさを沈めていなければ、これほど優しい笑顔はない。

「皆、忙しくなったようで、わたしをかまってくれないのです。だから、しばらく骨休めをしようと思ったのですが。明日を待てずに、あなたに会いたくなった」

 ニコリと覗き込まれて眩しいと思った途端、アクスリーヌは胸元で手を握り合わせた。

 小娘のように動揺している。

(この、わたくしが?  なぜっ! )

 取り乱して、悲鳴をあげたかった。

 アルフィルドが、怖いのではない。

 なにを言い出すのかわからない自分が、おそろしい。

「陛下  わたくしは 」

 ふっと目を細めて、アルフィルドは向かいの椅子に腰をおろす。

「ずっと、あなたに謝りたかった。けれど、ここでは誰かが耳をそばだてている。この部屋だけは、例外だけれど。カイドの監視下では、あなたをここに呼ぶのも難しかった」

 真摯な眼差しだった。

 慈しみに満ちていた。

(なぜ、それを、我が子レイシアンにくださらないっ)

 突然アクスリーヌは、切なさに胸を突かれた。

 望まれた妃ではない。

 自分は愛される対象ではないと、直視してしまった。

 アルフィルドには、妾妃がいる。

 法的には認められなくとも、心から愛する妻がいる。

「レイシアンを、我が子とは認めない。いや、認めることはできない。その理由を、あなたに告げたかったのです」

 確固とした言葉に、アクスリーヌは呆けた。

 人質同然の妃の子は認められないのかと苦悩した日々が、いま耐えがたい重さでのしかかってくる。

「レイシアンは、シムの子だ。いつかアルラントの占領から立ち上がった時、シムを統べるのは、あなたの子レイシアンだ。王は、どんなくびきにも囚われてはならない。わたしは、そう思うのです。わたしのような、ふがいない王など、いてはならないと」

 驚きに目を上げ、アクスリーヌは見つめ返した。

 長い時間、そのまま身動きひとつできない。

(シムの独立    祖国シムを? )

「レイシアンを我が子と認めてしまえば、覇を争う臣たちが、どんな企みをするだろうか。わたしは、あなたとレイシアンに平穏を願うのです。わたしにできうる限り、お守りします。心から幸せになっていただきたい」

 言葉にしなかった想いが、アルフィルドの表情に現れている。

「 陛下  」

 アクスリーヌは咲んだ。

 祖国にいた時と同じに、心の底を写した美しい笑みで。

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