第15話

*☆*☆*

 裏路地の灯りが消え、芸香(ヘンダール)亭から最後の客が出て行った。

 くねりながら左右へ続く路地の石畳に、大量の砂漠の砂がこびりついている。

 夜明け前の、痺れるような寒さが染みた。

 わずかづつ薄れてゆく満天の星空を、ヴァンキーはゆっくりと見渡した。

「雨は、来ないな」

 砂漠に隣接するアルラントで、ほどよい雨は期待できない。


 ただ雨季になると、天に穴が開いたように 凄まじい雨が降る。

 王都中の道という道が、一刻で河になる。

 とうぜん、地下の住居区は水浸しになった。

 逃げ遅れ、命を失った者は、排水溝から北の岩場へと吐き出された。

 雨期の短いあいだだけ、湖に変貌する北の岩場。

 そこは、水鳥にとって、年に一度の楽園だ。

 エサとなる死体に恵まれ、豊かな水をたたえる北の岩場で、野生動物達の新しい命が生まれる時、大自然の摂理は、亡くなった者たちを 鳥葬に臥する。

 生き残った地下の住人も、動物も、ホッと息をつくこの季節、あたりまえに繰り返される事が、今年はまだ始まっていない。

 若い女の横顔を模した芸香(ヘンダール)亭の木彫りの看板は、すっかり干からびて 雨季の兆しも見えない。

「疲れた?」

 灯を消し、分厚い鉄扉を閉じたヴァンキーに、とまり木からキャメルは声をかけた。

「あぁ、疲れたね。おれも年かな」

「馬鹿おっしゃい。あんたが年なら、あたしも おばあちゃんよ」

 カウンター内に滑りこんだキャメルが、熱い香草茶の用意をはじめる。

 湯気の向こうにいるキャメルは、平凡な家庭の似合う女性だ。

 それがなぜ、シークラーという過激な人生を選んだのか。

 できるなら戦列を離れ、ただの女として幸せになってほしい。

 気の強さで組織に志願したとは思えない女に、ため息が出る。

「カリが心配?」

 いたずらっぽく小首をかしげ、キャメルは上目づかいにヴァンキーを見上げた。

「息子を心配している、父親みたいね」

 ふっと顔を上げ、ヴァンキーは笑った。

 ずいぶん淋しい笑いだと、キャメルは思う。

 客相手の陽気さとは違う。

 どこかが空っぽなのに、けっして満たされることのない寂寥感がにじみ出している。

「おれより、おまえのほうが心配してるだろ」

「あら、ふたりで心配するなんて、夫婦みたいじゃない」

 香草茶を渡しながらキャメルは微笑み、困惑したヴァンキーの視線にうつむいた。

 結んだ赤い唇に、ゾクッと震えがはしる。

「あんたは、まだ奥さんをもらわないの?」

 受け取ったカップが、口元で一瞬とまり、ヴァンキーはため息もろとも熱い液体を飲み下した。

「ねぇ」

 思いきって上げたキャメルの目を、ヴァンキーは拒みもせずに受け止める。

「おれは、女を幸せにできない男だ」

 唇をかんだキャメルが、気弱なようすで肩を落とした。

 何年か前にも同じことを聞いたと、キャメルは胸の底でつぶやいていた。

 あの時もヴァンキーは、いまと同じことを言った。

 勝気なキャメルが初めて惚れた男は、過去のいっさいを語らない。

 貴族の生まれだと、シークラーの仲間は疑っていた。いや、最高位の老師が身元を保証してさえ、いまだに疑っている者もいる。

 キャメルは。

 わからない。

 けれども、たとえ過去の身分がどうであれ、ヴァンキーを想う気持ちは変わらない。変えようがない、と思っている。

 心の底から貴族を憎む己の感情と、相反するヴァンキーへの想い。

 真実ヴァンキーが貴族の生まれでも、憎むなんてできないと。

 貴族政治を覆そうとする己の意思と、真っ向から反するヴァンキーへの熱い想い。

 怒りと、いとおしさに翻弄された日々が、頭の中を巡ってゆく。けれど過ぎ行く時間のなかで、キャメルは自分の本心を見つけた。

 革命は革命。愛は愛と。

 すでに、答えは揺るぎない。

 ただ、ヴァンキーが受け入れてくれない以上、キャメルも無理強いはしたくない。

 惚れた男の足枷になるくらいなら、勝手に惚れているほうがよい。

「ルーヴィルを、どう思う? 目の色は違うけど、カリにそっくりで、空恐ろしいぼうやだわ」

 わざとらしく話題を変えて、キャメルは肩をすくめた。

 カリが拾ってきた青年は、どこか凄まじさを備え、危険を感じる。

 まるで死に場所を求めているような、殺伐とした気配がする。まして、暗殺者とおなじ匂いを感じるから、たまらない。

「確かめてみようと、思ってるんだが」

「なにを?」

 口をつぐんで、ヴァンキーは裏口に視線を走らせた。

 すぐに扉が開き、ヤムが入ってくる。

「邪魔だったかい?」

 意味ありげな視線と口調に、キャメルの頬が染まる。

「なっ、   ばか」

 プイッと横を向くほほが、ますます濃く染まってゆく。

 にやにや笑いかけるヤムを睨みつけ、キャメルは厨房へと逃げ込んだ。

 からかうヤム表情は、仏頂面のヴァンキーに移り、柔らかく和む。

「あいつら、地下住居区に潜ったぜ」

 聞いた途端、ヴァンキーたちは息をつめ、ヤムを凝視する。

「だいじょうぶ。カリはねぐらに帰ったし、ルーヴィルはムナトの店で休んでる。安心しなって」

 とまり木に座ったヤムへ、キャメルは熱い潅木酒を渡した。

 身体を暖める薬酒だ。

「ところでヴァンキー。七日ほどまえに、北の岩場に女神が降臨したって、うわさがたったよな」

 跳ねる前髪をかきあげ、ヤムは話題を転じた。

「あたしも聞いたわ。それで城の連中が、おおさわぎしてるって」

 星祭の深夜。北の岩場ちかくの砂漠に、星が落ちた。

 いち早く兵を派遣した摂政配下の王国軍が、星の残骸を王城の奥へ運び込んだが、一夜明けて、ただの石の塊だと布令を出した。しかし、その夜に女神を見たという者が数多くいたため、いまだに女神降臨のうわさは消えていない。

 ヤムたち若いシークラーの仲間は、様々な方法で情報を集めた。

 摂政カイドが、これまでにないくらい兵を動員し、暗殺者までもを繰り出し、なりふり構わず捜しているものが何なのか、どうしても知る必要がある。

『きっと、何かある』

 執拗に食い下がり調べるうちに、ヤムは、落ちた星が神々の乗り物だったらしいと情報を得た。

 長いあいだ伝説として伝えられていた事が、真実の片鱗を見せたのだ。

『神々は、いる』

 少なくとも、神々と仰がれていた神聖なる者たちは、太古において存在していたと。

 ヒリングハムの扉を閉ざし、壁画に残るおおいなる文明を築いていた一族は、確かに存在していたらしいと。

 地下住居区で、ヤムはカリたちが見つけた少女を見て驚いた。

 アストライア神殿にある礼拝堂の、天井いっぱいに描かれた、


 地上を去りゆく神々の姿。


 その中で、いちばん人間を愛した神がいる。

 始源の宇宙神エルエアに、もっとも寵愛された女神レンヤーだ。

 己の魂と引き替えに、人間の命乞いをした女神が、地下住居区の袋小路にいた。

 言いようのない奇妙な感覚の中で、ヤムは身震いしていた。

 これは吉兆なのか、禍事なのかと。

 壁画と伝承。

 すべては、ただの伝説だと言われているが、真実の多くは伝説の内にある。

 時の権力者の都合のよいように歪められ、どれほどの屈辱と偽りに塗り替えられようと、伝承の源には、厳然たる真実が横たわっている。

 空を飛ぶ神々の船も、大地を焼きつくした神火も、遙かな太古においては、現実の出来事だったのかもしれない。

『そんなことは、絶対にありえない』と、誰が言いきれるだろう。

 神々の去った時代に生きていた者など、ひとりとしていない、今となっては。

 ましてヴァルリオリンの巫女や、ラジェッタの導師など、神々から受け継いだ神秘の力を、いまも体現している人々が数多くいる。

 ただの伝説だと言いきるには、あまりにも無理がある。

 それゆえに四宝を求め、絶大な力を手にしようとする王国は多い。

 現にアルラントの摂政カイドも、ヒリングハムの扉を欲して、公然と動いているではないか。

 ヤムは躊躇していた。

 いまのシークラーに、革命以外の欲望はないと、確信できないからだ。

 大抵の仲間は、貴族政治に不満を持っている。だが、老師の掲げる理想社会の実現を、どこまで理解しているのだろう。

 伝承どうりならば、四宝は地上世界すべての支配力を秘めている。

 古文書に記された神との約束を信じて、太古から血の争いをしてきた人間だ。

 自分の目の前に女神が降り立ったら、どれほど醜い欲望に取りつかれるのだろう。

 誰でも、野心はある。

 男なら。いや、人間なら、己が優位を望むだろう。

 支配され地を這う者になるよりは、少しでも他の者より自由に、豊かに生きられるほうを選びたい。そう望んで、なにが悪いのか。

 志し高く始めたシークラーの活動が、組織を大きくするごとに、少しづつ変化するのを、ヤムははがゆい思いで見つめていた。

 公平に暮らせる世の中をつくろうと、革命に踏み切った老師の思いが、シークラーの内で、違った意味合いを持ち始めている。

 ヤムには、どこがどう違ってきているのか、正確には言えない。だが、この少女がシークラーにとって、内部分裂の兆しに思えてならない。

 仲間がそれぞれの野望に溺れ、自分でも気づかなかった本性を現しそうで、怖い。

「どうした?」

 とつぜん黙りこくったヤムに、ヴァンキーは問いかけた。

 どんなに伝えにくいことでも、ヤムは言葉を濁すたちではない。

 はっきりした物言いが、小憎らしいほどの若者だ。

「おまえが迷うなら、言わんでいいぞ」

 ヴァンキーらしい言いぐさに、ヤムは苦笑いになる。

「どういうこと? やぁね、途中でやめるなんて、気になって仕方ないじゃないの」

 無言の了解など、キャメルには通じない。それに、黙っていてもすぐに知れるならと、ヤムは重い口を開いた。

 案の定ヤムの心配を察したヴァンキーは、できうる限り少女をそっとしておこうと言い。キャメルは、少女をシークラーの本部へ移そうと言い張った。

「キャメル。その娘は、女神じゃないかも知れないんだぜ。もしもシークラーと関わって 危険な目にあわせたら、謝るだけじゃすまない」

 ヤムに言い返され、キャメルは凄まじい目つきでにらみ返した。

「おだまりっ!」

 面と向かって反対されたことのないキャメルは、無意識に手を振り上げていた。が、ヤムの強いまなざしに凍りつく。

「おれは、あいつらを、見守ってやりたいんだ」

 合わせた目を離さず、言葉を区切って言い聞かせるヤムに、キャメルの上げた手が震え出す。

「いまのルーヴィルには、あの娘が必要なんだと思う。だから、そっとしておいてやりたい」

 ヤムは間違っていない。


 そうは思っても、キャメルは不満だった。

 少女を捕まえて、どうこうするつもりはない。血眼になって捜している城の連中から、守りたいだけだ。

 敵の手に落ちる前に、隠れ家へかくまうほうが、安全ではないか。

 そんな簡単なことが分からないなんて、どうかしている。

「ヴァンキー!」

 たまらずキャメルは、ヴァンキーを呼んだ。だが、上げた顔を見て肩を落とす。

 いつにない困った表情で、ヴァンキーは首を振った。

「もういいっ」

 苛立たしく、キャメルは席を立った。

「勝手なことは、するな」

 裏口を抜けるキャメルの背中へ、ヴァンキーの声が飛ぶ。

 一瞬立ち止まったキャメルは、返事もせずに路地の暗がりへ紛れていった。

 キャメルの気配を見送って、ため息をもらすヴァンキー。

「しかたねぇな。早ぇとこ、かみさんにでもしちまえば、おとなしくなるだろうによ」

 非難がましく言い捨て、ヤムは笑った。

 それでも心配なのだろう、そっとキャメルの後を追う。

 ひょろりとしたヤムの背中に、ヴァンキーは肩をすくめた。

「簡単に、言ってくれるな」

 誰もいなくなった店に、つぶやきが溶けていった。

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