第13話

*☆*☆*

 広大な砂漠を縁取る岩場地帯いちめんに、炎華(ひのはな)は咲き乱れていた。

 獰猛な砂漠の獣たちが嫌う、唯一の植物だ。

 この花と、堅い岩場(オアシス)が、人と獣の生きる場所を断ち分けていた。

 大陸内で、最大の規模と繁栄を誇る、王都アルラント。

 街を含む都市そのものを、すっぽりと囲んだ城壁は、ひとつしか門を備えていない。

 銀街道や砂漠道(デューン・ロード)のすべてが、この王都から始まっていた。

 天を遮るほど高々とそびえ立つ城門を入れば、大通りは遙か山裾までつづいている。

 幌馬車が行き交い、馬や人で いつも溢れかえっている夕方の大通りを、神殿警護軍に守られた馬車が、アストライア神殿へ向かっていた。

 磨き上げた扉の紋章は、巫女王のものだ。

「アフロ様だ」

「病人のために、手ずから薬草を摘みに行かれるとは。なんと、お優しい」

 路地に置いた大樽の陰で、キャメルは軽蔑をこめ鼻をならした。

 いつもは無色にちかい淡水色の目が、鋭い切っ先のように揺らめいている。

 背筋に冷たいものが這い上がり、カリは身震いして目をそらした。

 こんな時にキャメルと目を合わせるなんて、とんでもないっ。

「行くよ、ぼうや」

 馬車の一団が通り過ぎた大通りへ、カリはあわてて飛び出した。

 キャメルの気まぐれに 振り回される自分が、なさけない。

(はぁ。どうして、こんなに気分屋なんだろ)

 機嫌のいい時、キャメルはこのうえなく女らしい。そして、シャイで愛らしい。

(それが、これだもの)

 夕暮れ時の涼風も、活気に満ちた街角は避けて行くのだろうか。

 わきあがる熱気で、干上がりそうだ。あたりかまわず、砂ぼこりをあげて行く商隊。

 間のびした水売りの声。

 たいそうな身振り手振りでかけ引きする、香油商人。

 すれ違うのも難しい人波を、流れに運ばれる木の葉のように、いともたやすく抜けて行くキャメル。

 平凡な少年にすぎないカリにとって、追いかけるのは至難の業だ。

 びっしりと軒をつらねる店頭から、陽気にまくしたてる声が響く。

 すべての店が、看板娘をはべらせ、呼び込みにわき返っていた。

 ほぅっと、カリは頭を振った。

 雑踏の熱気は、山育ちのカリにとって、あまりにも過酷だ。

 ぼんやりと立ち止まった途端、苛立つキャメルの声が飛び、首をすくめたカリは小走りに人垣を押し分けた。

 大通りをそれて一歩入れば、迷路のように裏路地が広がっている。

 なにが起こっても不思議ではない、無法地帯。

 よほど腹のすわった者か、常連客でもない限り、足を踏み入れる者はない。

 朝のにぎわいが神殿前広場(パコダ・バザール)なら、夜のにぎわいは裏路地にある。

 カリがキャメルに誘われたのも、複雑に入り組んだ迷路街の酒場だった。

 店の名は、芸香(ヘンダール)亭。程々にいかがわしく、そのくせ根っからの悪人は近寄りがたい酒場だ。

 店の主人は四十過ぎの男で、うわさでは傭兵だったとか、宮廷騎士だったとか。

 はっきりしたところは、わからない。けれど鋭い眼光や身のこなしが、ただ者ではないと思わせた。

 ビューラの心地よい音色にあわせ、昔語りを謡う吟遊詩人。

 素朴で、ふんだんな料理。

 安くてうまい、酒の数々。

 常連客は気に入りの席に陣取り、大振りのグラスをかたむける。

 焼けつく暑さが去り、凍える夜がめぐるまでのひとときを、ぞんぶんに楽しむために。

 キャメルのすすめるグラスを、カリはほんの一口流し込む。

 ほのかな苦味が、腹の底で火を噴いた。

 カウンターに並んだキャメルが面白そうに見つめるのへ、ムッと睨み返してやる。

「やめときな、カリ。そいつぁは、竜殺しって言う酒だ」

 店の主人。ヴァンキーが、あわててグラスを取り上げた。

 そのままキャメルへ向けた目が、困ったように曇る。

「いい加減にしねぇか、キャメル。カリを酔いつぶす気か」

 悪びれもせず、ほおづえをついてキャメルは笑った。

 その姿が絵になる。

 ゆるやかな衣服の下に、隠しようのないラインが透けていた。

 強い酒のまわった頭で、カリはきれいだと素直に思った。

 実際、キャメルは人目を引いた。裏路地に入ったあたりからここに着くまで、何人の男から声をかけられたことか。

 そのたびにカリは、言い様のない惨めさを味わった。

 たとえ一瞬でもキャメルの視線を引く男への嫉妬は、恋する者の感情だ。

 誰かのものになど、なってほしくない。

 想いが届かないなら、せめて 普通の女性として生きてほしい。

 アルラントの王制に反抗する地下組織、シークラーの最前線にいるキャメル。

 優れた女戦士など、やめてくれればいいのに。

「ぼうや。なにが気に入らないの」

 キャメル独特の鼻にかかった声は、いつもカリの心に爪を立てる。

 そうと知っていて、決してやめない意地悪さが、カリにはひどく辛かった。

 それなのに、キャメルを嫌いになれない。むしろ、魅せられている自分が、いっそう惨めで愛おしかった。

 空になった果実水のグラスをてのひらに抱いて、カリはむっつりと黙り込む。

 肩をすくめ無意識に組み替えたキャメルの足が、深いスリットを割って滑り出た途端、カリは思わず赤面していた。

「ぼうずには、ずいぶん気の毒なながめだな」

 腹の底から揺すりあげる笑いをこらえ、店の主人ヴァンキーは、身体を折った。

「やめてよ、いやぁね」

 甘さを含んだキャメルの声に、男を意識した恥じらいがみえる。

 グラスを睨みつけ、チリッとカリの自尊心が痛んだ。

 『意地悪だ、キャメル』そう思うだけで、はっきり言ってやれない自分に腹が立つ。

 店を満たす喧騒や、けだるい空気から逃げ出してしまいたい。

「古い詩(うた)を聞かせて。神々と罪人の詩(うた)を」

 キャメルの投げた銀貨を受け、吟遊詩人はビューラの弦をつま弾いた。

 ひとしきり澄んだ音色を奏で、凛とした歌声が、あたりのざわめきを打ち消してゆく。「その昔、大地は緑豊かにして、砂の海エルグは、果てなく水におおわれ、陽の光を弾く黄金(こがね)の天船(あまふね)は天に満ちるほど空を行き交っていた」

 はるか昔から、語り継がれた物語。

 その始まりのすべては、この言葉から紡ぎ出される。

 その昔、大地は緑豊かにして、黄金の天船は空を行き交う、と。

 吟遊詩人の歌声に、星祭の夜が思い出された。

 ルーヴィルと二人して、こっそり北の岩場へぬけだした時の事だ。

 無限に広がる天の海は、数えきれない星を孕み、ずっしりと世界をおおっていた。

 はてしない宇宙(そら)の奈落に今にも落ちそうで、凍えた岩肌から背中を離せなかった。

『なぜ、おれはここにいるのだろう。ラジェッタから無理矢理につれてこられて、もう帰るすべもない』

 宇宙の深淵に抱かれ、帰りたいと叫びだしそうなカリの頭上を、おびただしい星の群が流れた。

 畏怖をともなった荘厳なながめのなかで、カリとルーヴィルは寄り添って、ひとつの星が降り立つのを見た。

 星のなかから現れた少女は、宇宙(そら)の匂いをまとっていた。

 青白く透けた少女の微笑みに、言葉もなく立ちつくしていた二人。

「なにか、飲み物をくれない?」

 思い出すたび、どこかが痛むような声で少女は聞いた。

 砂漠を清める流星に乗って、宇宙から降りてきた少女。

『ひょっとして、はるかな神々の世界から、降りてきたのか』

 熱にうかされたように、ルーヴィルは少女を捜し続けている。

 カリがアルラントに来て、一ヶ月が過ぎた頃。

 地下迷路の入り口で、行き倒れているルーヴィルを見つけた。

 隠れ家に連れ帰ったルーヴィルを見るなり、シークラーの者たちは大騒ぎとなった。

 カリと同じ黄金の髪。

 レン神を映したような同じ顔。

 カリは金茶の目を持ち、ルーヴィルは青灰色と違っていたが。

 目の色以外、そっくりなカリとルーヴィルに驚いたのだ。

 ルーヴィルを抹殺しにしようとするシークラーに対し、カリは強引に助けると宣言した。もっとも、シークラーの最高位にある老師が、カリを支持してくれたおかげもあるが。

 同じくらいの年で、同じ顔をした二人。

 カリはどうしても、ルーヴィルを他人とは思えない。

 ビューラが最後の音節をつまびき、カリの思いに終止符を打つ。

 とまり木に置いた身体へ、ふっと魂が舞い戻った。

 ちょうど店に入ってくるルーヴィルと目を合わせ、カリは腰を浮かせた。

「いま、いいか?」

 ルーヴィルへ向けたキャメルの目に、鋭い殺気がよぎる。

 受けて立つように、ルーヴィルも身構えた。

「じゃぁ、キャメル」

 険悪な雰囲気をさえぎって、カリは早々に席を立った。

 出てゆくふたりに、いくつかの視線が向けられる。

 後をつけようとするキャメルを止めて、ヴァンキーは店の隅に合図を送った。

 ひょろりとした若者が、扉をすりぬけて行く。

「あんな新入りに?」

「まぁ、そう言うな。あれでもヤムは、牙一族の若長老だから」

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