キサナドゥで待ってて

森宇 悠

キサナドゥで待ってて

タナちゃんとの通話がしりとり遊びで終わると、鉄板みたいな真夏のアスファルトの上に私は一人取り残されてしまった。


 ここから数時間と数百キロ、キサナドゥまでの旅の間、ずっと一人だ。


 貨物列車がガランガランと、とてつもなく大きな音を立てて目の前を通り過ぎていく。


 ガランガランガランガラン。


 ガランガランガランガランガランガランガラン。


 次第に遠ざかる音が、カランカランと軽くなって、また私一人しかいなくなった。


 駅には誰もいない。本当に私だけ。周囲の倉庫も無人で、その隙間から同じくからっぽの町並みが見える。あそこにも、誰もいない。


 むわっとする空気が地面から絶えず立ち上って、ホームへ向かいながらなんだか熱の海の中を泳いでいるみたいだった。実際、手で触れるくらいに空気はぼんやりゆったりとして重々しい、体の隙間に絡みつく。


 ホームからは空が良く見えた。夏の空。薄い塵芥雲とその向こうの青空の色が混ざって緑色に見えなくもない。いかにも夏らしいね、ってタナちゃんなら言うんだろう。


 鳥も、飛行機も、ドローンも見えない。空にも誰もいない。本当にこの辺りで動いているものは私だけみたいだ。


 早くタナちゃんに会いたかった。


 キサナドゥに行って、タナちゃんに会って、今年の夏がどんなだったか、私の覚えてる全部を教えてあげたかった。


 タナちゃんはどんな顔をするだろう。笑ってくれるだろうか。それとも悲しむだろうか。


 仏頂面のタナちゃんが笑ってるとか泣いてるとか、そんなのがわかるのは私とお姉さんたちぐらいだろうけど、でもしばらくタナちゃんが笑ってないっていうのはよくわかっていて、そのことはずっと、冬からずっと気になってた。私の夏は、タナちゃんを笑わせてあげられるだろうか。


 どうにかしてタナちゃんを笑わせてあげたいと、いつも思ってるのに。


 通過する列車を続けて二本、見送って、しばらくするとトントントンという間抜けな音を鳴らして今までの列車よりもすこし短い、4両ぐらいの長さの列車がゆっくりゆっくりホームへと入ってきた。遅くてすいません、と言ってるみたいな列車のゆっくりさもタナちゃんに話してあげよう。笑ってくれるかもしれない。


 列車のドアはすぐには開かなかった。どうしようかとドアの前で立っていると、私に気がついた乗務員がこれもまたゆっくりと、車両から降りて近づいてくる。


 切符はあるのか、というようなことを言われて、私はタナちゃんから貰った立派なカードを差し出す。


 乗務員はそのカードをしげしげ眺め、何も言わずに無人の倉庫へと向かっていった。荷物の搬入があるらしい。ドアは目の前で勝手に開いた。


 地上列車はいつもどおり無愛想だった。私以外にはお客さんもいない。荷物の積み込みが終わると、何も言わずに車両は揺れて、進みだす。


 これで一安心だった。どんなに時間がかかってもタナちゃんが待ってるキサナドゥには着けるはずだった。


 外の熱気から隔てられてみると、私は自分が随分疲れているということに気が付いた。考えてみればこの駅へ来るまで、砂埃に潮風、小さな竜巻や突然のスコールと本当に散々な目に合っていたのだ。疲れていて当然だろう。


 丁度いい、キサナドゥまで、タナちゃんに会うまでこの列車に乗り続けなくちゃいけないんだし、ゆっくり休もう。


 列車には窓はなかった。当然だけど。でも手持ち無沙汰で仕方がない。


 仕方なしに私はこの夏に見てきた色々を思い出しながら、それをどんな風にタナちゃんに話してあげようかじっと考えることにした。


 タナちゃん、海辺にはたくさんのものが流れ着いていて、海は淡い虹色と黒色で、その隙間に色々なものが浮かんでて、前に見た流氷みたいだったよ。


 タナちゃん、国道沿いにはたまに物売りの人がのろのろ車で移動しててね、冷却水とか圧縮氷なんかを売っててどこも暑くてたまらないからよく売れるんだって。


 タナちゃん、山の形は冬から少し変わってたよ。生えてる木も、この暑さで枯れてるのがあったり、逆に背が低かった雑草が太く大きく伸びたり、新しい形になろうとしてるみたいだった。


 タナちゃん、この夏は、いろんなものを変えていくみたい。


 私とタナちゃんとお姉さんたちはみんな変わらないのに。


 私はそのことが、変われないって事が、少し・・・・・・なんだか・・・・・・なんだろう。まだ教えてもらってない、気分になる。そのことも、タナちゃん教えてよ。


 でもタナちゃん、どんな風でも、どんな形になっても、どんな色でもどんな温度でもどんな空気の組成でも、私はすべてが綺麗だと思えて仕方がないよ。


 この世界は相変わらず綺麗だよ。タナちゃん。


 人が減っても、生き物が減っても、たぶん誰もいなくなって、いつか私もタナちゃんも12559体のお姉さんたちも、みんないなくなっても、たぶん相変わらず綺麗なんだろうと思うよ。


 だからタナちゃん、笑ってよ。


 私が話す夏に笑ってよ。


 そう言いながら私が連想するのは、冬にも同じように話をしたときのタナちゃんの悲しげな駆動音だった。


 でも冬は終わったから。もう夏だから、タナちゃん。だから喜んでよ。あの長い長い長い長い数百年にも渡る冬はもう終わったんだから、ねえタナちゃん。


 いつの間にか私は寝ていたらしい。列車が停まる振動で意識が戻った。


 一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなって辺りを見回す。前はこんなことなかったのに、ちょっと疲れてるのかもしれない。そうだ列車に乗ったんだったと思い出し真っ暗闇な車両の中で荷物の小山にもたれていると、外から久しぶりに聞く人の話し声が流れてきた。


――積荷を降ろせってフランコに言っておいたのにな。


――ダメだ、あれはもうポンコツだ、マニュアルじゃないと動かねえ。


――仕方ない、国営局の払い下げだからな。


 ガサガサと音が鳴って、少しはなれたところのドアが開き光が差し込む。その隙間から乗務員が降りていったのが見えた。どこかの駅に着いたんだ。でもキサナドゥじゃないだろう、まだ、いくらなんでも早すぎる。


 地図を出して現在位置を調べようとしたけど、うまくいかない。私は本当に疲れてしまってるみたいだ。なんだかまだ頭もぼうっとする。


――やっと降りてきたかフランコ、さっさと積荷に取り掛かってくれよ。


 今度は私の真横のドアが開く。差すような光が車両の中を照らす。真っ白な人工灯の光だった。


 乗務員が私の横につまれた積荷を外へ持ち出していく。外は光が強すぎてよく見えない。列車ごと屋内に入っているみたいだ。さっきまでと打って変わって車両の中はひんやりと冷たい空気で満たされていた。


――なんだ、これ。おい、デネデ、見てくれ。


――どうした。


――フランコのやつ、リストにないものを載せてるぞ。なんだよ、これ。


――ああ、それはいいんだよ、中継倉庫で拾ったってレポートが届いてる。


――ガラクタか? 相当古そうだけど。


――環境調査の自律機械だよ。勝手にその辺調べて、定期的にメンテナンスと報告でシティに戻んだ。聞いたことあんだろ。


――あるけど、これがか? 見るのは初めてだ。


 乗務員のローラーの音の隙間から誰かが近づいてくる足音が聞こえる。でも人影は光の中に埋もれていてまだ見えない。


――満載じゃない限りは地上列車はそいつを拾わなきゃいけねえ決まりだかんな、ちょうどキサラヅ行きの列車のコース調べて乗ってきたんだろ。


――報告とメンテナンスなんてその辺のステーションか基地に行けば良いのに・・・・・・わざわざ地上列車まで使って、難儀だな。


――まあ、アレだ、容量の問題だよ。転送するより物理的にデータ持っていった方が早いんだ。回線の邪魔にもなんねえしな。


――へえ、時間がかかるだろうに。


――時間? こいつらの時間とこっちの時間は違えんだよ。数百年以上かかる変化をのんびりのんびり調べてんだから。


 二人の話し声がしている間も乗務員はひっきりなしに動き回って私の周りの積荷を運び出し、だいぶスペースにゆとりができた。私はここぞとばかりに体を伸ばす。


――おい、動いたぞ。


――そりゃあ動くだろ。動かなきゃキサラヅまでデータを持って帰る意味がねえ。


――だってこれ、地上を走り続けてきたんだろ……丈夫な機械だな。すごい……。


――おい、そいつはもういいから早く積荷のチェックしろよ、このあと滞りなくこいつをキサラヅまで送り出して、6時間後には夜便が来ちまうんだぞ。仮眠とりてえだろ。


――あ、ああ、悪い悪い・・・・・・。


 やっと、話をしている二人の顔が光の中から現れる。防塵フィルム越しに私の方をちらちらと見てくる男の人と、こちらを一切見ずに乗務員に指示を出している女の人。もう無駄話は一切せずにてきぱきと動いていく。


 私はやっと今の位置を確認して、キサナドゥまではまだ数時間かかると計算を終える。もう少し眠っていようか。考え始めたところにさっきの男の人がまた近づいてきた。


――長旅のところ悪いけど、キサラヅまで、この荷物の見張りを頼むな。


 そう言って彼は私の耳をなでる。たぶん彼はそこが頭だと思っているんだ。大体の人が間違える。


――ベレリア、そりゃ頭じゃなく耳だよ。環境音声を拾ってるマイクだ。


 いつの間にか彼の後ろに立っていた女の人が言う。


――あ、そうなのか・・・・・・詳しいな。


――別に、前の部署でちょっとな・・・・・・。あー、あとそいつはTANAの指令以外は聞かねえことになってるからな、そんなこと言ったって無駄だぞ。


――TANAって?


――ほら、ちょっと前に話題になっただろう。トータルアトモスフィアなんとか……って、小氷河期の到来で作られた無駄金喰いだよ。糞の役にも立たなかったけどな。


――でも今度の超温暖期の到来はそのシステムで予想できたんだろ、たしか・・・・・・。


――数十年もズレたけどな。おかげでこっちはせこせこ地上から地下へ100年単位のお引越しだ。


――・・・・・・それでも、よくやったと思うけどなあ、俺は。


 男の人はもう一度私を撫でようとして、どこを撫でればいいかわからずに迷って、結局また耳を撫でた。


――おら、ポンコツ機械にかまってる暇ねえぞ。フランコを乗せて、出発の準備しろよ。


――はいよ。


 男の人が離れていくのを充分に見てから、女の人は私にゆっくり歩み寄ってきた。


 その手が軽く私に触れた。防塵フィルム越しでも、その肌のあたたかさと硬さはよくわかった。


 そしてその位置は見事に私の頭の場所を捉えているのだった。


 しばらくして、女の人も車両を出て行き、扉が閉まる。


 また暗闇に包まれた車両が揺れ、そのうちじわじわとあたたかくなっていくのがわかる。相変わらず窓がないのでわからないけど、列車が外へ出たんだろう。


 私はタナちゃんに話すことがまた一つ増えたことを楽しみに思いながら、広くなった車両いっぱいに体を横たえる。


 まだ疲れは取れなくて、私は色々なところにガタが来てるのを調べるため自己診断プログラムを走らせる。でもそうしながらもう、結果を待つまでもなく相当ギリギリの状態だってことぐらいわかる。目も耳も、足も手も、疲れてあんまりちゃんと動かない。


 タナちゃんに会うまで、ちゃんと起きてられるかな。


 私はもう一度、タナちゃんに話すことを整理して、忘れないようにそれらの記憶を自分の頭の中の一番深い深い深いところにきっちりと置いていく。


 そうしておけばもう私が眠ってしまって動けなくなっても、キサナドゥでタナちゃんと一緒に待つ妹たちに仕事を引き継いでも、私の頭の中からこの記憶を引っこ抜いて、それで私が見てきた世界だけはなくならないですむから。タナちゃんに私が見てきた夏の世界を教えてあげられるから。


 タナちゃん、大丈夫だよ。ちゃんと世界は綺麗だったよ。


 あなたが守ろうとしている世界は、汚れたり、枯れたり、朽ち果てようとしているかもしれないけど、それでも綺麗だよ。


 綺麗だから。


 だから楽しみに待ってて。


 この夏の話ならあなたを笑わせてあげられるはずだから。


 あと数時間なんて、私が過ごした夏の時間に比べれば本当に一瞬だから。


 だから、待ってて。


 そこで、待ってて。

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