終わらない夏祭り

キジノメ

終わらない夏祭り

「はい先輩、かき氷です」


 梨本が突然渡してきたプラスチックの容器に、俺は目を瞬いた。

「なんで? 頼んでないけど」

思わず受け取りながら尋ねる。氷は山盛りに盛られていて、上には黄色いシロップがかかっていた。レモンか。

「あ、ちなみに柚子味です」

「レモンじゃないの?」

「変わり種です」

そこは普通、レモンだろ。なんで奇を衒うんだ。

「今回は初の試みのため、購入です」

俺の隣の席を軽く手で払い、梨本が座る。その手にあるかき氷には、赤いシロップがかかっていた。

「ちなみにお前のシロップは?」

「すいかです」

「普通のは無いのか、いちごとか」

「ありますけど、つまらないですし」

初といっても、楽しまないと。

 呟く梨本に、俺は首を捻った。

「かき氷食べるの、初めてなのか?」

「へ? そんなわけないじゃないですか」

なにを馬鹿な、と笑う梨本に、俺はぽかんとする。「初」って言ったじゃないか。

「じゃあ初ってなんだよ」

「ああ、こっちの事情です」

きっぱりと梨本は言い切り、これで終わりと言わんばかりに、かき氷に食いつく(てっぺんをそのままぱくりと咥えていた)。

「おお~! すいか!」

もう何を聞いても無駄だと思い、俺はため息をついた。どうせ暑さで頭がちょっとおかしくなってるだけだ。

 というか、のんきにかき氷を食べている場合じゃないだろ。

「聞いてきたか、案内所」

梨本を睨むと、はぁ、とため息をついて返される。

「そんな怖い言い方しないでください。ヤクザですか」

「梨本、俺は真面目に……!」

「行ってきましたよ。けど、水無さんはいませんでした」

「そうか……」

「先輩、かき氷溶けます」

「だからそんな場合じゃないって」

「落ち着いてください」

ぴしゃりと梨本に言われ、思わず黙る。そうだよな、綾子がいないのはしょうがないけど事実だし、落ち着いて次の探し方を考えないと……。

 かき氷を一口ほおばる。柚子の味はあまり分からなかった。



 綾子は、俺の恋人だ。もう2年も付き合っている。そりゃもう可愛くて、ちょっと強引な女の子だ。

 今年の夏祭りに行こう、と言ってきたのは綾子のほうだ。付き合うきっかけも夏祭りだったし、綾子が誘わなくても俺が誘っていたと思う。予定はとんとん拍子に決まり、わくわくしていた。

 けれど2日前から、綾子が音信不通になった。

 携帯は繋がらないし、1人暮らししている綾子の家に行っても誰もいなかった。綾子の実家の方にも聞きたかったが、俺と付き合ってることは親に内緒にしているらしく、下手に聞けない。

 そして連絡がつかないまま、夏祭り当日になってしまった。

 憔悴している中かかってきた電話に飛びつけば、かけてきたのは後輩の梨本だし(こいつは俺が綾子と付き合ってることを知っているのに、夏祭りに誘ってきた。馬鹿だろうか)、思わず梨本に怒鳴ってしまった。そしたらなぜピリピリしているか理由を聞かれ、説明すれば一緒に探す、と来てくれた。怒鳴ってしまったが、良い後輩だ。

 連絡がついていなくても、綾子があんなにも楽しみにしていた夏祭りだ。連絡自体は携帯が水没したとか、そんな理由かもしれない。会場にいれば会えるかもしれない。

 そう思いながらずっと待ち合わせ予定だった場所のベンチに座っているが、待てど暮らせど綾子は来なくて、もうすぐ花火があがろうとする時間が迫っていた。




「先輩、どうします? もう、夏祭りも終盤ですよ。帰りませんか」

「だけど」

「こんなに待っていても来ないなんて、何かあったんですよ。今日はもう、帰るべきです」

梨本が立ち上がって、俺の前に仁王立ちをする。お前にそこまで言う権利があるってのか。綾子をどうでもいいように扱っているようで、思わずかちんと来た。

「じゃあお前だけ帰れよ。サンキューな」

「だから先輩も」

「俺は帰らねえ! 終わるまではいる。たったあと30分だろ。それから帰ればいいじゃん」

あんなに楽しみにしていたのに、綾子が来ないなんておかしい。絶対にどっかにいるはずだ。まさか事故ったとか? 考えが一瞬よぎるが、馬鹿な、と否定する。だったら俺に連絡が来るだろ。だから、連絡がつかないだけでいるはずなんだ。勝手に帰ったら、綾子が悲しむだろ。

 そっぽを向くと、梨本が息を吐く音が聞こえた。こいつ、ため息をついたな?

「先輩の、水無さんへの愛はよぉく分かりましたよ。しょうがないですね、私も最後までお付き合いします」

けれど、と梨本がポーチを漁る。中から取り出したのは赤いリボンだった。

「はぐれないよう、手に結んでください」

「はぁ? なんで」

「花火が上がる時の混雑、舐めてるんですか? はぐれますよ」

「別にお前とはぐれたって……」

構わねえ、とは言えなかった。

 梨本の瞳が、あんまりに真剣だったからだ。

「……お願いですから、結んでください」

「……わ、分かったよ」

迫力に気圧されて、左手にリボンを巻く。左手の親指と腹でリボンの端を押さえて、右手を駆使して結び目を作ろうとしたら、指が吊りそうになった。

「いでででで!」

「先輩、私やりますから……」

自分でやるとか馬鹿ですか、という小声は聞こえなかったことにしよう。梨本は中腰になって、俺の手首を掴む。

 なぜだろうか。

 梨本の手が、かたかたと小刻みに震えていた。

「梨本?」

「なんでしょう」

「なんで震えてんの?」

「……震えてませんよ」

「いや、震えてるだろ」

梨本の手が手首から離れる。リボンを引っ張り、手首の内側で蝶々結びをした。

 結んでいる時も、ふるふると震えている。

「寒いのか?」

「違いますって~、イケメンな先輩に触れるのが恐れ多くて、震えてただけです~」

次は私の、結んでください。

 梨本は誤魔化すように笑って、手首を差し出した。

 差し出された左手首に、俺の手首で作られた蝶々結びから伸びているリボンを巻きつける。梨本みたいに綺麗に結べなくて、蝶々が縦になってしまった。

「へたっぴですね」

「うるせ」

梨本との距離が、間にひとり立てないくらい縮まる。隣の彼女を見下ろせば、ひどく真剣な目でリボンを見つめている。

 その口が、何か動いた気がした。

「なんて?」

「いいえ、何も。では先輩、人探しを再開しましょ」


 どぱんと、花火が打ち上がる。一瞬見惚れたら前の人に鼻をしたたかに打ってしまった。

「いって」

「大丈夫ですか?」

鼻を押さえながら背後を見ると、人に挟まれながら梨本が立っている。まだリボンはほどけていない。思わず解けないようにと、左手で手首の先から伸びるリボンを掴んだ。

「はぐれるなよ」

「分かってます」

けど、人が多い。こんなことじゃ、綾子を探すことだって出来ない。

 綾子、どこに行ったんだよ。出てきてくれよ。どっかにいるんだろう、そうに決まってる。だってあんなに約束したんだからさ。あの長い髪が見えないだろうか、ほっそりした顎が見つからないだろうか、着ると嬉しそうに言っていた、朝顔柄の浴衣は見えないだろうか。


 ――と、その時だった。


『ねえ、待ってたのよ』


「綾子!」

耳元で声が聞こえて、思わず周囲を見渡す。どこだ、どこに。

『その手、なあに? リボンなんて』

「あ、ああ、ごめん、ちょっと後輩が無理やりつけてきてさ。綾子がいるならもうこんなのいらないんだよ」

『嫌だ、浮気?』

「違うって、今外すよ」

蝶々結びは簡単に解ける。握りしめていたリボンから手を離して右手で端を引っ張れば、するりと手首からリボンが外れた。

「綾子、どこだよ、心配したんだぞ!」

『こっちよ。こっち、来て』

「こっちか?」

声のする方は、右だ。人の波を無理に掻き分けて進む。おっさんに邪険な目で見られたが知るか。やっと綾子に会える。どれだけ心配したと思ってんだ、まあ、いたからもういいけどな!

『ほら、こっち』

誘われるままに来たのは、人の少ないちょっとした小山のふもとだ。

「え~、登れってか?」

『早く、上にいるわ』

「なんでこんなとこにいるんだよ、綾子ぉ」

会ったらちゃんと聞かねえとな。案外俺と密会するためかも。可愛い奴だな。

 伸び放題の雑草を踏み倒しながら、小走りに頂上へ向かう。早く行かねえとな、きっと待ちくたびれてるはずだ。

『早く、こっち』

「もう着くって!」

本当にちょっとした小山だから(と言っても登りやすい方からすれば小山なだけで、裏には崖が広がっている)、すぐに頂上に着く。そこで見渡すも、綾子はどこにもいない。というか、梨本が俺の後ろにいる。付いてきたのか、別にいいのに。

「梨本? お前はもういいって。綾子、いたから」

「先輩、ちが、それ、付いていっちゃ!」

息を切らしていて、何を言っているのかよく分からない。それより綾子は? 頂上に来たぞ。

『こっちよ……』

なんだ、あっちの暗い方か。今行くって、そう急かすなって。やっと会えて嬉しいよ!

「先輩、先輩行かないで……!」

足下は石が多くて転びかけながら、そっちへ向かう。真っ暗な中、ようやく手招きする白い手が見えた。

「綾子! 俺、心配したんだから!」

『うん、もっとこっちへ……』

「行くから行くから!」

ちょっとずつ全身が見え始める。白い手、白い腕、あれ、浴衣じゃないのか、破れたジーパン、ひどく汚れたTシャツ、片方サンダルの脱げた足、

 あ、れ?

 なにかがおかしいと思ったが、綾子に会えるということが嬉しくて、足が止まらない。腰まで伸びた、乱れた髪、真っ赤に濡れた喉、


 顔の上半分が無い、あやこ。


『ありがとう、やっと一緒に逝ける……!』

ぞっと背筋が寒気だったのと、その口がにこりと笑った瞬間は同時で、

 右足は、宙に踏み出していた。

「あっ」

慣性で止まらず、左足も前に出る。地面なんて無くて、完全に宙に浮く。

『これで一緒ね!』

足下で綾子が手を広げている。落ちる、落ちてしまう、この手に落ちていいのか? 怖い、誰だこれ、綾子じゃない、怖いっ。

 もう手に触れる、という時、どんっと背中に衝撃が加わった。


「もう一回です、先輩」


 泣いている梨本の声を聞いた瞬間、俺の意識は途切れた。





「いらっしゃい、梨本さん。また来てどうしたの?」

「……もう一回、巻き戻してください」

「何を?」

「時計の番人のあなたに、『戻せ』と言ってるんですよ。時間に決まってるじゃないですか」

「もう諦めなって。あの先輩、川口くんだっけ? 助からないよ」

「……」

「もう一回状況を説明してあげようか。川口くんの恋人、水無さんは彼が死ぬ――つまり夏祭り2日前に、交通事故で亡くなった。けれど彼へ執着していた彼女は亡霊となり、川口くんを死に追い遣った。

「水無さんの事故は運命の中で決定事項で変えられない。だから彼女の執着も変えられない。だから川口くんが死ぬのも変わらない。直前の行動を変えたって、ああ、今回はかき氷を食べたっけ? あとリボンも結んでたっけ? それでもね、そんなちっぽけなことじゃ、死ぬ運命は変わらない。分かってる?」

「……でも」

「でも?」

「でも、救いたいんです……! だから、お願い、もう一回」

「別にさあ、巻き戻すのは大変じゃないんだ。だからもう一回やるのはいいよ。でもさ、君、


 もう534回だろ。


 そろそろ精神的に参ってるだろ?」

「それでも、それでも私は……」

「……そこまで言うならいいけどさぁ。戻してあげるよ。じゃあ535回目の夏祭りに行ってきなよ」



「……行っちゃった。梨本さん、いないあなたに言ってもしょうがないけどさぁ、あなたも大概だよね。他人のために535回も同じ日を繰り返すって狂ってるよ。分かってるのかな。そうやって続ける間、一生君の寿命は減らないんだぜ? 永遠に終わらない夏祭りを続けるしかないんだぜ?

「……ああ、次は、夏祭りに行くこと事体を止めているのか。それ既に、200回はやってると思うけど

「……。

「……まあ、どうでもいいか」

時計の番人はつまらなさそうに、懐中時計の針をぐりぐりといじっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終わらない夏祭り キジノメ @kizinome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ