倍々石

 知人から聞いた話である。


 おほりの石垣に、少しばかり変わった石がある。

 変わったといっても、色が違うとか、何かの形をしているとか、そういうものではなく、見かけはなんの変哲もない、ただの石だ。

 だから、今野千春嬢がそれを見つけたのも本当に偶然なのだろう。

 千春嬢の日課は、お濠のそばに集まる鳩へ餌を与えることだ。

 きっかけがなんであったかはもうはっきりしないという。たぶん、学校帰り、買い食いの、食べ残したスナック菓子の残りを投げてみたとかそんなあたりだったのではないかという話だ。

 ともかく、鳩へ餌を与える習慣はかれこれもう数カ月続いていて、近頃は食べ残しの菓子ではなくわざわざ専用に買ってきた炒り豆を投げている。

 まあ、それはいい。本題は先の偶然の話だ。

 鍋底で焙られるような暑さも少しは和らいできたかという頃のことだ。

 その日、たまたまお濠の端、石垣の石のひとつに、千春嬢の投げた炒り豆が、ひと粒、ポンと当たった。

 ポン、と。当たったはずなのだ。

 が。

 豆はふいと石の中へ吸い込まれて、それから、ペッ、と吐き出されるように、ふた粒になって返ってきた。

 返ってきた、といっても、吐き出された方向にはお濠があるものだから、水の中へポチャンポチャンと落ちてしまったわけであるが。

 千春嬢は、あれ? と思ったそうだ。

 あれ? なんだこれ、と。

 思って、もう一度炒り豆を投げてみたのである。

 ポチャンポチャン。

 豆はやはり一旦石に吸い込まれて、倍になってお濠に落ちた。

 千春嬢が抱いた感想は、変わってる、だった。面白い。あの石ちょっと変わってるのね。それだけである。

 なにしろ、この町のことだ。そこいらじゅうに奇妙なものがいて、不思議なこともたくさん起こるものだから、変わっているとはいっても、この程度なら普通なのかもしれないのだ。

 たとえば、お濠近くのコンビニの二軒隣、少し年季が入った見かけのうどん屋。入って右奥の隅にある一席には、客がいないときに店主がかけうどんを置く。なんのためだかわからないが、そうすることになっているのだという。

 そのどんぶりの中身は、誰もいないにもかかわらず、きれいになくなるのだ。ふっと中身だけが消えて、からっぽになる。

 怪談話になるのかもしれない。けれど、この町ではとりたてて珍しいことではなく、ごくごく当たり前の日常として存在している現象に過ぎないのだ。

 こんな調子だから、お濠の傍の柳の上にいるみどり色をした女へ、中年のビジネスマンである友人が、時折通勤途中に水のペットボトルを置いておいてやるのも、やはり普通だろう。

 その辺りはさておいて、炒り豆と石の話だ。

 倍になって返ってくるのは、そこはかとなく面白くはないだろうか、と千春嬢は言う。

 お得かもしれない? いやいや、それはない。ない、と言い切ろう。なにしろ、豆は倍になっても全てお濠に落ちてしまうのだから、鯉かアヒルの餌になるのが関の山である。

 それでも千春嬢は面白がって時々石へと投げて遊んでいたのだが。

 ……やはり、怒られた。

 誰にかといえば、お濠のある城の、公園の管理を請け負っている会社にだ。お濠が汚れるので、ダメなのだそうだ。

 解せない。増えた豆をお濠へ落とすのは千春嬢ではなく石であるし、鯉かアヒルが食べてしまうなら別に害もないので、よいような気がするのだが。

 千春嬢も、同じように思ったらしい。

 結局のところ、彼女は今でもこっそりと炒り豆を投げて遊んでいる。

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