義猫塚

沢田和早

義猫塚

 北陸の浄土宗法千寺の墓地には「義猫塚」と刻まれた石碑が立っている。


 昔、殿様がこの地を治めていた頃、本堂の屋根裏に大鼠が住み着いて住職を困らせていた。寺にいた猫は己一匹ではとても敵わぬと、能登から助っ人の猫を呼び寄せた。二匹は勇んで天井裏に入り込み大鼠を退治したが命を失ってしまった。その二匹の猫を供養するために「義猫塚」は建てられた……寺に伝わる「怪鼠之伝話」には塚の由来がこのように語られている。


 ところでこの話には続きがある。命を落とした猫には子がいたのだ。

 妙に人見知りをする猫で住職が餌をやろうとしても見向きもしない。しかし近所に住む農家の娘には懐いたので、娘が育てることになった。


 半年もせぬうちに子猫は大きくなった。図体が大きい割には気が小さい。風が強く吹いただけで、


「みゃっ、みゃっ」


 と鳴いて怯える。雀が近寄るだけで怖がって娘の懐に逃げ込む。無論、鼠を捕らえる芸当などできようはずがない。


「大鼠を退治した親猫の子とは思えぬ意気地の無さじゃ。鼠を取らぬ猫など何の役にも立たぬ」


 誰もが猫を馬鹿にしたが、娘だけはいつも懐に猫を抱いて可愛がっていた。


 ある日、娘の元へ一人の男が訪ねてきた。飼っている猫を見せて欲しいと言う。言われるままに猫を渡すと、男は猫の腹を撫でたり摘んだり伸ばしたりと、腹の皮ばかりを吟味している。やがて、


「これは良い皮だ。是非譲ってくれ」


 と言い出した。男は三味線職人で胴に貼る猫の皮を探していたのだ。


「この猫の腹の皮は薄い割には丈夫で弾力がある。しかも厚みが均一ではなくその差が大きい。この皮を使えば破れにくく鈴のように軽やかな音の三味線が作れよう」


 男は相場の二倍の金額を提示した。娘は断った。その猫は娘にとって家族同然、売り渡すことなどできようはずがなかった。


 しかし娘の両親にとってはまたとない話だった。ここ数年不作が続き、米の値が上がって暮らしに困っていたからだ。このままでは娘を身売りに出すしかない、そんな話さえ持ち上がっているほどだった。


 三味線職人の男は数日おきにやって来ては、猫を売るよう頼み続けた。


「にゃっ、にゃっ」

「大丈夫、おまえを手放したりはしないよ」


 猫は男を見るたびに怯えて鳴いた。娘は優しく頭を撫でて慰めた。その笑顔は陰りを帯びていた。満足に食べられない日が何日も続いていたのだ。

 それでも娘は自分の食べ物を猫に与えた。娘から与えられる優しさを猫は辛いくらいに感じ取っていた。


 そんな日が幾度なく続いたある日、男が姿を現わすと猫はいきなり物置小屋の屋根に駆け登った。


「これ、どうしたの。下りて来なさい」


 怖がりの猫が屋根に登るのは初めてだった。驚いた娘が呼んでも下りてこない。ただ娘と三味線職人の男を見詰めているだけだ。


「にゃっ、にゃっ」


 甘えるような、それでいて覚悟を決めたような鳴き声をあげると、猫は屋根から飛び降りた。我が身をかばおうともせず頭を地に打ち付けて絶命した。


「おまえ……なんてことを」


 娘はすぐ悟った。猫は自ら死を選んだのだ。大好きな娘を身売りさせないために、自分の体を三味線の皮として差し出したのだ。


「鼠は捕れずとも親猫の義理堅さだけは受け継いでおったか」


 猫は男の元に引き取られ三味線の皮になった。見立て通り、大変良い音色を奏でる三味線に仕上がった。奏でる芸妓も聞き入る遊郭の客も、その三味線の音色に魅了された。三味線目当てで通って来る客もいたほどだ。


 しかしそれは長く続かなかった。「風の強い夜は三味線から猫の鳴き声が聞こえる」そんな噂が遊郭に広がり始めたからだ。実際、三味線と同じ座敷で一晩を過ごした芸妓は、


「強い風が紅殻格子をカタカタ言わせた思うておりましたら、三味線が『にゃっ、にゃっ』とひとりでに鳴きだしましたのです」


 と言って二度と三味線を弾こうとしなかった。他の芸妓も気味悪がって三味線を弾こうとしない。そこで三味線は別の遊郭へ売られていったが、そこでも同じことだった。


 三味線は長い年月を経て様々な人の手を渡り、やがて京の都へたどり着いた。

「強風の夜、猫の鳴き声がする」という話は、とある寺の高僧の耳にまで届いた。


「はて、どのような因縁が宿っておるものか」


 高僧は三味線の由縁を調べた。やがて法千寺の住職から、大鼠を退治した義猫の子と、それを引き取った娘の話を教えられた。


「ならば娘に返すのが一番」


 三味線は法千寺へ送り返された。しかし娘の手元には届かなかった。半年前、娘は流行り病でこの世を去っていた。

 三味線になってまでも娘を慕って鳴き続けた猫を憐れに思った法千寺の住職は、三味線を立派な箱に入れ、娘の墓の横に埋葬した。それ以来、強風の夜に三味線が鳴くことはなくなったという。

 ただ、樹木を揺らすような大風が吹く夜に墓石の前を通ると、


「にゃっ、にゃっ」


 という鳴き声が聞こえることもあったと伝えられている。


 墓は数年後に起きた大火によって消失してしまった。猫と娘をしのは、今はもう何も残っていない。


 この話を聞かされてしばらく後、私は法千寺を訪れた。

 法千寺の義猫塚は歴代住職の墓石の横に立っていた。石碑の右横に刻まれた「義猫塚」の文字は長い年月を経て風化しかかっている。

 不意に強い風が吹いた。私の耳に甘えるような物悲しい声が聞こえてきた。それは我が身を犠牲にして娘を守ろうとした、意気地のない、それでも義理堅く、心優しい猫の鳴き声のように思われた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

義猫塚 沢田和早 @123456789

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ