希死念慮

卯月 翠無

短編小説 「希死念慮」

希死念慮




 この世から消えればどうなるのかと気になっておりました。

 気になって気になって仕方が有りませんでした。

 死に値する不幸せが続いておりました。

 然し、私は今日も明日も生きて仕舞うのでした。



 私は幼き頃から言って仕舞えば「情に厚い」人間だったのです。差程裕福でもなく、否、貧乏人でもなく、ただの一般市民でありました。

 母は若かりし頃から運動能力に優れており、父もまた学問の神に恵まれた人で、

 私の兄はどうも芸術の才能があり、芸術の教論からは好かれておったのです。

 そんな家庭で育ったものの、私には此れという特技も才能もなく、平凡に特化した、まるで只の少女であるのです。

 私は自我の欲にも飽き、只自分の生を成す何かを探しているようなそんな人間でありますことを自分で判ってしまったのです。

 然りとて、愛に飢えていた私は幼き頃から人の目を気にする様になり、

 人の目を気にし、自己を操り、まるで虫螻が求愛をしている様にアピールを繰り返してばかりである。

 自分では自己を操り演技をしていることなど承知の上でありますので、当然、恥というものを感じさせました。

 恥を知って、恥の多いことばかりを尽くしても尚、肉親は私を見て呉れはしなかったのです。




 何年かした後に私は小学生の四、五年時(高学年と言ったところか)に成る。

 小学校というものは「何故六年も有るのか」といった其れはもう、其の年子の者なら誰でも一度は考えることであろうことを考えながら学問を学んでおった。

 私の姓は森野であるので、出席番号は大体二十前半。

 前にも後ろにも人が座っているというのは、四、五年もおり、そこからまた一、二年、中高の三年を二つ送る、計七、八回も経験するとなると、矢張り苦しいばかりである。

 一つ後ろの席の女児が私に「貴方は何時も笑わぬのね。一つ笑う位誰も咎めは出来なんのに。」というので、私は「私には笑うという行為が何を成すのか理解出来ぬ。笑う事によって私の何かが変わるのか。」と問えば彼女はもう、一声も掛けることはなかった。

 明くる日、彼女は私についての妙な噂を流していると聞き、悪友に「出席番号が私の後ろの彼女は何を企んでおるのだろう。」と聞けば「知らぬべき事は、知らぬままで居ろ。知れば貴様は生を無くすだろう」と言うのだ。

 私がいつそんな話をしたか。否、私は誰にも、私は死を望んでおります等と言ってはおらぬ。

 悪友の勘とやらなのかは此の私先何年生きようとて、一生判らぬだろう。

 然し、知れば生を無くすだろう。とは、飛んだ発想だ。私は別に他者にどう思われようと生を無くすまい。

 そう思ったのも小二時間。彼の言う通りに私は成って仕舞ったのである。

 奈落の底、否、違う。嗚呼そうだ、私はもっと暗い場所、其処は言い表し難いそんな真っ暗のまるで鴉の目の引き込まれるあの目のような色の場所に堕ちたのだろう。

 家に帰れど私の何時もと一変した素振りを気にも留めず、兄、祐作に全てを尽くす父母に絶望した。

 そうです、私は要らぬようだ。

 ならば此処で死すも良し。そう思えば身体はこれから訪れるであろう死を喜び、歓喜した。

 鋭利なナイフを左手首に当てれば其処には生きている証ともなるであろう赤い熟れた林檎のような鮮やかな血が伝う。

 だが、まだ死ぬのは早い気がしてこの辺に止めてしまった。

 後日談だが、その後私の部屋からは血生臭い臭いが溢れ返り、忽ち私の意識を途絶えさせ発見された時は父母顔面漂白であった。



 そんな話からもう、何年か経ち、小学六年の頃。

 今まで十一年生きてきた中で、自殺未遂と呼ばれるものを計七回はしてきた。

 然し、この年、私を大きく変えてしまう。

 その年の担任は、恒川といった、小太りな丸い中年の男であった。

 私は昨年学校に配属された若い細身の女が担任ならばと願っていたものの、惜しくもこの男が今年からお世話になる人であった。

 六年になって直ぐの頃、同じくして自殺願望がある友人の母様から学校に電話があったらしい。

 どうやら息子が死を望むして、手首を削ぎ落とそうと一心に鋭利なナイフで斬っていることを知って仕舞ったらしい。

 其の友人のみが知られれば何の問題も無かったのだが、如何せん、私まで暴かれてしまっては仕方無い。各々呼び出される隣室に私も吸い込まれてしまった。

 小太りな男、恒川がそこには居り、どっかりと、教論の座るふかふかの椅子では無く、生徒が座る木で造られた椅子に座っている。

 私もそこには躊躇なく向き合う形で座ることにしたが、これからされる質問など、私には判りきっておったので、ここは一つ覚えた嘘泣きとやらで場を切り抜けようと思ったのだ。

 然し次に恒川の口から漏れた言葉は予想外にも体調を伺う言葉であった。そこに少々の焦りを滲ませながらも私は「お陰様で、私は今日も変わりなく居られます。」と言えばその見透かしたような私の大嫌いな目で私を見る。

 見られるだけならいいのだが、次に何を聞かれるか判っているだろうな。というような事が目から伝わってきてどうも目のやり場に困ってしまっていた時のこと。恒川は「森野君。君の左手首を見せ給え。」そういう彼に私は怖ず怖ずと左手首を彼に差し出す。すると、彼からその手首を撫で回された。「君の痛みは私には判らぬ。どうかひとつばかりでも良い。良いから、私に話しては呉れぬかね。」そういった恒川の顔は一回り大きくなった今でも消え忘れることは無く、私の脳裏に焼き付いています。

 私に変な顔をして聞く彼に平然を装いながら「私にも判らぬのです。愛に飢えた末路がこれであります。私は女に妙な噂を流されておりました。其の内容を知るべく悪友に尋ねると困った顔をしながら知ると死ぬと言われたのです。その通り私は知った途端喪失感と虚しさで心が死に、挙句の果て親からの愛すらも貰えないことに悲痛な思いをしておりました。」嗚呼きっと何も言い返せぬだろうな。薄い薄情な言葉を並べるのだな。さあその口から早く言いたいことを言えば良い。そう思っていたのに、恒川は泣き出した。そんなこと誰が予想できるであろうか。否、予想なんて出来るはずもない。掠れた声で恒川は「死ぬでない。森野君、君は誰よりも情に厚い男だ。そして愛に飢えていた君は愛に飢える人の気持ちを一番理解し共に嘆き苦しむことができるであろう。だのに、こんな所で君が倒れてどうする。優しく厳しく愛のある人間に成りなさい。弱者に手を差し伸べられる弱者になりなさい。」こんな様な事を言った。弱者に手を差し伸べられる弱者とは。聞いておいて納得こそしなかったものの、その言葉は私の懐にすとんと落ちていくのである。どうも彼の言葉に魅せられた様であった。

 それだけ聞いて去ろうとした私に釘を刺す様に彼はもう一度私に言いました。その言葉もまた私の懐に落ちるには十分すぎる発言でありました。



「人を救いなさい。さうすれば、君は自分も救うことが出来るはずである。」



 春が過ぎ秋の頃、私は先生の一生の約束と足枷を忘れることは無く、今日とて死にそびれながら生きていたのである。

 他者からすれば只の教論との約束等と、捨ててしまえば良い。足枷ならば鎖を引きちぎってしまえばいい。そう思うだろうが、私はこの約束を果たさねばとばかり思うようになってしまったのです。其れは生まれて初めて人間から貰った愛なのですから。喉から手が出る程に恋焦がれ欲していた愛そのものなのですから。如何なる命令とて私に「必要とされて居る」と思わせた彼に従わざるを得なかったのであります。

 傍から見れば異様な様で、矢張り私は友だった人から忌み嫌われました。

 人とは考え方も捉え方も行動も欲しいものも私は可笑しいのだろうか。であれば、私は脳の味噌が実は腐っていて、明日にでも処分されなければならぬ身なのか。

 然し私を洗脳した当本人恒川は、私を必要とし、また愛してもくれおるようです。

 ですから、私は信ずることを辞めました。



 時は流れその日から三度目の冬のこと。

 彼は務めていた私の母校である小学校を移動するようでした。私は感謝を記した手紙と共に駆けつけると其処には離任式を終えて間もない恒川がいる。寄りて、手紙を渡すなり私は、らしくもなく、彼に縋り付き号泣しておりました。

 可笑しい。こんな筈では無かったのだが、こうなってしまった私を止める術を知らぬ為か、彼はただただその大きな掌で私の焦げた茶色の頭を撫でた。

 去り際に「また何処かで。あの約束は忘れてはいけないよ。君には生きる資格があるのだから。」と、最後まで私に生きる資格を植えていきました。

 それが芽を出す頃には害虫に葉を食い尽くされやがてまた同じ過ちを繰り返すことを知っていただろうに。



 あれから幾年の歳を重ね、私はあの小さな幼い少女では無くなり、人の目を気にし、機嫌を取り、愛のためになら如何なることも。という思想は矢張り消えることはありませんでした。

 然し、約束を破ってしまったのは何刻か前の話であります。

 突如、心に出来た歪な形の空白は、私では抑えることが出来ず、死へ行こうとばかりする廃人になりました。

 何時でも何処でも常日頃からまた考えてしまうことは死のことばかりであります。

 この頃の私は意味もなく只死んでみたいと、まるで新しい玩具を見つけた小さな子供のようにそう思っておりました。

 毎日のように夜、私の部屋に増えるのは熟れたりんごのように赤い血痕。朝最初に口にするのは大量の合法薬剤。昼に入った食べ物所では首を吊るには良い高さの柱を見て歓喜に身を震わせる。

 手首をナイフで斬った後に水につけると死ぬ事が出来るという、簡単な自殺方法を聞いたことがあったので、試して見たが、意識が混濁した後に救急車に運ばれ一歩進めば死ねたところ救われてしまった。

 そんな事を繰り返しておれば矢張り世間様からの目は届いてしまうようで、殴られ罵倒されが続きました。

 嗚呼何の為に生きていたのだっけ。

 如何して死を願うのだっけ。

 如何して死を喜ぶのだっけ。

 如何して死を愛するのだっけ。

 教えてくれまいか、神よ。

 そう思えば「神は居ぬ。貴様に愛などやっておらぬ。」と聞こえた後

 私は生死を恐れぬ怪物と成り果てました。



 希死念慮。



 私は何故死を願うのか。

 その理由など何処にも有りはせぬのに。

 飽きもせず、その答えを探しております。

 莫迦げたことでありますか。

 然し、生きる価値など有らぬこの身に

 何時ぞやの一つの約束事さえ守ることが

 出来ぬこの阿呆な男をお許しください。

 私は誰かを救えましたか。

 そうですか。

 それならばもう結構でございます。

 私は明日の光とも呼べぬ何かに

 縋り付いておりました。

 本当に阿呆でございます。

 愛に飢えた人々へ

 私は貴方達が可哀想だとは思いませぬ。

 故に、自分を侮辱するのは御辞めください。

 自身への侮辱は軈て自身の身を滅ぼします。

 貴方の世界は他者の意見だけで成り立つほどに

 くだらないものではありませぬ。

 そんな世界ならいっそ壊してしまえ。

 自分を愛してこそ初めて愛に飢えた心は

 癒され、

 生きる価値のある切符を下さるのだ。

 神は私を愛してこそいなかったが

 貴方を愛しています

 私を愛さなかったのは、私が神だからでありました

 ですから、貴方を愛しております。


「どうか、その足枷を外し、一生の約束事など無視して、自由奔放な生き様を

 亡き私に見せておくれ。」





 そう言って彼、森野 実蔵は山の奥で腹を斬り自害したそうだ。享年二十一。

 彼は不仕合せな中に確かな幸福と仕合せを感じながら、刃渡り数十糎の鋭利な刃物で腹を掻き斬った。

 彼の最期を見届けた者はおらず、遺体が発見されたのはその二日後であった。

 腐敗した彼の胃から見つかったものは、ドロドロに溶けた二十三錠の錠剤、近くで捕まえた蛙、三本の骨。

 その骨は彼の指でありました。彼は死ぬ前に自分の指を喰い千切り、腹を満たして死んで逝きました。

 そして手には消えぬようにと愛した父母と兄の名を刃渡り数糎のナイフで刻んでおりました。

 先刻、二十三錠の錠剤と言いましたが、彼が死ぬまでに未遂をした回数だそうだ。

 今は墓に眠り、眠る。

 未だ希死念慮に駆られながら。

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