第25話二人は講話条約

「実は雄三はとっくに死んでいマス」


雄三は自分の足を見下ろした。黒ぐろとした臑毛が湿って、海藻のようにへたっていた。


「足あるよ、俺」


「死んでいるという事を仮定にして話を進めさせて下サイ。ややこしくてスミマセン」


メリッサは背を丸め小さくなる。雄三は死亡宣告を一端受け入れることにした。


「私の正体を初対面の時に教えたと思いますが、覚えてマスか?」


「たしか、デュラハン、だっけ」


「はい。デュラハンは、アイルランドに伝わる妖精の事デス。デュラハンは、死を予兆する力がありマス」


雄三の体に震えが起こる。海に浸かったせいだけではなかった。未知のものに対する恐怖だ。 


「私は爆発に巻き込まれて五体がバラバラになりました。通常なら生命を維持するのは困難な状態デス。それでも生きていマス。デュラハンのおかげで」


「わかった! 死を予兆して爆発を回避した」


メリッサはゆっくりと頭を振った。


「爆発した時はまだその力に目覚めていません。私を生かしたのは財団デス」


財団はタイムトラベルを駆使し、神話の収集と解析を行っていた事がある。事象として歴史に刻まれる神話は強力な因果を持っている。神話を人間に降ろした場合どうなるかという実験を行っていたらしい。


「降霊術の一種ですが、私はデュラハンの歴史に選ばれ、適合することで生き残る事ができたのデス」


メリッサは首筋を撫でた。喉からけいついにかけてうっすら傷跡が残っている。


「狐つきみたいなものか……」


精神錯乱の一種である狐つきは、神に近いものとされた時期もある。科学的な根拠はないため、その説は現在では否定されている。


「はい。よくわかりマスね。初めは動物を降ろすことから始めたそうデス。あまりに高位な神霊を呼び出すことにはまだ成功していません」


メリッサは段階的な人体実験の成果を認めた。


人間に狐を降ろしたということがどういう意味を持つのか正確には理解できなくとも、現にメリッサという被験者がいるため、納得するしかない。


「私は命を拾われた代償に、デュラハンの力を得てしまったのデス。これまで多くの死に近い人間を視てきまシタ。今回、私が提督に連れてこられたのは、その実験データを取ることも含まれマス」


分母が多くなることで、計測の精度が上昇するという。死にかけた人間を変質させ、利用しようとする財団に雄三は憤りを覚える。


「私は財団を恨んではいまセン。選択肢はなかったし、提督は私を養女にしてくれて、大学にも行かせてくれまシタ。これ以上、何を望む事がありまショウか」


諦めと、感謝がないまぜになった複雑な機微。


メリッサはアンネに敬意を抱き、信頼関係を築いていたに違いない。その期待を裏切ったことを悔いている事も痛いほど伝わってきた。


「メリッサは、俺が死ぬと思ったのか」


ためらいがちに、メリッサは頷く。雄三は波打ち際を見つめた。


「私の”死兆の眼”は、死に近い生物を見分けマス。あくまで見分けるだけ、干渉したりはできまセン。あの日、初めて汽車で出会った雄三はもう死んでいまシタ」


雄三にはそれがわからない。メリッサと自分が考える時間にズレがあるのかもしれない。段々頭痛がしてきた。


「でも俺は死んでない。メリッサはどういうことだと思う?」


「いくつか仮説がありマス。私の眼が誤作動を起こしている。これは残念ながら正誤が判定できまセン。何故なら死兆の眼は一度補足した対象が死なない限り別の対象を見つける事ができないから。


二つ目は、雄三が既に死んでいて、私のような半神的存在になっている。心当たりがありマスか?」


「いや……、今まで病気一つしたことねえよ」


「では最後の可能性。財団の計画に狂いが生じ、未来が変わった」


財団がこの世界に乗り込んでくるに当たって、非常に綿密なタイムテーブルを作成している。それこそ何百年単位に渡る遠大な計画が用意されていた。メリッサが、汽車に乗り、その後雄三と合流した事で狂いが生じた可能性がある。


「本来、私はこうして雄三と話しているはずがないのデス。提督が雄三と将棋を指したのも、ごにょごにょしたのも」


雄三は慌ててメリッサの口を封じた。


「もうそれはいいから。じゃあメリッサが逃亡兵になってるのは俺のせいか」


「雄三と出会ったのは偶然ですが、私が自分で望んでいたことでもありマス。財団に背信したのは自分の意志デス。脱走する意志を持って汽車に乗りまシタ」


メリッサが自分で切符を買った時、どんな心境だったのだろう。敷かれたレールから逃れるために別のレールに乗る。行き先もわからず、言葉もおぼつかないのにどれほど不安だっただろう。


メリッサはあくまで自己責任を強調する。雄三に重荷を背負わせないようにするためだ。


「どうしてアンネはメリッサを無理に連れ戻さなかったんだろう」


アンネはメリッサの行動は仕方がないと諦めていた。アンネにとっては養女にして大事な被験者を簡単に手放すだろうかという疑問が残る。


「神話は強大な因果を含んでいマス。それに逆らえば、歴史に歪みが生じる可能性が出てくるのデス。財団はそれを恐れているのでショウ」


メリッサの死兆の眼が発動している間は、無理に動かせないということだろうか。禁忌を破れば罰が下る。


死んでいるのに死んでいない雄三に捕まったのが財団の運の尽き。メリッサにとっては行幸だったのかもしれない。


「でもさ、俺が死なないことでどうして未来は変わるの?」


「変わってるじゃないデスか。既に」


雄三からしたら、死んだと言われて良い気分はしないし、これといって何も変わらない。


「財団はこの国から撤退するでショウ。他国に関しても同じデス。歯車が欠けてしまいまシタから」


精密機械にとってははわずかな狂いが命取りになる。蟻の一穴になった雄三は実感もなく呆然とするしかなかった。


メリッサの手が雄三の手を持ち上げる。まるで宝物のように、大切そうに。


「雄三が長く生きれば生きるほど、財団の計画は破綻しマス。頑張って下サイ」


「メリッサのために?」


雄三の厳しい問いに、メリッサは怯まなかった。しっかり目を合わせてくる。


「それもありマス。これから財団の人形で生きるよりは、未知の世界に飛び込んでみたいという気持ち。勝手でショウか」


「いや」


「私のいた世界では戦火が絶えませんでシタ。同じ民族でもいがみ合い、殺し合う。たとえ私の知る世界でなくても、もうそういう世界は視たくない」


震えるメリッサの手を雄三は両手で包み込む。


「わかったよ。俺が生きてればいいんだろ。それで戦争はなくなるんならお安いご用だ」


「それも、保証できません。あくまで財団の計画から外れるだけデスから。もっとひどくなる可能性もありマス。私と地獄に落ちる覚悟がありマスか?」


かつてアンネの語った希望のない日本の未来、あるいは平和のためではあっても手を汚さなければいけない世界。


そのどちらでもない道を選べるのなら、雄三に異存はない。いつか死ぬとしても、自分の命を何かに役立てたいとは思っていた。それが死んだ兄たちへの手向けになる。


「雄三、今ここで講和条約を結びまショウ。死が二人をわかつまでの平和への祈りを」




帰りの汽車にどっと人がなだれ込む。メリッサは運良く座る事ができたが、雄三は乗客にもみくちゃにされた。そのまま汽車は動き出した。


メリッサは目を閉じ、膝の上に荷物を載せている。敬虔な修道女が巡礼の旅の途上にいるような姿だ。誰も声をかけようとしなかった。


死が二人を分かつまで。


雄三がもし、本当に死んだらメリッサはどうするつもりなのか気になった。財団に戻るのか。それとも一人で生きていくのか。いずれにしろ困難な道のりだ。


(俺は死なない。メリッサを一人にするもんか)


雄三は決意を新たにして、財団との戦いに備えた。それと同時にメリッサを意識してしまい、顔を背けた。崇高な意志を持つメリッサに、邪な感情を向けるのは筋違いだと思ったのだ。


雄三が気を張っていると、後ろの乗客が不審な動きをし始めた。スリか、痴漢か。雄三は男だから恐らく前者だろう。メリッサがいるため騒ぎになるのは避けたい。雄三は不埒者を制止するため首だけで振り返った。


「……!?」


雄三は絶句し、首を元に戻した。すぐにメリッサを大声で呼ぶ。


「メリッサ! すまん、腹が痛い。次の駅で降りる。先帰っててくれ」


メリッサは目を閉じたままそっぽを向いた。他人の振りで通したいのだろう。


宣言通り次の駅で降りた。駅と言っても小さい駅舎だけの無人駅だ。


「この駅に便所はないぞ。ぬかったな」


雄三の背後にハンチング帽を被った細身の男がいた。彼と雄三以外降りた乗客はいない。


汽車が見えなくなると、雄三は男を親の敵のような目でにらんだ。

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