第21話 警告

玄関を出てすぐ、雄三は立ち止まった。


昨夜の雨が嘘だったかのように、目の覚めるような青空が頭上にそびえていた。


ぬかるみをよけて進み、草をかきわけるとそこにメリッサがいた。地蔵の脇にしゃがみこんでいる。思いの外すぐに見つかり安堵したが、昨日の出来事が脳裏をよぎる。


メリッサは疑われて傷ついているのだろうか。もう関わらない方が彼女のためではないのか。そう思いたいのは自分が傷つきたくないからだ。雄三は身を乗り出した。


雨は既に止んだというのに、メリッサは傘をさしたままであった。メリッサが出ていったのは、雨が降る直前だった。明が手を回したか、メリッサはこっそり宿に戻ってきたのだろう。


息をしているのか心配になるくらい、メリッサのたたずまいは静かだった。


「雨、止んでんぞ」


雄三が呼びかけるも、石像のようにメリッサは動かない。


雄三は乱暴に傘を取り上げた。メリッサの充血した片目が、雄三を睨んだ。


「提督が来たんデスね」


「ああ、今頃ガキどもと飯食ってるんじゃないか」


メリッサはアンネを警戒している。それが原因で帰りたがらないのだとしたら、雄三も油断できない。


「私は脱走兵デス」


雄三は傘を畳んでメリッサの隣に座った。岩は湿っていて、冷たかった。


「脱走デス」


「仕事じゃなかったのか」


「逃げてるなんて言ったら、恥ずかしいじゃないデスか」


メリッサははにかんだ。雄三もつられるように笑った。仕事で来たにしてはメリッサは軽装だったし、疑問が次々と氷解していった。


「財団の事は聞きましたカ?」


「うん」


アンネはメリッサが雄三に同情を寄せていると唾棄したが、それだけではないような気がしていた。逃げているとと聞き、その確信は深められた。


「私は疑問でシタ。財団は、この世界を蟻の巣箱のように捉えていマス。あくまで実験観察の対象に過ぎまセン。たとえ、実験が成功しようが失敗しようが、何の補償もし

しないのデス。なんたる傲慢。私は雄三や、明さん達に申し訳ないデス」


雄三は力説するメリッサの前髪をかき分けた。


「何デス」


「いや、なんかお前の顔見るとほっとする」


メリッサは怒っていいのか呆れていいのかわからず、雄三を見つめた。


「雄三はのんきでいいデスね」


「楽観的じゃなきゃ将棋は指せねえ」


メリッサは雄三の手に触れ、哀惜を浮かべた。


「雄三、私を提督の所に連れていって下サイ」


「でもお前、戻りたくないんだろ?」


「さっきはああ言いまシタけど、私も財団の端くれ。逃げ回るのはやめにしマス」


自分の責任に向き合あおうとするメリッサを押しとどめる権利は雄三にはない。自分の境遇からして強く勧めることもできないのだが。


「ま、どうしても嫌だったら、俺がアンネと話してやるよ」


「雄三じゃ、提督の足下にも及びまセン。あの人の恐ろしさは常軌を逸していマス」


メリッサの手が震えている。それだけでメリッサのアンネに対する畏怖心が伺えた。


雄三もアンネの恐ろしさの片鱗を味わった直後だったので、同意できた。


急にメリッサが立ち上がり、雄三の背後に目をやった。雄三も何事かと同じ方角を見渡したが、枯れかかった草が生い茂っているだけである。


「どうかしたか?」


「いえ、足音が……、気のせいだったみたいデス……」


知覚が優れているメリッサらしくない誤認だ。アンネの影に怯えているかもしれない。雄三は自分が盾になるしかないと決意した。


「メリッサは、俺が守るから」


メリッサは早足で、宿への道を急いだ。置きざりに去れた雄三はやや肩すかしを食らって、その後を追った。また自分のやる気が空回りしていると思ったのである。




宿に帰ってくると、アンネと子供達が二階の広間で朝食を取っていた。


膳に乗っていたのは、たくわんと、わずかな米だけだったが、子供たちはなめるような茶碗にかじりついていた。


雄三も明も彼らに腹一杯食べさせたかったが、自分たちの分を確保するのも大変な状況である。歯がゆい思いで茶碗と箸のこすれる音を聞いていた。


「雄三、お茶を配って下サイ」


メリッサに薬缶を手渡され、雄三は子供たちの膳を回った。一連の流れの中で、アンネの膳にも寄る事になる。できるだけ顔を見ないようにお茶を注いだ。やっとお茶が注ぎ終わった時は心底ほっとした。


手をひっこめようとした瞬間、アンネの手が伸びてきて軽くひっかいてきた。心臓が凍る。


「ありがとう。ねえ、これからお時間あるかしら?」


小声で訊ねられ、雄三は頷いた。アンネは二人だけの秘密を作りたがる。雄三にはそれが恐ろしい。


言質を得たアンネが活気づく。手を叩いて子供たちに呼びかけた。


「みんなー、このお兄さん将棋強いから教えてもらいなさい。勉強になるわよ」


こうして雄三は一日中子供たちのお守りさせられることになった。アンネとメリッサが話し合うための時間を作るための仕事だと気づいたのはだいぶ後だった。


子供たちの大半は駒も見たことがない初心者だったが、中にはアマ高段者レベルの子も混じっており、雄三を苦しめた。アンネに直接教えを受けているのだろう。雄三は彼らが羨ましかった。


日が暮れて解放される頃には、頭も体も疲れきり、起き上がれなかった。


足音がしたので、首を動かして目を凝らす。薄暗くて人相は掴めなかったが、メリッサであることだけは間違いなかった。他の女性陣に比べてメリッサは長身なため、柱との相対性で見分けることができたのだ。


「よお、アンネと話は済んだのか?」


メリッサは答えない。影を帯びてじっと佇んでいる。


「まだこっちに残るのか?」


頷く気配があったが、判然としない。雄三は焦れったくなり立ち上がったが、足がもつれた。一日中座っていたので痺れが残っていたのだ。


メリッサを壁に挟むような格好になった。奇しくも出会った時と同じ状況だった。


「わりい……」


雄三が詫びるとメリッサは顔を背けていた。嫌がっていると思い、体を離した。


「まだこっちにいマス」


「そっかー、良かった」


雄三はほっとしてずるずると座り込んでしまった。メリッサがいなくなったら、ここにいる理由がなくなってしまうと思った。


「雄三はいつまでいマスか」


急かすように訊ねられ、雄三は困ってしまう。そもそも軍人がこの宿を指定したのは何故か。単なる偶然なのかそれとも理由があるのか。明の手前、働くと言ってしまったし、今更反故にするわけにもいかない。


「しばらく真面目に働くよ。こっちで場所借りて将棋教室でも開くのもありかもな」


冗談めかすと、メリッサは笑わず確認を取る。


「本当に、それでいいデスか?」


いいも何も、雄三には選択肢がないのだ。行き当たりばったりの人生は未来人には不評のようである。


「うーん……、そうだな。今、俺の人生そう悪くないって思えるよ。メリッサに出会えたし、アンネみたいな強い奴と将棋も指せたんだから」


アンネの名前を出した途端、メリッサは拳を固めた。


「雄三は提督と一晩中一緒にいたんデスヨね」


「あ、ああ……」


メリッサを前にすると後ろめたい気分にさせられる。アンネとは将棋を指していただけだ。やましいことは何もないのだが。


「私には真面目に教えてくれなかったのに」


「それは誤解だ。確かに眠かったけど、ちゃんとやったつもりだ。もしメリッサが望むならまたやってもいい」


「もう結構デス。雄三は提督と仲良くしてるといいデス」


メリッサはムキになって断ると、雄三を押し退けるようにして部屋を出ていった。


メリッサの機嫌が直らない。雄三は狼狽えた。



その夜、アンネが明に仏壇がある部屋はどこかと訊ねた。


線香を上げさせて欲しいという申し出を、明は受け入れ案内した。


仏壇の前で手を合わせるアンネを、明は複雑そうに見守る。


明にとってはアンネも夫の敵の一人かもしれない。雄三は明がいつ爆発するかと気が気でなかった。


「変だね」


「何がです」


明が発したのは怒りではなく、純粋な疑問であった。


「あたし、あのアンネって子に会ってる気がする。それもだいぶ前に。そんなのありうるはずないのにね」


アンネの言動は大人びているが、十代前半の容姿である。あるいは、メリッサと同じように特殊な方法で容姿を保っているのかもしれなかった。


「明が見たのは、違う世界の私かもしれないわね」


線香を上げ終えた三人はお茶を飲みながら談話した。


「明の両親は財団の協力者だったのよ」


「そんな……」


明は絶句した。憎悪の対象が意外なほど近くにいたのだ。衝撃を受けるのは当然だ。


「だっておかしいでしょう。この辺り一帯は火事で焼けてしまったのに、明の家だけはきれいに残ってる」


「それは財団が火をつけたってことか」


雄三は詰問するような口調になっていた。アンネならやりかねないと内心疑ってしまう。


そんな雄三をアンネは窘める。


「ママを疑うのはよくないわ、雄三。私たちはそんな無粋な真似はしない。明の家は選ばれたのよ、運命によって」


「ふざけるのはたいがいにおしよ。うちは、日本を裏切っていたことになるのかい」


「もっと視野を広く持たなくては駄目よ、明。あなたの両親は平和への祈りを持っていた。私たちはそれに応えただけ。むしろ誇りに思うべきだわ」


明は議論についていけずに出ていってしまった。アンネとまともに話そうとすると誰でもああなる。アンネは雄三たちが理解の及ばない全く別の視点を持ち出し、それを強制させようとするのだ。話はいつも平行線に終わる。


「財団は戦前から日本に来てたのか」


「そうね、雄三が赤ちゃんの頃よりもっとずっと昔から」


「じゃあ今回の戦争も財団の計画のうちだったっててこともありうるよな。一体いつから財団は」


熱くなった雄三の首にアンネは腕を回す。そして、ぞっとするようなやさしい声で警告した。


「雄三、それ以上探らない方がいいわ。ママをあまり困らせないで」

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