第1話 『僕』と春虎

今日は念願の『この姿』での高校生デビュー当日。入学式だ。

県外から引っ越してきた『僕』は、今日の為に髪をバッサリ切り、言葉遣いの研究、練習もみっちりした。

僕の家から学校へは、まず最寄駅まで歩いて5分、電車で20分、そして駅から学校まではバスは出ておらず、徒歩30分という結構ハードな道のりだ。

栃木の田舎から越してきたが、この学校も相当田舎にある。


いざ学校に着くと、自分はちゃんと普通に見えているだろうか。皆からはどう思われるだろうか…。3年間この秘密を隠し通す事はできるだろうか…。

とにかく不安が押し寄せてくる。

とりあえず、当面は大人しく、目立たず過ごそうと決めていた。


入学式を緊張しながら終え、生徒達はこれから通う事になるクラスに案内された。1年生の僕のクラスは2階で、窓際の1番後ろの席だった。

席に着くと、隣りの席の女子と目が合い笑いかけられた。黒髪のストレートで育ちの良さそうな美人だ。

「よろしくね」

そう言われ、咄嗟に僕も小さい声で「よろしく」と返し、視線を窓の外にやる。

さすがに今の返しは無愛想過ぎたかもしれない。まだこの姿に慣れていない僕は、返事1つにも苦労させられることを思い知らされた。

たった1回のやりとりにモヤモヤ考え事をしているうちに、ふと前の席に目をやった。


空席だ。


「前の席の人、どうしたんだろうね? トイレかな?」

隣りの席の女子がまた僕に話しかけてきた。一瞬ドキッとしたが、平静を装い、今度は愛想良く、

「どーしたんだろね」

と返した。すると彼女は、優しく笑いながら自己紹介をしてきた。

「私、河井 愛。君は?」

「俺は山乃 ◯◯◯、よろしく」

「よろしくねー」

河井は物腰が柔らかく、初対面でも話しやすかった。

その後、河井と僕は何気ないやりとりを交わしていると、担任の教師が教室入ってきた。

結局、僕の前の席は空席のままだった。


先生の話が終わると、クラス全員は各々軽い自己紹介を済ませ、今日はこのまま帰宅することになった。

「山乃君、また明日ね」

「うん。また明日!」

河井と校門で別れ、学校から歩いて20分程の最寄り駅へ向かう。電車の時間を確認しようと、バッグから携帯を取り出そうと探したが見当たらない。

「やば、机の中だ…」

僕は半分程進んだ帰路を引き返し、再び学校へ戻った。


校内に入ると人の気配はなく、静まり返っていた。皆早々に下校したようだ。僕もすぐに帰ろうと教室の机から携帯を取り出し、ポケットに入れた。

その時、タン。タン。と何か乾いた音が外からしてきた。


「…? なんだろ」


窓の外を見ると、校庭の真ん中でたった一人、男子生徒がサッカーボールでドリブルをしていた。

そのドリブルさばきは凄まじく、頭から脚、胸へ… ボールが地に着くことなく、自由自在に操られていた。

「すごい……」

思わず感嘆の声が漏れる。その様子をもっと近くで見てみようと、僕は校庭へ出向いた。

下駄箱を出て、校庭が見えるベンチに座りながら暫くその男子のドリブルさばきを見物することにした。

「はー、凄いなあ…。俺も折角この姿になったんだし、あのくらいできるようになりたいなー…」

そんな事を考えていると、ふとした瞬間、彼と目が合った。


僕に気付いた彼はニコッと笑うと、ボールを脇に抱えてこちらに近づいて来た。

「なあ、サッカーやるか?」

僕にそう聞く彼の胸元を見てみると、自分と同じ1年生の赤いネクタイをしていた。長身で金色の短髪。近くで見て気付いたが、いかにもチャラそうだ。

「いや、いいや。俺サッカーできないし」

「そーなのか?」

「君のボールさばきが凄かったから見てただけだよ」

無邪気な笑顔を向けてくる彼に、僕はちょっと笑って、脇に置いてあったバッグを持って今度こそ帰ろうとした。

すると彼は帰ろうとする僕の前に素早く回り込み、視界いっぱいに近づいて来た。

「今、暇か?」

「近い。帰るから」

僕が一歩引くと、彼は僕にまた一歩近づく。

「暇?」

「近い…。帰る」

「名前なんてーの?」

「近い近い」

後ろへ下がる度、彼はどんどん僕へ近付いてきた。

「俺、沢城 春虎! 春虎で良いよ!」

「近えっつんてんだろ!!!」

ビシッッ!!!

「あべしッッ」

混乱した僕は、近づいて来る彼の頭へ無意識にチョップをかました。

「ぉおおぉお…」

渾身のチョップを喰らった彼は、自身の頭を両手で抑えその場にしゃがみ込んだ。

「ごめんね!」

僕は校門に向かい全力で走った。


校門に着くと先程倒したはずの彼、沢城 春虎が片足をサッカーボールに乗せ、腕組みをしながら待っていた。

「はっ! 随分遅かったじゃねえか…。野良猫でも見つけてナデナデしてたのか?」

彼は馬鹿にするかなように鼻で笑い、まるでどこかの悪者みたいに僕を挑発してきた。

「おまっ…。さっき倒したはずじゃ…」

信じがたい光景に思わずたじろいでしまう。

「俺は何度でも蘇る。何度でも、な……」

うざい…。

「俺今日なんも用なくて暇を持て余してんだよ。暇を持て余さすな俺に!」(?)

そう言うと彼は僕の肩に手を回し、回れ右をして再び校内へと歩き出した。

僕はここまで全力で走って来た為に、体力の殆どを消耗していた。抵抗する気力は残ってはいなかった。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


僕は再び校内へと戻ってきた。

「そういえば、お前名前は?」

上履きに履き替えながら、彼が僕にそう尋ねてきた。

「え、山乃◯◯◯だけど…」

「◯◯◯か…。じゃあ今日からヨルって呼ぶな! 俺の事は春虎でいいよ!」

コイツ、ぐいぐい来る…。

「なあ、ヨルって何組?」

「普通科の5組だけど。…は、春虎は? スポーツ科?」

「えっ! 5組?! 俺も俺もー!! よろしくなアハハハ!!」

春虎は笑いながら僕の背中を叩いてきた。てっきりスポーツ科だと思ったが、どうやら僕と春虎は同じ普通科クラスのようだ。だが、先程のクラスでの自己紹介の時にこんなに目立つ春虎のことを見た覚えがない。となると、考えられる可能性は…。

「…春虎、入学式終わった後、教室来なかったろ…」

「おう! 探検してた☆」

さも当然のように答える春虎に対し、無言でジト目になる。やはり僕の前の空席はこの沢城 春虎の席だったのだ。

「ヨル、これから1年間よろしくな!!」

春虎は再度、馴れ馴れしく肩を組んできた。

「近い」


僕は春虎を5組へと案内し、春虎の席の場所を教えてあげた。

「俺窓際かぁ。日焼けしちゃうぜ」

そう言う春虎は十分日焼け済みの褐色肌だった。

「ヨルちゃんは席どこなん?」

「俺は春虎の後ろ…」

僕はぐったりしながら自分の席についた。

「スゲーー!! 奇跡じゃん!!」

春虎は自分の席を反転させ、向かい合わせに僕の机とくっつけた。

「今から何するの?」

僕がそう聞くと、春虎は急に悪巧みの笑みを浮かべ、自分のカバンからチェス盤をドヤ顔で取り出した。

「チェス? 俺できないけど…」

僕は生まれてこのかたチェスなどという貴族の遊びはしたことがなかった。

「俺もできん!!」

春虎もできないらしい。

「ルールも一切知らん!!」

「どーいうことなの?(笑)」

僕がそう言うと、春虎は目を細めた。そして、窓の外に視線をやり、物思いにふけるかのような表情を浮かべた。

「俺さ、県外出身で…高校から家の都合でこっちに来たんだ」

語り出した。

「…で?」

「やっぱ知らない土地で知り合いゼロなのもなんか寂しいじゃん? それで、初日からいきなりダチ作りてーなって思ってさ」

「…だから?」

「チェス盤持ってきた…」

「チェスできないんでしょ? 馬鹿なの?」

「うるせーーッッ!!!」

逆ギレ…。

「いいからはじめんぞ! 俺のターン、ドロー!」

「遊◯王か!」

その後、春虎が創り出した無駄に複雑なルールを用いたチェスバトルがはじまった。しかし、そのルールは明らかに春虎に有利に創られており、僕は成す術なく惨敗し続けた。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


「ダアアアアアアアアアアアアア!!!」

10回目の敗北を味わった僕は、叫びながら立ち上がり、チェス盤をひっくり返した。その衝撃でチェスの駒が床にジャラジャラと音を立てて散らばる。

「なにすんだヨル!!! 情緒どーなってんだお前! おかしくなったのか?!」

「おかしいのはオメェだ!」

黒板の上に備え付けられている時計を見ると、既に夕方の17時になっていた。教室もオレンジ色に染まっている。

昼前に学校が終わり、それからもうかれこれ数時間、飲まず食わずで春虎とチェスに付き合っていた。

「ヨルって案外、沸点低いのなwww」

何笑ってんだコイツ。

「ヨル、気持ちは分かる…。だがな、戦いを放棄して目の前の現実から逃げてたらお前は弱いままだ! 弱いままでは俺には勝てないぞ!」

春虎は僕に意気揚々とガッツポーズをしてみせた。

「外見てみろ! もうすっかり夕方なんだよ!! こんな茶番に付き合ってられっか!!!」

僕が外へ指をさすと、春虎もつられて外を見た。

「うおっ?! もう夕方じゃねーか!!! ヨルお前いい加減にしろよな!」

「オメェだいい加減にすんのは!!!」

「………プッ、アハハハハハ!」

僕は春虎に再びチョップをかまそうとすると、急に春虎がお腹を抱えて笑い出した。

「…どーしたの?」

「いや、だってさ…。ヨルがあんないい加減なルールのチェスを、あんまり真剣にやるからさ…俺も面白くなっちゃって」

僕は思わず言葉を失い、それから自分でも分かるくらい顔を赤くした。

「…え、俺そんなに真剣だった?」

そう言われてみると確かに理不尽なゲームではあったが、時間が経つのも忘れてチェスに興じてしまった。

「楽しかったろ? ヨル!」

春虎があまりにも無邪気に「へへへ」と笑うものだから、僕も無意識にほころんでしまう。

「……そーだね。楽しかった」

僕は楽しかったことを認め、春虎につられて一緒に笑い合った。こんなに笑ったのなんていつ振りだろう…。

春虎に会う前まで感じていた、学校への不安はいつの間にか消えていた。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


チェス盤を片した後、僕らはようやく帰ることにした。夕焼け色の景色の中、2人でゆっくりと校門に向った。

「ヨルは電車通学か?」

「うん。春虎は?」

「俺は自転車。こっから家まで20分くらいかな」

「そっか。じゃあ、ここで。まっすぐ帰んなよ春虎!」

「悪りぃなヨル、こんな時間まで…」

春虎はバツが悪そうにしていた。

初めて見る申し訳なさそうな春虎の顔に、今度は僕から笑いかけた。

「いーよ別に。俺も今日は楽しかった。また遊ぼうね」

僕がそう言うと、春虎は嬉しそうに「おう!」とぐわしサインをしてきた。

「じゃーな、ヨル!!」

「じゃーね、春虎」

春虎は走りながら校門の脇にある駐輪場へ向かって行った。

僕はちょっとだけ寂しさを覚えながら、学校を後にした。


♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


自分以外誰の気配も感じない道を5分くらい歩いたところで、後ろから声がした。

「ヨルーーー!」

声がする方へ振り向くと、自転車に乗って近付いてくる影が見えた。

夕日と逆光になっていて顔は見えないが、僕はすぐに誰なのか分かった。

「春虎!」

猛スピードの春虎を乗せた自転車は、ブレーキが間に合わなかったのか、僕を少しだけ追い越したところで停まった。

「どうしたの春虎、家逆方向でしょ?」

僕が尋ねると春虎は自転車に跨りながら、「乗れよ」とキメ顔で後ろの席を親指で指した。

「顔がうざい」

「うるせー(笑)」

僕が後ろに乗った瞬間、自転車は容赦なく発進した。

「駅まで出発だー!!」

僕は慌てて春虎に手を回ししがみついた。

「春虎! 安全運転な?!」

「任せとけって! 俺、頭文字D最近読んだばっかだから運転うめーよ!」(?)

「それ危険だから! 安全運転して!!」

怖くなった僕は春虎の脇腹をつねった。

「いてててて!」

春虎の脇腹をつねり続けると、ようやく緩やかな速度に落ち着いた。またスピードが出始めると、脇腹をつねって減速させた。


暫く二人乗りをしながら進んだ時、僕は春虎に尋ねた。

「春虎、なんでわざわざこっちまで来てくれたの?」

僕が聞くと、春虎は前を向きながら、

「嬉しくて!!」

と叫んだ。

「嬉しい…?」

一体何がだろう…?

「俺初日からこんな仲良いダチ出来ると思ってなかったぜ! あんがとなヨル!!」

「えっ…!」

ダチ。そう言われて、僕はなんだか胸の中が熱くなった。

「春虎っ。俺達、友達なの?」

僕は春虎に聞いてみた。

「ダチだぜ、ダチ! ダチに決まってんだろ! てかもうソウルメイトだぜ!!」

「あ、ごめん。それは分かんない。」

僕に友達ができたのなんて、生まれて初めてかもしれない。今までは時々遊ぶクラスメイトこそ居たものの、それが友達だったかと聞かれると自信が無い。

僕は自分が拒絶されるかもしれない恐怖から、誰とも本気で仲良くしようと思わなかった。友達を作ることから逃げていた。

「これからよろしくな! ヨル!」

目の前でキラキラ夕焼けに光る春虎の頭に向かい、

「こっちこそ」

と照れながら返した。

嬉しさから胸が熱くなり、涙が出そうで、僕はその一言を返すのに精一杯だった。

今までのある事が原因で、大人しく、そして極力目立たないようにしていようと決めたばかりなのに、僕は春虎との高校生活を思いっきり楽しみたくなった。





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