第2話 『妻』と情事と妊娠の話(後編)

 

 別に朝起きたら隣で女が添い寝していたとかではない。というか俺が目を覚ました時に『妻』は居なかった。まぁそれ自体はよくあることなので、どうでもいい。


(……ちょっと飲みすぎたかな)


 時計を見ると九時を過ぎていた。とりあえず週末の日課である掃除でもしようかと考えた時、隣の部屋で重い物が落ちる音が聞こえた。


「あん?」


 不審に思い台所へ向かう。

 そして、見た。


──っ!?


 床に落ちている細長い物体を見て、始めは何だからわからなかった。いや、結局は『妻』だったのだが、昨晩までとは打って変わって別物だった。腹部が頭よりも膨れ上がり、まるで蛇というよりはツチノコに見える。

 とにかく腹が頭よりでかくて何かを飲み込んだとか、到底そんな風には思えない。一体何故こんなことに? レベルを上げて進化したとでも言うのか!?


 冷静に昨日の出来事を必至に思い出そうとする俺。

 洋画、ラブシーン、食い入るように見ていた『妻』……。


 そして俺は、一つの結論に辿り着いた。



──こいつ、はらみやがった。



 途端、目の前が真っ暗となり、その場へ膝をついてしまった。


 俺だってただ生きてきた訳じゃない……。好きになった相手は何人も居た。しかしその度に裏切られたり、誰かに取られてしまったりしてきた。それも一度だけじゃなく、それこそ何度も何度も何度も……。

 今、目の前で起きている未曾有みぞうの衝撃的現実。そう、今回の俺は人間ではなく畜生ごときに裏切られたのだ。今まで生きてきた中、いや、今後もそうそう無いであろう屈辱くつじょくの極みだった。


 そんな俺を知ってか知らずか、こいつは「どうしたの?」とばかりにキョトンとしている。その態度に俺の怒りがMAXに達した。


「てんめぇぇぇぇ!! なにすっだぁぁぁぁー!?」


 拳を振り上げ大声で叫ぶ俺に驚き、『妻』……いや、もうそう呼ぶまい。蛇は慌てて逃げていき、冷蔵庫と茶箪笥ちゃだんすの隙間に入ってしまう。


「出て来いやぁぁぁ!! この蛇ビッチがぁぁぁぁ!!!」


 地団駄を踏み、怒りに任せて冷蔵庫を揺さぶりまくる俺。そうしているうちに玄関のインターフォンが鳴り、外から大家さんの声が聞こえた。


『ちょっと矢萩やはぎさん静かにして! 下の階から苦情来てるよ!』


「はいはーい! すんませーんっ!!」


 冷蔵庫を揺らすのを止め、今度は柄の長い箒で隙間すきまをかき回す。しかし手応えがない。同じ様に他の場所もかき回したが無駄だった。一体どこへ消えてしまったのか。


(くそっ! 神出鬼没しんしゅつきぼつな奴め!)


 少し冷静になるため冷蔵庫から烏龍茶を取り出す。飲み干し一息ついたところで、そのまま冷蔵庫に寄り掛かった。


「…………」


 愛情があった訳じゃない。妻だと認めたわけじゃない。俺は神が大嫌いだが、どこか他の蛇とは違うあいつを見て、もしかすると本当に人生のパートナーとして現れたんじゃないかと薄々思っていたんだ。

 だからなのだろう。俺は勝手な真似をしたあいつが許せなかった。お前は『妻』として俺の目の前に現れたんじゃなかったのか? なのにこの仕打ちは一体何なんだ? 曲がりなりにも寝食を共にした仲だったんじゃないのか? 昨日だってカツオのタタキを3切れもあげたじゃないか!


(ま、所詮しょせんはあいつもそこらの畜生と同じだったってことか……)


 大きな溜息をつくと、外に出て駐車場へと向かう。向かう途中で下の階の住人から嫌な目で見られた。思わず睨み返したら目をらされてしまった。



 車で数分、ホームセンターに着くと、ペット用の小さな小屋を探す俺。そこで産卵なり子育てなりして貰おうと考えた。

 何度も言おう、俺は神が大嫌いだ。今回で神は益々ますます忌むべき存在となった。だからえて言う。俺は血の通った人間だから、禁忌きんきを犯したからといってすぐに楽園エデンから放り出す、無慈悲でセコい神々とは違う。

 もう、俺はあいつ──『妻』とは一緒にいられない。例え住民票を持っておらずに婚姻届すら出していない只の蛇でも、これまで通り一緒に暮らせる気にはなれない。それでもせめて少しの間だけは置いてやろうじゃないか。落ち着いたらよく言って聞かせ、山の奥にでも捨ててくる。笑いたければ笑えばいい、これが俺のやり方だ。


 適当に小屋を見繕みつくろった俺は、アパートへと帰る。その晩、あいつは遂に戻ってこなかった。このまま帰ってこなくても構わない、横になりながらそう思った。



 しかし次の日の朝、そいつはひょっこり戻っていた。


「あ、あれ?」


 しかもあのツチノコ体型はすっかり無くなり、いつもの大きさに戻っていたのだ。訳がわからない。ようやくインターネットで調べることを思いついた俺は、検索することでようやく謎が全て解けた。

 蛇は捕食の際にあごを外し、自分より大きな獲物を簡単に飲み込んでしまうらしい。そう言えば昨日の晩は天井裏のネズミがやけに静かだった。もしかするとこいつが遂にネズミの親玉を仕留め、腹の中に収めていたのではなかろうか。


 つまりあれだ……孕んでた訳じゃなかったのね。


「まぁそのなんだ、疑って悪かった」


 『妻』は相変わらず俺の横でキョトンとしていた。


 それと俺の買ってきた子育て用の小さな家、『妻』は大変気に入ったらしい。

 今でも産卵もしないのによく入っては満足気にくつろいでいる。

 その日の夜はぐっすりとよく眠れた。



第2話 『妻』と情事と妊娠の話  了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る