第7話

 一台のジープは漠たる荒野を駆けていた。その内にて、後部座席にアルナと炉那が並んで座る。

 アルナは腿に手を揃え、小さく小さくなるようにして座っていた。なぜかと言えば、隣にいる非常に不機嫌そうな炉那に気圧されているからである。

 蛮風が下手な芝居を打ったことなど、アルナでも当然わかった。そしてきっと未だ距離のあるアルナと炉那を近づけるための計らいなのだろう。

 有難さ半分、憎さ半分……半分より少し多い。気遣ってくれるのは嬉しいが、もうちょっと何かなかったのか。

 興味なさげに車窓を見る炉那の横顔。確か年は15、自分より二つ下だったろうか。所見ではそうは思わなかった。アルナ自身子供らしくない自覚はあるが、炉那はさらに老成している。あるいは、達観している。

 斜に入ってくる日光で陰陽の別れたその顔は、確かに発達途中の少年のそれだ。だけどその灰色の瞳だけは、熱風と乾季に嬲られ続け、風化していった砂岩の原のような、底知れずまた掴めない寂寥感を湛えているのだ。

「なぁ」

「はいいっ!?」

 思わず出た頓狂な声。唖然とした彼の視線が、痛い。

「……悪かったよ」それは驚かせたことか、それとも不機嫌な様に対してか。どちらかはわからないが彼は小さく嘆息する。

「それで?今日はなんで壊都に行くんだ?」

「あ、はい!実は……ある技術者の元へ訪問を」

 技術者?と首を傾げた炉那に、アルナはある書類を見せる。それはいつか見た巨砲¨大羿だいげい¨の設計図たる古文書だ。

「まず最初に。巨砲を稼働させるには二つの事業が必須です。一つは巨砲の動力となる電力インフラの整備。もう一つはその構造の解明です」

 巨砲の用途は過去の研究で判明したが、その構造は未だ不可思議だ。成層圏に存在するタイヨウまで、如何にして砲弾を届かせるのか。如何なる弾頭を使用するのか。如何なる技術が使われているのか。

「それはこの前雇った技術者たちじゃダメなのか?」

「この古文書についてはかなり専門的な知識になります。逸脱機の専門家でなければなりません……そういう意味じゃ蛮風さんや炉那さんもそうなのですが」

「……無理だな」

 アルナは首を振った。それは先日二人わかったことだ。逸脱機狩りの蛮風は逸脱機の整備や調整はできるが解読まではと語り、炉那も同じだった。

 だから、今度は本当の逸脱機専門の研究者に会いに行くのである。

「だけどそんな奴をどうやって見つける?」

「それについては太陽官就任の折から始動していました。まず、件の設計図を――全てではありませんが――世界中に発信し、解読できるという有志を募りました」

「……思い切ったことをするな。国家機密だろう?」

 月都と廃殻に置いて通信交換は稀だ。太陽光発電プラントか地殻間エレベーターのある都市において、月都から派遣された官僚、あるいは都を納める都領や有力者が行う程度。

そも有線通信ですら廃殻には数少ない。太陽の放つ電磁波はあまりに協力で、特別な加工のない通信ケーブルを焼いてしまい、無線などは無論阻害されるからだ。それを、廃殻中、どれほどの費用と手間がかかるかわかったものじゃない。

されどアルナはふん、と澄まして鼻を鳴らして見せる。

「技術とは普及させた方が進歩するものです。独占に価値などそうありません。それに、独自に巨砲を造って見せる技術者がいるならばむしろあっぱれです」

 炉那は肩を竦めた。その理屈が通る程甘い世界ではない。相当横車を押したのだろう。大胆というか、無謀というか。

「しかし廃殻にまで拡散させるか?」

「廃殻にも技術者はいます。月都の技術者とも負けず劣らずの者もいる。彼らの可能性を捨てたくなかった……そして、その賭けは当たりました」

 炉那は訝し気に片眉を上げて見せる。

「古文書の解読に成功した奴が壊都に?そんな奴が廃殻なんかに……いや、聞いたことがあるな」

「ええ。¨壊都の天才¨莫琉珂ばるか氏です。月都に居たとき通信を交わしました。それと、実証済みの¨大羿¨設計図解読版、その一部も」

 進路に迫る壊都の景を見る。隆々たる鉱山の裾、前文明の遺跡が犇めく西の大都。


「¨私ならばその古文書を解読できる¨と、確かに」


***


≪太陽暦:三〇五六年 十月十三日 一二:一三 廃殻西方部¨壊都¨北西区画≫


 壊都は大陸の西方に位置する、太陽光発電プラントと地殻間エレベーター、そして前文明の遺跡を基盤に造られた、地方としては規模の大きい都市である。

 鉱山の腹に抱きかかえられた都市は、中心のソーラープラントから放射状に発展している。巨砲開発区にあるものとは比べ物にならない、巨神の日傘のような設備だ。当然それは雲よりも濃い日影を生み出す。富と発展を感じさせる建築物はその下に寄り添うように、だんだん放射の外に行くにつれ、貧しさと乱雑さが垣間見えていく。

 ジープが入ったのはその富裕層区、と思いきや円の外側、下町の位置だ。設計が容易な砂壁や鉄筋コンクリートの建築が目立つ、治安はあまり良さそうにない地域。

 人通りがあまりに多く、ジープの入れなくなったところで二人は降りる。炎天下の下、多様な人々が露店のテントや軒先に、体が擦れるほどにひしめき合っていた。

「えっと、お酒ですか?すみませんあまり嗜まなく……え!?タイヨウ風の下でも使える無線機!?そんな本当に、え?このスーツはすみません売ることは」

「いちいち付き合うな。いくぞ」

 右に左に食指を伸ばしてくる露店商の呼び込みに、いちいち引っかかるアルナの首根っこを掴み、炉那は路地を進む。

「なんというか、活気がすごいですねえ」

「壊都ってのはそういう街。見ろ」

 炉那が指さした先にあるのは、街の北側に広がる鉱山の斜面と、そこから筍の如く伸びる黒鉄の建造物たちだ。皆風化し塵を衣と纏っているが、どれも前文明の建築物、いわば遺跡。中でもひと際巨大な穹窿状の施設が、右前面に巨大な穴をあけている。

「壊れた前文明の遺跡がある施設、だから¨壊都¨。遺物がわんさか眠っている街でもある。その遺物や逸脱機の取引からこの街は発展した……だってさ」

 全て蛮風からの受け売りだが、アルナはまるで教え子のように首を頷かせている。あんまりにも興味を向けてきたから、前から向かって来る大男に危うくぶつかりかけたほどだ。

「なるほど……!っとと、ごめんなさい!」

 触れ合う袖と袖が絡みあい、少女はたたらを踏んで姿勢を崩す。愈々炉那もあきれ返って、置いていくように歩調を早めた。

 色彩豊かな群衆の中でさえ、白の少女は取り分け目立ち、紅布に墜ちた黒ずみのように不調和なる存在だった。



「えっ……取り次いで、いただけないのですか?」

 眉を八の字にして困惑するアルナに、“通信屋”は淡白に首を振る。受付の網戸越しに見える横柄な態度も炉那には案外予想がついていた。

 “通信屋”とは無線通信が使えない廃殻に置いて、貴重な有線通信を貸し出す、廃殻民の生活必需品を担う商売だ。日々の生業から私用まで、通信を使わずに済ませられるわけがなく、人々は日に一、二度はここに来る。

『壊都に来たらば、通信屋から私にかけてくれ。中枢部の月都管轄区からじゃ北西区に繋がらないから気をつけろ』と¨天才¨から支持された、月都のお役人でさえ、だ。

 ともすれば欠伸をしていても儲かるのは当然だ。故に客を引き込む必要もなく、唾を吐かれようが業務を改善する気などもない。軒先の窓口の内、吸熱ポッドの側で鬱陶しそうに通信屋が顔を上げる。

「お生憎だが、お役人様。ちょっと今通信機がみんな使用中でね。それに予約も入ってる。時を改めて来てくださいや」

「えっ……でもあそこのものも貸していただけないのですか?」

 網戸から垣間見えるその内には、確かにずらりと通信機が並び、そのうちの三つか二つは空いているはずだった。

「ああ~あれは……故障中」

 寸刻考えたばかりのような、明白なる嘘。されど金網の向こうの通信屋は、口を開いたアルナを掌で止めにたにたと笑って見せる。

「わかってくださいよ。月都様。ここじゃ有線通信だって貴重なんだ。日がな一日電脳にタダで接続できるっていうアンタらと同じにしねえでください」

「っ……」

 厭らしい皮肉だが、事実である。まともに取り合う必要などないのに目に見えて縮こまるアルナに一つ嘆息を漏らし、炉那は一歩前に出た。金網に指を駆け、通信屋の顔を覗き込む。

「連れが世間知らずで悪かった。これはなんでもない¨お詫び¨だが、もらっておいてほしい」

 そう言って金網の隙間に、廃殻の共通紙幣を捻じりこむ。嫌味な態度の理由はこれだろう。使わせるのを渋って、通常料金に加えて¨チップ¨――賄賂を引き出そうというわけだ。

 廃殻の通信屋じゃよくある話。まして相手が月都の役人ならば。だが、通信屋はそれでも首を振る。

「悪いね。そろそろ昼休憩だ」

「ま、待ってください!それでしたら予約だけでも!」

 ぴしゃり、引き戸が閉じられた。

 もはや声も掛けることはできず、アルナは沈黙する。冷遇は覚悟していたが、こうなってしまっては壊都の天才に取り次ぐこともできない。相手を待たせてしまっては後の交渉にも差し支えるだろう。

 途方に暮れ、立ち尽くすアルナの服を、誰かが引いた。

 目線を下げれば、アルナよりも少しほど年若い――十三か十四程の、襤褸のシャツ姿の少女が、欠けた歯を見せて笑っていた。

「月都のお姉さん、通信機をお探し?」

「はい!ですが、どこも使わせてはいただけず……」

 それを見ると少女は目を輝かせ、声を小さくしてアルナに語り掛ける。

「ウチね、光琳こうりんっていうの。ウチのうち、あるよ、通信機」

「!ほんとですか!?」

「大丈夫だろうな。パチモン使わせたら金は払わないぞ」

 冷静に、少女――光琳の言葉を吟味する炉那に対し、彼女は唇を尖らせた。

「そういうなら、前金はナシでいいよ!うちのは父ちゃんが整備したモノホンのやつだから!」

「それでしたらこちらも相応のお礼はさせていただきます。お願いしますね、優しいお嬢さん」

 アルナの言葉に咲くように笑って見せると、黒檀のような髪の下に笑顔を咲かせ、彼女は踵を返した。

「うちね、こっちこっち!」


 かちり、と引鉄に指をかける音がした。

 咄嗟に炉那は右腕を振るい、通信屋の引き戸を、麻衣のように引きちぎる。天変地異を前にしたかのように驚愕する店主の襟を掴み、引きずりだせば、彼を肉の盾にする。

向こうを見れば、路地の向こうから小銃を携えた物々しい男たち。

 鬼気迫る状況ながら、炉那は同時にああ、成程とすっきりした心境だった。通信屋が渋ったのはこういうことか。

 目の前にいる彼らのジャケットには“壊都自警かいとじけい”と記されていた。それは、ここ壊都周辺にて警備活動を行う民間武装組織、という建前を持つ犯罪集団だ。実質的にやっていることは、上納金を払わねば簒奪を行う、山賊と何も変わらない輩。

 何もしなくても金が入る事業だ。それに無頼の輩たちが嗅ぎつかないわけがない。民間の通信屋には大なれ小なれ犯罪組織が後見として付いている。そしてその犯罪組織達から「月都の人間と商売するな」と指示されたのだろう。

 そしてそう犯罪組織に指示したのは、ほかならぬアルナの敵対組織だってこともありうる。

 輩どもの戦闘にいる、砂塵迷彩のローブを纏う禿頭眼帯の男が一歩踏み出す。戦火で研ぎ澄まされたと容易にわかる、亀裂のような眉間とその眼光。

「……銃を向けられるようなことは何もしてないはずだが?」

「ああ、あんたらはな。だが……そこの娘に用がある」

 振り返ってみれば、光琳は絶望に打ちのめされ、今にも泣きだしそうになっていた。草木の下に隠れていた子兎が、走狗の目に捉えられたかのように。

「そいつはウチの認可なしに通信業をしているようでな。悪いが、相応の制裁を受けてもらわなきゃならない」

 小銃の銃口が、光琳に向かう。さすがに今すぐそれが放たれることは無いだろうが、それでもこの後少女が、残忍な私刑にあい、彼女の生家に火がつけられるのは想像に難くない。光琳はそれを悟ってか、悔恨と恐慌の只中に、その身を震わせている。

 彼女の痩せた体から推測するに、きっと彼女の家は通信業が認められず、貧しい中にあるのだろう。

 彼女の行動から推測するに、月都からの部外者ならば、きっと周囲に知られずに通信業が行えると踏み客寄せをしたのだろう。

 そのことを鑑みた後――炉那は、まぁ仕方ないことだな、と嘆息した。

 少女はきっと生きるため奔走したのだろう。だが、相手が悪かった、あるいは運が悪かった。壊都自警の悪漢たちは抜け目なく、己が王国の叛意を認めない。彼らに抗うほどの力を持っていないのだから。

 強者はやはり強者であり、弱者である以上彼らに隷属するしかない。それが、廃殻の現実だ。

 その現実を前にして、アルナは失望するのだろうか。己が救おうとしている世界はそんなものなのだと、興ざめするのだろうか――目線を向ければ、そこにアルナはいない。

 彼女は既に一歩進みだし、光琳の前へ、無数の銃口が眼光を放つその只中にて堂々と起立した。それを見て、壊都自警が殺気立つ。

「……それは、“理不尽”なことです」

 月都の少女の、物おじせぬ言葉に、眼帯の男が少しだけ眉間に皺を寄せる。

「道理に合いません。現在、壊都では監督府にて試験を通過し、壊都都首より認可を受ければ通信業は始められるはず。光琳さんの父親は独自に通信機を製造するほどの技術力。ならば認可を受けていますよね?」

 不安げな視線を向けていた光琳は、こくこくと頷いた後に、アルナの陰にその身を縮こませた。

 眼帯の男はその様を鼻で笑い、そして嘲るように、大げさに手を振って見せる。

「おお、廃殻に詳しくない月都のお役人様。それはあくまで法律の話だ。壊都じゃ慣習として俺らに認められなくちゃ通信業はできない」

「それが、非合理だと言っているのです」

「無知で不遜なお役人様だ。廃殻の慣習を、俺らの生き方を、アンタの一存で否定するのか?」

 威圧的に言い放たれて尚、アルナは竦みもせず、その瞳の内に不動の覚悟を見せ告げて見せる。

 確かに、月都のアルナが廃殻の人々の生活を、その価値観を以て口を挟む。それだけでもはや傲慢不遜な行いなのだろう。だが、彼女は知っている。それらのしがらみの上天に、”論理”というものが存在すると。

「何度でも言いましょう。人々の議論を経て、賛同を受けて生まれ、そして後々に“修正され得る”慣習や法律ならばそれはあるべきものです。されど、誰かが一方的に定め、その反論を圧殺する様な慣習ならば、それは悪法です」

 その彼女の姿を――炉那は真っすぐに見ていた。殺意に敵意、たった一拍の内に人を蜂の巣に返す小銃の群れに、アルナの頸椎など一握りで砕きそうな眼帯の男の筋骨。その全ての前に、アルナは毅然と立ちはだかって見せる。携える武器は、ただ一つの身と、鐘声のようによく透る言葉だけ。

「光琳さんは、それはおかしいと考え行動しました。若しそれをあなた方が言葉でなく銃声と罵声で押しつぶそうとするばらば、彼女に代わり、私が言いましょう」

 ただ一つ、息を吸い、そして口を開く。

「“邪魔をするな お前らがおかしいのだ”、と」

 眼帯の男の額に青筋が走り、その右腕が上がった。小銃が構えられる。


「やめい、武牢ぶろう

 斉射――そう高らかに指示しようとした自警の頭領の腕が、止まる。

 その隻眼が捉えたのは一人の老爺だった、総白髪の髭に対して壮健な肉体を持ち、腰には鈍色の工具を吊っている。

「……亜粋あすい

「そいつはウチの馬鹿の客人でな。此度は許してやってくれ……おい、お前さんら」

 そう言うと、炉那とアルナの前で豊かな口ひげの下に笑みを作って見せる。逸る炉那の気を収めるかのように、だ。

莫琉珂ばるかが待ちくたびれておるぞ。ほれ、付いてこい」

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