第11話 美智子の危機。

第十一章 美智子の危機


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 美智子はふらふらと庭を横切る。門のほうへ歩いていく。なにものかに操られているようだ。まるで誰かに呼ばれているように……ふらふらと外に向かっている。

「美智子さん!!」

 門扉を開けて通りにでた美智子。

「もどって!!」

 背後から声をかけて隼人が追いすがる。精悍な隼人の顔にオドロキの表情がうかんだ 

「美智子さん! 美智子さん!!」

 隼人は美智子の動きを制止しようとした。叫びながら駈けだしていた。いま少しだ。追いつける。

「美智子さん!!!」

 美智子は呼びかけられているのに、止まらない。キーンと耳鳴りがする。まちがいない。これは鬼気だ。邪悪な鬼神が身近にいる。

 迫ってくる。耳に突き刺さる音。邪悪な金属弦を爪弾く音。鬼神のツメが誘惑の弦をかきならしている音。おもわず耳を押さえて立ち止まる。

 凍てつくような寒気。凍てつくような恐怖。凍てつくような無力感。なにもできない。美智子の危機を救えない。キュユと車が門前に急停車する。

 しまった。

 立ち止まるべきではなかった。いや、邪悪な波動に体がかたまったのだ。車の後部座席から黒い服装の男が飛び出してきた。美智子はとっさに逃げられなかった。


「逃げろ」

 隼人は絶叫した。

 美智子は固まったままだ。黒服の男たちが両側から美智子を押さえこむ。隼人は自分がなにを叫んでいるのか、わからない。隼人は走る。走る。

 美智子が腕を引かれ、抱え込まれる。


「直人!!」

 ドアが激しい音をたてて閉じられる。


「直人。直人」

 美智子が絶叫している。

 車は急発進してしまった。後部窓に美智子がもがいている姿が一瞬浮かんだ。まるで、濁流に飲みこまれたようだ。


 彼女が拉致された。

 それも、おれの目前で。


「キリコ。車だ」

 隼人は必死で車を追った。ナンバープレイトは……ダメだ。見えない。なにか張り付けてある。携帯のシャッターをきる。

 あの凶悪な顔。服装。身のこなし。どれをとってもかなりのプロだ。堂々とひとりの女性を誘拐する。彼れらは、こうした非合法行動には習熟している。

 車は大通りを右に曲る。車はまたたくまにほかの車にまぎれる。

 見えなくなる。

 キリコの運転するBMWが隼人の脇に寄ってくる。

 キュルルとスピードをゆるめる。

 開け放たれたドアから隼人は飛び乗る。


「秀兄ちゃん。美智子さんが誘拐された。車は都心に逃走中」


「なにやっているんだ。キリコと隼人クンでガードしていのだろうが」

「ゴメン。あとで、説明するから」



 犯人からはなんの連絡もない。不安な夜が明けた。

 唄子の事件でマスコミは狂騒している。さいわい美智子の失踪は、かぎつけられていない。同じ芸能事務所「バンビ」に所属する美智子まで行方がわからない。などと、新しい刺激をあたえたら、マスコミがとびつき、むらがり、たいへんなことになるだろう。

 美智子がマスコミの集中砲火をあびるのだけはさけたい。はやく、探さなければ。隼人たちは焦っていた。

「いままでのことを、復習してみよう。美智子さんがはじめて襲われのは日光の帰りだ。東北道で襲われ、これはぼくとキリコがヘリで駆けつけるのがはやかった。ことなきを得た。つぎは記者会見の席。まだ薬物は特定されていないが、グラスの水が苦かった。毒殺などという意思はない。ただのいたずらだったかもしれない。そしてこんどの拉致。ぼくらの目前で実行された」

「そして……どこにいるんだっぺ」

 隼人の焦燥をやわらげようとしている。ひさしぶりで、キリコの栃木弁がでた。わからない。ぼくにはわからない。ほんの、タッチの差で拉致された。目の前から、美智子を拉致された。心配だ。胸が張り裂けそうだ。怒りと恐怖にさいなまれて、隼人の声が尖る。

「鬼神が仕掛けてきた」

 隼人は恐ろしい形相をしていた。

「美智子さん。帰ってきさっせよ。帰ってきさっせ」

 キリコが栃木弁に祈りの気持ちをこめている。美智子がぶじに帰ってくることを願っている。隼人のこころを静めようとしている。



 なぜ再三、美智子が狙われるのか。わからない。

「ここでかんがえていても、気が滅入るだけだ。街にでよう」

 どこにいるのか? わからない。隼人は手がかりを探しに鬼門組の事務所を見張ることにした。キリコはピザ屋のワンボックスカーではない。黒塗りの乗用車を路地に停めた。そこからだと事務所のあるビルの出入りがよく見える。東北道で美智子を拉致しようとしたのは鬼門組だ。鬼神がからんでいると推察していた。鬼神がまた動いている。そう思っての張り込みだった。だが、鬼門組のビルの出入りには変わった様子はない。

「あれ、記者さんだ。三品とかいった、東都週刊の人だよ」

「ぼくがつける。キリコはこのまま、いますこし見張りをつづけてくれ」

「リョウカイ。気をつけてね」

 外は風が吹いていた。車の中にいた。隼人は体が暖かさにならされていた。外はかなり冷え込んでいる。三品はコートの襟を立てた。

「鬼門組になにか、変わった動きはありませんでしたか」

 美智子の所在を知りたい。美智子は痛めつけられている。乱暴されている。かもしれない。恥も外聞もない。

 一刻も早く助けだしたい。隼人はすがるような気持ちで訊いた。

 ふいに声をかけられた。三品はとまどっている。

 ケヤキの枯れ葉が風に舞っていた。その一枚が三品の立てたコートの襟に舞いおりた。三品は声をかけられて、さっとかまえた。緊張した。――だが、隼人だと視認した。

 二カッと笑った。

「べつに静かなものですよ」

 ようやく応えがあった。

「なんの取材ですか」

 さらに、隼人はくいさがった。美智子を助けたい。必死だ。

「プレスの人間を逆取材ですか」

「どうです。寿司でもつまみませんか」

 懐柔することにした。飯でもくいながら……話せば……。

「フロリダでも寿司屋はあるそうですね」

「どうして、ぼくが……」

「若いな。カマかけられるとすぐこれだ」

 隼人は沈黙した。

「いまどきのヤクザは大学出が、わんさかいます。コンピューターのプロもいます」

 だから隼人のことはなんでも調べがついている。そう暗に仄めかしていのだ。何を探っているのですか。あいつら、巨大な組織ですよ。あまり刺激しないほうが、いいですよ。

「三品さんはどうして、鬼門組にいたのですか」

「それこそ、取材ですよ」

 とぼけている。



 携帯がなった。開く。キリコの声がとびこんできた。

「どこ」

「回転寿司『元禄』の前だ」

「すぐむかえにいくから。店の前の大通りでまっててぇ。スシなんかパクっきださないでよ」

 のんびりした声だ。悠長な話し方だ。コケタようなことをいっている。かなり緊張している証拠だ。

キリコがむかえにくるのに。スシなんかパクつくわけがない。かなり緊張しているのだ。なにか重大なことが起きている。

「わるいけど、寿司はこのつぎにしましょう」

ほどなくキリコが現れた。

「いつもおふたりでペアなんだ。仲がよくいいですね」

「ありがとう、三品さん」

キリコがまんざらでもない声で三品に挨拶をする。


「連絡がはいったの。ぐうぜんなのかしら。ウチのビルのちかくなの……、へんな紙、拾った子どもがいたの」

「コナンの漫画みたいだ」

 隼人は日本にきてから、アニメ番組にもあかるくなつた。窓から救出を求める紙片が降ってくる。コナンにでてきそうなsituationだ。車を急発進させた。東品川へ向かっている。

「紙が空からふってきた。美智子に捧げる百本の薔薇という文章がのっているプリントよ。問題はその裏に口紅で『助けて』と書いてあることなの。大きな文字で。助けて。その紙切れをビルの窓から投げている。女のひとがいるって通報が交番からあったの」

 交番の巡査が美智子のファンだった。

「まちがいない美智子さんだ。彼女は口紅をいつもポケットにもっている」

 山のレストランでプレスの人たちと会う前にも。口紅をポッケからとりだしていた。女優としての身だしなみなのだろう。それが、どうやら役にたったらしい。現場には所轄の刑事が来ていた。だが美智子はいなかった。

「誰もいないじゃないか」と刑事。

「でも、たしかにこの部屋です。あの窓です」と交番の巡査。 

まだ鉄骨の足場が組まれている。建築半ばのビルの一室。壁。天井。床。六面とも剥き出しの。コンクリートの打ちっぱなし。がらんとしていた。美智子はほかに搬送されたらしい。人の気配はなかった。人の気配はないが……。隼人とキリコは鬼神の残留思念を読みとっていた。鹿沼のマヤ塾で感じたあの不気味な感じだった。空気がチクチクして、生臭い。鬼神の気配を感じるのはキリコのほうが鋭かった。

 隼人は凍てついた。

 隼人の周りでは、時間が逆流した。

 美智子がいた。ここに確かにいた。

「まちがいない。アイツラがここにいたシ」

キリコも感知した。美智子がまちがいなくいままでここにいた。美智子の吐息がきける。美智子の匂いがする。美智子の嘆く声が 

する。隼人の視界に美智子の横顔がある。

たったひとりぼっちで、孤独を漂わせていた。

 救いをもとめている。タスケテ。タスケテ。隼人はイメージの美智子に近寄ろうとした。

 いま目前にある、幻の世界の美智子に駈け寄った。

 その瞬間。

 戦慄の光景が展開した。

 美智子を襲う鬼神。

 多毛な腕がのびてきた。

 美智子がひきずられていく。

 美智子の危機。隼人の手はとどかない。

「隼人。隼人! 隼人!! しっかりして。なにか見えるの」

 キリコが呼んでいる。

「直人。直人! 直人!!」

 美智子が叫んでいる。美智子が直人に救いを求めている。隼人はつらかった。美智子が助を呼んでいる。美智子が直人に助けを求めている。直人はいない。もう直人はいないのだ。

 隼人は心に決めた。

 どんな障害があっても守る。 

 守る。守る。守る。

 美智子を守ると決意した。美智子さん。どこに連れて行かれたのだ。どこにいる。どこにいるのですか。

 いまいく。

 いまいく。

 ブジでいてくれ!!!

イメージは瞬時に消えていた。美智子への〈愛〉にめざめた。いや、ひと目で、会った時から好意をもった。ただ、直人の恋人だったとわかってヒイテいた。隼人は独りぼっちで立っていた。歓喜にみちたよろこびがこみあげてきた。ぼくは、美智子さんを〈愛〉している。いいだろう。直人兄さん。ぼくが彼女を好きになるのは自然だ。従弟だから、ぼくの感情の半分は直人のものだ。

彼女を愛している。だから、彼女にも、ぼくを、この隼人を認めてもらいたい。



「ここに鬼神がいた。美智子さんも、いたわ」

「そのとおりだ、キリコ。これは鬼神一族とおれたちの戦いになってきたようだ」

 キリコの兄の黒髪秀行がふたりの後ろに近付いてきた。

「敵だったら後ろをとられてヤバカツタぞ。油断するな、キリコ」

 美智子の幻影にとまどう隼人をキリコは元気づけていた。

 隼人を励ますので精一杯で周囲の警戒がおろそかになっていた。

 油断していた。

 たしかに敵に襲われていたらたいへんなことになっていた。

 このときだ。

 隼人の胸ポケットでケイタイが、かすかな音をたてた。

 音がしたような気がした。

 現実に隼人はひきもどされた。

 ピー……、ピー……。

 直人の、今は隼人の胸にあるケイタイに信号がはいっている。

 この近所に美智子がいる。

 あれだ。

 あの婚約指輪だ。

 緊急時のことを考えて。

 直人が指輪に信号機を組みこんでおいたのだ。

 GPS機能が作動したのだ。このケイタイは特別仕様だった。

 直人の愛が美智子の居場所を隼人に知らせている。

 美智子が気づいた。

 あるいは無意識にリングをにぎりしめた。

 スイッチをおしたのかもしれない。

 めまいがした。

 あたたかなものが、胸にみちてきた。

 ぼくは美智子さんのことを想っている。

 好きだ。

 ぼくと直人の想いがつうじた。

 美智子さんはこの近くにいる。

 彼女の存在を身近に感じる。

 直人、ぼくは美智子さんを愛している。

 直人ぼくは美智子さんを愛していいかな。

 直人の愛していた美智子さんを、ぼくは愛していいのだろうか。

 こんなぼくでも、美智子さんを愛する資格があるだろうか。

 直人、ぼくが美智子さんを、守りぬくから。

 見守っていてくれ。

 お願いだ。

 ぼくは彼女を守るために直人の霊によって日本に呼ばれたのだ。

 彼女を守ることがぼくの使命なのだね。

「この近くにいる。鬼神がいる。キリコ、油断するな」

 キリコが外に走りだした。

 美智子が指輪の機能に気づいたわけではあるまい。

 なんらかの偶然が働いた。

 そう思うのがやはり妥当だろう。

 指輪の発信機としての機能が動きだしたのだ。

 隼人は美智子を直ぐ隣に感じている。

 心拍が高鳴る。

 彼女と会える。

 いままでとはがう。

 はっきりと彼女を愛していることに目覚めた。

 はやく会いたい。

 ブジでいてくれ。


 隼人はキリコを追いかけた。

 

 美智子の危機。

 隼人の心の中で赤いシグナルが点滅している。


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