第8話 直人のパソコンの秘密


第八章 直人のパソコンの秘密


1


「もうクタクタよ」

 美智子が自由が丘の母のもとに戻ったのは翌日の午前2時になっていた。

「すぐ風呂に入って休むといいわ」

 美智子が異物混入の水を飲んだことは知っていた。そのあとは何事もないとキリコからこまめに連絡がはいっていた。それでも……。母親の里恵はおろおろしていた。美智子がバスルームに入るのを見とどけた。部屋で電話がなっている。

「いまごろだれかしら」

 泊まり込みで警護に当たっているキリコと里佳子が部屋にいた。

 里佳子が受話器を取り上げる姿が里恵の視線の先にあった。

 里佳子の受話器を持った手が一瞬ガクッと震えた。

「どうしたの? なにかあったの?? 里佳子‼ 里佳子」

 里恵は駆け寄った。里佳子が黙って姉に受話器をわたした。母の智子からだった。

「お父さんから連絡がないけど、そちらに、着いているでしょうね」

 いつものやさしい母、智子の口調だった。

 でも、訊かれた内容はおどろくべきものだった。

 里恵は自分も一瞬妹の里佳子のように、いや体まで震えだした。どうしてこのところ、悪意のあることばかり起きるのだろう。

 これはまちがいなく、なにかあった。

 父にかぎって、途中でどこかに寄るなどということはない。

 ここに来るまでに、なんらかのトラブルにまきこまれたのだ。連絡できないようなトラブルにまきこまれたのだ。

 こんどは、受話器の向こうで母が固まっている。その様子がありありと感じられた。

「おかあさん、おかあさんもこっちへ来て」

「里佳子を迎えにやるから、準備しててね」

 いよいよだ。また、わたしが小学校に通っていたころのように、害意ある事件が起きる。これって父に聞かされていたわが家の家系に起因することなのかしら。どこの家でも、その家の伝説みたいなものはある。都市には都市伝説がある。家には家系伝説がある。あまりナーバスにならないほうがいしい。キリコがケイタイで連絡をとっている。

「美智子さんのおじいちゃんが行方不明なの」

 キリコはどこに連絡しているのだろう。あまり問いただすのも失礼と思い、里恵はソファにすわった。落ち着かなければ。美智子がタレントとして復帰したのだ。ようやく3年の空白を埋めようと始動した。そのためにこんな事件が起きているのだろうか。そのためにこんな不吉なことがつづくのかしら。それはいろいろ起きるだろうとは覚悟していた。でもこんなことがたてつづけに起きるとは!! 想像もしていなかった。

 いままで、こちらを、うかがっていた悪意が。

 いっせいに歯をむいて近寄ってきた。

 害意が迫ってきた。



 麻耶は自由が丘の駅で降りた。

 駅前には都内でもトップレベルの塾SAPIXがある。美智子も通っていた塾だ。先生たちが歩道まで出て塾生を見送っている。塾の時間がおわったのだろう。小学生がむかえにきた母親と駅前ではしゃいでいた。私立の中学受験生、成績優秀な生徒でも、子どもは子どもだ。親に甘えている子どもたちをみながら街に踏みだした。

 対面からサングラスをかけた、たくましい黒服の男たちが近寄ってくる。ひそかに、ひと目につかないように、気くばりをしている様子がみてとれた。

 プロだ。恐怖こそ感じなかったが、やっと理恵の家の近所まで来ているのに。邪魔が入ったことが、悔しい。なんとか、脱出することは出来ないのか。

 背後をみた。退路も断たれている。おなじような黒服。荒事になれている。凶悪な気が体からにじみでている。男が立ちはだかっている。車の輻輳を無視して麻耶は車道に走り出ようとした。麻耶は両脇をかかえこまれた。包囲網がすばやく麻耶の動きに対応した。

「逆らうなよ。声をだすな」

 麻耶は冷静に両脇の男たちを観察した。とても力技ではかなわない。争って勝てる相手ではない。くやしい。若い時であったら。敵わぬまでも(いやこれくらいのレベルの男たちに負けるとはなかった)戦った。それが体技にもちこむ、闘争への熱い決意を体が拒絶している。屈辱感に冷や汗がふきだした。背筋を冷たいものが伝う。体が小刻みにふるえだした。

 歩道際に駐車していたワンボックスカーに押し込められた。

「いやにすなをじゃないか」

「じじいだからや」

 一緒に乗り込んだ男たちが会話をかわしている。運転手は無言だ。麻耶がおとなしく従ったのにはほかにも理由があった。予感がしていた。駅を下りた時から予感がしていた。ビジョンもあった。誰もいない部屋で美智子のメールを読んでいるじぶんが見えていた。

 逆らうこともあるまい。成行きにまかせたほうがなにか、わかるだろう。ワンボックスカーは自由が丘の街には入らなかった。



 外で車の出ていく音がした。

 里佳子が母を迎えに鹿沼に向かったのだ。

 里佳子のすばやい行動。リアクション。彼女もこの悪意の波動を感じているということだ。わたしの妹だから。わたしと同じ家族伝説の中で育ったのだから。外からくる害意を敏感にとらえている。母が心配になりとびだしていったのだ。

 ドアでチャイムが鳴っている。

「なにか、忘れ物でもしたのかしら」

「わたしがでます」

 夜の来客は、隼人だった。キリコからの連絡で駆けつけたのだ。隼人が湯上りの美智子を眩しそうに見ながら訊いた。

「美智子さん。教えてくれないか。大切なことだ。直人さんからあずかっていたものはないのかな?」

「直人が残したものといっても……。一眼レフと……取材ノートくらいかしら。でも……かわったこと……書いてなかった」

「ノート見せてもらっていいかな」 

「いいわよ」

 美智子は隠しごとをしている。と……咎められた子どものような。身振りをた。直人のノートにはセロテープでキーがはりつけてあった。どうしてこんな重要なこと。もっと早く見せてくれれば。話してくれれば……。と。美智子には直接いえなかった。隼人の表情に、美智子が気づいた。不安そうにこちらを見ている美智子。その態度が隼人の言葉を封じた。じぶんのミスに気づいたらしい。美智子はだまってしまった。



 東品川にある直人の住んでいたマンションは「セブンイレブン」の角を曲がった裏路地にあった。目立たない。6階建てのマンションだった。周りには新築マンションやビルが乱立していた。直人のマンションビルは周囲と比べて地味だった。だが、堅牢なビルだった。目立たないようにというポリシーで建てられたようなビルだった。

 壁面にはなんの装飾もない。ただコンクリーとの打ちっ放し。灰色のビル。窓も少ない。フロントを入る。まるで透明人間にでもなったようだ。玄関の管理人にはとがめられず、ひっかからず、直人の部屋の前に隼人は立っていた。

 キーはぴったりとあった。まちがいなくこの部屋のキーだ。

 整頓された机にPCがあった。うっすらとほこりがついている。スイッチをいれる。パスワードはずばりhayato_007だった。直人には子どものころよく遊んでもらった。直人の考えは隼人の思考にインプリントされている。自分のことのようにわかる。カシヤカシャとキィボードを打ちこむ。


5


 やあ隼人。やっと再会できたね。いまこの画面を隼人が見ているということは、もう三年たったということだ。

 なによりも美智子のことが気がかりだ。彼女はおれとめぐりあったために苦難の道をいくことになった。力になってやってくれ。彼女とつきあうようになってから知った。中山は父方の姓だ。美智子の母は鹿沼の麻耶。

 遠い昔。勝道上人に従って日光のオニガミを征伐した。オニガミを敵として、榊も、黒髪も麻耶もみんな共力して戦った部族だ。

 さて本題だ。アメリカのCIAが追っている。フロリダの麻薬ルートだが。日本経由のものが大量にでまわっている。メキシコから越境して持ち込まれるのに。日本産らしいなんて、おかしいよな。だんじて、これは事実ではない、といいたいが!! 

 どうも、そうではないらしい。なにかからくりがある。黒髪族のひとたちが協力してくれるだろう。

 かれらは、内閣府の特殊犯罪係として活躍している。昔はおなじ一族だったことを聞いているかな。

 われら下毛(しもつけ)の先住民。

 われら榊、麻耶、黒髪の一族は。

 勝道上人に協力して鬼神一族を追いつめたのだ。上人はただの修験者ではない。 名前だけでもわかるよな。勝道。武人でもあった。われらの一族は上人とこの日光の地を開いたのだ。おれの遺志をついでくれてありがとう。

 健闘をいのる。それからおれの携帯をパソコンに接続して動画をみてくれ」

 ケイタイに事故? の起きた現場が生々しく映っていた。PCにつなぎ拡大した。この動画があったから、直人は隼人にケイタイを託したのだ。



 地面をのたくっている。

 くねくねとうねる木の根が映っていた。

 大蛇のうねりだった。

 まるで生きているようだ。

 いや。

 まさに。

 生きて、地表をはっている。

 ただはっているわけではない。

 明確な意思をもった蛇のうねりだ。

 おれを狙っている。

 直人はそう感じたにちがいない。

 ケイタイを動画にしてかまえた。

 逃げればよかったのに。

 後から来る、直人の遺志を継ぐであろう隼人への警告。

 ――そのためにこそ、死のせとぎわにケイタイをかまえたのだ。

 迫ってくる。木の根。

 その動きはには、獰猛なひとつの意志。

 直人の命を狙う意志がこめられていた。

 その動き。

 そして。

 その――。

 木の根が――。

 直人の足に絡みつく。

 ぐいとひく。

 生きた鞭のようだ。

「直人」と絶叫する美智子の遠い声が録音されていた。

 ブラックアウト。

 ただそれだけだった。

 それだけ……というには、驚きの事実だった。

 あまりにも……酷い、真実だった。隼人は事故の実態を知った。

 直人は殺されていた。

 敵に襲われた。

 抹殺された。

 戦いは隼人のしらないうちに始まっていた。

 敵には、樹木を味方につけ、自由に操る技がある。

 画面からは、血の臭いがしていた。

 クラッシュした直人のイメージが浮かぶ。

 PCに読みとられた真実。

 驚愕のあまり脳の血管がさけそうだった。怒りのためアドレナリンがフルに分泌している。戦いは開始されていた。隼人は美智子のように、絶叫したかった。胸の鼓動を静めるために。隼人は部屋を眺めた。壁にはおびただしい数の写真が張ってあった。壁いっぱいの写真。美智子を写したものだった。

 直人の美智子への想いが伝わってきた。直人の美智子への愛の深さが壁の写真にはこめられていた。美智子もカメラをかまえた直人にやさしい視線を向けていた。

愛するものと愛されるもの。写すものと写されるものとの愛の交感がにじみでてくるような、いいピクチャだった。

 恋人をのこして死んだ。直人はさぞや無念だったろう。ふたりの恋愛感情が無残にも引き裂かれた。哀れだった。

 携帯が音をたてている。

 着メロは「オンリーユー」

「やあ、隼人君。キリコの兄の黒髪秀行だ。内閣府直属の特殊犯罪捜査室の麻薬捜査官だ。榊捜査官のパソコンが起動したってことは。いまきみが直人の部屋にいるってことだ。きみが現れるのを三年まった。敵はズバリ言う。鬼神一族だ。かれらの一部は山を降りて社会の中枢にくいこんでいる。あいかわらずあくどいことをやっている。人の生き血を吸うようなことをやっている。それは昔とかわらん。われらの敵だ。そして麻薬がらみだ。なぜ直人があれほど霧降の滝にこだわったのか探ってくれ。お互いに協力し探索しよう。そのあたりから捜査の網を広げてくれ。

直人のコート。霊体装甲はいつも身につけているように」

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