第9話 エース


「5回表、月ヶ瀬高校は足をからめて、1点をもぎとりました」

「滝波君も送りバントはさせなかったのですが、代打で入った宮本君が三盗を決めて、犠牲フライで帰ってくるという見事な走りを見せましたね」

「さて、4回まで投げていた市村君には代打が出ましたので、投手は交代になります。二番手のピッチャーは当然、背番号1の藤沢君です」

「中盤で1点は大きいですが、ここはピッチャーも代わったことですし、また、試合が動いた後というのは、点が入りやすいものですから、ここは忍原高校にとっては逆にチャンスかもしれませんよ。それに今度は滝波君と同じ右ですからね」

「そうですね。忍原高校、この回は5番からの攻撃です」


 マウンドでは藤沢悟がピッチング練習をしている。最速150km。春の選抜優勝投手。もはや、風格さえ漂っている。佳史は悟のボールを受けて、それを返す。 

 

 藤沢悟は2年生からエースナンバーを背負っている。

 エースナンバーを受けてからというもの、悟が敗戦投手となったのは、1回だけだ。忘れもしない、去年の夏。甲子園2回戦。


 誰もが、あの試合は運がなかったと言ってくれた。悟にはどうしてもそれが許せなかった。3年の先輩を差し置いて、つけたエースナンバー。

 エースとは、球速が速いからエースなのではない。

 エースとは、コントロールがいいからエースなのではない。

 エースとは、チームを勝たせるからエースなのだ。


 以来、悟が負けたことはない。世代ナンバーワンをずっと背負ってきた悟にはエースナンバーの重みが分かっていた。

 だからこそ、監督はエースナンバーを悟に託したし、チームメイトもそれを認めていた。口にこそ出さないが、大会ナンバーワン投手は自分だと悟は思っているはずだ。

 

 彗星のごとく現れた滝波。最速はこの試合で更新された154km。確かに今まで埋もれていたのが不思議なくらいの好投手だ。マスコミがこぞって、持ち上げ、解説者までもが大会ナンバーワンという。

 つまり、藤沢は滝波よりも下という評価だ。


 しかし、月ヶ瀬高校野球部員は考えていた。

『今の悟が負ける姿は考えられない』

と。


 藤沢悟は決して派手な投手ではない。もちろん決め球は持っている。悟も自信を持っている球種だ。一部では異名で呼ばれてもいる。だが、奪三振数が今までの甲子園優勝投手と比べて、ずば抜けて多いわけではない。最速150kmも今では年に何人もいる。

 それでも、藤沢が崩れることはない。踏んできた場数が違う。


 打者が打席に入り、悟がプレートを踏む。

 投じられたボールは打者を小馬鹿にするようにゆっくりとキャッチャーミットにはまった。審判からストライクのコール。


 次の投球、見逃せばボールになるカーブをひっかけさせ、ファーストゴロ。


 そして、悟は次の打者は三球、その次の打者も三球で打ちとった。


「この回から代わったエース藤沢君、わずか八球でこの回を終えています。これは忍原高校、焦りというようなものはあるのでしょうか」

「いえ、そうではないですね。藤沢君が非常にテンポよく投げてます。それに、打てそうで打てない、そんな打ち気を誘うボールですね。実に賢い、冷静な投球です。リードする久保君も大したものですよ。藤沢君は久保君のサインに一度も首をふってませんからね」

「なるほど。月ヶ瀬高校としては上手く行きましたね。一方、忍原高校としては点をとられた後だけに取り返しておきたかったところですが、すぐに終わってしまいましたね」


 悟がベンチに戻って、大きく息を吐いた。

 ここで、相手に打撃を与えるには、無失点では足りない。反撃する気を萎えさせる。

 そして、時間をできるだけ短く、記録としても体感としても、それが次の回に活きる。


(今年は、勝つ)

 悟には、自分が先発しない意味も、自分が5回から投げる意味も十分に分かっていた。


(俺はエースなんだ)


 そんな悟を見て、裕太も一つ息を吐いた。


(さすがだな。エースナンバーを背負って、甲子園決勝。それであのマウンドさばき。しかも、条件付で、だ)


「悟、作戦的には完璧だな」

 裕太が悟に声をかけた。

「ああ」

 悟が短く答える。

「勝つよな。お前が投げてるんだから」

「ああ」

 さきほどと同じ答えを悟が返す。そして、続けた。

「そうじゃなきゃ、お前に10番をつけさせる意味がないからな」

 悟は裕太の力を知っていた。

 エースはその高校の投手全てを背負って投げる。打たれるわけにはいかないのだ。


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