第四章 鳴と物  … 壱

〈壱〉

 幾つかの洞窟を越えた先に、大きな空間、そして石でできた神殿のような建物があった。

 辺りからは湿って澱んだ空気が漂い、そんな空間を白い光を放つ水晶が照らしていた。

 そんな神殿に、何者かの怒れる声が響いた。

「まったく、何を考えてるんだ!」

 大声を上げた人物を見ると、片手に鎌のような武器、ザグナルを持ち、黒のワイシャツと黒のズボンに身を包んだ、背中からカラスの羽に似た翼を生やした男が、ある者を怒鳴りながらそのザグナルの柄の先で床を何度か叩いていた。

 見た目は高校生くらいの少年であったが、口調や声色は高校生のそれではないようだった。

 顔には所々火傷の跡があり、他の皮膚の部分と色が違っていてまだら模様のようになっていた。

「申し訳ありません、ボス」

 片膝をつき、深々と頭を下げているのは、なんと月島たちの通う高校でヴァイスに討たれたはずの狼男だった。

「あの子娘二人も、少しは役に立ってくれるかと思っていたが、役に立つどころか、逆に都合の悪いものを引き寄せてきよった。そしてお前だ。そんな出来損ないの仇を討つだの何だのとのたまって、結果はなんだ? 傷一つつけられずにそのまま逃げかえってきやがって。ふざけてるのか?」

 ボスと呼ばれた男は、時折、相手を嘲笑しながら怒りをぶちまけた。その様子を、陰から伺いながらニヤニヤと笑う何者かの気配があった。

 怒鳴られ続ける狼男は、下げた頭をさらに深く下げ、苦しげにただただ一言否定をするしかなかった。

「いえ……」

「いや、ふざけてるだろ。ふざけてる。ふざけてるに違いないっ。なぁ、そうだろ。そうだ、言ってみろ! 私はふざけていましたと言え!」

 とうとう何も言えず押し黙る狼男の姿に、ボスの男は深く溜息をついて後ろを振り返った。

 数秒ほどして、二人掛けソファの真ん中にドカッとボスが腰を下ろした。それを見計らったように、狼男が静かに口を開いた。

「ボス……お願いがあります」

「あぁ?」

「今一度、今一度私にチャンスを下さい。次は必ず、あの二人を殺してみせます」

 しばらくの沈黙があり、その間ボスの男は狼男をジッと見つめていたが、徐に立ち上がると、ゆっくりと一歩一歩、狼男に近づいて行った。その都度、男はザグナルを杖のようにして床を突き、その音が響くと、妙な緊張感が醸し出された。

「そうだな。チャンスか、いいだろう。では改めて、俺の力になってくれ」

「ありがとうご……っ!」

(グサッ)

 狼男が改めて頭を下げた時、突然背中に激痛が走り、男は顔をしかめた。男の背中には、ボスが振り下ろしたザグナルの鎌が刺さっていた。

「俺の霊力の一部となって、な」

 色のない虚ろな目で見下ろすボスの目の前で狼男は吐血すると、間もなく真っ白に石化し、至る所から砂のような粒となって空間に溶けるように消えていった。

「つまらない物ばかりだな。もう一度、あの時のようにまとめて食らいたいものだな」

 しばらく影にいた気配がボスの男の前に現れた。それはあのモヤのような物でできた〝奴ら〟だった。

「なぁ、もっと楽しいことはないのか。この洞窟から出て、早く一暴れしたいんだがな」

「『ルシ』ヨ、モウ手ハ打ッテアリマス。コレマデノ者タチハ、タダノオ遊ビ。コレカラガ本番」

 ルシと呼ばれたボスと、モヤの〝奴ら〟は、共にニタニタと笑いあい、次第にルシは声を上げて笑い始めた。

「いつもいつも、愉快なまでに準備がいい。面白い、いざ拝見といこう」



「あそこが、私が所属している軍の本部だ」

「うわぁ、大きな建物」

「確かに、改めて見ると大きな建物だ。久しぶりに見たな」

 台地の先端が見える市街地の広場から、その先端に建つゴシック調の建物を月島とルーンが見上げていた。

 台地の地形に合わせたように造られたその建物は、彼女たちから見て手前側に円錐形の屋根が見えた。

 奥には四角い壁のようなものがあり、ルーンは月島に、その四角い壁のある方が正門だと教えた。

「じゃあ、あそこから入るんだ。いつも魔法陣で路地裏に出て、こうやって帰ってるの?」

「いや、いつもは違う。今は教えられないが、私たちは私たちの帰り道があるんだ。追々教える」

「そうなんだ、わかった」

 二人は、ぐるりと台地の周りを巡るように緩やかな坂を上ると、いよいよ軍の本部前に辿り着いた。ルーンはまだ涼しい顔をしていたが、一緒に歩いた月島は、上着を脱いで抱えながら肩で息をしていた。

「すまない、離れた場所から来るように言われていたんだ。それと、個人的にこの建物を離れたところから見てほしかった」

「いや、いいの。こっちこそごめん。もう、大丈夫」

「ちょっと休憩してから入ろう。予定の時刻にはまだ少し時間があるから」

「ありがとう」

 ルーンに連れられて本部前にある広場の端に寄ったとき、月島は改めて今自分たちがいる場所を再認識した。

 眼下には赤茶色のレンガや瓦の建物がいくつも立ち並び、その間を埋めるように背の高い広葉樹や畑の緑や小麦色が映えた。そして、その街並みの向こうに青く輝く海と水平線が見えた。

 月島は石で造られた手すりに手をついて、無意識に感嘆の声を漏らした。

 見慣れぬ景色に見惚れている月島を見て、ルーンは少し安堵した。

「知らない土地に連れてきて、月島がどう感じるか、少し不安だったんだ。だからまず初めに、景色の良い所に連れてきたんだ」

「嬉しい。確かに良い景色だよね。でも、職場の前なんだね」

 月島の目線が軍本部の建物に向いたのを見て、ルーンは苦笑いを浮かべた。

「私の知ってるのがここぐらいなんだ。それに、私も初めて軍に入る日、不安でいっぱいだったが、ここに来てこの景色を見た時、幾らか不安が吹き飛んだんだ」

「ふーん、そうなんだ」

「ん? 何をにやついているんだ?」

「ううん、なんでもないよ」

 少しの間景色を楽しんだ二人は、月島の呼吸が整ったのもあって、そろそろ建物の中に入ることにした。


 陸橋を渡って木製の扉の前に来ると、ルーンがピタリと立ち止まった。

「あれ、入らないの?」

「待っていたら開く」

 彼女の言うとおりに扉に向かって直っていると、ガチャッと鍵の開く音が聞こえて、次にゆっくりと扉が勝手に開いた。

 何が起こったのか理解できないまま、ルーンに促され一歩中に入る月島だったが、不思議そうに扉や玄関に当たる空間の壁やアーチなどをキョロキョロと見まわしていると、今度は壁のどこかからか声がして、出迎えの挨拶をされた。

「お帰りなさいませ。お待ちしておりました、ルーン殿。月島えり殿」

「え、私の名前」

「あぁ、ここの隊員の殆どの人間が君のことを知っている。以前の件に関連して」

「そっか、なるほど……」

 気恥ずかしさと気まずさと不安で思わず顔を伏せた月島を見て、ルーンは昔の自分を思い出した。

 憧れの人が昔そうしたように、その時の自分があって今の自分があるように、ルーンは二つ目の扉を開ける前に、月島と向き合って彼女の肩に手を添えた。

「心配いらない。ここの人たちは誰かを虐めたり悪口を言ったりするような、そんな人たちじゃない。何より、私がいる。私がそばにいる。だから、安心してついて来てくれ」

 彼女の言葉を聞いて、月島はしっかりと頷いた。

「ありがとう。よろしくね、ルーンちゃん」

「勿論。じゃあ行こうか」

 返事の代わりに月島がルーンの手を握ると、彼女はそっと握り返し、二つ目の扉に空いている右手をついた。

「改めてようこそ——」

 開け放つように扉を押すと、両側の扉が同時に開放して光が一気に溢れ出し、彼女たち二人を一瞬包み込んだ。

「ブヴァルディア王国特殊陸軍へ」

 目が慣れて前を見ると、月島は「わぁ」っと声を上げた。そこは縦長の八角形をした部屋が広がっており、床には幅の広い赤のカーペットが奥の扉まで続いていて、その中央には何かの花をかたどったような紋章が描かれていた。

 目線を上げると、空中に四つのホログラムのようなモニターが近接して浮いていて、それらがゆっくりと公転していた。二階に当たる場所には回廊のように廊下が渡されていて、そこを、白衣を着た人物や軍服を着た人たちが忙しそうに歩いていた。

 さらに上を見上げるとそこは吹き抜けのようになっていて、屋根を支える柱や屋根の骨組み、そして壁に空いた丸い窓、それら全てが何かの装飾であるかのように美しく、月島はしばらくその場に立ち尽くして、辺りを見回した。

「月島……口が開いている」

 ルーンが苦笑いを浮かべながら指摘すると、月島は慌てて口を手で塞いだ。

「へ? ……はっ、ありがとう」

「あの紋章、なんていう花かわかるか?」

「うーん、なんだろ。あんな模様の花、見たことないや」

「そうか。あれはブヴァルディアって言うんだ。この国の名前の由来になった花で、尚且つこの国の国花だ」

「凄い。花の名前がそのまま国名になったの?」

「あぁ、そうなんだ。今まで、多かれ少なかれ様々な世界線を見てきたが、花の名前をそのまま国名にするのはあまり無いな」

「へぇー、やっぱりそうなんだ」

 二人が談笑しているところへ、一人の女性が歩いてきた。初め月島はその人物が誰なのかピンと来なかったが、間近にその女性が近づいてきたところで当該の人物の名前と顔を思い出した。

 これまでに月島が見たことのある私服のような恰好とは違い、今その女性は軍服を身に纏っていたので余計に気づくのが遅れたのだ。

「ちょいと、お二人さん。思ってたより着くのが早かったねぇ」

「ヒヴァナさん。自分がこっちで礼服に着替えようと思ってたので、それで早めに到着するように来ました」

「なるほど。じゃあ、早速着替えてくるかい」

「はい、失礼します」

 ルーンはヒヴァナに軽く一礼すると、部屋の奥にある扉の方へ駆け足で行ってしまった。彼女は扉の両サイドにある螺旋階段を駆け上ると、二階の自動ドアの向こうへ消えていった。

「して、エリィ」

「え、はい……」

「悪かったね。ちょいと意地悪な言い方をしちゃってさ」

 ヒヴァナの自分への呼び名の方が気になって、何を謝っているのかについてまで頭が回らずただ静かに首を傾げると、彼女はゆっくり月島に顔を寄せた。

「あの日、狼男が学校に現れた時の件さ。そのあと仲間にしてほしいって頭まで下げてくれたのに、あたしの言い方がきつかったなと思ったんだ。まぁ実際、あの時点であたしが言えたことって、わからない以外はないんだけどさ」

 彼女の言葉を聞いて、月島はようやく話がつかめた。すぐさま慌てて顔の前で小さく手を横に振り、否定の意を示した。

「いえ、そんな。全然気にしてないです。むしろ、こちらこそ軽率に発言をしてしまったと反省してたんです」

「エリィは反省することないよ。初めに抱く欲求に、軽率も慎重もないよ。出発点はみんなそんなもんさ」

 ヒヴァナはそっと顔を離すと申し訳なさそうに微笑みながらそう言った。

「ところで、なんで私の呼び方が『エリィ』なんですか?」

「なんでって、何が?」

 どうしても気になった月島は、思い切ってヒヴァナに尋ねてみた。しかし、彼女からはキョトンとした表情が返ってきた。

「あ、あの、大したことじゃないんですけど、何か理由があるのかと思って」

「いいや。名前がえりだから、エリィって呼んでるだけさ」

「なるほど、そうですよね。あと、確認なんですけど、私は私服で大丈夫ですよね」

 月島がヒヴァナの方を見ると、彼女はこちらに背を向けてクスクスと笑っていた。

「って、え、なんで笑ってるんですか?」

「エリィ、あんた緊張してるねぇ」

「は、はい。少しだけ」

「あんたとルーン、二人は本当にそっくりだよ」

 ヒヴァナが月島の方に向き直ると、彼女は笑いながら懐かしげに月島のことを見つめた。

「あの時のルーンもさ——」

「お待たせしました」

 ヒヴァナが思い出話を言いかけた時、ちょうどそのタイミングで当のルーンが、着替えを済ませて二人のところに戻ってきた。

「おっと、おかえり」

 戻ってきたルーンの姿を見て、月島は見覚えがあることに気づいた。

「もしかして、初めて会った時のあの服って、軍服だったんだ」

「あぁ、そうだ。普段、別の世界で活動するときは、その世界の人々の中に溶け込むために服装は自由なんだが、あの時は緊急で、着替える間もなくこの礼装で出動したんだ」

「そうだったんだ」

 ルーンの軍服姿をまじまじと見つめる月島を見て、ヒヴァナが意地悪そうな笑みを浮かべた。

「ヒヴァナさん、さっきから何を笑ってるんですか?」

「いいや? 懐かしいなと思っただけさ。ほらエリィ、そんなに見つめたら穴が開いちまうよ」

「あ、ごめんなさい」

 ヒヴァナに指摘されて我に返った月島は、ふと二人の顔を交互に見て何となく状況を察した。ヒヴァナと目があった月島は二人して笑いあった。そんな二人をルーンは不思議そうに見つめた。

「さて、そろそろ行こうか。これから行くのは司令部室。総轄部っていう我が軍が誇るトップ5で構成されたチームの使う厳格な部屋だよ」

「なるほど、了解です」

「まぁ、部屋の場所とか軍の構成についてとかは後でちゃんと説明するから、ザックリでいいさ」

 ようやく月島たち三人は、玄関ホールから移動して目的の司令部室へ向かうことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る