第二章 風と雲 … 肆
〈肆〉
何日か経ったある日。無限書庫にルーンの姿があった。沢山の本に埋もれながら、彼女は一心にページをめくり、食い入るように黙読を続けた。
等間隔に並んだ本棚に挟まれたその空間には、ルーンがめくるページのカサカサという音だけが微かに響いていた。
そこへ、ゆっくりと近づく何者かの足音があった。本を読むのに集中しているルーンには聞こえていないようだが……。
「ここにいたのかい? ルーン」
急に声をかけられて驚いて振り向くと、そこには適当に積み上げられた本の一番上に乗っているのを手に取って、立ったままペラペラといたずらにページをめくるヒヴァナがいた。
「ヒヴァナさん……! あ、あの、これは」
「『探し物』、だろう?」
ルーンの言葉を遮って、それらしい言い訳を代わりに言うと、ヒヴァナは小さく溜め息をついた。当のヒヴァナは怒っているようではなかったが、ルーンに向かってわざとらしくぼやいた。
「まったく、盗み聞きとは看過できないね」
「すみません」
そっと本を閉じるルーンに、ヒヴァナはしゃがみ込むとそっと顔を近づけて、囁くように尋ねた。
「それで?」
「書庫管理部の方が集積して、そのまま放置していった山があったので、それを端から漁ってはみたんですが、総轄部が出した情報以上のものは……」
ルーンは顔を曇らせる。それを見てヒヴァナも小さく頷いてみせた。
「……そうか。まぁ、書庫管理部があげてあれだったんだ。現状、それが精一杯だね」
徐に立ち上がるヒヴァナに、ルーンが顔をあげた。
「あの」
「ん?」
「ヒヴァナさん、これは、私と似た人物が現れたということが問題なのですか? それとも、あの子自身が問題なのですか?」
「ルーン、あたしにもわからんよ。もしかして、あたしの話聞いてなかったのかい?」
呆れた顔をするヒヴァナに、ルーンは立ち上がりながら頭(かぶり)を振った。
「いえ、その、文献を読みながら思ったんです。あのまま、もとの生活に返しても良かったのだろうか、と。二人がいる、というのが重要なのではないかと」
「上はそうは思ってない。彼女のことは注視していくとは言ってるけど、積極的に関わっていくとは言ってない。あたしたちは、今できることをやるしかないのさ」
ルーンはヒヴァナの言葉に力なく頷いた。本の山を乗り越えてヒヴァナの隣にいくと、ヒヴァナは彼女の肩をなだめるように抱いた。
「そろそろ科学解析部で解析結果が出る頃だろう。行こうか、ルーン」
「はい」
すっかり意気消沈してしまったルーンを連れて、ヒヴァナは科学解析部のところへ向かった。
科学解析部に向かって廊下を歩いている時だった。向こうから慌てたように、その部に所属する解析員たちが走ってきた。
「どうしたんだい、そんなに慌てて」
「とにかく来て下さい!」
「急いで!」
口々に急かされ、ヒヴァナとルーンは理由もわからぬまま、とりあえず彼らの後について科学解析部へ急いだ。
部屋の中へ入るや否や、引っ張られるように二つの大きな円柱形の水槽と、大きなモニターの前に連れて行かれた。
そこで、二人は予期せぬ事実を告げられた。
「落ち着いて聞いて下さい。このままでは、ルーンさんやヒヴァナさんだけでなく、それ以上に、月島えりさんが危険です」
「なんだって?!」
科学解析部の次席解析員、レムリア・エルリコットの言葉に、ヒヴァナたちは驚いた。
「それは、どうして。しかも、なんだってあの子の名前がここで出てくるんだい」
「アクアとアイシア、二体のコアを解析した結果、このコアは周りの景色や状況を記録するだけでなく、彼女たちの状態も記録して、それを一定の期間が来ればどこかへ送信するようになっていたということがわかったからです。それだけじゃなく。なんと、このコア自体に損傷や、あるいは破損が生じた場合にもその送信が行われるシステムになっていたんです」
レムリアは深く溜め息をつくと、透明なガラスでできた机に腰をかけた。モニターには、ヒヴァナがアイシアと剣術で戦っている様子や、ルーンが倒れる様子、ヒヴァナと仲間の男が鳥の巣のあった場所を歩いていく場面。そして、アクアから見た場景だろう。切先を下に向け立つルーンの姿の後、ゆっくりと振り返った先、やや霞がかかってはいるものの、そこには確かに、刀を構えた月島えりの姿が映っていた。
「ソコにいたンだ、えりおねえチャン」
躯体の崩れる間際、アクアの残した言葉までしっかりと残っていて、モニター越しに再生された。
「その前に……」
しばらく沈黙していたレムリアが唐突に口を開いた。ヒヴァナとルーンが彼女の方を向くと、レムリアとルーンの目が合った。
「ルーンさん。あの時、月島えりさんとなにがあったんですか。いえ、なにが起きたんですか。返答次第で、この件に関する今後の対処が変わります」
レムリアの目が鋭いものに変わり、ルーンはその目に気圧された。
「軍の規定により、民間人及び、非戦闘員の戦闘への誘導、並びに煽動や教唆などが厳しく禁じられていることは、ルーンさん、貴女でも十分にご存知ですよね?」
「レムリア、ちょっと待ってくれ……ルーン、なにがあったんだい?」
しばらく俯いたままだったルーンが静かに口を開いた。
「私にも、正直あの時自分の身に……いや、あの子と私の間になにが起きたのか、わかっていなくて……。ちょうど、そのアクアという少女に首をしめられて、気を失いかけた時です。あの子の、鼓動を感じたんです」
「鼓動?」
ルーンの言葉に、レムリアとヒヴァナは声をそろえた。それに対し、小さく頷くと話を続けた。
「なんというか、感覚が共有されて、あの子の見ている景色、思考、聴覚、温度……。それらが、互いにわかる感じがしたんです」
徐にモニターを見ると、思い出しながら話すように、段々と消えていきそうな声で話した。
「お互いの間を何度か行き来しながら、気がついたら……」
ルーンの言葉が途切れ、モニターをぼんやりとした目で見つめはじめたのを見て、レムリアはこちらへ意識を戻させるかのように、語気をやや強めて話を戻した。
「とにかく、総轄部へ一緒に行っていただきます。まぁ、何某かの処罰は避けられないでしょうね」
「はい……」
「あたしも行こう。部下の過ちは上司の過ち。あたしにも責任があるからね」
ヒヴァナの言葉に、レムリアは仕方ないといった表情で同意した。
「いいでしょう。あなたにも、それ相応の処罰が下ることでしょう」
「ヒヴァナさん……」
総轄部が集まっているであろう、司令部室へと向かう三人。先頭をレムリアが歩き、その後ろをヒヴァナ、ルーンが続いた。
司令部室の前まで来ると、レムリアはまず扉の中央で止まり、直角に方向転換をして、扉と真っ直ぐ向かい合うように正面を向いた。律儀に両足のつま先をそろえてピッタリと足をつけると、背筋を伸ばしたまま扉を三回ノックし、「失礼します」と威勢よく宣言した。
目を丸くして一連の彼女の行動を見ていたヒヴァナたちを尻目に、レムリアは扉を盛大に開けて中へと入っていった。
部屋を覗くと、十五にも満たないような見た目の少女が一人、椅子にも座らず、立ったままスマホに似た端末をいじっていた。その少女は艶のある金髪をツインテールにしていて、服装は薄いピンク色のフード付きパーカーにミニスカートという出で立ちをしている。
初め、レムリアの突然の乱入にそちらを向いて驚いた顔をしていたが、相手がレムリアだとわかると、途端に嫌そうな表情に変わった。
「げっ、レムっちじゃん。なに用?」
「その『げっ』てなんですか、『げっ』て。冷やかしで来てる訳じゃないんですよ。緊急部会を開いてほしくて来たんです」
「緊急部会?」
レムリアの唐突な要望に、思わず目を丸くする少女。しかし、当のレムリアは構わず話を続けた。
「ルーンさんのことで、総轄部の皆様にご判断を仰ぎたいと思いまして――入って下さい」
困惑顔の少女をよそに、レムリアはどんどんと話を続け、そのままヒヴァナたちに入室するよう、勝手に促した。
戸惑いながらも扉の方を見ていた少女は、入ってきた二人の人物を見るや否や、打って変わって途端に明るく、元気になった。
「あ、やっほー☆ ヒヴァナっちー、ルナたそー☆」
「相変わらず変わり身早いわね……」
「やぁ、ティエラ」
「お久しぶりです、ティエラさん」
呆れているレムリアの横で、ヒヴァナとルーンは目の前の少女に挨拶をした。見た目こそルーンより年下に見えるが、ルーンは彼女に対し敬称をつけて呼ぶ。
彼女の名はティエラ・ズナーニエ。総轄部のメンバーであり、銃器技能長と呼ばれる、銃や弓矢の扱いからその指導まで、全般に長けた者である。つまり、立場上この場面では彼女が一番上なのだ。
「ねぇねぇ、レムっちー。それで、ルナたそのことって何?」
ティエラはルーンの両手を取り小さく左右に振りながらレムリアを見た。その様子に呆れながらレムリアは話し始めた。
「あのですね、そのルーンさんが軍の規定違反をした疑いがあるのです。一般人を戦闘に巻き込み、武器を取らせたのです」
「なぁんだ、そのことか。知ってる。『月島えり』って女の子の件でしょ?」
「知ってたんですか? じゃあ、話は早いですね。早速、緊急部会を開きましょう」
「無理よ。その件に関しては、いまだ不明な点が多すぎる。今の段階で規定違反かどうか判断するのは難しいわ。第一、何故その月島えりって子を含めた一般人四名が、ヒヴァナっちたちが事前に結界を張ったにもかかわらず、その結界内に取り残され、この事件に巻き込まれたのか。それだってまだクリアできてないのよ? その状態で、緊急部会は開けない」
そっとルーンの手を離し、ティエラはそっぽを向いた。しかし、レムリアは引き下がれずなおも詰め寄った。
「そうは言っても、このまま規定違反の疑いを見過ごせと言うんですか?!」
「ちょっと、レムリア!」
思わずあだ名ではなく、ちゃんと名前で彼女を呼ぶティエラに驚き口をつぐむと、直後、自分の言葉にハッとして俯いた。ティエラも気まずそうに言葉を続けた。
「……今、彼女については我々の方でも調査中だし、警戒と監視の方も続けてる。正式な判断はまだ出ないわ」
「……わかりました。科学解析部でも、引き続き『月島えり』の監視と警戒を続けます」
「よろしく」
一礼し部屋を出ていくレムリアを見送る三人。扉がゆっくりと閉まりきると、ティエラが小さく息をついた。
「――現段階では、その『月島えり』とルナたそを引き合せないようにする、と言うことになってるの」
「え?」
ルーンとヒヴァナは、ティエラの言葉に驚いた。この一連の話がそんなことになっているとは思わなかった。
「だから、この件に関して、ティエラちゃんから処分下しちゃうね☆」
唾を飲み、背筋を改めて伸ばす二人。対して、とても陽気にティエラは話を続けた。
「ルーン・セスト・ドゥニエ、並びに第八小団隊には、この件から外れてもらうね☆ また用があったら呼ぶから、それまで待機ヨロシク☆」
「そ、そんな!」
「今朝の通常部会で決まったことだから」
「ちょっと待って下さい! 彼女の近くにいないと。彼女とは一緒にいないといけないんです!」
部屋を出ようとしていたティエラが、ルーンの方を振り向く。その表情は困ったようでもあり、訝しむようでもあった。
「根拠は? 理由は? いたずらに言ってるんなら、それは場を混乱させるだけだよ」
ティエラが出ていくと、ヒヴァナはそっとルーンの肩を擦った。
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