第二章 風と雲 … 弐
〈弐〉
「えりが二人いる!?」
瀬里、陽愛、由依とそれぞれ目を覚ました順に、最初に目に入った光景を言っていった結果、このセリフはその都度発せられた。
「うん、そうなの。私もビックリしてたところ」
そしてこのセリフは、三人の動揺が少し治まった頃にえりが話した。しかし、三人目である由依が目を覚まし、そして目の前の現象に驚いたあたりで、えり自身は内心すっかり動揺が治まっていた。むしろ、不思議なほどに冷静な目で現状を見ていた。
ルーンは気を取り直して、えりたち四人に声をかけた。
「四人とも、怪我とかはしていないか?」
「は、はい……」
えり以外の三人はまだ困惑しているのか、返事に覇気もなく、しかもタイミングはバラバラだった。
「ところでルーンなんとかさん。あなた何者なの? あの子たちの仲間?」
えりはルーンに対して訝しんだ目で見ていると、ルーンは眉を寄せた。
「『あの子たち』? それは、まさか〝奴ら〟のことか?」
「待って、〝奴ら〟って誰よ」
えりの問いに、ルーンは少し近づいて片膝をつき、やや早口になりながら返した。
「〝奴ら〟というのは、こちらの世界で言う、怪獣とか化け物、妖怪、そういった呼称と同様の、ある範疇に対する総称だ。私たちはその〝奴ら〟を追ってこちらの世界にやって来た。ただ、今回ここに現れた〝奴ら〟に関して私たちは、『二人組である』ということ以外、情報を得られていない。だから、君たちの身になにが起きたのか、君たちがなにを見たのか、どんな些細なことでもいい。私に教えてくれないか」
ルーンが早口で話し終えたところで、数秒間が空いて、瀬里が口を開いた。
「すいません。その前にまず、貴女が何者で、どういった人なのか、それを教えてもらえますか?」
「瀬里……」
瀬里は初め、ルーンの顔を見て話していたが、次第に弱々しく俯いてしまった。
「ちょっと、疑心暗鬼になってて、貴女を信用してもいいのか、どこまで話してもいいのか、わからなくて」
ルーンはなにかを察したようにこくりと頷くと、ゆっくりと話し始めた。
「私はルーン・セスト・ドゥニエだ。〝奴ら〟を追って時空を監視している部隊に所属している。私たちがこの世界にやって来たのは、他でもない〝奴ら〟がこの世界に来たからだ。今回、この大型商業施設にも、二人組の〝奴ら〟が現れたという情報を得て、私ともう一人、ヒヴァナという隊員とともに派遣されてきた。そのヒヴァナさんとは、被害状況の確認や〝奴ら〟を捜し捕らえるために、二手に分かれて行動している」
ルーンは一旦間を置くと、「しかし」と前置きをして話を続けた。
「こうして別れて行動する時は常に、この耳につけた無線で連絡を取り合うんだが、今はどういう訳か繋がらない。もし〝奴ら〟と遭遇して交戦しているのなら、急を要する事態だ。だから、情報が欲しい。〝奴ら〟の情報が欲しいんだ。どんな些細なことでも、すべて知りたい。もちろん、君たちのことは私が己の命に変えてでも必ず守る。だから、どうか私に力を貸してくれないか」
ルーンの真剣な眼差しで訴える姿に、あるいはその眼差し自体に感化されて、えりたちは彼女のことを信用し、また自分たちのことやこれまでに自分たちの身に起きたことを彼女に教えると決めた。
「わかりました。貴女のことを信じます」
「瀬里……ほんとに?」と由依。
「うん。なんか、泣くとか、そういう小細工しなかったから」
「そうね、じゃあ、そういうことで」
陽愛が手をポン、と小さくたたく。それが合図のように四人は微笑んだ。そしてルーンの方へ顔を向けると、えりから順に自己紹介をした。
「じゃあ、改めて自己紹介しますね。私はえり。月島えりです」
「私は風間瀬里、よろしくお願いします」
「それから、私が関根由依。そしてこの子が」
「はい、本郷陽愛です」
「あぁ、わかった。よろしく頼む」
自己紹介を済ますと、早速自分たちの見てきた限りのことの顛末をルーンに教え始めた。
「……と、いうことがあって、私たちは騙されてこんなことになってしまったんです」
陽愛がそう言い終わると、ルーンは腕を組んでまじまじと彼女たちの足や身体に嵌められた水のリングを見た。
「つまり、この水でできた枷は拘束具であり、尚且つ、位置情報の探知と送受信が可能な発信器という、二つの機能を兼ね備えた一種の感知器であるという訳か」
ルーンが発するセリフに途中から違和感を覚えていたえりが、堪らず話の腰を折ってしまうのを覚悟で指摘した。
「ちょっといいですか、ルーンさん。途中から気になってたんですけど、その、発信器がどうとか感知器が何とかって、一言で『センサー』って言えば、だいたい伝わるし、それに、その方が簡潔でスッキリすると思うんですけど」
由依たち他の三人も同じことを思っていたようで、皆口々に「そうそう」と言いながら頷いた。
すると、ルーンは頬を少し赤らめながら目線を逸らした。
「すまない。表現が堅苦しいと、時々言われたりもするのだが、自分ではよくわからなくて。申し訳ない、善処する」
ルーンの照れくさそうな表情にクスクスと笑うえりたち、恥ずかしさを紛らわすため、また話を戻すため、ルーンは軽く咳払いをした。
「とにかく、君たちを解放するため、そのせんさぁを兼ねた枷を解く。そして、新たに結界を張り、君たちを一時的にその中で匿う。心配はいらない。君たちをより安全なところへ送り届けるために、私の仲間が今ここに向かっている。だから、これはそれまでの応急処置だ。了承してくれるか」
ルーンの言葉に、えりたちは一度顔を見合わせ、それからまたルーンの顔を見た。
「うん、するよ」
「拘束されたままよりマシでしょ」
「お願いしますね、ルーンさん」
「お願いします」
えりや瀬里、陽愛、由依は口々に了承すると、頷いてみせた。ルーンもそれに応えて、強く頷いてみせた。
「あぁ、任せろ」
ルーンは、「さて」と言って立ち上がると、刀の柄に手をのせた。その時、由依がルーンに話かけた。
「あの、ところで、この枷どうやって解くんですか?」
「順当なやり方で言うなら、この術をかけた本人に解かせるか、あるいは如何なる手段も辞さず、その当人から、術をかける能力のその源自体を断つ。その二つだ」
「能力の源って?」
「それは即ち、命だ」
「あ、あぁ……なるほど」
ルーンは、当然だ、とでも言いたげな表情で由依の顔を見る。それに対し、由依たちはただただ圧倒されるばかりだった。
「しかし、それは術者が捉えられた状態で現場にいるか、緊急時に限る――」
話しながらルーンは刀を抜くと、逆手に持ち替えた。
「――それ以外、いや、多くの場合専ら、その術者と同程度以上の能力を持つ者が、強制的に破壊する」
そして、彼女は切っ先を真下に向けて掲げた。
「へ?」
えりたち四人がキョトンとした表情を浮かべた時だった。ルーンの掲げた刀の切っ先に魔法陣が現れ、間を置かずに、勢いよく真下へ刀が振り下ろされた。
「きゃあっ!?」
えりは悲鳴をあげ、身動きもとれず固まったまま目を閉じた。
しばらくしてそっと目を開けると、足にかけられていたはずの水でできた枷が消え、その代わり足元の床には水がこぼれた後のようなシミができていた。
「あ、あれ? 枷が……」
「あぁ、今破壊した。拘束すること以外に大した機能を持っていないものなら、だいたいこうやって物理的に破壊している。しかし、罠や仕掛けのないところを見ると、そのアクアとやら、地位や能力的なものはいくらか低いかもしれないな。単なる偵察か、それとも、当たればよし、外れても困らぬ捨て駒か」
話の途中から、喋りながら思案し始めたルーンに、えりは鋭い視線をぶつけた。ルーンはその視線に気づき、えりと目を合わせた。
「どうかしたか?」
「どうかしたかじゃないよ。刀振り下ろすよ、とか、動かないでねとか、そういうことを事前に言ってよ」
「あ、すまない。いつもの流れで、説明を忘れていた」
平然と釈明するルーンを見て、瀬里が独り言をつぶやいた。
「いつもどうやってたんだ」
その独り言が聞こえたのか、ルーンは気まずそうに説明を始めた。
「いつもは、向こうから壊してくれと頼まれるから、説明などする前に、もう壊していたんだ。それが常だったから、つい癖付いてしまって、説明が抜けてしまった」
「これが、カルチャーショックってやつかな?」
「うん、それもスケールの大きいやつね」
瀬里と由依が呆れて苦笑いを浮かべ、えりは、ほんとにこの人に任せてよかったのか、と少し不安になった。
「驚かしてしまって、すまなかった。他の枷も、先程のように断ち切っていく。だから、目を閉じて、動かないでくれ」
えりたち四人は、やや呆れながらもルーンの指示に従い、そっと目を閉じた。すると、次々に「ストン、ストン」と小気味のいい音が聞こえ、また、それぞれの身体が拘束から解かれる解放感と、手足の濡れる感覚を覚えた。
「もういいぞ」
ルーンのその一言が聞こえ、えりたちは目を開いた。自分たちの身体を見ると、先程まで拘束していたあの水のリングはもうなく、すっかり自由の身になっていた。
「あぁ、やった……」
「助かった」
えりたちは口々に「やった」「助かった」と言って喜びを露わにした。えりは、ルーンの方を見ると、先程までの呆れや不安感などなかったかのように、笑顔でお礼を言った。
「ありがとう、ルーンさん! 助かったよ!」
「いや、まだだ。むしろこれからだ」
「あ、そう……だったね」
ルーンが先程よりも険しい顔になった。えりたちも重要なことを思い出した。まだ危険が去った訳ではなかった。
「そろそろ、こちらに向かって来るはずだ。備えるぞ」
えりたち四人は、ルーンの指示で通路の隅っこに固まってしゃがみこんだ。そして、ルーンは彼女たちを覆い隠すように、新たに結界を張った。
「この中にいる間は相手から見つからない。中の声も聞こえない。例えなにかものが飛んで来ても、結界自体が壊れたり、すり抜けてきたりなどはしない。つまり、外に出ない限りは安全だ。だから、そこで待っていてくれ」
ルーンは周りを気にしながら結界の説明をすると、彼女たちには目もくれず、足早に先程まで五人でいたあたりまで戻った。
しばらく待っていると、氷でできた鳥の巣の向こうにアクアが現れた。
ルーンは目を閉じたまま、足を閉じ、手も横にして直立不動でいた。恐らく、無の境地といったところだろうか。
アクアは、身体を変形させて柱の間をすり抜けると、鳥の巣の中を進んで、軽々と小さな突起や柱を越え、ルーンの近くまでやって来た。しかし、ルーンはそれでも微動だにしない。
「ちょっと、そこのお姉さん。わざわざ出向いてあげたんだからさ、挨拶くらいしなさいよ」
アクアに声をかけられ、ようやくルーンは目を開けた。しかし、喋る気配はなかった。
「なによ、聞こえなかった、お姉さん。黙ってないでさ、あなたが誰か、あの人たちをどこにやったのか、教えてもらえない?」
口調は丁寧さを装っているが、少し苛立ちを覚えているのか、または、はなから喧嘩をするつもりなのか、言葉の端々に険があった。
そんなアクアをさらに逆撫でするように、ルーンはまたそっと目を閉じた。それを見てアクアは重い溜め息を吐き出しながら上を見上げた。
「いい加減にしなよ、お姉さん。さっさと教えてくれたら、あなただけは見逃してやっても――」
「教える義理はない」
アクアの言葉を遮って、ルーンが言葉を発した。それは短く、淡々と、相手をバッサリと切り捨てるような言い方で。
その言葉に、アクアは頭を起こし彼女の方を見た。
「は?」
「何だ、聞こえなかったのか?」
ルーンは再び目を開けると、アクアの顔をジッと見つめた。その眼光は鋭く、微塵の揺らぎも感じられなかった。
アクアはその目を睨み返しながら、「チッ」と舌打ちをした。もはや彼女は、返答も真似され、ましてや一歩も動じることなく飄々としているルーンの様子に苛立ちを隠せないでいた。むしろ、それを露わにしているようにも見えた。
「ハッ。調子に乗るのもほどほどにしなよ。一番知りたかったのは、あの人たちをどこにやったのかっていう簡単な質問。たったその一つだけ。でも、それすらも教えてくれないなら、もうお姉さんとお話する意味も理由もないわ。あなたを倒して、強制的に暴いてやるから」
ルーンは小さく鼻で笑うと、不敵な笑みを浮かべた。
「そういう台詞は、勝算がある時にだけ言うんだぜ」
どこまでも余裕な態度のルーンに、とうとうアクアの感情制御系統で損傷の生じた気配がした。アクアは一方で冷静に思った。これがニンゲンの〝キレる〟だろうかと。
「バカにするのもいい加減にしろよ!」
アクアは鳥の巣からポンと飛び降りると、すぐさま右手の掌を上に突き上げた。すると、四方八方から水が飛び込んできて、アクアの頭上でまたもや水の巨大な球体を作り上げた。
「ほぉ、これほどまでの能力(ちから)、大したものだな」
ルーンは間合いをとって後ろに飛び退くと、刀を抜いた。それを合図と見たか、アクアはあげていた右手をサッと斜め下まで勢いよく下ろした。
「ショット!」
すると、頭上の球体から、弾丸のように大量の水玉が撃ち放たれた。まるでマシンガンで乱れ撃ちされているかのように、辺りをそこかしこと水でできた弾丸が襲った。
「オラオラオラァ!! 穴だらけにしてやる!!」
狂気に高揚するアクアとは対照的に、涼しげな表情で刀を振るい、ルーンは居合で飛来する水玉をかわし続けていた。
「いつまでその余裕が続くかな」
「つまらない」
ニヤニヤと笑みを浮かべていたアクアの表情が瞬時に驚きの表情へと変わった。押され気味だったルーンが、一気に自分の近くまで飛び込んできたからだ。
そのままルーンは思いっ切りアクアの首を振り切った。
切り落とされたアクアの頭は、ゆっくりと当人の脇に落下し、水浸しの床にぶつかって「ドチャッ」と気味の悪い音をたてた。
「己の周囲は安全地帯、という訳だ」
ルーンが見下ろしてる先で、頭をなくした身体が力なく尻餅をつくように座り込み、上体は後ろの鳥の巣にもたれた。
造作もない、と思い刀についた水滴を振り払って鞘に収めようとした時だった。
「っ!!」
頭上から迫ってくるものを察して、ルーンは急いで飛び退いた。しかし、その奇襲に間に合わず、降りかかってきた〝それ〟に足が被弾してしまった。バランスを崩したルーンは、飛び退いた勢いを上手く殺せず、水浸しの床を滑っていく。
ある程度滑っていったところで何とか手足を踏ん張り、起き上がって体勢を整えるが、被弾した足がじりじりと痛んだ。
痛みに思わず顔を歪めるルーンの見ている先で、転がる頭部から、まるで彼女を嘲笑うかのような含み笑いが響き出した。そして、首のない身体の表面がユラユラと波打ちだしたかと思うと、もとの身体や服の形を粗く残したまま半透明になり、それから徐々に立ちのぼるように首から先の頭部が復元された。
完全にもとの姿に戻ったアクアは、転がっている前の自分の頭部を持ち上げ、その唇に軽く口づけをした。お互い微笑みあうと、以前の頭部は一瞬にして水に戻ってしまった。
「その勇気と判断力には脱帽だわ。でも、残念だったわね」
首を切り落とされる前までとは打って変わって、穏やかに話し始めたアクアは、途中途中で「フフッ」と、いかにも愉快だという感じで、吹きだし笑いした。それから、やれやれと言いたげな態度でゆっくりと立ち上がると、真っ直ぐルーンを見つめた。
「あなたのお仲間さんと今遊んでるアイシアも、それから私も、それぞれ体内に中枢核(コア)があって、それが私たちのすべてを担っているのよ」
「コア……?」
その時ルーンは、もとの姿に復元している時のアクアを思い出した。人でいう心臓のあるあたりに、金属製とみられる小さな球体があったのを見たからだ。
(あれが、核?)
「特別に、私のもう一個の技もみせてあげるね?」
「もう一個の技……だと」
痛みを堪えながらルーンが刀を構えていると、アクアが手首を上にして差し伸べるようにルーンの方へ右手を向け、不敵な笑みを浮かべた。
不穏な気配を感じたルーンが動き出そうとしたその時――。
「ライズ」
アクアが向けていた右手を勢いよくあげた。それに連動して、一斉に床を覆っていた水から大量の水玉が弾丸となってルーンめがけ放たれた。
その弾丸を全身に浴びたルーンは、口から鮮血を吐き出してその場に倒れた。手に持っていた刀は、被弾した拍子に弾き飛ばされ、通路の端に落ちた。
「ルーンちゃん!」
「ルーンさん!」
結界の中から見守っていたえりたちが、今まさに目の当たりにした惨劇に思わず声をあげた。しかし、幸か不幸か、ルーンにはその声は届かない。
「もうやめて、なんでこんな……」
「そんな、ルーンちゃん」
恐怖と悲しみで混乱する四人、怯えながらも必死にアクアへ制止するよう叫ぶが、もちろん彼女たちの声は結界によって遮られているため聞こえる由もなく、ゆっくりと、されど確実にルーンの方へとアクアは歩みを進めていく。
「あんなに余裕ぶって平静を装っていたのに、随分と簡単じゃない? ねぇ、あなたって、とっても滑稽ね」
ルーンの足元まで歩いていくと、彼女の首をつかんで粗雑に持ち上げた。その力は到底少女の見た目からは想像もつかないほどの腕力で、ルーンは背後にあった柱まで連れていかれ、そのままそこへ押し付けられた。
「ガハッ」
「もう少し愉しみながら逝かせたかったけど、面倒くさいから、このまま一気に殺してアゲル」
ルーンの首をしめていた右手が、さらに増して強く彼女の首をしめ始めた。
「ア、アァァ……」
ルーンは、締め付けから逃げようと相手の右手をつかみ、必死に空気を求めて口を開けた。足は筋肉の緊張からか、あるいは逃げ出すためか、屈伸を繰り返しながら背後の柱を蹴った。
ルーンの反応を見ながらアクアの表情は悦に入り、ニタニタと歪み始めた。
すると、その状況を結界の中から見ていたえりの身体に異変が起きた。突然首を擦ったりかいたりしながら苦しみ始めたのだ。
「えりっ、どうしたの、えり!」
「えり、しっかり!」
瀬里や由依たちから声をかけられるえりだったが、少しずつ頭がぼんやりとしてくるのがわかった。彼女は何とか声を振り絞ってみる。
「だめ……このままじゃ、あの人……死んじゃう」
えり以外の三人が同時に息を飲むのがわかった。状況が状況なら、えりも同じように絶句するに違いない。
霞む視界の中で、えりはあるモノが目に入った。鈍くなりゆく思考においても、それがなんであるかはさほど時間をかけずともわかった。そして、ある一つの可能性も。それは彼女自身の意思であろうか、どちらにせよ賭けであることには変わりなかった。
えりはできる限り目一杯息を吸い込むと、重い身体に鞭を打つように、力を込めて立ち上がった。
「助けなきゃ……!」
「えり?」
「ちょっと、えり!」
制止する声も聞かず、えりは結界の外へ出ていくと、先程目に入った、あのあるモノのもとへと真っ直ぐに向かった。
そう、それはルーンの手元から弾き飛ばされてきた刀だ。
刀を手にした時、えりは不思議と気持ちがスッと落ち着いた気がした。手に馴染みがあるというのか、急に点と点があちらこちらで線を結び繋がりだして、今までわからなかったこと、解けなかった問題がわかるようになりひらけていくような、そんな気分がした。
「……!」
不思議な体験に驚きながらも、えりはルーンの方を見た。すると、少しずつ全身から力が抜けていき脱力していくルーンの姿が見えた。
「さようなら、お姉さん」
完全に脱力し、だらりと垂れたルーンの姿を見ながら、アクアは達成感を顔全体に露わにして微笑んだ。そして、腕をあげたままその高さから何の躊躇もなくパッと手を離した。
その瞬間、アクアは目の端で白い閃光の走っていくのを捉えた。
「えっ……」
驚いてヨロヨロと数歩後ずさりすると、今度は彼女の左肩辺りにまたもや白い閃光が走った。
時間差を置いて、彼女は気がついた。自分の両腕、そして右耳やその周囲がなくなっていることに。
「生憎、ただでは死なない」
先程、アクアの目の前で彼女の手から滑り落ちるように落下していったはずのルーンが、今そのアクアの目の前で切っ先を下に向け立っている。
「そんな、そんな……」
狼狽えるアクアを見つめたままルーンは声を張った。
「今だ!」
「はぁぁぁーーーっ!」
辺りに「ガキンッ」という金属同士がぶつかったような音が響いた。
今にも崩れゆかんとする思考と躯体を動かして彼女は振り返った。
「ソコにいたンだ、えりおねえチャン」
アクアの視線の先には、たった今自分のコアに切っ先を突き刺し、大きく毀損させた者、胸の位置で切っ先をこちらに向け構えたまま、自分のことを鋭く睨み、どういった感情からだろう、目にいっぱい涙を溜め、その上赤くしている者がいた。
いよいよ躯体も思考も維持できず、アクアはガクガクと二度躯体を震わして、それから一気に崩れ去った。彼女がいた場所には半分に割れた中枢核(コア)が転がっていた。
武者震いか未だ残る恐怖心か、呼吸が荒く、目を見開いたまま小刻みに震えているえりのもとへ、刀を床に刺し、ルーンがそっと近寄った。
固く握りしめられたえりの手に、ルーンは右手を優しく添えて、左手でゆっくりと刀を抜き取った。
「もう大丈夫だ。終わったよ」
ルーンがゆっくりとえりの手を押し下げていくと、徐々にえりの全身の緊張が解けていき、ついにはルーンへもたれかかるようにして力なく崩れた。
えりに合わせてルーンも屈むと、さりげなくえりを自分の胸へ抱き寄せた。それは、えりが泣いているように見えたからだったが、結界の中から一部始終を、固唾を飲んで見守っていた瀬里たちから見れば、ただのお伽噺に出てくる王子と姫のそれにしか見えなかった。
間もなくえりたちの背後で「バシャーン」という大きな音がして、彼女たちはその音がした方を振り返った。えりたちは、水しぶきに目を細めながら確認すると、鳥の巣から水が流れ落ちていた。
「え、なに!?」
「何でもない。アクアが空中に浮かべていた水の球が、躯体や浮遊状態を維持できなくなって落ちたんだよ。彼女の核が破壊されたからね」
「あぁ、なるほど……」
えりは先程のことを思い出して気分を落とすが、ふとあることに気がついた。
「あ、ごめんなさい。私、その……」
いつの間にかかなり密着していた状況に気づき、えりは恥ずかしくなって急いで離れた。一方ルーンはキョトンとした表情を浮かべていた。
「ん? もう落ち着いたか?」
「え、うんっ。もう、すごく大丈夫です」
頬を赤らめやや慌てているえりの姿に首を傾げながらも、ルーンは刀をしまい、それから中枢核(コア)を小さな結界の中へ回収した。
その時、耳につけた無線から声がした。
「ルーン、聞こえるか。こちらヴァイスだ、応答しろ」
「ヴァイスさん。今どちらですか」
「今? 一階の大きなエントランスを抜けて……うお、なんだこの妙な冷気は」
「ヴァイスさん、そのまま真っ直ぐ来て下さい。合流です」
「あいよ」
ルーンは無線を切ると、ホッとした表情でえりを見た。えりの後ろには、ルーンが無線でやり取りをしている間に結界から瀬里たちが出て来ていた。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら彼女たちはえりに近づいていく。
「ちょっと、私たちのこと忘れてない?」
「そうだよ、何勝手にいい感じになってんのよ」
「いい感じって何よ」
「気づいてないとは言わせないよ、えりちゃん」
瀬里たちに囲まれていじられていたえりが、助け舟を求めてルーンを見ると、遠くを見つめて難しい顔をしている彼女の姿があった。
「ルーンちゃん……?」
そこへ、先程無線で話していたヴァイスが到着した。
「おいルーン、何があった。どうしてこんな水浸しなんだ、って、な、なんだこの氷の柱は。あ、あ?」
到着するや否や、矢継ぎ早にルーンに質問を浴びせるヴァイスであったが、自分の方へ振り返った者、その陰から顔を覗かせる者、その両者を見て、彼は固まった。
「ヴァイスさん、どうかしましたか」
「えーっと、ルーンって二人いたか?」
「…………いません」
「あ、あぁ。だよな」
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