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 風呂から上がった理央は体をよくバスタオルで拭き、下着を身につけ、頭をドライヤーで乾かしてもらいながらねだるように言った。


「ねえねえ、紗綾子さん早くお願いしますよ~」

「そう慌てないで」


 ドライヤーのスイッチを切り、乾いたタオルで理央の頭を優しく包み込むように拭いた。


「照明を変えるわよ」


 床に置いてあったいくつかのアロマランプを点けて、部屋の照明を消した。夕陽を思わせるオレンジ色の光がふたりや物を優しく照らす。


「おー、一気にリラックスモードだ」

「というか寒くないの? クーラーの温度少し上げるわよ」

「うつ伏せだからおなかが冷えないし、紗綾子さんのマッサージを堪能したいから平気平気。仰向けになったら、バスタオルをおなかにかけてもらえば大丈夫!」

「わかったわ。ね、今日はどんなアロマオイル使ってると思う?」

「土っぽいような、木を燻したしたような匂いがするよね。自然っぽい感じ。名前までは想像つかないかなー、ウッドスモーク的な名前?」

「これね、ベチバーって言うの。運動したあとの疲れを緩和させる働きがあるの。ゴキブリが嫌いなニオイでもあるんだよね。ちなみにさっきのハッカもゴキブリが嫌いなんだよね。だから、ゴキブリに悩んでる友達がいたら、教えてあげてもいいかも」

「へえー、さすがアロマセラピスト。ニオイのことはホントに詳しいね」


 理央の髪は短いためすぐに乾いた。ドライヤーのスイッチが切られると同時に、理央は身につけていた下着を、邪魔な物であるかのように網のかごに投げ入れた。


「相変わらず裸族のような振る舞いをするわね」


 紗綾子が半ばあきれながらマッサージに使うエッセンシャルオイルを準備している。その横のマットレスでは理央がうつ伏せになり、足をバタつかせていた。


「だってあたし、暑いの嫌いだし」


 紗綾子は小首をかしげた。


「ハッカ風呂に入ったのにおかしいわね」

「寒かったら言いますから、早く早く!」

「はいはい」


 紗綾子はオイルを手に取り、満遍なく両手を使って、全身にオイルを滑らせていく。


「いや~、紗綾子さんの手ってホント、いつでもあったかいよねぇ」

「やっぱり、全身疲れてるわねぇ。特に脚がひどいわ。パンパンにむくんで鍛え抜かれた美脚が台無しよ」

「3連休中日+ベイスタジアム外野席だからね。何回ビールサーバーを取りに行ったか憶えてないくらい、売りまくったねー」


 理央の足裏に、紗綾子の長くしなやか指がゆっくり且つ丁寧に動いていく。


「ベイスタジアムの外野席はほぼほぼ直下降だもの。よく行ったり来たりできると思うわ」

「ま、大体の時間は常連さんの近くを徘徊してたね。2、3ヶ所にまとまっていてくれたからよかったよ。さすがにほかの売り子に悪いから、行ける所は全部回ったけど」


 硬く引き締まったふくらはぎは、そこらのスポーツをしていない男よりも硬いかもしれない。


「常連さんはスケベなおじさん連中?」

「紗綾子さん。それは偏見だねー、偏見偏見。あたしは老若男女にモテるのですよ♪」


 そりゃ、こんな明るくてかわいい娘(こ)が売り子をしてれば、誰でも買いたくなるわよ――と、言いたくなるのを抑えつつ、


「ふーん、いいことじゃない」


 紗綾子はそっけなく言った。


「でも、あたしは紗綾子さんひとすじですから!」

「大人をからかわないでもらいたいわね」


 含み笑いが混じった告白をサラッと流し、紗綾子は手の位置が腋近くにあるのをいいことに、理央の両腋の下周辺をくすぐった。


「ひゃー、あはははは、やめてやめて。くすぐったいから――っ!」

「仕方ない。これぐらいにしといてあげるわ」

「紗綾子さんって軽くドSだよねぇ……」

「そうかしら、フフフ♡」


 背面部が終わり、今度は理央が仰向けの体勢となる。ぜい肉もなくほどよく割れた腹筋をしきりにさすった。


「あ゛ー、さすがにポンポン寒いです……」

「え、このまま退行プレイするの?」

「いやあ、ムリムリですよー。揉みほぐされて心身ともにフニャフニャで、役になりきれないって」

「やったことないクセに」


 ふたりは笑い合う。紗綾子が理央の腹部にバスタオルをかけ、足を揉んでいく。


「あっ、あっ、スネの辺りめちゃくちゃ気持ちいいですぅ……」

「知らない人は知らないけど、足のスネも疲れるのよ。むくみの原因にもなるから、ここもちゃんとやってあげないとね」


 次いで腕回りも終わり、腹部のバスタオルを取り去った。


「いつ見てもうっとりする腹筋だわ~」

「紗綾子さんよだれよだれ!」

「おっと、ごめんなさい。いつ見てもうらやましいわぁ。私なんかこうだもん」


 紗綾子がTシャツをまくり上げると、ハーフパンツに脇腹の肉が少しちょこんと乗っていた。


「気にしてるわりに見せてくるよねー。あっ、でも、さっき言いそびれたんだけど、男性的には紗綾子さんぐらいの肉付きがいいんだって。胸もお尻も大きい。これをね、ジャストミートって言うんだよ」


 紗綾子の冷たい目線が理央に注がれる。理央は目を逸らしながら、


「……ってスケベなおっちゃんが言ってた」


 腹周りも終わり、紗綾子が最後のデコルテ(鎖骨)のリンパを手のひらで優しく撫でていると、


「痛っ」


 いきなり噛みついた。


「なになに? これもマッサージの一種なの?」


 デコルテに歯形がつき、少し理央は困惑する。しかし、当の紗綾子は無視。色っぽく目を細め、吐息を漏らすようにささやきかけた。


「ね、このまま――」


 グゥ―――ッ


 理央の腹の虫が盛大に抗議をした。それもそのはずである。帰って来て口にしたのは、スポーツドリンク2本と10秒もかからずチャージできるゼリー2本だけなのだから。


「あははは、ごめんねぇ」

「もー、ムード何もないわよぉ」


 頬を膨らませて腕を組んでそっぽを向く紗綾子。


「でもさ、『腹が減っては戦はできぬ』ってね。紗綾子さんは明日も休みなんでしょ?」

「そうよ。理央ちゃんは?」

「ふっふっふ……実は明日休みをもらえました!」 

「え、ホント!? 珍しいわね」

「だからね」


 理央が両手伸ばし、紗綾子の両頬を優しく包む。真っ黒でまっすぐな瞳がオッドアイをロックオンした。


「食後はあたしに任せて――紗綾子様♡」


 紗綾子の顔が風呂上がりのように上気し、顔を手で覆って意味不明な奇声を上げたのだった。

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