夏祭り、残響、君が変わる

成瀬なる

次の日の朝、僕の中の君は違ってしまった

 夏の蒸し暑さの囁き声が鬱陶しくて、目が覚めた。遮光カーテンの引かれたワンルームの部屋は薄暗くて、物寂しい。カーテンの隙間から漏れる明かりに反射する埃を見て、最後に部屋を掃除したのはいつだっただろうかと思う。

 朝だ。朝を迎えることを好きになれない。幼い頃は、日が昇り始めたばかりの夕暮れ時と朝方の区別がつきにくい時間帯が恐ろしかった。学生になれば、幼い反抗心から次の日を迎えるのが恐ろしかった。そして今は、過去の恐ろしさを忘れ、無感情に次の日を迎え、無価値に過ごす毎日に怯えている。

 寝癖まみれの髪をかき上げながら、ハッキリとしない意識でベッドから体を起こし、冷蔵庫へ向かう。扉を開けると、何も入っていない冷蔵庫が無菌室のように思える。蒸し暑さの中の唯一の冷気が、そう思える。俺は、冷えた500mlの緑茶を取り出して、台所にある灰の溜まった灰皿を片手にベランダへ出た。野晒しにされていた安物のサンダルは色褪せて埃っぽい。

 いくつもの物寂しさを無視して、ベランダで煙草に火を付けた。蝉の声がやけにうるさく聞こえるけれど、俺には心地いい。夏の蒸し暑さの囁きはもとより、昨夜の喧騒が耳に残っているんだ。深海のような夜空の中で輝く星の音や香ばしいソースと大勢の人の音、何より夜空を刹那的に彩った火の華の気配が鬱陶しい。

 煙草の煙が、口の中を満たす。高校の時を思い出した。ただの憧れで手を付けた親の煙草の不味さは、今でも忘れない。

 煙草の灰を灰皿へ落とす。灰皿の中で溜まっていた古い灰は、部屋の埃と混じり微かに硬化している。

 あぁ、久しぶりに煙草を吸ったから高校の時を思い出したんだ。小さなころに手放せなかったタオルケットを見つけた時のように、よく読んでもらった絵本を古本屋で見つけた時のように、その時の光景を拾い集めてしまう。部屋の掃除をしていてアルバムを漁ってしまうような楽観的な物ではない。人の囁き声が、全て悪口に聞こえてしまうような悲観的な物だ。

 煙草を根元まで吸い終え、ため息に混ぜて煙を吐いた。昨夜のことを思い出してしまっているんだ。

 学生という肩書を外し、社会の中に混じり、辛さや苦しさや小さな幸福に無感情に接していた中で、俺は昨夜、過去に好きだった女性と夏祭りに出かけた。

 決して、大きな祭りではない。小さな神社の敷地で行われる小さな祭り。浴衣も祭囃子も満足にない中で、たった一つ――夜空を彩る花火だけが美しかったんだ。

 彼女と俺の間にあった否定的な物全てを忘れたかったんだ。

 けれど、結果的に、昨夜手を繋いでいた彼女は過去の人になり、ベランダで毎朝花を咲かせていた朝顔は酷暑のせいで枯れてしまっている。

 そうゆうことなんだ。

 縋っていた夏の一夜ひとよを鬱陶しく感じてしまうように、昨夜まで好きだった女性を過去のモノとして扱う。

 狭いなと感じていたワンルームが、やけに広く感じる。

 満足感の中にある幸福感に心臓を掴まれて、苦しくなった。まるで、昨夜打ちあがった花火の衝撃を思い出すように、昨日まで聞いていた音の全てが、残響に変わっていた。

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