宝石泥棒

浦木 佐々

短編、宝石泥棒

『短編、宝石泥棒』


 僕は甘党な泥棒だ。

 疲弊したこの国では学歴も無く、何の技術も持たない人間は総じてホームレスか泥棒になる。よくある話だ。本当によくある不幸話だ。いや、まだ生き長らえていられる分、他よりはマシなのかも知れない。遠い国の事など解りもしないし、解りたくもないが、此処よりもっと酷い場所もあると風の噂に聞いたこともある。


「この国の政治家は腐ってる!」


 無愛想なウエイトレスを目で追っていると突然後ろの席から怒号が響いた。これもこの飲み屋ではよくある話だった。僕の同胞たる持たない者が、与党の政策に憤りを感じる余り鼻息を荒くしているだけ。それだけだ。

 ここに訪れる客の大半は僕のように身分が低い人たちだ。彼らは一部の富裕層が大金を握っているのを面白く思っていない。だから、選挙に行き一石を投じようとする。無論、その石が向かう先は富裕層の金庫で、必死にぶつけては金が自らに降りかかると信じてやまない。

 哀れだと思った。金を生み出せない人間が、それを生み出せる人間から奪おうとする様が、口汚く罵られる泥棒の僕とよく似ていたからだ。

 僕は草臥れたスラックスから盗んだ硬貨を取り出すとテーブルの上に放り投げた。


「お釣りは要らないよ」


 空いた酒瓶を運ぶウエイトレスに告げ席を立った。こんな太っ腹な真似を僕がした事に驚いたのか、ウエイトレスは怪しむような目線を遠慮無く浴びせてくる。そして「いい仕事でも見つけたの?」と尋ねてきた。

 僕は逡巡ののち一言だけ「宝石を貰う約束をしているんだ」と返した。


【場面転換】


 僕は老朽化して所々メシメシと鳴る雨樋を必死でよじ登っていた。何度か肝を冷やす羽目になったが、経験がものを言い僕は手入れの行き届いた庭に落ちずに済んだ。彼女の部屋の窓の傍まで来ると、何時もの様にトントンと二回ノックして合図を送る。すると間も無くして分厚いカーテンが開いて、窓の向こうに彼女が現れた。綺麗な顔を少し傾け、彼女は勢いよく窓を開け、


「あんた臭いわよ」


 と、満面の笑みで言った。

 失礼だろ、なんて抗議の声を出そうとも思ったが、初対面の時みたくビンタでもされれば真っ逆さまに落ちてしまう。それだけは避けなくてはならない。僕は適当な相槌を打ちながら窓枠に手を掛けた。


「で、決心はついたの?」

「……別に。あんたには関係ないでしょ」

「まあ、確かにそう言われればそうなんだけど……ほら、乗りかかった船と言いますか」


 僕は彼女の私室をぐるぐる回りながら高価そうな物に目星をつけて居た。別に何かを盗ろうっていう心算では無く、長年の癖でだ。


「……今夜も出かけて行ったわよ。だから、もう良いの。やられっ放しは性に合わないし、やり返してやるのよ。泥棒のあんたを使ってね」

「被害届けだけは出さないでね」


 結局、金目の物は特に無かった。いや、飾られた調度品や絵画はそれなりの値段がつくのだろうが、生憎様僕はケチな空き巣だ。嗜好品を盗んだところでそれを捌くルートなど持ち合わせていない。この部屋で興味を持った物なんて、サイドテーブルの上に置かれた角砂糖ぐらいだ。盗もうか。


「あんまりジロジロ見ないでくれる?変態が居ますって警察に言うわよ」

「……性犯罪者は僕らの業界でも差別されるんだ。勘弁してよ」


 彼女はどうも無駄話を嗜む癖がある。貴族なんかは無駄が好きだと昔読んだ本に書いていたが、対面する機会が無かった為に迷信の類いだと思っていた。それが無くても、彼女は日常的な、庶民的な会話を欲しているとも見受けられるが。そこまで思考が纏まると可哀想だが無駄話を早々に切り上げなければならない気がして、


「本題に入ろうか」


 と、思わず言ってしまった。

 その瞬間、彼女のコバルトブルーの瞳が微かに黒く染まった様に感じた。


「……えぇ、そうね」


 行動を起こしてから後悔するのが僕の長年の悪い癖で。この時も先ほどまでの弾んだ声音より幾分か調子を落とした声にしまったと心が揺れた。


「……少し目を閉じて、今取り出すから」

「わかった」


 言われた通りに目を閉じる。人は視覚を頼りに外の情報を得ると聞くが、この状況では耳や空気感から伝わる雰囲気の方が強く脳に刻まれる気がした。談笑に興じてた時とは対照的に機械のような口振りが、彼女の心が冷え切っていることを暗示しているようで、まぶたの裏に張り付く黒が濃く見える。

 パキパキと稀に鳴るのは暖炉に配られた木材で、その音が余計にこの部屋の寂しさを増長させている様に思えて仕方がない。


「手、出して」

「はい」

「……もう目開けて良いわよ。それじゃあ、さようなら」


 途端にズシリとした重厚な感触が手のひらに乗る。


「これ凄く大きいね」


 売り捌けば当面は生活に苦労しないであろうサイズの宝石がそこにあった。

 僕の言葉に返事はない。どうやら僕は彼女の機嫌を損ねたらしい。

 手中に収めた宝石を眺める。配られた木材が音を立てた。


「もう一つだけ欲しいものがあるんだけど」

「……わかった。なんでもくれてやるからさっさと帰って!!」


 多分、彼女が声を荒げたのは僕が悪戯っ子の様な笑みを湛えていたからだ。

 これ以上は刺激しまいと泥棒稼業で培った忍び足でサイドテーブルに近付くと、有りっ丈の角砂糖を握り締めた。それを手のひらで砕き、逆の手で持っている宝石にこれでもかと塗す。

 甘党の泥棒である僕にとって夢の様な景色がそこにあった。


「ちょっと、あんた何してんの!?」


 その声を無視して、暖炉へと宝石を勢い良く放り投げた。


「少しはマシな気分になると思って」


 刹那、宝石は所在を見つけたとばかりに燃え始めた。

 この様な暴挙に出たというのに不思議と心は澄んでいた。火を囲み話すなら笑い話が丁度良い。そう教えてくれたのは誰だったか。今は思い出せないが、メラメラと燃える宝石を見つめているとその奥に答えが現れる気さえする。


「宝石がこんなに汚く燃えるなんて知らなかった。これじゃまるで線香花火の火球じゃない」


 なんて呆然と立ち尽くしていた彼女が僕の横に並ぶ。


「……でも、悪くないわね」


 それに、と付け足し。


「なんだか笑えてくるわ」


 ああ、好きだなと思った。

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宝石泥棒 浦木 佐々 @urakisassa

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