私だけが知っている

ささはらゆき

私だけが知っている

「ねぇ、知ってる?」


 ふいに問いかけられて、私ははっと我に返る。

 放課後――。

 帰りのホームルームが終わったあとも、教室には何組かの仲良しグループが所在なさげにたむろしている。

 私とミカもそのなかのひとつだ。


「……なんの話?」

「ほら、バス停の近くに古いトンネルあるじゃん? 夜になると、女の子の幽霊が出るんだって!」


ミカはいかにもおどろおどろしい調子で言うと、きゃーっとわざとらしい悲鳴を上げてみせる。


「ていうかさ、うちらが小六のときに行方不明になった子のこと、覚えてる? 警察とか先生たちが何日も探し回ったけど、結局見つからなかったっていう……」

「覚えてる、けど――」


 私はすこしドキリとする。

 行方不明になった子と私は、同じ小学校に通っていた。

 それだけじゃない。

 私たちは仲が良かった。……というより、一番の親友同士だった。

 事件が起こった直後は私の家にも警官が来て、よく二人で遊んでいた場所を案内したりもしたけど、いまだに足取りは掴めていない。未解決事件……いわゆる迷宮入りだ。

 早いもので、あれからもう四年が経つ。

 地元を騒がせた失踪事件も、いまでは話題にする人もほとんどいない。

 高校に上がってからその話を耳にしたのは、今日が初めてだった。

 隣の市からバス通学しているミカは、私とは小学校も中学校も別だ。

 事件のことはたまたまどこかで小耳に挟んだだけで、私と彼女が親友同士だったことは当然知らないはずだった。

 うっかり口にすれば、これ幸いとばかりに根掘り葉掘り聞き出そうとするにちがいない。

 その煩わしさを思うと、わざわざ話す気にもなれなかった。


「でね、でね! あたし思うんだけど、そのトンネルの幽霊さ、もしかしてその子なんじゃないかなあ? ちょうどあのへんでいなくなったって言うじゃん? おうちに帰りたいよーって、夜な夜なさまよい歩いてるとか……」

「まさか……幽霊なんているわけないでしょ」

「えー、絶対いるよぉ!」


 それ以上は取り合わず、私はさっさと席を立つ。


「そうだ、帰りにカラオケ行こうよ!」

「ごめん――今日は約束があるから、また今度ね」

「付き合い悪いなあ。いくら旧家のお嬢さまだからって、寄り道くらいしてもバチは当たんないと思うけど」


 不満げなミカを尻目に、私は駆け足で教室を出ていく。

 下足箱から靴を取り出しながら、壁にかかった時計に目をやる。

 時刻は午後四時をすこし回ったところ。

 約束の時間までは、まだだいぶ余裕がある。



 例のトンネルを通ってみようと思ったのは、たんなる気まぐれだ。

 べつにミカの話を真に受けたわけじゃない。

 だけど、もし本当にあの子がさまよい出ているなら、会ってみたいとも思う。

 バス停のすこし先、車がひっきりなしに行き交う幹線道路から脇にそれた細い道に、そのトンネルはある。

 私が生まれるずっと前に廃止された旧道だというが、詳しくは知らない。

 瘤みたいに盛り上がった小山を貫くようにして、トンネルはぽっかりと黒い口を開けていた。

 高さも幅も車一台がやっと通れるほどしかない。トンネルというより、洞穴といったほうがしっくりくる。

 こうして入口の前に立つと、中学生の頃から一人では近づかないようにと再三注意されたのも納得だった。

 めったに人通りがないうえに、周囲には人家もまばらだ。

 もし犯罪に巻き込まれても、誰にも気づいてもらえないだろう。

 あの日、彼女が誰にも知られずに消えてしまったように。

 そんなことはおかまいなしに、私はさっさと一歩を踏み出していた。

 外は汗ばむ陽気だというのに、トンネルの内部にはひんやりとした空気が流れている。

 電灯のないトンネル内は薄暗く、入り口と出口から差し込んでくる光だけがうっすらと周囲を照らす。

 長い年月を経たコンクリート壁は黒とも緑ともつかない奇妙な色を帯びて、まるで得体の知れないおおきな動物の内臓の中に放り込まれたようだった。

 足音がやけに大きく響く。中心に近づくにつれて、外の世界から私だけが切り離されていくような気がする。

 トンネルのちょうど中ほどまで進んだところで、私はふと足を止めた。

 どこかで水が滴る音がする。

 それだけだ。

 分かっていたことだ。幽霊などいるはずがない。

 どれほど目を凝らして探しても、あの子の姿は、とうとう見つけられなかった。


「……よかった」


 私は誰にともなくぽつりと呟くと、ふたたび歩き出す。

 出口を抜けた瞬間、視界が淡いオレンジ色に染め上げられた。

 思いのほか長居をしていたらしい。いつのまにか夕暮れが迫っている。

 私はスマートフォンを取り出し、時間を確かめると、小走りに駆け出す。

 約束には、どうにか間に合いそうだ。

 


「……ただいま戻りました」


 何の返答もないことを確かめて、私はほっと胸をなでおろす。

 今日は私以外の家族は夜まで帰ってこないはずだった。

 こんな日は一月に一度あるかないかだ。貴重なチャンスを逃す訳にはいかなかった。

 私は急いで制服から着替えると、勝手口を通って家の裏手に出る。

 旧家とはいうけれど、両親は先祖から受け継いだ広大な地所をすっかり持て余し、土地のほとんどは手付かずのまま放置されている。

 ろくに手入れもされていない裏庭を進んでいくうちに、が見えてきた。

 生い茂った雑草にほとんど埋もれるように建っているのは、古びた小屋だ。

 そこに小屋があることさえ、いまでは父も母もすっかり忘れてしまっているらしい。


「久しぶり――元気だった?」


 ほとんど朽ちかけた扉を押し開けながら、私はしみじみと呟く。  

 古い農機具が押し込められた小屋の内部からは、埃っぽく、饐えた臭いが漂ってくる。不快なはずのそれが、私には不思議と心地よく感じられた。

 私は懐中電灯を点灯し、小屋の片隅に腰を下ろす。


「今日、学校で変な噂を聞いたんだ。バス停のところのトンネルに幽霊が出るって。私、心配になって確かめに行ったんだよ。そしたら、やっぱり誰もいなかった。当たり前だよね――」


 一瞬でも疑ったことを詫びながら、私は微笑みかける。


「だって、あなたはずっとここにいるんだから」


 そして、白くて小さな彼女をそっと持ち上げると、額にキスをする。

 私たちはもう喧嘩もしない。嫌いになったりもしない。


 ずっとずっと、友達だよ。

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