私が3年5組を全滅させた。あなたと私を残して

池田蕉陽

化け狐



 その日は熱で学校を休んだ。


 母さんが担任の喜原きばら先生に俺が休むことを連絡すると、お粥を作り置いて仕事に行った。


 それ程しんどくはなかったので、お粥を食べ終えると、スマホゲームをしたりして時間を潰した。


 高校受験を控えているが、熱のせいで勉強のやる気は出なかった。こんな時ぐらいゲームをしても神様は許してくれるだろうと思ったのだ。







 電話がかかってきたのは、丁度俺がレアガチャを引き終え、落胆している時だった。


 普段は母さんが電話にでるが、その母さんはいないので、今家には俺一人しかいない。


 かと言って、俺は電話にでる子供ではなかった。面倒だし、知らない人と話すのは少し緊張するからだ。



 うるさいな



 耳障りな機械音がリビングに鳴り響いている。中々鳴り止んでくれない。



 もしかして婆ちゃんか?



 ふとそう思い、電話機のデジタル画面に映る番号を見てみた。


 全く知らない……と思いゲームに戻ろうとしたが、何故だか急に、この電話にでなくてはいけないという義務感に襲われ、俺は渋々受話器を取り、耳に当てた。


「もしもし」


 知らない人との電話には慣れておらず、弱々しい声が出てしまう。


「あ、もしもし、そちら加藤さんのご自宅のお電話で間違いないでしょうか?」


 ハキハキとした高い男の声で、俺と違い電話には慣れているようだった。大人なんだから当たり前か、と1人で納得する。


「はい、そうですけども」


「そうですか、こちら警察なんですけども」


 ドキッとした。警察から電話がかかってきたので、俺は何か悪事を働いたのかと思った。しかし、心当たりはない。


 じゃあなんで、警察が俺の家に電話を?


「あ、はい」


 緊張していて、少し声が震える。


「君は、今日学校を休んだ加藤 正樹くんで間違いないかな? 」


 警察の口調が、子供を安心させるための温厚に変わる。


「はい、そうです」


「実はちょっと学校で事件が起きちゃってね……」


 やけに深刻そうな口ぶりから、もしかしたら誰か死んでしまったのではないかと不安になる。


 一瞬頭の中で、ある女子が思い浮かんだが、すぐにそれをやめる。


「事件……って?」


「……」


 言い難いのか、男は口をつぐんでいる。その沈黙に心臓が押しつぶされそうになる。




「実は、加藤くんのクラスの3年5組とその担任、喜原さんの全員が教室で殺されたんだ」











 翌日、熱も下がり学校に行くことになった。


 しかし、勉強をしに行くわけではない。警察から話を聴きたいと呼び出されたのだ。



 昨日電話が終わった後、俺はしばらく放心状態になっていた。まともに頭が回転する時にはもう夜で、母さんが仕事から帰ってきていた。


 俺は母さんに、警察から聴いたことを全て話すと、最初は「そんなドッキリ通じないわよ」と呆れた声で言っていたが、電話履歴と俺の神妙な面持ちをみて、やっとのことで信じてくれた。


 母さんの顔は、俺より青ざめていた。しかもさらに、俺の顔を見て泣き始めたのだ。


 俺が「なんで母さんが泣くんだよ」と訊くと、母さんは「正樹が今日学校休んでて本当に良かった」と嗚咽混じりにそう言った。


 それを聞くと、胸の中が少し温かくなったが、すぐに冷めていった。










 学校の正門辺りは、警察関係者が忙しく動き回っていた。その状況を見ると、再び事の深刻さに気付かされ、不安が押し寄せる。


 正門の様子を窺っていると、警察官の1人が俺の存在に気づき、こちらに走り寄ってきた。


「やあ、加藤くんだよね?俺は雨宮、昨日加藤くんに電話をかけた人だよ」


 あっ


 言われてみれば、 確かに昨日の電話の相手の声と一致している。男にしては透き通った高い声で、歌い手でもしてそうだったのが印象だったので、よく覚えている。


 警察官と言っても雨宮はよく街で見かける制服を着ているのではなく、灰色のトレンチコートを着ていた。


「こんにちは、加藤です」


 一応自己紹介をしておく。


「こんにちは、実は少し心配してたんだけど、無事こっちに来れてよかったよ」


 心配?


 そう思ったが、すぐになんの事か思い出した。昨日電話で、1人で学校に来るのは危険だからと言って付き添いをすると言われたのだ。でも、俺の家から学校までは徒歩5分の距離なので、大丈夫と断った。


「家近いから大丈夫でしたよ」


 雨宮の姿を目にした時、やっぱり付き添いはいらなかったなと、改めて思った。


 それは雨宮の第1印象が、なんだか頼りなく見えてしまったからだ。多分20代で背は高いが、少しほっそりしてして、オマケに顔も童顔。誰も彼を初めて見た時、警察と言い当てる人はいないだろう。


 まあでも、一応警察なんだからそこんとこはしっかり訓練してるよな。


「そっか、じゃあ早速話を聴きたいから校長室まで行こうか」







 警察とは昼の12時に校長室で話をすることになっている。なんで俺だけが朝から登校して授業を受けなかったことには、2つ理由があった。


 まず1つは、3年5組の生存者は俺一人だけで、学校側がまだどこのクラスと合流させて授業を進めさせるか決まっていないから。


 2つ目は警察からの配慮で、犯人が3年5組だけを狙った犯行と読んだみたいで、俺も殺されてしまうかもしれないという恐れがあったからだ。


 雨宮が正門を抜けて、校舎に入っていく後ろをついて行く。自分の学校なのにまるで、雨宮に案内されている気分になった。


 校舎に入ると、授業をしているようでクラスから先生の声が漏れてくる。


 昨日大事件が起きたというのに、学校は休みではなく、他のクラスでは平然と授業が行われている。


 俺はその様子を、廊下を歩きながら目だけで覗いていた。


 そんなに授業回数が大事かよ……


 生徒の安全を考慮するなら臨時休校にするべきなのに、全くもって馬鹿な校長だ。


「残念だったね......クラスメイトのこと」


 俺が校長に腹を立てていると、雨宮が同情の言葉をかけてきた。俺はただ「はい」としか答えることが出来なかった。


 5組の皆の顔が思い浮かぶ。もちろんその中に友達は沢山いた。あと、密かに恋心を抱いていた相手もいた。


 だけど俺は、その子とは少ししか話したことがなく、見つめることの方が多かった。彼女は少しミステリアスだけど、とても可愛かった。そこに俺は惹かれてしまった。



 でも、その彼女はもうこの世にいない。



 小牧……







「着いたね」


 雨宮の声で我に返る。


 扉の上に『校長室』と書かれたプレートが吊るされている。


 実は校長室には1度も入ったことがなく、警察もいることで緊張していた。


 小さく深呼吸した後、俺はノックをする。


「へい」


 雨宮と違った野太い男の声が、校長室から聞こえたきた。その声の主が校長ではないのは確かだ。


 俺はゆっくりと扉を開けて、中に入った。


「おっ来たか、すまんな呼び出したりして」


 無情髭がめだつ中年の渋い刑事が、煙草を吸いながら客用のソファに深く腰を下ろしていた。


「あ、いや全然」


 俺は手を左右に振る。


「まあ座ってくれ」


 中年の刑事が、机を挟んだ反対側のソファを煙草で指した。


 俺は促されるままソファに腰掛ける。中年の刑事の横に雨宮も座り、2対1で対面する形になった。


「昨日電話で聞いたと思うが5組の生徒、担任の喜原さん、計40人が教室で殺された」


 5組は全員で40人いる。俺を除いて喜原先生をプラスで数えると、そういう計算になる。


「どういう風に殺されたんですか?」


 殺されたと言っても、40人が教室で死ぬなんて俺には考えられなかった。


 中年刑事が煙草を大袈裟に吹き出すと、黄ばんだ歯を見せた。


「恐らく、小型爆弾だ」


「ば、爆弾?」


 あまりにも耳に馴染みがない単語に、俺は思わず聞き返してしまった。


「ああ」


「爆弾で教室にいた全員を吹き飛ばしたんですか?」


「いや、教室全体に範囲が及ぶほどの爆弾ではない」


「じゃあどうやって......」


 中年刑事が煙草を灰皿に押しつぶすと、体をやや前のめりにし、重い口を開けた。


「40人全員の体に小型爆弾をしかけ、一斉に爆発させた。小さいが殺傷能力は抜群だ。腕に付けられたやつは骨ごと吹っ飛んでいたからな」


 全身に鳥肌が立つのを感じた。

 爆発後の教室を想像したが、それはあまりにもグロテスクで、吐き気がこみ上げてきた。俺は何とかそれを堪える。


「でもいったい、犯人はいつそんな爆弾を仕掛けたんですか?40人全員となれば、1人くらい怪しむ人もいると思いますし」


 俺は素朴な疑問を訊いた。


「まぁ恐らくだが、一人一人順番にバレないようつけていたのだろう。それほど目に見えない小さな爆弾だった可能性が高い」


 目に見えない爆弾に、それほどの殺傷能力があるのか......


 俺はかなり身の毛もよだつ兵器だと思った。


「40人全員に仕掛け終えると、授業中に一斉に爆発させた。」


「てかそもそも、そんな爆弾をどうやって生徒が手に入れたんですかね?」


 今まで黙って聞いていた雨宮が、会話に参加してくる。


 確かに言われてみればおかしい。ただの生徒がそんなテロをも起こせそうな爆弾なんか……ん? 待てよ。


「ちょっと待ってください、今生徒っていいましたよね?」


「うん、言ったよ」


 雨宮が、だからどうしたの? という顔で覗いてくる。


「なんで犯人が生徒になるんですか? 先生という可能性や学校外とは考えれないんですか?」


 俺は、雨宮が犯人は生徒だと前提にして話を進めていることを疑問に思った。


「え、あーそうか、まだ加藤くんには言ってなかったっけ」


 雨宮が手で頭の後ろをかくと、中年の刑事に頭をげんこつされ、「いって!」と声を漏らした。きっと事前に俺に話すよう言われていて、忘れていたのだろう。


「じ、実はね? もう犯人には目星がついているんだよ」


 雨宮が頭を痛そうに抱えながら話した。


「え、本当ですか?」


「うん」


 一日で犯人の目星をつけるなんて、さすがだなと感心した。


俺は勝手に頭の中で、難事件だと勘違いをし犯人を探すにも時間がかかると思いこんでいた。だから犯人がすぐ見つかることになんと言うか、あっけさなを感じていた。


「そ、それで、その犯人ってのは誰なんですか?」


 上半身を突き出し、口調が早口になってしまう。早くその犯人を知りたいという俺の欲望が抑えきれず、ムズムズしてくる。


「3年4組の山口 冴香さんだよ」


 それを聞いた瞬間、変な汗が脇から滲み出てくるのがわかった。乗り出した上半身が、ゆっくりと後ろにもたれかかる。


「ど、どうしてそうなったんですか?」


 自分の口調がかげっていた。


「実は昨日から、山口 冴香さんが行方不明なんだよ」


「え、行方不明?」


 雨宮が表情をかえないまま頷き、そのまま説明を続けた。


「同じクラスの子に聞いたんだけど、3限目の途中に、トイレに行くと告げて教室を出たみたいなんだ」


「それから行方不明に?」


 雨宮がこっくりと頷く。


「まぁ、山口 冴香さんが100%犯人とは限らないけど、今はそう仮定して捜査を進めている。それで、加藤くんにも犯人に心当たりのある人物がもしいたら、それを聴きたい」


 俺はしばらく黙ったまま、やがて口を開けた。


「多分犯人は山口 冴香で間違いないと思います」


 その言葉に中年刑事が身を乗り出してくる。


「それはどういうことだ?」


「あまりこういうのは自分で言いたくないのですが、山口は俺のことが好きでした。何回か告白もされてその度に振っているんですけど、中々諦めてくれなくて。それから何度かストーカーっぽいこともされたことがあって.....」


 自分のモテ話を自慢しているようで気が引けたが、事件解決のため仕方ないと思えた。


 山口は、以前からよく俺に手紙を使って告白をしてきた。でも、実際に話したことはあまりなかった。言葉を交わした内容といえば、告白される度に「山口とは付き合えない」と拒むだけだった。


 それ以外の会話は本当になく、ただずっと監視されているだけのような、あまりこっちとしては落ち着かない関係だった。


「それ本当かい? 加藤くん」


 雨宮もそれはさすがに知らなかったようで、少し驚いた様子を見せた。


「はい」


「つまりこーいうわけか、山口 冴香は好きである加藤くんが休んだのを機に、他のクラスメイトと喜原先生を爆発させた」


 中年刑事が無情髭を撫でながらそう言った。


「なら加藤くん以外のクラスメイトを恨んでたってことですか?」


「んーどうだろうな。サイコパス的な考えだと、加藤くんに近づく輩を全員殺したかっただけかもしれん。ストーカーをしたり、顔面を爆発させる女なら、そういう思考もあってもおかしくないだろう」


 中年刑事の今の台詞に、俺は1つ胸に引っかかるものがあった。


「ちょっと待ってください。顔面爆発って……腕とかじゃなかったんですか?」


 中年刑事が「いや」とかぶりを振る。


「犯人は人によって違う部位を爆発させていた。腹部もあれば臀部もあるし、顔も何人かはいた」


 一瞬想像を浮かべそうになったが、すぐに中断した。


「顔面って、そんなことしたら誰が誰の死体か分からないんじゃ......」


「いや、それは心配ない。なんせ君ら中学生の胸にはボタン式の名札が付けられているからな。顔が吹っ飛ばされていても、名札があったからわかった」


 なるほど……と心の中で納得する一方、俺は心の中で、小牧が爆破されたのがどうか顔以外でありますように……と虚しい祈願をした。


「まぁ、とにかく山口 冴香が本当に犯人か調べる。今は行方をくらませているが、どうせすぐに見つかるだろう。また何か分かったら雨宮から連絡する」


 中年刑事が雨宮に指をさす。雨宮が胸を張り、その反った胸をドシッと叩いてみせた。









 次の日から、俺も普通に学校に登校するようになった。


 昨日学校から帰る際に、先生から明日から4組に移るよう言われたのだ。


 4組には山口がいる。今はその山口が行方不明になったので、代わりに俺が入れられたと、俺は勝手に推測している。席も山口の所で、少し落ち着かない。



「正樹も災難だったね」



 声をかけてきたのは、後ろの席に座る2年の時のクラスメイト、山部 俊光だった。


 こいつとは2年生の時だけの付き合いだが、始業式早々、馬が合ったのを覚えている。山口のことにも色々相談に乗ってくれる良い奴だ。


「災難なのは俺じゃない、5組の皆だ」


「まぁ確かにね……小牧さんもいたんだろ?」


「ああ……」


 小牧のことを思い出すと、知らぬ間に気分が翳ってしまう。頭の中から、満面の笑みを浮かべる小牧が離れない。胸がだんだん苦しくなってくる。


 これが完全に治るのは、きっとまだまだ先だろう。


「にしても物騒すぎやしないか、クラス全員と担任を爆発させるなんて、前代未聞だね」


 小牧の話をこれ以上しないのも、山部なりの気遣いだとわかった。俺は心の中で感謝をする。


「そうだな、てかもうテロだな」


「テロだね」


 話の流れに区切りがつき、俺は事件の時の山口の動きを詳しく聞いた。


「そう言えば事件の日、山口は授業中トイレに行くと言って出ていったそうだな」


「うん、そうだね。ん? てかもしかして山口さんを疑ってるの?」


 そうか、まだ山口が犯人かも知れないという情報は生徒に出回っていないのか。


 話していいのか一瞬迷ったが、特に問題ないだろうと判断し、警察との会話内容の顛末を話した。



「なるほど、確かにそれは有り得るね、動機はともかく、山口さんが犯人の線が1番濃いね」


 山部がふむふむ、と自分で納得しながら何回も頷いた。


「やっぱりそうなるよな、それでもう1回聞くが、事件の日の山口はどんなだった」


「んー」


 山部が両手を組み、目を瞑って眉間に皺を寄せながら思い出していた。


「そう言えば……」


「なんかあったのか!?」


 そこまでの言い出しに、期待を膨らませてしまう。


「いや、大したことじゃないんだけど、少し焦っていたようにも見えた……かも」


 語尾の様子から、そんなに自信はないのだろうと察する。しかし、今はどんな些細な情報でも欲しかった。


「焦ってたか……それが本当ならなぜ焦ってたんだろう」


 思考を練ってみるが、山口の考えはまるで読めなかった。


「さあー、それは僕にも分からないよ。とにかくやっぱり、山口さんが見つかるのを待つしかないんじゃない?」


 それまで何も出来ないのが悔しいが、確かにそれしか方法はなさそうだった。


「そうだな、待つしかないな」



 しかし、事件の真相が明らかになるのは明日のことだった。







 その日俺は、いつも通り下駄箱で上履きに履き替えようとすると、中に一通の手紙があることを知った。


 こんなことは初めてではなかった。以前に数回、山口からラブレターをもらった時もこんな風に靴箱に入れられていた。


 俺は、もしや、と思いながら封筒の絵柄を矯めつ眇めつ眺める。


 俺は「ふっ」と安堵の息を漏らした。なぜなら封筒の模様からして、山口ではないと分かったからだ。山口が置いていく封筒の絵柄は、所狭しと埋め尽くされたハートに、薄ピンク色のものだからだ。


 初めてその封筒を見て、送り主がわかった時俺は、驚愕したのを覚えている。


 2年の時、山口とはクラスが一緒だったが、メガネをかけていて大人しく地味で読書ばっかりしているやつだったからだ。ラブレターを受け取った時、その衝撃以外にも、恋愛なんて興味があったのかと思う程だった。


 でもまさか、気持ちがエスカレートして軽いストーカーになるとは、それこそ思ってもいなかった。


 そんな山口の手紙と比べて、この手紙はいかにも普通、真っ白でラブレターと言うより、果たし状が書かれていそうな雰囲気を醸し出していた。


 だからといって、油断は禁物なのだが。


 俺は恐る恐る便箋を開け、中から大学ノートを1ページ切り取った紙を取り出す。



 そこにはこう書かれていた。



私は屋上であなたを待っている。


化け狐より』





 化け狐?


 俺はその言葉により、ひどく困惑させられた。


 誰だ?  屋上で俺を待っている?


 そこで1つの推測が思い浮かんだ。


 まさか、この無地の便箋は正体を隠すためのフェイク? もしハートの便箋を使えば、即犯人が山口とバレてしまう。だからこんな便箋を? この化け狐という意味も、ハートの便箋が白の便箋に変わったことを示唆しているのか?


 だったらこれは間違いなく罠だ。行くべきではない。


 いや、でも待て。これは山口を確保するチャンスなのではないか? 山口が俺を殺さない保証は100%ではないが、あいつは俺にまた告白をするために、屋上に呼び出した可能性が高い。


 だったらやはり、屋上に向かうべきか?


 それとも警察に通報して、そのまま屋上に突撃してもらおうか。それが一番のアイディアな気がした。


 でも俺は、この手紙になにか違和感を覚えていた。便箋のフェイクは別として、俺がそう感じたのは筆跡だ。こんなに丸っこい書き方だっただろうか。山口の筆跡はもっとカクカクとした渋い字だった気がする。それに筆圧もこっちの方が少し濃いような。これも罠と言ってしまえば終わりなのだが、直感でそうではないと俺のどこかで叫んでいる。




 だとしたら……




 お前は誰なんだ。 化け狐








 まるで俺は、博打でもしているかと言うくらい、心臓の鼓動をはやめながら屋上に向かった。


 階段をのぼる一歩一歩の足音が、誰もいない廊下内に反響する。


 そして屋上に到達する。鍵は開いているようだ。


 扉の向こうにいる化け狐は一体誰なんだ。なぜあんな手紙を読ませた。


 知りたいという願望が強いはずのに、握ったドアノブを捻ることができない。


 握っている手から汗が滲み出ているのが分かる。


 ここまで来たんだ。絶対に正体を暴いてみせる!


 俺は決死の覚悟で、重い鉄扉を開けた。


 同時に閃光弾を放れたかのように、視界が眩しくなる。


 日光で少し痛くなった目を徐々に開けると、屋上の真ん中に人型のシルエットが見えた。


 そいつはセーラー服を着ているようで、背をこちらに向けている。身長は山口と一緒ぐらいだが、平均的なのでなんとも言えない。


 扉の開く音で俺の存在に気づいているはずだが、こちらを振り向こうとしない。


「お前は誰だ」


 警戒しながらも、低い声で問いかける。だが、聞こえているのかいないのか分からない。


「お前は誰だ!!!」


 久しぶりに大きな声を出した。今度は絶対あの女に届いたはずだ。


 数秒後、ゆっくりと女が体を捻り振り返る。


「っ!?」



 化け狐は……まだ化けたまんまだった。



「その仮面、外せよ」


 女は、お祭りで売っているような狐の仮面を被っていた。しかもおかしいのは、それだけじゃない。右手に機械メガホンを握っているのだ。


 そのふざけた態度に俺は怒りを覚えたが、なんとか抑制する。


 女はメガホンを、口の所まで持っていく。


「まだ外さない」


 声で山口かそうでないかを判断するつもりだったが、無駄だった。その対策として、女が持つメガホンは、ボイスチェンジできるメガホンだった。


 ちなみに胸元の名札はご丁寧に外されている。


 思わず舌打ちが出る。


「それで何の用だ」


「その前にききたい、お前は私を誰だと思っている」


 機械声で女はきいてくる。


 俺は数秒黙り込む。


「山口だ」


 今度は女が黙り込む。仮面の奥の素顔が動揺しているのかわからない。


「そうか、正解とも不正解とも言わない」


 さっきは山口だと言ったが、正直のところ俺は分からなかった。初め手紙を見た時は山口だと思ったが、筆跡のせいでわからなくなってしまった。喋り方も山口に似ているような、似ていないような、微妙なラインだった。


 ただ俺は心の奥底で山口であってほしい気持ちがあった。そう信じないと怖いのだ。俺が関わりを持つ女子なんて、山口くらいしかいないからだ。小牧に関しては、俺からの一方的な片思いだけであり、接し度は他の女子と大差ない。つまり、全然話したことはない。


「じゃあさっさと用件を言ってくれ」


「そうだな、じゃあまず告白しよう」


 胸が高鳴った。それは勿論、山口が俺のことを好きでいてくれた喜びではなない。自分が山口と認めたことにだ。





「私が3年5組を全滅させた。あなたと私を残して」





 俺から零れた言葉は「やっぱり」ではなく「え」だった。


 恋心を告白すると思っていた。でも違った。罪を告白したのだ。


 つまりそれは、まだこいつが100%山口という確証がないということだ。


「お前は、俺の友達や好きな人を殺した。」


 心なしか、女の肩がビクついたようなきがした。


 とにかくこいつが山口かどうかは置いといて、犯人だということは確実なんだ。今目の前に小牧を殺した犯人がいる。その実感がじわじわと溢れてくる。同時に憎しみ、怒り、悲しみも。


 泣きそうになるが、なんとかして目に力をいれ堪える。


「そうね、私があなたの友達と好きな人を殺した」


 女が平静と喋る。


「なんで……なんで殺した……!」


 無意識に奥歯と両腕に力がはいる。爪が掌に、出血しそうな勢いでくい込んでいる


「殺さないと、私が殺されていたから」


 すっと、力が抜けた。それは俺の動揺の表れであった。


「私には父が残した莫大な借金がある。その父は首吊りで死んだ。母も既に他界。残されたのは私と、一千万の借金。

 闇金の奴が借金を返済する方法を教えてくれた。それはもちろん、私にとって屈辱的なものだった。私は頑なに断った。その後闇金の奴が言ったの。

 お前に人を殺せるか……ってね。私は殺せると断言したわ。私にとって身体を売るより人を殺す方がまだマシだった。例えそれが罪になろうともね」



 女は最初から最後まで、動揺を見せずに話し終えた。


 一千万の借金と聞いて、驚かなかったと言えば嘘になる。ただ、少しだけ実感がなかった。冷静に考えてみると、今の俺ではその借金を返すのに何十年もかかりそうだった。


「それでお前は身体を売るより、人を殺す道に進んだのか」


 俺にとっては、信じられない行動だった。女にとって身体を売ると言うのは、人を殺す以上に罪悪感があるというのだろうか。


「ええそうよ、私にも好きな人はいる。その人のことを考えたら、身体を売るなんて真似出来なかった」


 もしこいつが山口なら、その好きな人というのは俺になる。でも仮にこいつが山口だったとしても、俺は人を殺すより、身体を売る道に進んでくれた方が良かった。


「そいつと付き合っているのか?」


 付き合っていたら少し話は変わってくるのかも知れないと思い、きいてみた。


 しかし女は「いいえ」と言って首を横に振った。


「だったら俺があんたの好きな人の立場になって言わせてもらうが、俺は人を殺すことより、身体を売ってくれた方がまだ良い。確かにどっちも嫌だけど、人だけは殺して欲しくない」


 女がメガホンを構えたまま、数秒黙り込む。


「そう言えばさっき、あなたにも好きな人がいるって言ってたけど、誰なの?」


 話を逸らされたことに少しイラッとしたが、すぐに冷静になる。


 それにこいつが山口だったとしたら、俺が好きな人を言うと諦めてくれるかもしれない。そう言えば俺は、山口を振ってばかりだったが、その理由を教えたことがなかったことに今気づく。


「小牧、小牧 絵里奈だ」


 再び、女が黙り込む。狐の仮面をしているので何を考えているのかさっぱりわからない。


「そう」


 どうやらその反応は、小牧のことを知っているようだった。


「さっきあなたが言った、人を殺すより身体を売ってくれた方が良いって話、あれはみんながそうなのかしら」


「ああ、たいていの人がそうなんじゃないか?」


 そう俺が勝手に思ってるだけかも知れないが、多分そうであろう。


「なら、私は間違ってたのかしら……」


「ああ、かもな」


 ボイスチェンジャーで機械声になってるせいで、はっきりと分からなかったが、今までより声に動揺が表れたことを、俺は聞き逃さなかった。


「もし、あなたの好きな人がその間違いを犯したとしたら、あなたはそれを許せる?」


「俺は……」


 腕を組み、じっと考えてみる。


 果たして俺は許せるだろうか。俺の好きな人、小牧が借金を背負い、身体を売るより、人を殺す方を選んで、手を汚してしまったとしたら……



「俺は多分、その子のことを許す。例え殺された肉親が、その子のことをどんだけ恨んでたとしても、多分俺は許すと思う。まぁその時になってみないと分からないけど」


俺は一呼吸置いて話を続ける。


「だから多分あんたの好きな人も許してくれるんじゃないか? こんな無責任なこと言っていいのかわかんないけど」



 これが、俺が精一杯考えた結果の答えだった。この答えにこの女がどう思うかは分からない。でも少なくとも俺ならそうするから言ったまでだ。


 女が今までで1番長い沈黙を作る。きっと仮面の奥で色々考えているのだろう。


 俺はじっと見守った。


 見守っていると、俺は目を疑った。


 泣いているのだ。化け狐が。


 狐の仮面の下から透明な雫が下に落ちて、アスファルトの地面に黒い水玉模様を作る。


 それも何個も何個もだ。


 やがて、右手からメガホンを離し、地面の上で部品が飛んでいく。




「なら私を、〇してくれる?」



「え……?」



 ↓

 狐の仮面がゆっくりと外された。


 っ直ぐな瞳が俺を貫く。


 みだったのか。


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