第10話

 センターは都市の中心部にある。つまり、メインストリートに面している。だが、センターに『呼ばれる』人々が集まるのは、一般的な人が出勤する時間帯より前なので、普段、そこに出入りする人を見かける機会は殆どない。現在、時刻は昼近くと思われ、人通りは多かった。そこへ、裸ではないとは言え、大慌てでサイズの合わないちぐはぐな服を羽織った裸足の人間が数人、ガラスを破って飛び出してきたのだ。都市の人間にとって、センターは『聖地』。トラブルなど起こる筈もない、イレギュラーな事もある訳がない。通りを歩いていた人々は誰もが、これはどういう事態なのか、全く理解出来ない様子だった。まあ無理もない、昨日までの私だったら、同じように思っただろう。……センターは人間を守るものであり、そのセンターに逆らう人間などいる筈もない、と。


 私は、もしセンターが放送で、私たちを捕まえるようにと人々に命じたらどうしよう、と思った。だが、背後のセンターは不気味な沈黙を保っている。火災の煙も外までは流れてきていない。


「多分、センターは、手違いがあったなどと市民に向かって知らせるような事はしないだろう。だけど、アンドロイドが直接出てきたら結局我々はおしまいだ。逃げるところなんてないんだから」


 私の考えを読んだかのように、少し年上の男性が私に言った。


「俺は自分の個室へ帰る」


 別の一人が言う。私は驚いて、


「個室はもう次の住人の為に片付けられている筈だし、そんな所にいたらあっという間に捕まってしまうわよ!」


「だけどどうせ逃げるところなんかないんだ。個室は俺の世界だった。どうせなら、あそこで死にたいんだ」


 この言葉に、皆は一瞬押し黙った。今では事実が明らかになってしまったとは言え、ほんのさっきまで、私たちは、自分は過去の世界にあったという『死』という現象とは無縁だと脳天気に信じ込んでいたからだ。ただ、古い肉体を脱ぎ捨てて新たな肉体に移り変わるのだと……古い服を捨てて新しい服に着替えるようなものだと……ずっと、そう教えられてきたのだから。


「どうやって死ぬんだ?」


 最初に口をきいた男性が問うと、個室で死ぬと言った男性は、


「わからないけど、たくさん血を出せば人間は死ぬ筈だ。どうにかして刃物でも手に入れるさ」


 と答えた。自分で自分を傷つけ、死に至らしめる、などという行為は、これまで私たちには全く理解し難く、最も愚かしい事だと思っていた。センターに守られ、永遠に幸福に生きる事が出来るのに、センターの指示もなしに死ぬなんて、殆ど想像した事もなかった。だけど今は、彼の気持ちが少し理解出来た。


「あたしもそうしたい。でも、一人は寂しい。あなたと一緒に行ってはだめ?」


 私より少し若い女性が、死にたい男性に声をかけた。男性は、見知らぬ女性を自分の個室に入れて共に死ぬという事に少し抵抗を感じたように見えたが、すぐに、いいよ、と言った。死ぬ、という未知の体験の前では小さな変化に過ぎないと思ったのかも知れない。でも、私は言わずにいられなかった。


「ちょっと待ってよ。せっかく逃げ出してきたのに、結局死ぬの?」


 男女は私を冷めた目で見た。


「あの機械に入れられてフードにされるよりずっといい。あんたには感謝してるが、これ以上の先はない。あんたが足掻きたいのならそうすればいいが、俺たちは静かに自分を終わらせる道しかないように思える。逃げ場なんかないんだから」


 ……逃げ場がない? 本当に、本当に、そうなんだろうか……? 考え込んだ私を尻目に、男女はさっさと行ってしまった。とにかく、これ以上ここに居るのは危険が増すだけだ。後に残ったのは、私を含め五人の男性と二人の女性。


「逃げ場があると思っているのか?」


 最初の年上の男性が私に聞いた。私は――頷いた。


「出来るかどうか判らないけど……ここまで逃げたんだから、試してみたい。可能性を」


 別の男性が言った。


「俺たちは、あんたのおかげで生きてセンターを出る事が出来た。だからあんたに賭ける。俺はWb-Lo98-j1759-z534……」


 通称ではなく人類番号で名乗るのが正式な挨拶とは解っていたけれど、私は彼の言葉を遮った。


「人類番号はもういらない。私は、リナ。あなたは?」


「そうだな、それはもう捨てたんだった。俺はローリーだ」


 彼はにっこりして言った。他の五人も通称を名乗り、そして私たちは走り出した。人類番号を失った私たちは、公共の乗り物に乗る訳にもいかない。


「一体どこへ行くつもりなんだ、リナ?」


 年上の男性……ケンが尋ねてきた。


「正直、こうやって走って行って無事にたどり着けるかどうか判らない。火事が収まればセンターは追っ手を出してくるだろうから。でも、もうこれしかないの!」


「追っ手からは、脇道に逸れたりしてやり過ごすしかないが、幸い、積極的に我々を通報しようなどと考える者はいないようだ。目撃した者たちは、我々の事も多分、センターの管理下のパフォーマンスか何かと思ったんだろう。今までの自分の思考パターンをたどれば想像がつく」


 なるほど、と私は頷いた。そして、言った。


「そっか、そうかもね。私が目指している所は、『壁』よ!」

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