第9話

 アンドロイドの腕力は当然ながら人間の敵うものではない。アンドロイドの人間そっくりな皮膚や骨格も、人間よりずっと強化されている。元々は、生身の人間に出来ない力作業をさせる為にそうした力を与えられて製造された筈だ。しかし、今やその力を使って人間である私を分解しようとしている。本来は、人間に危害を加えない事は基本プログラムとしてインプットされている筈だが、人類番号を剥奪された私は、アンドロイドにとって最早人間ではない訳だ。


「でも、私は、人間なのよ!」


 叫びながら振り回した左手は、アンドロイドの側頭部に当たった。ガンっと壁にでもぶつけたかのような硬質な痛みが走る。当然の事だ。私の最後の足掻きは、ただ受ける苦痛をほんの僅か増やしたに過ぎなかった……筈だった。


「…………?」


 私の身体をがっちりと捕まえていたアンドロイドの動きが急停止した。人々が騒ぎ出す。いったい何が起こったのか……恐る恐る、涙でぐしょぐしょになった顔を上げると、そこには不気味なものが見えた。頭部のないアンドロイド。折れた首の合成皮膚の裂け目から数色のコードがだらりと垂れ下がり、かろうじて頭部を床に落とさずに首の付け根からぶら下げていた。その恰好で、アンドロイドは直立不動のまま機能停止しているようだった。なぜ、たったあれだけの力でアンドロイドが? しかし、考えている暇はない。私は肩の痛みも忘れ渾身の力を振るってもがいた。すると、アンドロイドはそのままぐらりと後ろに倒れ、コードが千切れて首はボールのようにころころと床を転がっていった。私はその腕から抜け出した。身体のあちこちが痛いと悲鳴をあげているが、構っていられない。逃げなければ。でも、どうやって? 壁に赤い光が点滅し、警報が鳴り出した。




「アンドロイドA-15に異常発生! 劣化体処理区画にて異常発生!」




 ビーッビーッという耳障りな音と共に、機械音声が無機質な室内にこだまする。すぐに他のアンドロイドがやってくる……私は捕まる……どうしようもない!




『大丈夫、落ち着いて。そのアンドロイドを、装置に押し込むんだ』




 謎の声が、今までで一番はっきりと頭の中に響いた。ざわめく人々が見つめる中、考える間もなく、私は声に従った。だが、アンドロイドの身体は重く、私一人の力ではなかなか持ち上がらない。


「手伝おう」


 傍で男性の声がした。私の意図を察した数人が駆け寄って、仕事を手伝ってくれる。見知らぬ同士、素っ裸のままで、私たちは力を合わせて機械の身体を装置に放り込み、蓋を閉めてボタンを押した。


 バァンと大きな音が炸裂して、装置はあっと言う間に火花と煙を噴き始める。私たちは慌ててその近くを離れた。火花がバチバチと弾けたかと思うと、装置は爆発し、その破片がバラバラと飛び散った。私たちは何とかそれを避けきったが、幾人かの気の毒な人は、剥き出しの胸や腹にそれが突き刺さって呻きながら倒れた。装置の爆発は次々に誘発され、あっという間に大きな火災になる。猛煙が部屋中に広がり、生きのこった者は皆壁際まで下がったが、このままでは焼け死ぬのは時間の問題と思われた。だがその時、壁がするりと開き、そこから何体ものアンドロイドが飛び込んできた。


「緊急事態発生! 消火せよ! 消火せよ!」


 アンドロイドは口々に叫び、手にした消火装置で火災を鎮めようとしている。彼女らが入ってきた戸口はそのまま開いている。人間でもない私たちの処理よりも、センターの安全管理の方が優先事項であるとは容易に想像できた。逃げるのは今しかない!


「みんな! 逃げよう!」


 私は生き残った人々に向かって声を張り上げた。アンドロイドの身体を持ち上げるのを手伝ってくれた数人はすぐに力強く頷いたが、残る人々の多くは、顔を見合わせて躊躇している。


「逃げるって、どこへ……?」


「ここから出られたとしても、センターの庇護なしに一日だって保ちやしない」


「無理だ、無理だ!!」


 私は溜息をひとつつくと、もう彼らを振り返りはしなかった。開いた出口に飛び込むと、後に何人かが続く。ここに残る以上の悲惨な運命なんて想像も出来ないのに、迷っている者たちは、まだセンターの呪縛から逃れる事が出来ないのだ。自分の身がどうなるかも全くわからないのに、そんな彼らを救う余裕はない。ただ、来た道を必死で裸足で走った。全てのアンドロイドが火災の処理に向かったらしく、私たちを阻むものはなかった。


 なぜ、あの時、私はアンドロイドを倒せたのだろう? そんな疑問がもやもやと頭の片隅に残っていた。だが今は、心に語りかけてくる「声」を頼りに行動するしかない。途中、服を脱いだ部屋に入ると、まだそのままになっていたので、適当に落ちていたワンピースを走りざまに拾って頭から被った。いくら何でも、裸のままで外に出れば、市民に怪しまれてしまう。他の者たちも同じように何とか身繕いをしていた。そして、私たちは、出口にたどりついた。ここは閉まっている。私たちは死に物狂いで、フロントにあったデスクを強化ガラスに向かって投げつけた。何度目かの試みの末、遂にガラスは砕けた。私たちは、センターの外へ出る事が出来たのだ。

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