第5話

――西暦2035年7月第3週 土曜日 深夜1時半過ぎ――


【忘れられた英雄の墓場・25階層】におけるボス・地獄の番犬ケルベロスとの戦いは、早4戦目を迎えていた。


 1戦目はお供を全て倒したところで、地獄の番犬ケルベロスの攻撃パターンが変わり、全体炎攻撃を3ターン連続喰らってしまい、マツリたちは押し切られて、全滅してしまった。


 続く2戦目では、お供を3体残したまま、地獄の番犬ケルベロスから先に攻撃を開始したのだが、ノブレスオブリージュ・オンラインの極悪非道スキル【単体完全体力回復】をお供3体が同時に使用する。それによって、地獄の番犬ケルベロスの体力バーを削りきるには至らず、時間だけを浪費して、ついには全滅してしまうことになる。


 さらに3戦目では、お供を1体残した状態で地獄の番犬ケルベロスの生命を残り3分の1まで削ったのは良いのだが、ここで地獄の番犬ケルベロスの紅蓮5連攻撃がデンカに漏れるという最悪の事態を招き、回復職が倒れたことにより、惜しくも全滅の憂き目にあってしまうマツリたちであった。


「むむむーーー。3戦目はあと少しってところまで来たのに……。なんで、デンカは死んでしまったのかしら?」


「悪い……。少しばかり、従者:ダイコンの設定を従者:ヤツハシを厚く守る方向に傾けすぎちまった……。敵の数が減ったら、通常通りの動きに戻るように設定しておかなきゃならんな」


「言い訳はよしこさんって言葉を知らないのかしら? まあ、良いわ……。デンカ。あなたの従者:ダイコンの設定には期待させてもらうからね? もちろん、デンカの回復にもよ?」


 マツリの誉め言葉はデンカの分をとってつけたかのような言葉であるが、それでも、デンカ(能登・武流のと・たける)の頬が少しほころぶのを彼自身、感じざるをえなかったのである。


「よっし、5分ほど待ってくれ。ぱぱっと従者:ダイコンの設定を済ませちまうかさら?」


「5分と言わずに、10分くらい時間をかけて良いわよ? 焦って、従者の設定をいじっちゃうと、失敗しちゃうものだし。あたしは少し離席して、冷蔵庫から飲み物を取ってくるわ」


 マツリ(加賀・茉里かが・まつり)はスカイペ通話で、デンカにそう伝えた後、オープンジェット型・ヘルメット式VR機器を頭から取り外し、パソコン・ラックの上に置く。そして、パソコン・チェアに座ったまま、一度、うーーーんと唸りながら背伸びをするのである。


 その後、加賀・茉里かが・まつりは自分の部屋を出て、1階のキッチンに向かうため、階段をそろりそろりと降りる。茉里まつりは両親と一緒に暮らしており、その両親はとっくに就寝についていた。それもそうだろう。現在時間は深夜1時半なのだ。いくら、今日は土曜日と言えども、親を起こしては悪いと、茉里まつりはなるべく音を立てずに冷蔵庫の前までやってくるのであった。


「うーーーん。スノウサイン・コーヒーか、ドラゴン・ティ、どちらにしようかしら? あまり、この時間にコーヒーもお茶も、飲まない方が良いのだけれど……」


 茉里まつりは普段、コーヒーメーカーを使って、甘さ控えめのコーヒーを嗜む。だが、今からコーヒーメーカーを使って、コーヒーを淹れようものなら、待たせているデンカに悪いなあと思ってしまう。だが、それでもスノウサイン・コーヒーは茉里まつりにとっては甘すぎるし、ドラゴン・ティはコーヒーよりもカフェイン量が多いため、ゲームが終わった後に、すぐに眠れなくなってしまう可能性が高い。


「決めた。インスタントコーヒーで済ませようかな。ポットにお湯は残ってたかしら?」


 茉里まつりはキッチンにあるポットにお湯が残っていることを確認した後、インスタントコーヒーが入った瓶の蓋を開け、適量をいつも使っている保温型の銀色のマグカップに入れる。


 そして、ポットからそのマグカップにお湯を注ぎ、さらにはノンカロリーシュガーで甘みをつける。そして、一口飲み、うんと言ったあと、マグカップを持って、2階の自分の部屋へと戻っていくのであった。


 茉里まつりは自分の部屋の戻ってきた後、マグカップをパソコン・ラックの上に置く。そして、パソコンチェアに自分の身を預け、さらにはオープンジェット型・ヘルメット式VR機器を頭に装着するのであった。


「デンカ、お待たせ。5分ほど時間をオーバーしたけど、大丈夫だったかしら?」


「ああ、俺の方は大丈夫だぜ? ついでにトイレを済ませてきたから。んで、ちょうど、俺も戻ってきたところだから」


 あら、そうなの。それはタイミングが良かったわとマツリ(加賀・茉里かが・まつり)は思ってしまうのである。その後、マツリ(加賀・茉里かが・まつり)はちらりとパソコン・ディスプレイの右端に映る時刻を確認する。現在時刻:深夜1時55分。出来るなら、遅くとも深夜3時までにはベッドの中で深い眠りにつきたいところだ。


 そう思うと、マツリ(加賀・茉里かが・まつり)は思わず、ふわあとひとつあくびをしてしまう。


「ん? マツリ、眠いのか? でも、25階層までクリアしちまわないと、クリア状況が保存されないから、我慢してくれよ?」


 オープンジェット型・ヘルメット式VR機器のスピーカー部分からデンカの声が聞こえ、マツリ(加賀・茉里かが・まつり)は思わず赤面してしまう。


「年頃の女性のあくびを聞くなんて、犯罪よっ!? そこは聞かなかったふりをしなさいよっ!」


「なんで俺がマツリのあくびを聞いただけで犯罪者呼ばわりされなきゃならんのだ……。だいたい、お前、寝落ちした時なんか、俺、トッシェ、ナリッサがマツリの寝息を聞いてるんだぞ? あくびくらいで犯罪だったら、寝息を聞いてる俺たち3人は性犯罪者になっちまうだろうが……」


 デンカの言いにマツリ(加賀・茉里かが・まつり)は耳までが真っ赤になってしまう。あくびならニンゲン、我慢しないほうが良いから、それほど気にしてはないのだが、まさか寝息まで聞かれているとは、マツリ(加賀・茉里かが・まつり)は思ってもいなかったからだ。


「なんで、あんたがあたしの寝息を聞いているのよっ! いい加減、訴えるわよっ!」


「そんなに怒るなって……。俺だって聞きたくて聞いてるわけじゃないんだからさ? 不可抗力ってやつだぜ……」


「あたしが今度、寝息を立てたたら、あたしのスカイペ音声をミュートにしなさいよっ! 絶対よっ!」


「はいはい、わかりましたよ。それよりも地獄の番犬ケルベロスを倒しに行こうぜ? ふあああ。俺もマツリのあくびがうつっちまったぜ……」


 あくびはうつるとはよく言ったものだ。スカイペ音声通話中、誰かがあくびをすれば、そのあくびが伝染し、誰かがあくびをしてしまう。そして、次々と伝染し、結局、スカイペ通話に参加している全員があくびをしてしまう始末となってしまう。


 マツリ(加賀・茉里かが・まつり)は気を取り直したあと、残りの呪符数や自分のキャラの現在体力とSP(スキルパワー)を確認する。ノブレスオブリージュ・オンラインでは、戦闘不能になったまま、その戦闘を終えると、幽霊ゴースト状態になる。そして、幽霊ゴースト状態から生身に戻ると、拠点としている街や、ダンジョンなら、そこの復活ゾーンに自分のキャラが飛ぶことになる。


 幽霊ゴースト状態の時は体力、SP(スキルパワー)ともにゼロであり、そして、幽霊ゴースト状態から生身に復帰したばかりの状態だと、それらは最大値の1%程度しか回復していない状態となる。


 その状態から、回復薬や回復魔法を使用して、全快させるわけなのだが、今回、ダンジョン【忘れられた英雄の墓場】に挑むことにおいて、無駄に回復薬は使いたくなかった。


 ノブレスオブリージュ・オンラインにおいては、戦闘中でなければ、時間経過で体力、SP(スキルパワー)は回復していく。ただし、戦闘中において、SP(スキルパワー)は知力や魅力のステータス値に依存して回復していくものの、体力は回復スキルを使うか、アイテムとして回復薬を使って回復する。


 魅力や知力のステータスが高いキャラなら、戦闘中以外で自然にSP(スキルパワー)を回復させるよりも、戦闘中のほうがSP(スキルパワー)の回復力は圧倒的に高い。しかし、それは手ごろな雑魚NPCが1体だけでうろついている場合に限る。マツリたちは時間はかかるが事故防止を防ぐためにも自然回復に身を任せていたのであった。


 マツリたちが自然回復に任せているのは、単に回復薬代をけちろうというだけでなく、隠し業の充填時間も係わってくるので、わざと回復薬を使っていなかったのであった。


 それはともかくとして、地獄の番犬ケルベロスとの4回戦目が今まさに始まろうとしていた。


「デンカ? もし、従者:ダイコンの設定を間違えていたら、デンカの恥ずかしいスクリーンショットを傭兵団クランの皆にばらまくからね?」


「そりゃあ、大変だ。マツリ、祈っておいてくれよ? 俺が従者:ダイコンの設定をミスってないことをなっ! よっし、今日のノブオンは、この1戦で終わらせるぞっ!」

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