とある昼下がり

 あのクリスマスからだいぶ経った。


「わあああい!」


 完全防寒対策ばっちりのHONERが雪山と化したゴミ山に飛び込む。

「おい、よしなよ。汚いよ」

「へーきだよー! あ、うささんのお友達作ってくるー!」

「ちょい!」

 困ったように笑って向こうに走り去った彼女の背中を見送った。

 今日はいい天気だ。

 目を細めて流れる雲を見る。先程あんな事を言ったけど、自分も雪山に寝転がってみた。雪というものは想像以上に冷たいもんだ。


 元から仲は良かったけれど、あの日を決定的な境として益々仲が良くなってきた気がする。

 まず一緒に寝るようになった。きっかけは彼女の悪い夢だったが、拒否することなく受け容れ、それからというものの毎晩一緒に寝ている。

 毎朝髪を編み込んでやり、毎日遊んでやって、毎晩一緒に寝る。最近はパーティゲームなんかも始めた。容赦ないRaymond(悪意という概念はない)にHONERがギャン泣きすれば、LIARが技術のゴリ押しで復讐にかかる。子ども達に容赦ないことは出来ないと躊躇しているSchellingを、三人で協力して一文無しにすることもしばしばあった。(その後大体ふて寝している)

 いつでも一緒。どこでも一緒。

 今ではもうお互いにとってお互いが、かけがえのない存在になっている。


 ――大好き。


 多分、その言葉ではもう足りない。


 遠くで黙々と雪うさぎを作る妹。その傍らには自分が贈ったあのうさぎがちょこんと座っている。だらりと空に目をやれば、貫くような陽光に目を射抜かれ、手で視界を覆った。

 小鳥のさえずりが耳に心地よく、陽光は温かく、周囲はのどかで、静けささえも彼の睡魔を助けた。

 とろりとまぶたが下がる。


 * * *


「おーちゃん」

「ん?」

 一方その頃。

 HONERの元に四人、訪問者が来た。全然気付かなかったがいつの間にかフェンスを越えて来ていたらしい。

「だあれ?」

「お父さんのお友達だよ。お父さんはどこかな?」

「ぱぱ? ぱぱ、おうちでお仕事だよ」

 この時点でかなり怪しいのだが、彼らはエメラルドグリーンの瞳をしていた。故にHONERにとってみれば人間よりも信じられる身近な人達である。

「どーしたの?」

「いえね、ご用事があるんですよ」

「ごよーじ?」

「そう。だからご案内してくれますか?」

「はーい!」

 元気よく返事をして立ち上がる。


 その背を向けた瞬間、一人の大男の腕が彼女の腹を抱えた。


 ――、――。


「いやあああああ!!」


 LIARがまどろみから覚めた瞬間、危機はもう目の前に迫ってきていた。

「HONER!?」

「落ち着いて」

 遠くから聞こえたその声に思わず身が震える。

 忘れるものか。今もあの恐怖がこびりついて離れぬというのに。


 何故ここで思い出す。何故ここに現れる。

 何故。

 何故あの子に!


「Roylott!!」


 呼ばれた瞬間ソイツはこちらを向いた。狂気の笑みを浮かべつつ。

「来るぞ。殺っとくか?」

「良い。さっさと回収して撤収しましょう」

 Josephの言葉にそっけなく返しつつ、彼は躊躇することもなく彼女のうなじに自らの腕を深く突っ込んだ。

 SPロボット二体に押さえつけられたままの少女は身動きすら取れず、彼らのなすがままにされる。

「キャアアアアア!!」

「やめろおおおお!!」

 感情にまかせて拳を振りかぶればすぐさまJosephが受け止め、投げる。

 背中を強く打ち、悶絶する間にも彼女の精神世界はどんどん荒らされていく。

「面白い。本当に嘘が無い」

「できそうか?」

 息ができない体を無理に起こそうとして、またJosephに押さえつけられた。彼女の悲痛な叫びが聞いていられなくて、涙を流しながら耳を塞いだ。

 そんな少年のことなど気にせず彼らは淡々と会話を続けていく。

「……難しいですね。精神の器は思ったよりも、硬い」

 もっと深く腕をうなじの中に押し込んで、自らの目的を果たそうとする。しかしそれでも中々取れない。

「Schellingは人肉ごと感情を喰ったんだろ。俺達もそうすれば良いんじゃねぇの」

「……なるほど?」

 ――感情を盗る気だ!

「やめろ! やめろったら!!」

「な? 取れれば良いんだし。最終的にはさ」

「名案ですね」

 とんでもない提案を受諾しつつ腰に提げた刃物を抜き出す。

「腹を。苦しまずに逝かせましょう」

「……! やめろ、やめろやめろ! やめてくれ!!」

「大人しくしてな」

「やめろ!! その子はモルモットじゃないんだ!! ――ぐ、Raymond!! Schelling!! 早く! 早く来てくれ、頼む!! Raymond!! Schelling!!」

「大人しくしてろったら。直ぐに終わるし、一番楽な死に方にしてやるから」

「やだやだ!」

「黙ってな!」

 そう言われても、相手が楽しそうにこちらを殴ってこようとも、やめる義理など毛頭なかった。喉を枯らして懸命に叫ぶ。それでも足りない気がして、必死に必死に叫んだ。もう、今にも喉から血が噴き出しそうな勢いで、力の限り叫びまくった。


 その時。

 Roylottの体が何かの衝撃の反動で後ろ向きに倒れ込む。


「……!!」


 倒れ込んだその胸に硝煙が立ち昇っている。

 ――拳銃だ。胸を一発。

 メインシステムに衝撃を与えた為に少しの間再起不能となる、それを利用した戦法。こいつらを足止めする唯一の方法である。

 気付いた瞬間、今度は後ろからRaymondがJosephに殴りかかり、LIARとHONERを救出した。

 その際に蹴散らしたSPロボットとJosephがRaymondを追いかけるが、刹那の間に胸にぶち込まれた銃弾でまたしても後ろ向きに倒れ込む。

 その間に子ども達は家の中に入り、直ぐに地下の研究室の中に退避した。

 かいつまんで事を説明されたSchellingの顔が分かりやすく青ざめた。

「兎に角、アイツらの始末をしてきます。子ども達はここから出ないこと」

「私も行く。記憶の書き換えは私にしか出来ない」

「シャットダウンは」

「難しいと思う。拘束具を用意した方が良い」

「それで、ショックガンですか」

「効くだろうか、あの子達に」

「とすると、頭開けますか」

「やむを得ない」

 二人が急ぎ足で研究所を飛び出していく。

 鉄の重い扉が固く閉じて、それでも足ががくがく震えて。

 暫くは何も出来ないでいた。

「おに……ちゃん……」

 小さくか細い声に呼ばれ、探すと机の影に隠れていた、か弱い幼子。

 いてもたってもいられなくなって、研究室を飛び出して、大急ぎで自室のふとんをかき集め、彼女の元へ急ぐ。

 ふと見えた窓の外。二人が赤茶に塗れながら人間そっくりのアイツらの頭蓋を開け、火花を散らしていた。

 吐き気がして急いで地下に戻った。

「おに……ちゃん……」

 何度も同じ言葉を小さく繰り返す彼女をふとんで包み、ぎゅうと抱きしめる。

 寒さに打ち震える仔犬の様で、何というか、何というか……。

「大丈夫。大丈夫だよ、HONER。大丈夫。大丈夫だから」

「おに……ちゃん……おに……」

「大丈夫。大丈夫だから一緒にいよう。ずっと一緒にいよう。鳥籠の中にずっと、ずっといよう。ここが一番安心だから。安心なんだから」

 自由でいれたって、その為に傷つけられる位なら。鳥籠の中にいた方がずっとずうっと良いに決まっている。

 だって、実際に……妹はこうやって、こうやって……。

 僕の……管理不足のせいで……。


 嗚呼、嗚呼。


 自分を責めた。責め続けた。

 冷や汗が止まらない。彼女の震えも止まらない。

 止まらなくて、止まらなくて。

 涙もどうしようもなく、零れた。

 十の少年には余りにも全てが重過ぎた。


 このままでは。

 彼女の心が。

 壊れてしまう。


 すぐそこに転がるショックガンを見つけて、ハッと無造作に手に取った。

「ごめん、ごめん。ごめん。僕が……僕がしっかりしていないばっかりに」

 銃口を彼女の眉間に押し当てる。

 腕に力を込めながら、引き金を思いっきり引いた。


 その先にいる“もう一人の自分”にも目がけて、思いっきり。


 * * *


「LIAR、ちょっとおいで」


 数日後。

 Schellingにふと呼ばれ、立ち上がると「待って!」と縋るような目でHONERが足にしがみついてきた。

「行かないで」

「……大丈夫、Raymondが一緒にいてくれるよ」

「やだ! 行かないで!!」

「じゃあ、僕のフードでもかぶっておいて。それならどう?」

 自分のロングパーカーを脱いで彼女に着せる。だぼだぼの服を羽織ると袖の辺りに鼻をつけてくんくん嗅ぎ出した。

 彼の匂いで安心を得ようとしているのだろう。


 確かにあの日の忌まわしい記憶はショックガンで隠すことができた。

 しかし、無意識の海の底にはまだ恐怖が眠っているらしい。あれから物音に凄く敏感になった。

 隠すだけでは駄目なのだ。


 RaymondにHONERの寝かしつけを任せて、二人、地下の研究室に入る。

「引っ越しを考えているんだ」

 そこで言われたのはそんな言葉だった。


 ――、――。


「どこに?」

「まだ分からない、でも遠い所。あの子達がまだ知らないようなそんな所」

「そうなんだ。それじゃあちょっとずつ準備しなくちゃだね」

「……」

 そこでどこか気になる沈黙が流れた。

 分かりやすく目を泳がせて、何かを躊躇っているかのような、そんな。

「何」

「え」

「何隠してるの」

「……分かる?」

「分かりやすすぎ。例え僕が能力持ってなかったとしても分かるよ、それ」

 その時点でRaymondも入ってきた。

 静かに扉を閉めて、二人から遠めの位置に立つ。

「……、……最近ね。タイムマシーンが完成したんだ、戯れに作ってたやつだから簡易版ではあるけれど」

「……で?」

「……どうか、ショックとか受けずに冷静に受け止めて欲しいんだけどね」


「君だけは五百年程前の時代に送ろうと思ってね」


 目を見開いた。

 サーっと寒くなる頭に動悸が早くなる、思い出を映し出す走馬灯みたいなものにひびが入る。

 それだけ重くのしかかってきた。

 ごちん。

 音を立てて鈍器が頭の上から降って来たみたいな、そんな感情。

「……え」

「元々の事の始まりは人工知能開発の為にHONERを犠牲にしようというRoylottとJosephの考え。それは君も覚えているよね。要するに大の虫を生かして小の虫を殺すってことだ」


「画期的ではあるかもしれないが、それは彼女のことを考えれば当然許されない。よって僕らはこの子を街の奥深くに隠した」


「その所以からあの子達は僕達の居場所を割り出す為に苦労を重ね、ある日、地図をやっとの思いで手に入れた。あの子を守る為にこの場所だけが分からないように妨害をしていたのだけれど……矢張り紙は強いよ。電子化の進んだ時代に細々と紙の本が残る理由も分かるね」


「……」


「――だが結局、彼らはその地図も使うことが出来なかった」


「LIAR。何故だと思う?」

 そこでようやく瞳をほんの少し彼の方へ向けた。

 ずっと、ぼんやり聞いていた言葉の数々が頭の中でまだ揺れている。

「運び込まれてきた君のポケットから『その地図』が出てきた」

 少年の瞳が揺れる。


「彼らからあの子を無意識の内に守ったのは君だ、そして君達が出会えたのもその地図があったおかげだ」


 すっかり頭の中から消えてしまっていた地図のことを思い出す。

 死に物狂いであいつらに一矢報いてやろうと、金庫をこじ開け、必死で逃げ回ったあの夜を。

 ぐちゃぐちゃだった小さな頭で必死に考えながら地図を呆っと見つめながら歩き回ったあの夜を。

 運命はあの時から始まっていたのだ。

 訳も分からず涙が滲む。最近泣き虫だ。

「だけどね、だけど……」

 言いにくそうに口をつぐむ。

「君、あの子達に君の嘘を与えてしまったね?」

「……!」

 苦くてゲロ不味い記憶が胸の奥からせり上がる。

「……ここまでくれば分かるだろう。言いたいことが、言わなくても」


 ――嘘を呑んだ者は相手の全ての情報を把握することが出来る。

 感情、嘘、身長体重、趣味、エトセトラ。


 そして、記憶。


「彼らは頭に流れてくる記憶を基に、君達の所在をわけもなく突き止めた。そしてあろうことか君達が幸せの絶頂に居る頃をわざわざ狙って襲撃した」

「……うそだ」

「理由は簡単だよ、その方が純度の良い『正の感情』を盗ることができるし、一時の強い恐怖を彼女に植え付けることで『負の感情』に対する研究も進む。更には君への嫌がらせを楽しむこともでき――」

「ふざけるなァ!!」

 ガシャアン!!

 物凄い音を立てて博士の体が吹っ飛ぶ。

 気持ちのやり場が無くて、混乱する心、震える腕、ジンジン痛む拳。

 早すぎて痛い動悸に、呼吸のしづらい肺に、真っ白な頭。

 ショックを受けたみたいな彼の顔、ちょっとへこんだ、丸かった頬。


 大きい。大きすぎる。

 十の少年には大きすぎる。


「LIAR」

 羽交い絞めまではいかないものの、肩を強く引いてくるRaymond。それすら障害に思えた。煩わしい、醜い、機械の邪魔。

 払いのけて、感情に任せて叫ぶ。

 叫ぶ叫ぶ、叫ぶ。

「お前達はいっつもそうだ、いっつもそうだ!! 人間の心を何にも知らないで偉そうなことばかり抜かしやがって!!」

「……君を別の時代に送るのは何も意地悪で言っているんじゃないんだよ。君とあの子はよく同調する。別の場所に居ても互いの心を感じ合い、互いの声が聞こえなくとも互いにそれを読み取り合う。無意識の内に行われるその交換によってあの子の命がまた危険にさらされるかもしれない。だから、だからねLIAR。向こうの処理が済むまで一時避難をするだけ」

「だから何だってんだよ、俺のこと騎士とか適当ぶっこいた癖に!!」

 その瞬間、博士の目が悲しそうに見開く。

 彼も苦しいだろうに――しかしそんなことに気を配ってやる余裕など彼の心にはなかった。

「今更こんなことになるんだったら、会わせるんじゃねぇよ! どうせ周りの人間なんて使い捨てなんだろ、だからこんな事余裕で出来んだろ、テメェらは!!」

「よさないか、LIAR」

「じゃあ何で俺なんだよ!! 何で俺を選んだんだよ!!」

「……」


「何で俺なんだよ!!」


 こちらに刃物を向けてきた親友カイ「だったモノ」。

 不思議な魅力を、恋とやらを彼に教えてくれた木霊「だったモノ」。

 そして親代わりと思って慕い始めていた人間「に見えていたモノ」。

 余りにも脆過ぎた妹との「時間だったモノ」。

「絆だったモノ」、「大切だと思っていたモノ」。


 かけがえのない、と「思わされていたモノ」。


 運命と「思わされていたモノ」。


 全部、その場しのぎの、使い捨ての、唯の未来のゴミ。

 僕は、僕は、唯の――


 唯の、ゴミ。


「LIAR、落ち着いて。僕は、僕は」

「テメェらなんか大っきらいだ!!」


 勢いよく飛び出して彼女の眠る部屋に飛び込んで。

 眠っているのも構わずに彼女を抱きしめ、肩を震わせて泣いた。

「おに、ちゃん」

 びっくりしたHONERが何もできずにぽかんとされるがままになっている。


 大切だと思ってきた物を急に奪い取られる気持ちなんか、機械ごときには分からないだろう。

 あいうえおしか知らないような機械ごときに、泣きながら笑う人の気持ちなど分かるはずはない。笑い続けていた人が急に明日ころりと死ぬ理由さえ分かるはずがない。

 誰にも分かるはずがない。

 加害者の悲しみ、被害者の苦しみ、その間の齟齬、揺れ、正義、悪の不在。

 卑怯から抜け出せない子どもの心の脆さも、黙り続ける無表情の子どもの作った壁の存在も、万引きを犯す子どもの心の飢えも、悪事を犯すしかない子どもの心の麻痺も。

 裏切られた人間が受けた心の傷さえも。



『もし気が変わって、僕達の所に来たくなったら下記の所まで来るように


 その時は“歓迎”するよ

 一緒にお花も連れておいで


 ――渋沢』



 ふと頭をよぎった文面が彼の心をぐらりと揺らした。

 最初に見た時とはまた違ったものに見えた。

 地図といえば、あんな物もあった。


 そういえば何故、あんな物、捨てずに取っておいただろう。

 そういえば何故、あんなことをされたのにまだその言葉を心のどこかにしまっておいただろう。


 言葉には出来ないけれど、感じるのだろうか。何かを。

 人間だからどこか仲間意識を持ってしまっていたか。あんな奴に。

 目的を果たす為なら何物をも厭わない、理想の人間とはかけ離れたあんな奴を。


 でも。

 縋れる人物は、もう彼らしか残っていなかったのも事実だった。


「逃げよう」


 かすれ、震える声で彼女の耳に囁いた。


 * * *


「入って」


 糸目の青年が新入りを迎え入れたのはそれから一時間ほど経った頃のことだった。


(つづく)

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