ゴミ捨て場

 もう、うんざり。


 口元のクソみたいに不味い粘液を全て舐めとりながら目の前の二つの体を呆っと眺める。

 ――詐欺師と、警察官。

 一方は「ファーレンハイト・クラリス」に触発されて、一方は人情一筋の所謂「社会不適合者」で。

 本当に狂った世界だよ。


 当時。

 この社会の支配権を握るのは跋扈ばっこしている人工知能アンドロイド共。

 初めは政治家が人工知能を使って国の指揮を執っていこうと画策していたが、Schellingの大量生産や指揮系統の整備に次第に取って代わられ、今では権力の所在が完全に変わった。これらは「革命」と世から形容され、人間の指示など最早「時代遅れ」で誰にも相手されなくなった。

 しかし、人工知能の指示は完璧ながらどこか機械的で、人間の権利や事情を無視したものも多い。――特に人間の性質についての取り締まりが厳しく、犯罪率の減少は喜ばれたものの、人間性の軽視だとか権利の侵害だとか差別社会の再来だとか歴史の繰り返しだとか色々言われ、反社会組織まで出来上がった。

「ファーレンハイト・クラリス」。よく、短く「クラリス」と称される。

 渋沢大輝率いる若者の集団で、この社会が出来上がるに従って失われた人間の権利を取り戻す為、日々奔走している。例えば最近、五丁目の子どもに向けて弁当を配った。例えば最近、近所の横柄な人工知能を倒して人身売買に売り出されていた子どもを解き放った。うち何人かは今自分の組織にいる。

 そんな彼らが人々から慕われない訳がなく、着々と力を伸ばし始めている。正義の煌めく反社会的勢力。一見矛盾にも見えるこの集団が人間の最後の希望であると若者達は口々に言い、彼らに触発された何人もの人が人工知能に歯向かって、その度にやられたりやり返したりしていた。


 ――全く。愛だの正義だの、人間は幸せそうで何よりだよ。


 咳を二、三発吐き出して少女の姿から少年に戻ったその怪人は、後ろに控えていた人工知能達に詐欺師の体を回収させた。警察の方は運悪く取り逃がしてしまったが、直ぐに見つかるだろう。直ぐに実験に回さねば。


 そんな彼は人間ではない。こげ茶色をしていた瞳はとっくに白濁し、人間が本来食うべきではないものを主食に今を生きている。

 怪人、と皆から称された。

「嘘吐きの断罪」を使命とし、人工知能達の為に幾つもの嘘を飲み込んできたが、正直に言うならば自分のこの仕事が「クソ」の付くほど嫌いであった。

 どうして皆怯えた目をして僕を見る? 助けて欲しいと叫び、手を組む?

 助けて欲しいのはこっちだよ……。

 最近体中の色んな所から藍色のねばねばした液体が出るし、体調が悪いし、それでも仕事は絶え間なく飛び込んでくるし、追いつかないし手に負えないし。

 帰還中、隣でクレープを頬張る幸せそうなカップルを思わず蹴りそうになった。その代わり

(お前達のうなじから取り出したクソ不味いソースでもぶっかけてやろうか)

なんて呪いの言葉を心の中で吐いてみたり。

 また吐き気がして、ぐらりと体が揺れた。

 壁に寄りかかりながらよろよろと歩を進める。


 * * *


「え? 体調が悪い?」

 どうしてですか? 頭は大丈夫ですか? と笑顔を見せながら頭を撫でてくる。ムカっときて思わず噛みつきそうになった。

 物凄い精神力で我慢する。

 Roylottに「喜」と「楽」はあっても慈しみまでは持ち合わせていない。人工知能界の「頭お花畑」のうち、一人である。

 何故直属の上司なのか。

 本当に分からない。消えろ。

「またガタがきたんだよ」

 繰り返し尋ねる彼に苛々しながら要件を伝える。

「ほう?」

「だから休ませて欲しい」

「何日?」

「一ヶ月」

「わあ、長いですね!」

「んだと!?」

 今度は胸倉を掴んでしまった。彼らの配下の「SPロボット」が腕に手を置くので力を緩めたが、邪魔さえなければそのまま心臓ぶん殴っているところだ。

 ――変な体力自慢を勝手に作りやがって。

「……ここんとこ働き過ぎなんだ、ろくに寝てないし、休んでない。Schellingもメンテナンスしながら慎重に仕事しろって言ってただろ」

「それは勿論です」

「だから休みたいんだよ。嘘を消化して、万全の状態になりたい。最近吐き気が酷いのは嘘が喉元つっかえてるからだろ? だから――」

 言いかけた途端、彼の配下が腕を掴んでくる。

「――え?」

「お前、知らねぇの? 嘘は消化できないよ?」

 奥から小馬鹿にするようにJosephが顔を出す。

「は……だって」

「だって? だから何? ――良い? 今までやってこれたのは、博士が抽出してくれていたからなんだよぉ?」

「……」

「聞こえてるー? お前が寝てる時に抽出してくれてたんでちゅよー?」

「どういう……」

「こういう事です」

 その瞬間うなじに物凄い嫌悪感と不快感とが一気に目まぐるしく襲いかかってきた。――Roylottの腕が、自分のうなじに、深く……。

「ギャアアアア!!!」

 脂汗が滲み、激しい痛みが走り、吐き気ばかりが胸元からせり上がってくるのだが、腕を掴まれ、押さえつけられているので身をよじったりすることもできず、唯々苦痛。ぐちゃぐちゃと音を立てながら数多の嘘が取り出され、それを――彼らが飲んだ。

「……!」

 見た目の予想外のグロテスクさにまた吐き気が込み上げた。それを感じる間もなくまた、突っ込まれる。

 吐き出された吐瀉物を見ながら、汚ねぇなんて言葉を聞きながら、笑い声を耳元で塗りたくられながら、耐える。


 次、解放された時に彼らが言った。

「これでメンテナンスは完了です」

 にこやかに言った。

 流石に殺したくなった。


 * * *


 決行は今夜。

 リュックにそこら辺の菓子やら武器やら何やらをぶち込んで……ついでに機密書類とかも盗んでやろうか。

 あれから三日。職場環境はどんどん悪くなるばかりでもう耐えられなくなっていた。だから逃げ出してやる、そう決めた。

 何なら「希望の花」とやらの居場所とか書いてある紙もたっぷり持ち出して「クラリス」に持って行ってやろうか。

 電子キーをハッキングでぶっ壊し、Roylottらの仕事部屋を探る。懐中電灯では流石に限界があるが、仕方ない。取り敢えずは棚に机にとあらゆる物をひっくり返した。

 机にはない。

 棚にもない。

 その時、偶然ホワイトボードの奥に金庫を見つけた。瞬間、予感がして飛びつく。自分の持てる限りの力を以てしてこじ開ける。

 中に入っていたのは、地図だった。

「地図――?」

「誰だ!」

 思わずリュックをそいつに投げつけ、走り出す。

「待て!!」

 いつもは自分のターゲットを追い立てる役割の人工知能。そいつらに追い立てられるとはこういうことか。既に肺がヒィヒィいって、足もズキズキと痺れ、痛む。でも今捕まればどうなるか分からなかった。

 走れ、走れ。

 走れ!!

 途中でJosephとすれ違う。

 自分の手の内にある地図を視認した途端、足を引っかけようと突き出してきたので飛び越え、避け、また逃げる。

「追え、追え!! そいつを外に出すな!!」

 早く、早く!

「絶対に逃がすな、絶対に!」


 早く!!!


「絶対に!!」


 そこから暫く記憶がない。


 * * *


 朝焼けと朝もやに冷えた街角。

 くたびれきった体を引きずりながら、トンネルをくぐる。

 昨日より酷い咳が出た。たんと一緒に藍色の粘液が出たかと思うと急に息がしづらくなる。また止まらない咳と一緒に吐瀉物を吐き散らかして、それでも前に進んだ。

 もう後ろから足音は聞こえない。

 下水道みたいな臭いのするトンネルを抜けた先、そこに広がっていたのは――


「ゴミ捨て場、か。ここで死ねってか。――ハ、お似合いだ」


 最後の力を振り絞って固く閉ざされた鉄格子の門をよじ登る。ゴミ電気の発達しきった現代でこの光景は逆に珍しかったし、それ故に誰も寄り付こうとはしなかった。

 それが今の彼にとっては寧ろ丁度良かった。

 放っておいて欲しかったのだ、切実に。

 切実に。

 金属片やらガラス片やら燃えるゴミやらプラスチックやらが汚く乱雑に積み上がるゴミ山に身を投げ出す。

 一度寝転んでしまえばもう動くこともできなかった。

 さっきの藍色の痰がまた喉にせり上がってくる。

「もう、限界だ」

 朝日に照らされ、次第にぽかぽかと温かくなっていくその地に、ふと、ここからかけ離れた天国かなんかを思う。

 こんな天国もちゃんちゃらおかしいが、僕なんかにはこれ位がぴったりなのだろう。

 沢山の人々を酷い目に遭わせてきた。

 カイにも、本当に酷いことをした。

 本当に、本当に。


「皆、今行くから」


 ごめん、なんて目じりに涙を溜めながら。


 ――、――。



 * * *


 それから、数十分位経った頃。

「ぱぱー! たいへんたいへん、たいへんなのー!!」

 新聞から顔を上げた、黒髪に眼鏡の青年の元にいたいけな少女がてててと寄ってくる。

「どうしたの、おーちゃん」

 そう言いかけて、ふと動きが止まった。

 彼女の世話係をさせているRaymondの腕の中にぐったりとした少年が。


「人がしんでるー!!」

「すぐに処置室へ!」


(つづく)

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