XXXX年

 ピンポーン。


「おーちゃん」

 呼び出し音だけが空しく響く。

 もう一度だけ押してみた。

 それでも矢張り結果は変わらない。

 ――勿論出るわけないよな。

 肩を落として離れようとした時、扉がキー、と音を立てて開いた。

「……! おーちゃん!」

「……!!」

 何も言わず腹の辺りに抱き着いたぼろぼろの彼女。

 優しく背中を撫でてやる。

 きっと混乱しているのだ、こうなったって仕方がない。

「腹減ってる?」

「……」

 矢張り何も言わないが、ほんの少し頷いた。

「よしよし、食材をさっきまで買い込んでたんだ。案内を頼むよ」

 部屋に入った。


「良い匂い」

「だろ?」

「何ですか?」

「ポトフ。あったまるよ」

「わぁ」

 腕にくっつき、しげしげと眺める千恵はそのままにじっくりと煮込む。

 静かな時間が流れた。


「さあ、疲れたろう。たんとおあがり」


 コンソメの香りが五臓六腑に染み渡る。まだ暑さは引かないが、真っ暗く、寒いこの部屋には寧ろ丁度良かった。

 温かみに頬を緩める。その首筋に「跡」を見つけて少し胸がつっかえた。

「なあ、おーちゃん」

 頭を持ち上げ、こちらを見る。

「LIARのこと、なんだけどさ」

「……」

 途端に目が暗くなり、同時に泳ぎだす。

「悪かったな。その――あのことについても、アイツ自身が謝りに来れないこの状況についても」

「い、いえ……」

「俺が言う話じゃないけど、許してくれなくてもそれは仕方のないことだと思ってる。嫌われて当然だろう、何も知らない少女に突然あんなことしでかせば」

「……」

 スプーンを置いた。

「アイツを許してやるか、それとも永遠に憎み続けるか。それはおーちゃん次第なんだが……でも、その前にひとつ、どうか、おいさんの話を聞いてはくれないか」

「話……」

「そう。……アイツの、身の上話だ」

 かなり迷いながら伝えられた言葉に目を見開いた。

「本当はこんな事、話す予定はなかったし、勿論、これを話したからアイツを許してやれってことでもない。唯……おーちゃんはきっと知っておいた方が良い話だ」

「……」

「今回ばかりはお代は取らないよ。唯、アイツについて知って欲しい。誤解を持たれたまま、居続けては欲しくない。それだけなんだ、本当に」

「……」

「永遠に憎み続けたって、構わないから」

 エメラルドグリーンの瞳が切なそうに揺れる。

 そのまま、長い沈黙が過ぎた。


「話してください、そのこと」


 ようやく口を開いた時には、目の前のスープはすっかり冷めきっていた。


 * * *


「煙草、吸っても構わない?」

「大丈夫です」

 窓を開けて外を吹き過ぎる風に煙を乗せる。遠くを見つめるその瞳、彼は何を考えているのだろう。

 ポトフを掬って、一口また飲む。溶けるようにじゃがいもが消えた。まろやかながら、ちゃんと塩コショウが効いていた。

「まずはこれを見てくれないか」

 そう言って懐から出したのは小さく折り畳まれたカラフルな冊子。

 新製品を広告する無料チラシのようだ。画像付きで楽しく紹介がされている。

 以下は要約。


『Dr.Schelling Productより皆さんの生活をお手伝いする量産型人工知能が登場です!


・「ロボット感情学」の第一人者がお届けする表情豊かな人工知能!

 日々の研究より、人間の感情により近い「感情」を有した個体が完成致しました! まるで人間のような彼らをあなた好みにメンテナンス、リノベーションしてください。


・汚染物質、汚濁も残さないクリーンな人工知能です!

 タール、一酸化炭素等の有害廃棄物を体に若し取り込んでしまっても大丈夫。無害化してから体外に排出します。しかも皆様に不快感を与えないように排出する為、様々な工夫が施されております。この性質を利用してあなたのパートナーに髭を生やさせたり、髪の色を変えたり……様々なイメージチェンジをしましょう。

※ヒント……煙草を吸わせれば髭が、鉛を飲ませれば銀髪が生えますよ。但し、最終的には体外に排出されるものなので、効果が永続することはありません、ご容赦ください。


・エネルギーの補給が皆さんと同じ食事でできます!

 米類、肉類、魚類、菓子類……等、様々な食事に対応しています。一緒に食事をとって、絆を深めましょう。

※エネルギーの摂取において、当人工知能は糖分を一番効率よく吸収します。電池切れの心配がある際は糖分をお与えください。例えばミルクシェイクだけで八時間は最低でも活動できます。また、従来の充電でも電力供給ができますので、人間の食事を与えたくないという方はそちらを参照にしてください。


・頑丈なボディー、再生力の高いメインシステム

 従来の機械、ロボットはメインシステム――即ち核がやられるとだめになるという欠点がございましたが、当社の人工知能にそのような心配はご無用です。万が一破損が起こっても体内の再生促進部により故障、破損を修復。長くご愛用頂けます。

※ご不要の場合には当研究所のサポートセンターにご連絡ください。彼らのシャットダウンは特別な機械でしか行えません。


・メモリで性格も人格も思いのまま

 付属のディスクで簡単プログラミング! あなたの理想のパートナーを作ってください!』


「これは?」

「XXXX年、某日発表。彼らにとって『四番目』の偉業」

「偉業……?」

「人工的に『人間』を作ることに成功したってこった。――しかも半永久的に持続する完璧なロボット。神の真似事かなんかしているんだよ」

「売れましたか?」

「売れた売れた。『幸せのシナリオ』よりはちょっと前の頃の話だから、まだ人工知能に対して能天気な時のことだな。まだあの頃は皆幸せだった」

「……??」

 意味がよく分からない言葉がちょくちょく挟まってくる。頭が思わずパンクしそうだった。

 思い切って話を戻してみる。

「で……それを作ったのが、この会社ってことですか?」

「そ。Dr.Schelling product。元々は人間が営む研究所だったんだが、ある日、変わった」

「変わった?」

「研究所38代所長メアリー・シェリング。彼女が世界で初めての感情を有する人工知能を生み出した。それがここに写ってるアンドロイド型の男性人工知能。その名も『Dr.Schelling』」

「ドクターシェリング……」

 ちょっと癖のある黒髪に丸眼鏡をかけた、いかにも博士らしい顔立ち。一見すると生きた若々しい青年のようである。

「人工知能研究がデッドヒートしていたこの時代に、これは本当に革新的なことだった。人工知能に心はあるか。これは全ての研究者が夢見てやまなかった事だろう……そしてそれは眼前に現れた」

「感情を持たせただけなのに」

「まあ、目の前の人形が歩いて喋りだして喜ぶ位には稀有なことだから。そんな光景見たらおーちゃんは喜ぶでしょ」

「そりゃ驚きです! 魔法ですよ、魔法!」

「同じ感想を持ってたんだよ。意志のない箱型機械が立って踊りだしたのを見たような感じだっただろう。分かり辛いだろうけどな」

「……」

「――まあ、その当時は一時期話題にはなったが、ずっと続くわけではなかった。おーちゃんの反応と殆ど等しく、要はエンタメ。彼らを楽しませる材料にはなったが、そこまで凄い奴だとは思われなかった」

「まあ、そうですよね」

 苦笑いでもするように困った笑みを浮かべる千恵。しかし怜は至って真剣だった。


「――ある日、とある国のゴミ山が全て消えるまでは、な」


 ――、――。


 ある日。

 とある国のゴミ山が全て消えた。ひとつ残らず、欠片も残さず。


 貧乏と富豪が隣り合って住んでいると陰ながら囁かれたその国から貧困の二字がすっかり姿を消してしまった。金持ち達がその二字を何とか探そうと藻掻くがどこにも見当たらない。

 それどころか、彼らの暮らしはどんどん豊かになった。――ゴミを特殊な技術で分解。その時に出たエネルギーが莫大な力を持っていたのだ。十キロもあれば2XXX年の自治体五つの一日は余裕で賄える。

 エコで、かつ、強力で、魅力的な発電。

 その知識、権利を唯一持つ国――いや、その国のに金がどんどん吸われていったのである。


『ゴミ電気』


 ただの燃えカスと思われた灰からまた出火でもするような、そんな夢みたいな技術に皮肉も尊敬も込めて、ド直球ストレートな名前が付けられた。

 そしてその日の報道やら密告やら何やらの情報戦を境に各国のエネルギー競争が動き出す。


 世界のパワーバランスが崩れ出す。


 そんな時、巷ではこんな事が専らの話題になった。

 ――ゴミ山で拾い集めたカネの欠片を純金に変えた奴がいる。

 ――錬金術師が貧困層の地位を王様の所にまで持ち上げた。

 若しかしたら吾々は環境問題を解決せねばならない、と言うだけで満足していたかもしれない。動いていたのはほんの一部だけだったのかもしれない。

 そう思わせる程の衝撃。


 衝撃を世にもたらしたのが、世界一人間に近いあの人工知能だった。


 各国はまず「ソイツ」の所有権を望んだ。

 予想外の知能、優秀さ。皆喉から手が出る程欲しがった。

 結果的に勝ち取ったのはN国。研究所ごと買い取り、政府の「特別政策指導官」とかいう新しいポジションにDr.Schellingを置く。

 しかしその時。人類はソイツの決定的弱点に気が付いた。

 ――こいつ、嘘が壊滅的に吐けない。

 思えば確かにそうだ。

 勝て、と言われれば学習を重ねた上で将棋の名人を負かす。

 ありがとう、と言われれば「嬉しいです」と即答する。

 そこに企みも陰謀も存在しないのである。

 彼らにとって嘘こそ不必要であった。吐くことがあっても、それは人間に指示された時だけ。そこに各国は対抗手段を見出す。

 善意でSchellingが提供した技術がまるで我が物であるかのように言われた。

 泣いて要求された物が自国に損害を与えた。

 情報戦が渦巻いた。錬金術師が短期間の内に丸々太ったカモと化した。誰の言うことも信用できなくなった。


「何故、こんなことになるのだ」

 命令と違うではないか、と、Schelling氏、ぼやく。

 所詮はこいつは人工知能であった。唯、頭の回転が異常に早いだけの、涙が目から零れるだけの。泥みたいな心理戦が渦巻く政治には元より向いていないのだろう。人々は少しずつ彼から離れていった。

「否、心理学を片っ端から頭にぶち込めば、もしかしたら今の情報戦に対抗できるやもしれぬ」

 誰かは言った。

 しかしそんなこと、とっくに考えていた。駄目だ、時間が足りな過ぎる。

 僕が助けたいのは今だ。そんなもの、最新のものまで吸収していれば何百年あっても足りない。更に言えば、それらを吸収しまくった所で必ずしも正解とは言えないのだ。万人には効かぬ。一々照らし合わせていればそれこそメインシステムがショートする。

 ならどうするか。

「あらゆる意味での『恐怖政治』を断行しよう。自国にも他国にも恐怖を与えるのだ。嘘が吐けないのなら、嘘が見破れないのなら、相手が嘘を吐けぬようにしてしまえ。それ位の力がお前にはあるだろう」

 また誰かが言った。

 馬鹿垂れか。

 孔子曰く、政治に大事な三つの要素とは「信頼」「食糧」「兵士」とのこと。しかしその中でも最も大事にしなければならないのは「信頼」。無ければ政治など無理だ、他の二つがどんなにあったって根幹より崩れ落ちる。

 更に言えば恐怖政治を行った殆どの国、権力者が潰されている。それが辿る未来はもう知れている。

 ならどうするのか。


 そこで自分の中の誰かが問うた。


「何故、人は嘘を吐くのだろうか。そもそも嘘を吐くメカニズムとは一体何だ」


 そこから突然思考が捗った。

 特別政策指導官の任を一旦休職し、一時研究所に引き籠る。そこで自分の片腕となる人工知能二号機「Dr.Schelling product. No.00002―Raymond」を制作。二人で「嘘」についての研究を行った。

 因みにこの時、SchellingはRaymondに何故か感情を入れなかった。後からどんなに問うても「実験の一部」としか説明はしなかったが。

 話を戻そう。

 そうして熱狂的に「嘘」についての研究を重ねていった彼らが一度夢に描いたのは平和的世界。

 誰も怒らず、悲しまず。嘘も吐かない優しい世界である。

 自分達は嘘を吐かずともやってこれた。しかしながらどうやら人間達は違うらしい。嘘を吐かねばやっていけないことが沢山あり、その数に応じてどんどん罪を重ねていく。

 ――「嘘」という概念があるからいけないのではないか? それこそ「恐怖政治」と殆ど同じそれだ。

 この最終的な一考察が導き出したのが上記である。

 独立した人工知能が考えた、精いっぱいの世界の理想。しかして以上にはまだ不安が残る。

 その理想に「デメリット」があっては政治家としていたく困るのだ。


 では実験をしよう。

 負の感情を持たない者は幸せたれるか。

 根っからの正直者が日常を暮らせばどれだけ平和で豊かでいられるか。

 嘘吐きから実験的に嘘を引き抜いて無理矢理正直者に仕立て上げれば彼らは幸せな世界を生きられるか。


 始めの実験に関しては人間で試せば精神世界が崩壊する危険性がある為、最初から感情を有さない人工知能に実験的に「喜」と「楽」の感情のみを入れる。

 一体だけでは実験にならないので二体用意する。三体以上は「正の感情」が足りなかったので用意しなかった。

 そうして出来上がった三、四番目の子ども達にSchellingはそれぞれ「Roylott」と「Joseph」の名を付けた。

 で。

 問題の後者二つであるが、これらに関しては精神の器の真ん中に溜まる「嘘」のみに着目すれば良いということになった。――これなら人間が使える。

 その為に二人の子どもが研究所の為に用意された。少々手荒な方法にはなったが、世界の平和の為には仕方ない。


 一人から「嘘」を完全に抜き、これからも出現しないように手術を施す。その子の右肩に「H」の文字を焼き付け、HONERと名付けた。

 もう一人には逆に彼女の「嘘」を与え、定着させる。これで彼は他人の「嘘」に易々と干渉できるようになった。実験でも上手く作動。一人の嘘をもぎ取り、正直者に変身させることに成功。副作用でこげ茶の瞳が白濁してしまった彼の左肩に「L」の字を刻印し――


 ――LIARと名付けた。


 これが俗にいう『幸せのシナリオ』の序盤。

 Dr.Schellingがその生涯をかけて追い求めた物語のほんの切れ端にすぎない。


(つづく)

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