瓦解

「な、何してるんですか?」

「何って、本物の力をあの偽物と暴漢共に見せてやるのさ。――これをあいつが投げてきたってのはそういう事だ。見せつけろって言ってる」

「分かるんですか?」

「ああ。あいつとはかれこれ十四年位のお付き合いだからな」

 シリンダーを戻し、撃鉄を起こしたところで向こうの偽物の口元が吊り上がったように見えた。


「さ、目にもの見せてやる」


 ――私を囲んでいるのは明らかな強者。

 アクション映画のようだとも思わせる程の圧倒的な目の前の光景に千恵は息をすることも忘れてしまっていた。


 その影に悪があるとは到底思えない。

 それ程彼らの姿は輝いて見えていた。


「少し昔なんかは文武両道のRaymondなんて呼ばれたもんさ」


 そう言うなり彼の握る拳銃から弾丸が音も無く、勢い良く飛び出した。

 そのままどんどん撃ちこんでいく。

 六発打ち込んだ直後、シリンダーをずらし弾を一気に吐き出して、三つずつ弾をストンストンと小気味良いリズムで調子良く入れ、また撃ちこんでいく。――それらは激しくわらわらと動き回る少年らの武器を次々と軽快に弾き飛ばしていった。

 狙っているような素振りが全く見られない。適当に撃っているようにも見える程だ。

「流石怜! 中々やるねぇ! 俺の心をよぉく分かってらっしゃる」

 怪人が立ち止まってぱちぱちと拍手を送る。周りでは銃弾が擦めた手を押さえる少年らが悶絶している。

 自分の手柄では無い癖にしてやったりと言わんばかりの満面の笑みである。そこには何となく怜の面影があった。

 ――なるほど、口調や言葉の癖、更には彼の細かな癖等も移るらしい。

「うるせぇ、何年の付き合いだと思ってやがる」

「さて? 数えてないからそこは分かんないな……Raymond

「……!」

 その瞬間怜の瞳がかっ開いた。

「嘘、喰われてるんだからお口は閉じておいた方が良いかもね」

「テメェ……!」

「情報屋の嘘は美味しいや。色んな事情が一気に頭になだれ込んでくるからね。食べ応えがある」

 その表情はまさに怪人のそれそのもの。

 彼の焦る表情をじろじろと見ては肩の辺りで小さく笑う。

 余程楽しいのだろう。

 ――しかし怜の焦る表情は怪人に向けられたものではなかった。

「違ぇよ、後ろ!」

「後ろ?」

 後ろに迫ってきていたのは見た事も無い――しかし彼らの仲間であろう大柄な少年。

「隠れてた……!?」

 大きくスイングしたバットの軌道は一直線に怪人の腹にめり込んだ。

 グワキン!!

 その体格、バットの勢いにとてもよく似合う、しかし嫌な音がこだました。

「グハ……ッ!!」

 喉の奥の粘膜を吐き出しながら勢い良く倒れ込む。その周りを少年らが取り囲んでいく。

 まるでリンチだ。

「LIARさん!!」

「飛び出すな! あん中飛び込んだらひとたまりもねぇぞ」

「じゃあ、彼らを銃で牽制するとかは……!」

「あんなに戦闘慣れしててチームワークも最強の奴らに正面から渡り合ってどれ程足止めできるか分かんねぇな……弾込めてる内に奇襲を食らうぞ……何せリボルバーだからな。ナガン改はマシンガンじゃない」

「そんな……! 嫌、LIARさん! 嫌、嫌アァ!!」

 とっくの昔に変身の解けたひょろ長い青年の手足を少年らが押さえる。

 その腹を大柄な少年が勢い良く踏み付けた。それを弱々しく咳を飛ばしながら受け止めるしか無い。

 振り上げられたバットが街灯の冷たい光にを鈍く反射した。

「どうする……どうする……!」

「れいれいさん! れいれいさん!!」

「……こうなったら俺がホイッスルでも吹いて警察の真似するしか――」


 ピリリリリリ!!


 そこまで言った時丁度怜が鳴らそうと思っていた音が別方向から響いた。

 闇夜をつんざくその音に仰天したのか、少年達が弱々しく横たわる怪人を置いてわらわらと逃げていく。

「LIARさん!!」

 千恵はその一瞬の間に自身を止める怜の腕を振りほどき、LIARの元へと駆け寄った。

 抱き起こしながら自分が羽織っていたロングパーカーを彼に着せ、呼びかける。

「LIARさん、LIARさん!! 死んじゃ嫌です!!」

「げほげほっ……死ぬわけ、ねぇだろ。怜の体があって良かった……」

「……っ、LIARさん!!」

 ぎゅうと抱きつく彼女を優しく抱きとめながら

「絶対守るって言ったろ……僕も偶には本当の事言うんだからな」

と言い、彼女の首筋にその顔を埋めた。

 微かな呼吸が何だかくすぐったい。

「馬鹿……馬鹿たれです! 馬鹿、馬鹿!」

 彼女も負けじとその腕に力を込め、顔を甘えるように彼の肩に擦り付けた。

 数秒の後、LIARは千恵を離しながら優しく笑んだ。

「さ、警察が来る前に早く家に帰れ」

 対照的に千恵の顔が驚きに満ちていく。

「……!? 何で! LIARさんがこんなにぼろぼろなのに一人帰るなんて出来ません!! 何より姿無き殺人がまだ――」

「それだよ。このままここに居れば確実に暴行事件として処理される。そうしたら僕もちーも警察行きだ。事件発生当時の状況やら動機やらはすぐに洗い出されるだろう。――そしたら犯罪予備防止委員会が『姿無き殺人』に首を突っ込んで勝手気ままに弄くり回している事がバレるのは必須だ」

「……!」

「ちーは嘘が見つけられない程の正直者だからな」

「で、でも……! まだ何も……!」

「ここまで複雑な怪事件、今から日付が変わるまでに解けるか? 容疑者が短期間の内に増えすぎだ。ちーがハッキリ覚えていない事実だってそこら中にごろごろ転がってる」

「……っ!」

「嫌な事言うよ。あんたらの負けなんだ」

「……」

 涙をとめどなく零す彼女にその言葉は余りにも残酷だった。

「諦めな。そして二度とここに来てはいけない」

「……、……でも」

「そういう約束だ。約束は守れ」

「……」

「帰れ」


 空白のような時間の中に濃い悔恨ばかりが滲んでいた。

 握り締めた拳をもっと潰したくて仕方の無いような、そんなやり場のない怒りやら悲しさやらが彼女を支配する。

「さあ早くお行き。後は任せて。ここは僕が何とかするから」

 その言葉をきっかけに彼女はふらふらと立ち上がり、怜と共に駐車場まで向かった。


 千恵は怜の車で送られることとなった。


 余りにあっけない終わり方だった。


 * * *

 人気がすっかり絶えた路地を一台の車がゆっくりと通り抜けていく。

 その後部座席、座る彼女は力無く携帯電話のボタンを押していた。

 自分の横を通り過ぎていく街灯の光が彼女の憂いを照らしては過ぎていく。

 彼らに彼女の心を分かれる優しさなど、はなから持っていない。

 RRR……。

『もしもし?』

「委員長……!! うああ!! ごめんなさいぃ!!」

『どどど、どうしたんだい!』

 怜の背後からずびずび聞こえる。

「ティッシュいるか?」

「に、二十枚程……」

「ほい」

 前から無造作にボックスティッシュが渡される。

 一枚折り畳んで丁寧に鼻をかんだ。

『それで? どうしたんだい。ゆっくり話してごらん』

「いぃんちょおぉー……!」

 ぐずぐずぐず。

「ティッシュ足りるか?」

「分かんないです……」

「程々にな。鼻すりむけるぞ」

「ふぃ」

 この後千恵は三十枚程ティッシュを消費しながらこれまでの経緯をたどたどしく話した。――勿論大輝も容疑者なのでは無いかという点は避けながら。

『なるほど。それは大変だったね』

「はい……」

『それで助けて貰ったと』

「はい……正直皆さん格好良かったです」

 千恵の前方で右手のピースが上がる。

『それで奴が犯人だという立証が遂に出来なかったと』

「……、……はい」

『あんなに準備したのにかい?』

「容疑者が一気に増えて……何が何だか分からなくなってきちゃって……」

『あらあら』

「それに、私、LIARさんが悪い人だとは……その、思えなくなってきて……。もう、本当にどうすれば良いのか分からなくなっちゃって……!!」

『あらあら。情が移っちゃった?』

「……」

 ――情。

「……、……多分」

『ふうん』

 返答がし辛かった。

 胸がちくりと痛む。

 ――しかし、それに対する彼の反応は予想外のものだった。


『そうか。まあ初めてだし、他に類を見ない怪事件だから仕方ないね』


「え……?」

『仕方ない仕方ない、失敗は誰にでもあるよ。さて、これからの予定はっと……うん、あれ以外の目立った事件や依頼は入ってないし、また都市伝説探しに戻って貰うって感じかな?』

「え、え、え? え??」

 我が耳を疑った。

 慌ててストップをかける。

「ちょ、ちょ、待って下さい。それだけ、ですか?」

『ん?』

「事件は……?」

『あれれ? カイくんから聞いてなかったかな? 事件はほぼ解決したみたいなもんなんだよ』

「……??」

 ――どういう事?

 目が泳ぐ。

『実はあの後こっちの方で急展開があってね、剛君が持ってるはずの無い証拠を持ってたって事で警察のお世話になる事になったんだよね』

「え……」

 思わず息が詰まりそうになる。

 確かに海生がそのような事を言っていたが、現実として眼前に現れると矢張り驚きが隠せない。

『残念だけどね。事実は覆せない』

「って事は……」

『まぁ、そうだね。後は剛君が真実を吐いて、それ相応の罪滅ぼしをすればお終いって所だね』

 ――お終い……。

 余りに軽々しく言われたその言葉に千恵は動揺やら混乱やらを隠す事が出来なかった。

「ら、LIARさんは!? LIARさんはどうするんですか!?」

『ん、ああ? あいつかい? ――あいつの事はもう忘れるんだ。後処理は僕が引き受けるから』

「な、何でですか? 私もっとやれます!」

『駄目だ。これ以上は危ない』

「だ、だから何でですか……!」

『忘れたのかい。あいつの言動の八割は嘘で塗り固められている』

「……!」

『それに奴の甘い言動やら行動は今に始まった事じゃない。それに心を許した多くの者達が彼の被害に遭ってる』

「そ、そんな……」

『ちーちゃん、君も例外じゃない。僕が五日間なんて短い期間を設定したのは奴に情を移させないようにと思ったからなんだけど、奴の方がどうやら一枚上手だったようだ』

「あ、で、でも……! 彼、これ以上来るなみたいな事言ってました! そしたらその可能性も潰れるのでは? ほら、私を追い返している訳で……」

『事件が中途半端に終わって無理矢理追い返されて二度と来るななんて言われて黙ってられる人じゃないだろう? 君は』

「う」

 どうも心当たりがあり過ぎる。

『奴がどこまでこちらの動きを読んでいるかは分からないけど、恐らく僕が彼と同じ様にそちらへ行くなと言うであろう事までは察していると思う。そうするとね、ちーちゃん。その状態で彼の元へ行ったら最後、君は助けを求められなくなるんだ。禁止事項を破っているんだもの。全て自己責任になる』

「……」

『奴はそこを狙ってる。今迄みたいに檻の中から幸せそうに猫と話していた小動物とはもう違う。奴は君が庇護という檻から出て来る瞬間を心待ちにしているんだよ』

「……」

『お願いだ。君が壊れてしまう前に、僕の話をちゃんと聞いて、守って欲しい』

「……」

『良い? お願いだからもうあいつの住み処には行かないでね』

「……分かり、ました」

『ごめんね。よろしく頼むよ』

 そこで通話は終わった。

 再び重たい沈黙が車内をどんよりと流れていく。

「おーちゃん」

「はい」

「一言言わせて貰うが……決めるのはおーちゃんだからな」

「……はい」

 もやくやとした気分は未だ晴れない。


 * * *

 一方その頃。

 怜の車が見えなくなるまでその車体を見送った怪人は背後の気配に気が付いて、振り返った。

 またあの二人組だ。

 何かある度にちょいちょい首を突っ込んでくる。

「また来たのか」

「真似、上手かったでしょう。あれが無ければ貴方はここで元気に立っては居なかったでしょうね」

「余計なお世話だ」

「――そのようですね」

 Roylottが後ろを見やる。それに呼応するようにブロック塀やら何やらの向こうから顔を覗かせていた先程の少年達が身を隠した。

「それにしてもやたら大がかりな……そんなに彼女が嫌ならこちらで引き取りましょうか」

「――ほざけ」

 物凄い形相で睨んだ怪人の顔を面白そうに一瞥するRoylott。

 やがて肩の辺りで小さく笑った。

「……冗談ですよ。矢張り騎士はいつの時代もお強い」

「……」

「ですが時偶考えたりするんですよね」

「何を」

「我々は研究の最終局面に入っている。それがたった一輪の花ごときに手をかけて時間を食い潰す。無駄な事です」

「効率が生んだ化け物め。その花『ごとき』が大切だからてめぇらから守ってるんだろうが。少しは頭使え」

「彼女程の適任者もそうそう居ませんけど。彼女一人で何万人の代わりになる。……我々は最初から最小限の被害で最大限の利益を生もうと努力してきた」

「……」

「それは貴方だって例外じゃなかった」

「……」

「博士の遺した最高傑作はこの為にあるはずです。いい加減博士の理想を叶えようとは思わないのですか?」

「あいつを父親だと思った事なんか無いね」

「流石。彼の敵を象徴するような存在になっただけの事はありますね」

「てめぇらが作った癖に」

「ふふっ、これ以上は無駄骨ですね」

「ったりめぇだろ」

 何も知らない風が双方の間を通り過ぎる。

 それは話の終結を促しているようにも見えた。

「それじゃあ体に不調が出たらまたご連絡下さい」

「する訳ねぇだろ。これ位平気だ! 早く帰れ!!」

「ふふ、そのようですね。それでは失礼します」

 二人の背中を先程とは対照的に憎悪に満ちた表情で見送る。

 それは彼らの背中が見えなくなるまで続いた。


 やがて先程の少年達が我慢できずに顔を出す。

 それを見てLIARはロングパーカーを改めて脱ぎながら周りに向かって叫んだ。

「カット! 良いよ、出ておいで」

 合図に合わせて怪人の周りに少年達が集まる。

「流石。スタントマンの卵ってだけあるわね。これで貴方達の出番は終了よ。どうもありがとう、帰って良いわ。……お給金は指定の口座に振り込んでおくからね」

 少年達は何とも行儀良くぺこりと一礼してその場を去った。

 その後聞こえた会話によれば明日は焼き肉らしい。

「へぇー見事だよ。マジで見事だ。台本も完璧、どう見ても襲撃にしか見えない……お前そのままサプライズイベントとかの主催者やれよ。副業として紹介してやるわ」

 直後、背後から声をかけてきたのは千恵を送り終わった怜。

 気安く怪人の肩に自分のひじを置く。

「あら、帰ってたの」

「何だよ、いい加減戻せよ。もう見てる奴は居ないぜ? LIAR――いや、

「じゃあそのやけに尖ったひじをどかして頂戴」

 怜の腕をぺちぺち叩きながら木霊の姿をしたLIARは不機嫌そうな顔をわざとらしく彼に向けた。

「はいはい、すんませんですよ」

 呆れたように笑いながら人質みたいに両手を上げる。

 ロングパーカーを着直した彼の姿はLIAR本人そのものだった。

「で? 反応は」

「上手く行った……っつうか上手く行き過ぎて怖い位だ。あれだけ釘刺されたらおーちゃんもこっちには来れまい」

「……なら良いんだ」

「っつうか、おーちゃん一人遠ざける為だけによくここまでやったよな……。まず彼らのやり方にイチャモン付けて自信を喪失させた所にトドメで親玉の事をさも怪しげに吹き込み? 混乱させた所にまるで木霊が犯人かのように見せる架空の組織に襲いかからせてこれ以上の接触は難しいように見せかけるだ? 意地悪のオンパレードだな。どこで学んだんだ、そんな腹黒」

「Schelling達からだよ」

「例の研究所の奴らか?」

「一々聞くか?」

「……そうだったな、わり」

 そう言いながら無造作にLIARの頭をガシガシと撫でまわす。

 それを秒で拒否した。

「それにしてもよ。やりたい事とやってる事が矛盾しまくりなんだよ。おーちゃん、目を輝かせてたぞ?」

「……良いんだ。せめてもの罪滅ぼしだから」

「果たしてどうかな」

「……」

「自分を守ってくれる男に好意を持たない方がどうかしてるんじゃねえの」

「……」

「本気でどうにかしたいなら手を打っておかなきゃな」

「ケッ、面倒臭ぇ」

 そう言ってくるりと背を向けた怪人の体がぐらつく。

 怜が慌てて彼の体を支えた。

「どわっ危ねっ! ったく、何やってんだ」

「……、……悪い」

 気付けばその額にじっとりと冷や汗をかいている。

「どうした?」

「別に! 何でもないったら」

 腕を無理矢理払いのけるがどう見ても大丈夫じゃない。

 あっちへふらふら、こっちへふらふら。

 見てて本当に危なっかしい。

 やがてまた倒れそうになる。

「ほらまた言わんこっちゃない! 何か変なモン食ったんじゃねぇの?」

 そこまで言ってハッとなった。

「――ってそれ絶対俺の嘘のせいだろ!! もうキャパオーバーしてる癖に格好つけて勝手に呑み込みやがって……早く吐き出せ!」

「大丈夫だってば!」

 勢い良く払いのけた瞬間に重しのような頭がぐわんと揺れる。

 何とか手すりにつかまってずるずると階段を上って行った。

「おい、飯は!」

「いら、ない……!」

 それだけ言い残して彼は荒々しく扉を閉めた。

(つづく)

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