おそらく。これが。きっと。

 これで悠はイチコロになるだろうか。

 悠からの反応はない。私の言葉に固まっている。結婚してよとはよく言っていたけれど、こうやってちゃんと言うのは初めてだ。もちろん、愛してるというのだって初めて。

 悠は私に『好きです。付き合ってください』と告白をしてくれた。それなら『愛しています。結婚してください』というのは私の役目だろう。

 好き同士がお付き合いをするならば、やっぱり結婚するのは愛し合うふたりだろう。

 ただ、もちろんそれは私たちが愛し合うふたりだった場合の話だ。私は悠が私のことをまだ好きなのかも知らない。

 私は悠を見る。私と膝のアップリケのウサギ。四つの瞳でじっと悠を見る。相当見上げないと悠の顔は見えない。その顔も街灯の明りが逆光になってよく見えない。ウサギは悠の膝下を凝視。私は首が痛い。

「……結婚ってなに?」

 口を開いたと思えば、またややこしいことを。そんなの――。

「ふたりで幸せになること。多分」

 口からでまかせ。思いついたことを言ってみる。本当はわからない。結婚ってなんだろう。とりあえずふたりで一緒にいることだろう。

「幸せってなに?」

「わかんない」

 でまかせってよくない。すぐ行き詰まる。

「……愛ってなに?」

「わかんない」

「わからないのに、愛してるってわかるの?」

 もう。さっきからなんなの。なに? なんで? どうして? って本当に子供みたい。でも、私だってまだ子供で、わからないことばっかりだ。だけど、これは――。

「わかる」

 なぜならわかるから。というかわかった。ひらめいた。降ってきた。愛はわからないけれど、私は悠を愛しているのだ。なぜかはわからないけど、なぜかわかる。私は悠を愛しているから愛しているのだ。だから、きっと私は悠と結婚がしたかったのだ。だって、愛してるから。愛しているから愛し合いたかった。愛し合うのなら、結婚だってするだろう。したいだろう。きっと、そういうことだったのだ。どういうことだ。いや、つまりは私は悠を愛している。ということだ。うん。そういうこと。

「わからなくても、わかるの?」

「わかる」

 私はもう一度、そう断言する。それだけは確信がある。ただし、根拠はない。理屈じゃないのだ。

「うー」

 悠は唸り、頭を掻いている。

「わからなくても、いいの?」

 悠が呟くように言う。

「いい」

 わからなくていい。だって、私にもわからない。むしろ誰がわかるのだろう。愛なんて誰にも定義なんて出来ないはずだ。世界中の誰もが納得する愛なんてこの世にあるのだろうか。いや、ない。ないことにしておこう。

 悠は目を閉じて、大きく息を吸う。その呼吸音が聞こえる。植木の陰よく聞いていたごにょごにょ声、私に『好きです。付き合ってください』と言ったあのごにょごにょ声、それよりもっとごにょごにょ声で悠は言った。今、悠の目の前に立っているのは私だ。だから、ちゃんと聞こえる。

「……じゃあ、俺もか、霞のこと、あ、愛してる。と思う。わからないけど、多分、愛してる」

 そして、悠は私の手から婚姻届を受け取る。受け取ってくれた。

『じゃあ』、『と思う』、『わからないけど』、『多分』、なんだそれ。それでいいのか。それでいい。よすぎる。最高。

「じゃあ、結婚してくれるの?」

「したら手、繋いでくれるんだよね?」

「うん」

 繋ぐ。繋ぎまくる。通学のときも、学校でも、下校のときも、デートのときも繋ぐ。

「キ、キスもしていいの?」

 そう言う悠の顔はよく見えないけれど、きっと真っ赤になっていると思う。

「い、いいよ」

 そりゃ結婚したら誓うんだから。神様にどうやって誓うのかといえば、それはそう。誓いのキスだ。つまり、キスはする。それも人前でする。うわー。やばい。

「……じゃあ、結婚、する」

「悠!」

 私は思わず悠に抱きつく。だけど、私は屈んだままだった。屈んだまま、立っている人間に抱きつくとどうなるのか。そう、膝下タックルだ。そのタックルは完璧に決まった。悠はイチコロだった。


 公園を出て、私たちは並んで歩く。悠の家に続く住宅街の道路。等間隔に並ぶ街灯。家々の窓からも光が漏れている。

 膝下タックルでイチコロにしてしまったけれど、悠には怪我はなかった。今日ばかりは私が小さくてよかったと思う。もし私が二メートルくらいあったらどうなっていたことか。

 悠は痛そうに頭を撫でている。そんな悠を見て、私が思うのは、ようやく隣を歩けた。とか、まだ手は繋がないのかな。とか、悠と結婚できるんだ。とか、そんな自分のことばかり。

「悠。ごめんね」

 だから、私は謝る。タックルをしてしまったことも、今の私のことも、ほんとうにごめんと思う。でも、私が浮かれてしまうのもしょうがないと思う。いや、タックルは本当にごめんなさいと思う。嬉しかったとはいえ、ちょっと鋭すぎた。私にタックルの才能があったなんて私だって知らなかったのだ。他の才能がよかった。でも、今はそんなことどうでもいい。やっと、悠が私と結婚すると言ってくれたのだ。そんなの嬉しくて、浮かれるに決っている。タックルだって鋭くなる。

 それにだ。手だ。手。今まで散々、手を繋げってうるさかったのに、いざ繋げるとなったらなにも言ってこない。ヘタレなのか。いいから早く――。

「許すから、手握っていい?」

 交換条件とか、どうかと思う。許してあげるから手を握れ。いくら結婚するからってそういう態度はよくないと思う。思うけど。

「……うん」

 今日は別にいいや。

 悠の手と私の手が繋がる。小指だけじゃなくて、親指も人差し指も中指も薬指も、手のひらだってそう。私の手全部で悠の手と繋がる。

「……結婚ってどうやってするんだろう?」

 悠は前を見たまま言う。私のその様子を横目で見る。街灯の灯りが照らす悠の耳は今まで見たどの悠の耳より赤かった。

「婚姻届に名前書いて判子押して役所に持っていけばいいんだよ」

「それはそうなんだけどさ。その、霞のご両親に挨拶したりさ」

「そっか。私も悠のご両親に挨拶しなくっちゃ」

「学校ってどうなるのかな」

「先生に言うのかな。私、今日から高須霞になりました! って」

「俺が石黒悠になるかも」

「どっちにしても、なんか変な感じだね」

「うん」

 そこから悠は黙り込む。私も黙って歩く。ただ、悠の手のひらの感触だけを感じる。

「俺の父親さ。ハゲてるって知ってたっけ?」

 いきなりなにを言い出すのか。

「知らない」

「将来、俺もハゲるかも」

「そっか」

「それでも大丈夫?」

「わかんない」

「そうだよな」

「……来年になったらさ。私たち多分大学生になってるよね」

「うん」

「そこから、きっと働きだして、ひょっとしたら子供がいるかも知れない。それから私はおばさんになって、お婆ちゃんになっちゃう。それでもいい?」

「うーん。わかんない」

「でしょ。私も悠がおじさんになって、お爺さんになって、どうなるかなんてわかんない。わからないけど、でも、それはしょうがないよ。だって、先のことなんて誰にもわからないんだもん。どうしてこうなった。とか、なんでこうならない。とかあると思う。そうなったら、ふたりでどうしたらいいのか考えよう。それで多分なんとかなるよ。わかんないけど」

「結局、わからないんじゃん」

 そう言って、悠が笑う。

「しょうがないじゃん」

 私も笑う。

 私は本当になにもわからない。好きも結婚も幸せも愛もなにもわからない。悠が私のどこをなにをどんなところが好きなのかもわからない。私はこれからも変わり続けるだろう。悠が私を好きになったなにかが変わるかも知れない。悠が私と結婚してもいいと思ったなにかが変わるかも知れない。きっと私はもう背は伸びないし、可愛くもならないし、美人にもならない。でも、今の私で悠のお嫁さんになれた。

 だから、私は未来の私に期待をしよう。

 悠の彼氏でいるよりお嫁さんでいる時間のほうがきっと長くなる。わからないことも増えるだろう。でも、考えよう。

 これからは悠と一緒に考えればいい。ひとりよりふたりのほうが絶対強い。お姉ちゃんや希もいる。だから、多分なんとかなる。

 それにひとつわかったことがある。

 私は悠の手をぎゅっと握る。悠もぎゅっと握り返してくれる。悠を見る。悠も私を見る。私は笑う。悠も笑う。ふたりで笑い合う。

 おそらく、これが、きっと、この気持ちが多分――。

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