18

 その日、寮の自室で寛いでいた静佳と紗雪の元に焦った様子の星観が飛び込んできた。

 凛音がいなくなった。こっちに来てないか? と星観は訊ねる。

 時刻は既に夜の九時。寮の門限も過ぎてるこの時間に外に出たとは考えにくい。

 凛音のルームメイトである星観の焦りようを見て、静佳はこう忠告した。

「星観さん、財布とかなくなってないですか? ひょっとしたら盗まれてるかもしれませんよ」

 冗談めかした発言とはいえ、友人を貶めるその言葉に紗雪はすぐに噛みついた。

「静佳さん、それはいくらなんでも失礼ですよ。凛音さんはコソ泥なんてする人じゃない。お金が欲しければ正々堂々カツアゲする人です」

「それは、確かにそうね。私が悪かった」

「あのね二人とも、凛音にどんなイメージ持ってるの? いくら凛音でもカツアゲなんて流石にしないよ。しないよね、多分」

 何とか凛音を擁護しようとする星観の言葉も、最後には自信なさげに消えていく。

 そんな静佳の発言を受けて、星観の部屋に戻って私物の確認をする。そこで星観は初めて自分の管理している夢幻の鍵がなくなっていることに気付いた。

 鍵の消失と凛音の行方不明、関連性は不明だが、その時点で三人は嫌な予感を感じ始めていた。何者かが鍵を奪ったなら、次に向かうのは恐らく地下迷宮。

 その推理は的中していた。三人が地下迷宮へ行くと、入り口の扉は開け放たれていた。

 彼女達は凛音の姿を探して地下迷宮に入る。そして地下二階に下りたところで見知った紫紺の髪の少女の後姿を見つける。

 最初に声をかけたのは紗雪だ。

「凛音さん、ここにいたんですね。心配しましたよ」

 その言葉に凛音が振り向く。

 三人にとって良く見知った親友の顔、なのにそこにいた人物は全く見たこともないような表情を浮かべていた。

 凄絶な笑みを浮かべた少女は血走った瞳に三人の姿を映しながら言葉を吐き出す。

「お前達は、そうかこの小娘の友人か。丁度いい、こやつの魂が意外に手強くてな。体の主導権を奪うのに難儀していたところよ。貴様らを殺せばこいつの心も折れるだろう」

 瞬間、凛音の背後で闇が蠢いた。

 いつからそこにいたのか、闇色の鱗を持つ巨大な蛇が黄金のまなこで静佳達を射抜く。その蛇の魔物の姿はこの地下迷宮に封じられているとされる魔神を想起させる。

 教科書などで見た魔神の絵とよく似ているが、実際に対峙したそれは絵とは比べ物にならない禍々しさを放っていた。

 クシャアアアアアと叫びをあげ、黒蛇が口を開く。

 そこから漆黒の古代文字が吐き出され静佳を襲った。それは人を呪い殺す呪文だ。

「ぎゃああああああ」

 静佳の絶叫と共にその腕や足に黒い文字が刻まれる。

「静佳さん!」

 この状況はまずいと紗雪は悟る。

 目の前の凛音の姿をした誰かとその後ろに控える怪物はとんでもなく危険な相手だ。

 そこで紗雪は心言領域を発動し、凛音の姿をした何者かに心の声をぶつける。

『貴方は凛音さんじゃない。その体を凛音さんに返して、永遠に眠っていてください!』

 その言葉を受け、凛音の姿を借りた何かは苦し気に呻く。

「ほう、これは強力な言霊だ。成程、まだこの体を完全に支配するのは無理のようだな」

 そこで凛音は意識を失いその場に倒れる。同時に黒蛇の攻撃も止み、静佳は解放された。

「紗雪ちゃん、早くここから出よう」

 星観は怪我を負った静佳を抱きかかえ、紗雪は気絶した凛音を背負って魔神から逃げる。

 幸いにして地下二階と一階を隔てる封印は生きていた。魔神は現時点では地下一階までは上がって来れないようだ。そうして彼女達は、何とか逃げ伸びた。


 静佳は手足に酷い火傷を負い保健室で手当てを受けた。

 島の病院へ行かない理由はこのガーディアン・スクールには有事の時に備えた万全の医療設備と医師が揃っていること、そして学校内の問題を表沙汰にしたくないという隠蔽体質が原因にあるだろう。

 静佳は保健室で一夜を過ごし、紗雪と星観は寮の自室へと戻ることになる。眠ったままの凛音を連れて。

 翌朝、凛音はルームメイトの星観より早く目を覚ました。

 彼女はいつもの凛音に戻っていた。

 凛音が制服に着替える様子に気付き、遅れて星観も目を覚ます。

 そんな星観を尻目に凛音は部屋の出口の前に立ち、背中越しに星観へと言葉を送った。

「ねえ星観、静佳と紗雪のこと宜しくね。静佳はすぐ無茶するし、紗雪はああ見えて傷つきやすいし、あの子達を任せられるのアンタしかいないから」

 そう言い残し、凛音は部屋を出る。

 すぐに星観も彼女を追いかけたが、部屋を出たところで見失ってしまった。


 次に凛音の姿を見つけたのは紗雪だった。授業がもう始まるという時間になって、教室とは全く違う方向に歩いてく凛音を見て嫌な予感がしたのだ。

 紗雪は凛音の後を追う。凛音は階段を上り、屋上へと出ていった。

 遅れて紗雪も屋上へ行くと、目の前の光景に心臓が凍り付く。

 凛音が今まさに屋上の鉄柵を乗り越えようとしているところだった。

 その先には何もない、地面まで真っ逆さまに落下するだろう。

「何してるんですか、凛音さん」

 咄嗟に紗雪は凛音に飛びつき、彼女を止める。だが凛音は強く抵抗した。

「放して、私は自分のしたことの責任を取らなきゃいけない」

「責任ってなんですか。昨日のことは凛音さんが悪いわけじゃないです」

 違う。紗雪が思ってるほど単純な話じゃない、と凛音は言った。

「少し前からね、私の中にあの魔女の声が囁いて来たの。最初はわけがわからなかった。こんなのに負けるもんかって思った。きっと大丈夫だって思って、誰にも相談せずに日々を過ごして。でもその結果、静佳を傷つけてしまった」

 今にも鉄柵から飛び降りようとする凛音に必死にしがみつきながら紗雪は自分の想いを吐き出す。

「だからって凛音さんが死んじゃうのは駄目です。静佳さんが怪我をして悲しいように、凛音さんがいなくなっても駄目なんです。私達四人は誰か一人でも欠けたらきっと壊れてしまう」

 それでも凛音の決意は微塵も揺らがなかった。

「私のお母さんは病院の窓から飛び降りて死んだの。その理由がようやくわかった。お母さんも魔女に苦しめられていたんだ、魔女にお父さんを殺されて悩んで、それでこれ以上犠牲を出したくないって願って。魔女なんかにこの体を絶対に渡したくないって覚悟を決めたんだ」

 静佳も、紗雪も、星観も、大切な人をこれ以上傷つけたくない。

 静佳は辛うじて一命は取り留めたが、魔女は明らかに凛音の友人に殺意を向けていた。

 静佳が大怪我をして漸く凛音も魔女の危険性を実感したのだ。

 自分の体を蝕む魔女は、どんな手を使ってでも殺さなければならない。

 凛音の力は強い、非力な紗雪ではいつまでも彼女を押さえていられなかった。このままではいずれ彼女は飛び降りてしまう。

 それだけは絶対に駄目だ。紗雪はその時、自分の持てる全ての力を使って凛音を止めることを決意した。

『凛音さんは視野が狭くなってるだけです。落ち着きましょう』

 瞬時に心言領域を使い、紗雪の心の声を凛音に届ける。

『一旦休んでみんなで考えれば、きっといい解決策が浮かびますよ。今は疲れてるだけです。ほら、ゆっくり休みましょう。ふかふかのベッドでゆっくりと』

 手段なんて選んでいられない。腕力で劣る紗雪が凛音を止めるにはこんな方法しかなかった。

 紗雪の声を聞き、凛音の体から、ふっと力が抜ける。意識を失い倒れ込む凛音を紗雪は抱きしめて支えた。そうして凛音は深い深い眠りについた。

 それを見て、すぐに紗雪は後悔の念に襲われた。


「凛音!」

 凛音の眠る医務室に最後に入ってきたのは、両手足に包帯を巻いた痛々しい姿の静佳だった。

 既に部屋には沈痛な面持ちの星観と、床に視線を落として俯く紗雪がいた。

 何があったのかは静佳も大まかには聞いている。

「凛音が屋上から飛び降りたって、本当ですか」

 静佳の問いに答えたのは星観だ。

「あくまで未遂だよ。紗雪ちゃんが聖霊を使って眠らせてくれたの」

 紗雪の聖霊がどんな力を持っているのか静佳は詳しく知らない。そもそも紗雪がまともに聖霊を召喚しているところすら見たことがない。

 とはいえ今はそのことを問い質す時ではない。

 ベッドに横たわる凛音の寝顔を見て、静佳は拳を握り締めた。

「でも、凛音はどうして?」

「静佳ちゃんに怪我をさせたこと、すごく気に病んでたみたい。これ以上、自分を蝕む魔女に好き勝手させたくないって」

「私が、弱いから?」

 静佳は自分自身をぶん殴りたくなるような無力感を覚える。

 自分が怪我をしたせいで凛音に責任を感じさせてしまった。自分を守る為に凛音が身を投げたとしたら、なんて自分は無力なんだろう。

 悔しさに声を震わせながら、静佳は冷静に言葉を吐き出す。

「凛音が目を覚ましたら、じっくり話し合いましょう。これからどうするか。一人で悩んで、自分が死ぬことで全て解決させるなんてそんなの認めない」

 結局静佳達は凛音に宿った魔女の呪いがどういうものか詳しく知らない。

 それでもみんなの知恵を振り絞れば何か解決策が見えてくるのではないかと願った。

 しかし、静佳の言葉に賛同する者はいない。

 不思議に思って彼女は振り返り、星観と紗雪の表情を窺う。

「あの、それは」

 星観は歯切れ悪く答えに詰まる。そこでずっと俯いていた紗雪が声を震わせて叫んだ。

「ごめんなさい!」

 何に対する謝罪かわからず静佳は面食らう。

 紗雪は涙声で、ぽつりぽつりと吐き出した。

「凛音さんを目覚めさせる方法は私もわからないんです」

「は?」

 どういうことだ。凛音を眠らせたのは紗雪の筈。どんな能力を持った聖霊かは知らないが、その力の詳細について最も理解しているのも紗雪に他ならないだろう。

 そんな彼女が凛音を目覚めさせる方法を知らないとは道理が通らない。

 紗雪は瞳に大粒の涙を浮かべながら、本心を吐露する。

「私の心言霊鳥シムルグは相手の心に直接声を届けて人を操ることができます。でも眠ってしまった相手には私の声も届かない。こんな使い方したの私も初めてで、どうすればいいのかわからないんです」

 その時、静佳の頭の中は怒りで染まった。

 衝動的に紗雪の胸倉を掴んで、その小柄な体を壁に押し付ける。

「わからないって何それ! そんな無責任な力の使い方をしたっていうの?」

 許せなかった。静佳とて自分の聖霊の扱い方にはまだまだ分からないことが沢山ある。

 未熟は未熟なりに間違った力の使い方をしない為に常日頃から勉学に励んできた。

 だからこそ許せない。殆ど聖霊を召喚したこともないような紗雪が、一度も使ったことのない力を凛音に向け、取り返しのつかない結果を招いてしまったなんて。無責任にも程がある。泣いて許されるようなレベルの話ではない。

「やめて、静佳ちゃん!」

 制止の声と共に、紗雪を掴んだ静佳の腕を強引に引き離して星巳は二人の間に割り込む。

「仕方なかったんだよ。あの時、紗雪ちゃんは自分がベストと思う行動をとったの」

 星観の背に庇われる形になった紗雪は、逃げるように駆け出し、涙を零しながら医務室のドアから飛び出した。

「紗雪、待ちな!」

「静佳ちゃん!」

 紗雪を追いかけようとする静佳の腕を星観が掴んで止めようとする。

 だが包帯で覆われた静佳の腕は魔神の攻撃を受け大火傷を負ったばかりだ。

「ぐううう」

 苦悶の声を上げ、静佳はその場にしゃがみ込む。

「ご、ごめん」

 すぐに手を放し、一歩後退る星観に対し、静佳は憎しみの籠った瞳を向ける。

 歯車が歪み、壊れていく。

 凛音、静佳、紗雪、星観。彼女達はいつも一緒に行動している仲良し四人組だった。その関係にヒビが入り、修復不可能なまでに崩れていった。その日から三人は決別した。


 不思議なもんだ。俺は静佳の記憶を読み取った筈だ。なのに星観や紗雪のものであろう記憶も一緒に流れ込んできた。

 ひょっとして、さっき三枚のカードが共鳴していたことと関係があるんだろうか?

 気付くと俺は心言領域の奥の奥、真っ暗な空間に立っていた。

 目の前にはこちらに背を向けた静佳の姿がある。

 彼女は震える拳を固く握りしめて、想いを吐露する。

「私は自分のこの感情をどこへぶつければいいのかわからなくて、紗雪の傍にいると憎しみを抑えきれずにまた酷いことを言ってしまうと思って、あの子から距離を置いたんです」

 そうか、それで静佳は普段から紗雪を避けるようにしていたのか。

「紗雪のやったことは許せません。でも凛音がああなったことは紗雪だけの責任じゃない。私は何もできなかった。魔神に手も足も出ずにボロボロにされて、そんな弱い私を守る為に凛音は」

 静佳の声に嗚咽が混じる。同時に激しい憎しみも。

「だから私は、怒りの矛先を魔神に向けることにしました。今よりもっと強くなって、もう一度地下迷宮へ行きあの怪物を殺す。それを目標にして」

 でも、それで解決するような単純な問題じゃないって静佳も本当はわかっているんだろう。魔神を倒したところで魔女の呪いが消滅する保証はない。

 もし魔女が消えても、凛音が眠り続ける原因は魔女ではなくシムルグの力だ。彼女を目覚めさせる方法が見つからなければ何も解決しない。

「静佳、お前の気持ちはよくわかった」

 自分を許せず、周りの人間も許せず、それでも凛音さえ目覚めればきっと全て解決する。全てを許せるようになる。

 それはもう願掛けに近いのかもしれない。魔神を倒すというような奇跡を成し遂げることができれば、凛音もきっと帰ってきてくれると。

 凛音を助ける方法は静佳にはわからない。進むべき道もわからないが立ち止まっていることもできず、彼女は我武者羅に前へ進もうとしたんだ。

 だが星観は静佳とは違うスタンスにいた。

 星観は凛音から静佳と紗雪を守るように頼まれた。だから静佳の無茶を止めようとして。

 静佳、星観、お前達の背負った怒り、悲しみ、後悔、そしてそれでも貫き通した信念は痛いほど伝わってきた。あとは一人、俺は紗雪の心の声を聞きたい。

 そこで漸く静佳は肩越しに振り向いてくれた。

「できますか? 眠ってる相手に心の声は届かないんですよ」

「いや、届けて見せる。俺は伝えたいんだよ。お前たち三人はそれぞれの想いがぶつかり合ってすれ違いを起こしちまったけど、誰一人として間違ってないんだ」

 それを聞いて、静佳は僅かに目を見開いた。

 やりきれない想いを抱えて、進むべき先もわからなくなっても、自分が正しいと信じた道を貫いた。凛音を助けたいという静佳の願いも、静佳と紗雪を守りたいという星観の信念も何も間違っちゃいない。

 紗雪はどうだ? 彼女は一体どんな風に悩んでどんな道を選んだのだろう。俺はそれを知りたい。

 そこで静佳が口を挟んだ。

「これは私の憶測ですが、紗雪の選んだ道は待つことだったんだと思います。だからずっとこの学校で待ち続けたんです。相馬先生、貴方が来るのを」

 俺を待っていた? 凛音の家族が学校に来ることを予知してたとでもいうのか?

 いや、違うな。それは予知なんかじゃない。少し考えれば誰にもわかることだ。

 俺は闇の中に右手を伸ばす。そして自分に宿った聖霊シムルグに願った。

「白き翼よ、この手に宿れ。そして俺を連れて行ってくれ、紗雪のところまで! 俺はこの闇の中から、紗雪を救い出す!」

 瞬間、俺の手から純白に輝く翼が伸びる。白い羽根が飛び散り、雪の様に真っ白な光が視界を満たす。俺の意識はその白の中に吸い込まれていった。

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