No.9 ひとり舞台

1.届け物があって来たの

 マシューがソファにとび乗ってきた。アレックスは閉じた足をひらいて、我が子を迎え入れた。半年ほど前から、そこがマシューの特等席だ。小さな後頭部を見下ろすと、アレックスは目を細めた。ついこの間までエイリアンみたいに尖っていたものが、今ではすっかり丸くなっていた。


「来週、遊園地にでも行こうか」

「ほんと!?」


 ピンと背筋を伸ばしたマシューが、目を輝かせて見上げてくる。

 アレックスはその頭を撫でてやり、キッチンに立った妻に呼びかけた。


「いいよね? 三人で」


 包丁をすとんと落とし、妻が微笑む。マシューは快哉を上げ、跳んではねて全身で喜びを表現する。


「マシュー、前に行きたいって言ってたところがあったわよね?」

「うん! すごく長いジェットコースターがあるとこ!」

「あれ、マシューはもう乗れるんだっけ?」

「なに言ってるの。前に出かけたときも乗ってたじゃない」

「そうだったかなぁ」


 アレックスは首をかしげて、ぽりぽりと頭を掻いた。

 近頃、時の流れが早い。自分がマシューくらいの頃には、早く大人になって――なんて夢想していたのが嘘のように感じられた。


「年とるのは嫌だなぁ」


 思わずぽつり、そう呟いた時だった。

 玄関のチャイムがピロピロとなり響いた。


「あら、お客さん」

「いいよ。ぼくが出る」


 慌ててエプロンで手を拭く妻を制し、アレックスは玄関に向かう。またぞろチャイムが鳴るのに合わせて、はいはい待ってくださいとドアを開けた。


「こんにちは!」

「わあっ!」


 その瞬間、号砲のごとく威勢の良い声が飛びこんできて、アレックスはたまらず飛び退った。訪問者はぐわっと目を見開いて、ぺこり。頭を下げた。


「あっ、ごめんなさい!」

「ああ、いや、いいんだ。気にしないで。ハハ……」


 アレックスはほっと胸を撫でおろし、改めて訪問者と向かい合った。

 見覚えのない少女だった。小さなリュックを背負い直すと、ピンクのワンピースがひらりと揺れた。


「えっと、君はマシューの友達かい?」


 言ってから、違うとはすぐに分かった。小柄ではあるものの、明らかにマシューより年上だった。十三か十四にはなっているように見えた。


「エヘヘ」


 少女はすぐには答えず、理解不能な笑いを返した。唇の隙間から欠けた前歯が覗いた。


 まさか、この子。


 アレックスは想像力を刺激され、すみずみ少女を観察してみた。すると服やリュックに汚れが見つかった。擦り傷のようなものまで見てとれた。疑惑が確信に変わったその瞬間、少女が言った。


「あたしね、マシューさんじゃなくて、アレックスさんに届け物があって来たの」

「ぼくに?」


 アレックスは反射的に自分を指差した。

 すると、少女のはり付いたような笑みがパッと華やいだ。


「あなたがアレックスさんなんだね!」

「ああ、そうだけど……」

「ちょっと待ってね! えっとぉ、あれ、うーん……あ、あった!」


 少女はリュックの底に穴があくほど中をまさぐり、やがて小さな封筒を取り出した。


「これね、手紙。かならず読んでね!」

「手紙?」

「じゃあね!」

「え、ちょっと!」


 荷物を押しつけると、少女はぴょんと踵を返してどこかに行ってしまった。残されたアレックスは玄関に立ち尽くした。そこに妻がやって来た。


「あれ、お客さんは?」

「帰っちゃった」

「ええっ、誰だったの?」

「さあ、誰だったんだろう……」


 鏡のように妻が首を傾げた。


「不審者?」

「まあ、不審と言えば不審だったけど……。女の子が来て、これを」


 アレックスは目の前に封筒を掲げた。


「なにそれ」

「手紙だって。ぼく宛てらしいけど」


 そう聞いた途端、妻は興味を失ったようだった。


「イタズラね、きっと。それより戻って来週の予定決めちゃいましょうよ」

「ああ、そうだね」


 とは言いつつ、アレックスはすぐには戻ろうとしなかった。手紙とやらが気になったのだ。妻の言うとおりイタズラだろう、とは思うのだが、この封筒を手にしていると何だろうか――胸騒ぎのようなものを覚えるのだ。


「べつに見てみるくらいはいいだろう」


 アレックスは封筒の封を切った。中に入っていたのは少女の言った通り、手紙だった。上手くはないが、丁寧な字だった。悪いとは思いつつ本文は無視した。差出人を確かめたかったのだ。


「えっ」


 そして、おもわず目を瞠った。


「シンディ……?」


 十五年も前に別れた恋人の名が、そこに記されていたのだ。

 でも、いまさらどうして?

 頭に疑問符が駆けめぐった。

 アレックスは手紙の中に、その答えを探した。

 そして、口許にそっと手をあてた。


「嘘だろ……」


 きっと嘘だと思った。たちの悪いイタズラだと。

 そうでなかったとしても忘れてしまうべきだった。

 彼女との関係はすでに終わっているのだし、いまのアレックスには家庭があるのだから。


 なのに、心臓は早鐘のように鼓動を打った。

 乾いた目は、手紙の文字に吸いついて離れてくれなかった。


『――もって半年。それが医師から告げられた言葉でした』

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