8.違う景色

 レコードは止まる。

 酒を注いだグラスは涸れる。

 開いたドアもいずれ閉まる。

 

 人生とは、そんなつまらない事の繰り返しだ。 

 一度去った冬もまたやって来て、人は冷たい風に凍える。胃の腑を焼くような熱を求め酒場は賑わう。


 キュッキュ。


 エリック・カークナーは、いよいよそれにも飽いてきた。赤ら顔の客をながめ、耳の裏にこびりついたジャズを聴き流し、うんざりするほど透きとおったグラスを磨く。


 日常というものは、日常ゆえにさしたる変化がなく。

 場所や事を変えても、いつしか馴染み日常になっていく。

 要はきょうも退屈なのだ。


 タリンタリン。


 それでも、まったく同じ今日はない。

 昨日と今日は風の冷たさが違う。客の顔が違う。注文される酒の種類が違う。

 酒場のドアをあけたその人も、これまでとは違っていた。


「いらっしゃいませ」

「エヘヘ」


 入店したのは少女だった。十になったか、ならないかというくらいの小さな女の子。頬骨のうえにそばかすが散っていて、口許に意味不明の笑いをはりつかせていた。冬の寒い夜に、楽しいことなんて何もないはずだ。辛いことや苦しいことなら、いくらでもあるだろうけれど。


 少女は小さくスキップを踏んで、酒場のくさい息をふり払う。

 そうしてに腰を下ろした、くたびれた男と向かい合った。


 酒場を満たすBGMはいよいよ山場だ。

 話している内容までは聞こえない。


 けれどすぐに動きがあって、少女が円卓に灰皿とピンクのキャンドルを置いた。照明の傘に手をつっこんで影を呼び、それを突き放すようにマッチをこする。


 今までとは違う景色だ。

 何度となく繰り返してきた、自分の歩んできた道とは、微妙に異なる何かがそこにはあった。


 キュッ、キュ。


 心なしか、グラスを磨く音もこれまでとは違うようだ。

 そうやって明日も、少しずつ異なるのかもしれない。

 

 結局、退屈なんてボクの怠慢かな?


 エリックは少女を見つめる。

 こちらからでは背中しか見えない。


 それでも判る。

 きっと彼女は笑っているだろう。

 彼女の歩く道程は、決して明るくはないけれど。

 少なくとも地獄ではないはずだから。


 キャンドルの炎が、ひとつの欲望を呑みこめば。

 また一曲が終わって、


 タリンタリン。


 次の曲が始まる。



                      〈そして明日はやってくる(了)〉

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