下話 そして闇のなかに……


 斬られた頭をガクリと落とし、低くうめき声を漏らす坂本に、慶太郎はゆっくり歩み寄ると一気に刀を振り下ろす。

 にぶい手ごたえに再び血飛沫が舞い、坂本は静かに崩れ落ちた。

 背後を振り向けば、中岡は左肩から血を流してはいるが、致命傷ではないらしい。暗く濁った目で、無言となった坂本を見詰めている。

 その目には、自分も覚えがあった――都に出てきて以来、すっかりと馴れ親しんだ、嫉妬の目だ。

 二人で成し遂げたはずの薩長同盟。しかし、そのことで名を上げたのは、坂本竜馬のただ一人。

 陸援隊の結成は、海援隊に遅れること三ヶ月を経て。

 倒幕を目的に結んだ薩土密約は、坂本が描いた大政奉還に寄って意味を成さなくなった。

 全てに措いて、後塵を拝してきた男の心は黒く淀み、上士どもが練り上げた暗殺計画を実行に移させるほどに、心を黒く染め上げていたのだろう。


「――行くぞ」

 無関心に目を逸らし、中岡が座を立った。

 奴にとって、最早ここにはもう用がないのだろうが――慶太郎はその背後に近寄り、手にした刀で胴をなぎ払う。しかし、すでに二人を斬った刀の切れ味はひどく鈍い。勢いのまま刀を頭上から振り下ろしたが、中岡も実戦をくぐり抜けてきただけの男だった。

 痛手を負いながらも振り向き、素早く抜刀して受け止めた。

 ギィィィンッ! という乾いた音を立て、ぶつかり合うやいばが火花を刹那散らす。

 刀を挟んでの力押しのもみ合いになった。

「――何故じゃっ!」

 中岡の呟くような声に、慶太郎は奥歯をギリッと噛み締めて言葉を搾り出した。

「おまんだけが特別だぁ、思うちょったかっ!」


 全国でも有名になった二人、坂本竜馬も、中岡新太郎も、土佐に戻れば取るに足りない低い身分だ。

 坂本は郷士御用人株を持った裕福な商家の生まれに過ぎず、中岡に至っては城下近郊の村を治める名字帯刀を許された庄屋の息子でしかない。

 それが、この動乱の時代に名を上げ、生まれだけが誇りである上士たちに妬まれ、恨みを買った。

 中岡自身の嫉妬心が、そのまま自分自身に跳ね返ってきたようなものだ。


「坂本ばぁ、他のもんに任せちょけばよかろうもんを!」


 幕臣、薩長の垣根を越えて多く者を魅了し、多くの知己を得てきた坂本だったが、どちらを問わずにその身を付け狙う者も多かった。

 主だった組織だけでも、京都見廻組、新撰組、紀伊藩とあり、大政奉還を描いて倒幕を邪魔したことにより、これまで坂本を庇護していた薩摩藩にも敵対者を作っている。

 それは本人も、よくわかっていたのだろう。

 その身を心配したように装って寄せられる、土佐と薩摩の「藩邸に入るように」という再三の要請も信頼せず、極一部の限られた者にだけ居所を教え、身を隠していた。

 しかし、その一人である中岡が裏切った。


 倒幕が叶い、新政府を樹立したときには薩長と肩を並べて入れることを確約した、薩土密約。

 土佐藩の上士どもは倒幕で一致し、邪魔な坂本の暗殺計画を立てた。中岡さえ仲間に引き入れてしまえば、簡単なことだ。

 しかし、問題が一つある。

 坂本は薩摩藩を率いる西郷さいごう 隆盛たかもりと親しく、薩土密約を守るためにも、手を下したのが土佐藩だと知られるわけにはいかなかった。

 それならば、密約を結ぶためにと奔走した中岡だったが、もう必要ないと一緒に切り捨てられたのだ。


 頭の回りがいい、中岡のこと。

 すぐに、その言葉の意味を悟ったのだろう。

 その顔を憤怒の色に染め、重なり合う刀を押し返してくる。とても手負いとは思えない、力だった。


 わいに足りないっちゃは、この執念だぁ知れないっちゃねぇ――ふと心にぎった。


 しかし、ここで負けてやるわけにもいかない。

 渾身の力を込めて押し返すと、目の端にその姿が写った。

「――弥一っ!」

 障子戸の前で、ただおろおろと刀を構えていた弥一が肩をビクッとさせた。

 そして、生つばをごくりと飲み下し、裏返った声で「キェーーーーッ!!」と気合を入れ、刀を振り下ろす。だが、そんなへっぴり腰では、切っ先も届くわけがない。

 けれど、それで十分だ。

 中岡の注意がそれた刹那、慶太郎はもみ合う刀を右に摩り上げ、一気に上から切り捨てた。

 血飛沫が飛び、ふらふらと後退あとずさって、中岡がその場に崩れ落ちた。


「ヤァーーッ!!」

 その身体を、弥一が何度も突く。しかし、その引けた腰では、たいした傷にもなってない。

「もうやめぃ……」

 慶太郎が肩で大きく息をしながら止めるが、まったく耳に入っていない。

「もう、やめっちゃ!!」

 大きな声を出し、やっと弥一が止まった。そして、我に返ったように、はっとして刀をその場に落とした。中岡はまだ僅かに息があるようだが、それも時間の問題だろう。

 


 これで、実行犯が土佐藩だと知る者は居なくなった――――ほんとうに、そうなのか?



 そっと窓辺に歩み寄り、障子の隙間から外の通りを見下ろせば、右に三人、左に二人の侍が物陰に身を隠しているのが見えた。近江屋の中に踏み込んで来ようともしない奴等は、騒ぎを聞き付けて藩邸から駆けつけた集団であるはずがない。

 

 そう言うことかよっ!


 慶太郎は静かに息を吐き、懐から銭入れを取り出す。

 それは京の都に出てくるとき、許嫁の家の蔵から持ち出した金の残りと、この仕事で貰った支度金で膨れていた。

 あんな手癖の悪い奴等がいる藩邸には置いておけぬと持ってきたが、それが正解だったようだ。

 それを弥一に、ぽんっと放った。

「おまんはそれ持って、こんまま田舎ばぁけぇれっ」

 そして、訳もわからずポカンッとする弥一に笑い掛ける。

「裏口ばぁ出て、塀沿いに北さぁ行くっちゃ。藩邸だぁ荷物持ちに戻ったりしなすなよ」

「だどもぉ……あにぃはどげんする?」

 慶太郎は自分の刀の刃こぼれを見て苦笑し、それを弥一に押し付ける。そして、足元に落ちている、弥一が取り落とした刀を拾い上げ、肩に担いだ。

「わいは、まだやらなぁいかん事があるきぃ、一人で行きや」

 それでも、まだぐずぐずする弥一に声を張り上げる。

「はよぅ行くっちゃ!」

 身体をビクッとさせ、すぐに弥一が部屋を飛び出して行く。階段を転げ間転びする足音が遠ざかり、やがて消えた。


 その後を追うように慶太郎はゆっくりと部屋を出て、階段を降りる。

 この国のためでもなきぃ、惚れた女のためでもねぇ、弟みたいな弥一のためとは、閉まらんっちゃねぇ。

 階段を降りきった土間の暗闇の中に、もうとっくに忘れたはずの捨てた許嫁の顔が浮かび、苦笑を漏らした。

 待っちょるはずもないきぃ、女々めめしかぁ……。

 肩に担いだ刀を一振り、幻影を断ち切った。そして、表戸に左手を掛け、緩んだ口元を引き締める。

 弥一ばぁ、逃げ切る時間だけ作れりゃいいき。

 そう心に言い聞かせ、表戸を大きな音を立て引き開けた。


 今宵もう一度、火花を刹那散らせ!


                          了

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

火花を刹那散らせ 穂乃華 総持 @honoka-souji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ