女王と将軍と名もない娼婦

悠井すみれ

女王と将軍と名もない娼婦

 追手を掻い潜って、よくぞこの女王の元まで辿り着いてくれました。危険を承知で、わたくしの居場所の情報を密かに流していた甲斐があるというものです。敵を招き寄せるのではなく、頼もしい味方と再会できたのは、なんと喜ばしいことでしょう。


 さあ、顔を上げて、懐かしい方々の無事なお顔を見せてください。


 アラゴン公、老齢の御身には辛い旅路だったでしょう。王宮のように、という訳には参りませんが、せめてこの隠れ家で疲れを癒してくださいますよう。

 バルビエーリ伯、貴方の兄君は私を庇って暴徒の刃に斃れたのです。忠誠に報いる機会を得ることができたこと、心から嬉しく思います。

 それから……マティアス伯? どうしてそのように険しい顔をなさっているのですか。ひとまずとはいえ、ここは安全と言っても良いでしょう。まだ反乱軍に見つかってなどおりませんから、そのように緊張なさらずとも良いのですよ。あら……何か言いづらいことがあるのでしょうか。女王たる者が、危険を冒して参じてくれた忠臣を罰することなどどうしてあるでしょう? お心に懸かることがあるならば、他の方々がいる前ではっきりと申してくださいな。


 ああ、家臣の方が仰っていた……何を? そう、私の胸に刃が刺さり、炎の中に斃れるのを確かに見た、と。だから私を死んだものと思って、それで、女王が健在であるという噂にもすぐには飛びつくことができなかったのですね。あるいは偽物を仕立て上げて、噂に釣られた者たちを捕らえようという罠かもしれませんものね。ふふ、顔色が変わりましたね。まさしく貴方は、この私が本物か否かをその目で確かめようとなさっていらしたのでしょう。

 アラゴン公、バルビエーリ伯、非礼を咎めるには及びません。マティアス伯の懸念は当然のことです。口を挟むよりも、貴方がたもご自身の目と耳で確かめてくださいませ。

 さあ、この私は、貴方がたの記憶にある女王とどれほど違いがありますか? 国の至宝、王宮の薔薇と称えられた美貌と気品を、仮初かりそめにも真似ることができる者など、簡単に見つかるものでしょうか。

 それに、こちらに控えるファリアス将軍をご覧くださいな。将軍が誰よりも私に忠実なこと、皆さまもよくご存じでしょう? 私を燃え落ちる王宮から助け出してくださった方、我が身の危険も顧みず、立ち塞がる敵を斬り伏せて血路を拓いてくださった方。その御方が、本物と偽物を見分けられないことなどあるでしょうか? あり得ないと……皆さまも、思われますでしょう?


 ――詫びる必要はありません、マティアス伯。当然の懸念と言ったでしょう。分かってくだされば良いのです。家臣の方は、王宮がちた衝撃のあまりに、幻を見てしまったのでしょう。悪い噂が広まっているのは由々しきことですが、すぐに払拭されることをと願います。私の無事を、一刻も早く全土に知らしめなければなりませんね。皆さまが集ったという事実、それ自体が女王の健在を喧伝してくれれば良いのですが。


 アラゴン公、どうなさいましたか? ……ええ、仰る通りですね。私は、確かに少し変わったかもしれません。威厳が出たなんて……以前はなかったように仰いますのね。いえ、確かにかつての私は浮ついておりました。けれど、一度民に背かれ王都を失ったとなれば、軽薄な薔薇も地に根を張ることを覚えましょう。若い小娘も、学びを得るということもありますわ。恐らく、皆さまも歓迎してくださるものと思いますが。


 皆さまのお言葉に心から感謝を申し上げます。我が身のためだけでなく、不安を耐え忍ぶ民のためにも。私の不徳のために国に混乱を招いてしまいました。一刻も早く、平和を取り戻すことができるよう――皆さまの尽力を、期待しておりますわ。




      * * *




 ファリアス将軍? 何の御用ですか? 静かな夜だと思うのですが、何か不穏な影でも見えたのでしょうか。一体どうして、そのように怖い顔をなさって――ええ、人払いが必要ならば、望まれる通りにいたしましょう。みんな、下がっておくれ。




 ――つまり、将軍様はあたしにお話があるってことで良いのかしら? 女王様じゃなくて、女王様にそっくりな娼婦の、このあたしに。珍しいこともあるものね。だって貴方、あたしが素を見せようものならいつもひどく怒ったじゃない。言われた通りの格好をして、言われた通りのことだけを言え、って。王都のあの娼館で、貴方、本当に常連の上客だったわよねえ。


 麗しいエウフェミア様、って。どこのどなたなんだろう、きっとものすごいお姫様なんだろうな、とはずっと不思議に思ってたわ。貴方が持ってくるドレスも宝石も、質は最高、流行りの最先端のやつばかりだったもの。そういうのを着れるような方に貴方は懸想してて、でも思い通りにならないから娼婦あたしを代わりにしてるんだろうな、って。まさか流行を生み出すご本人とはねえ。

 あたしもそこそこの店でそこそこの礼儀作法は教わったはずなのに、貴方がああしろこうしろって言うのは知らないことばかりだったし。だから、よっぽどのお家の方なんだろうな、って。あのね、店では余計な口を利けなかったから今言うけど、貴方が教えてくれた作法、店のたちにも教えたわ。あの店はもう焼けちゃったけど、もしもあたしの他に生き残った娘がいるなら、女王様の振る舞いをする娼婦が国のあちこちで客を取ることになるのかも。想像したら、貴方は興奮する? それとも怒る?

 でも、貴方に怒る権利なんてないわよね。私にしたりやらせたりしたこと――女王様に対しては、考えるだけでも打ち首ものってやつなんじゃないの? 忠実な将軍の本性がこれだなんて、女王様は知ることがなくて良かったわね!


 黙らないわよ。怖い顔や声をしたって、拳を振り上げて見せたって、貴方、今はあたしを殴れないでしょう。今のあたしは女王様――その、代わりなんだもの。あたしの顔に痣なんて作っちゃいけないでしょう。ファリアス将軍はどんな理由があろうともエウフェミア女王に手を上げたりなんかしないんだもの。多分、一度くらいやってやった方が良かったんでしょうけどね。

 ええ、あたしは女王様にお会いしたことなんてないわ。でも、ある意味ではよく知っている。貴方が事細かに教えてくれたものね。何がお好きで何がお嫌いか。お菓子やお酒やダンスが大好きで、難しいことやお勉強は大嫌い。貴方が頑張ったのを褒めて欲しくても、何をしてもらったかもお分かりじゃなかったんでしょう。だから、代わりにあたしに良い子良い子、ってしてもらいたかったのね? 可哀想な将軍様。貴方に教わった台詞、今でも全部覚えているわ。幾つかそらんじてあげましょうか。女王様の声で聞きたくて堪らなくて、でも言ってもらえなかったことなんでしょう? いつでも何度でも言ってあげるわ。




 ファリアス将軍? 今日の馬上試合も素晴らしかったわ。あんなに身体の大きな相手にも勝てるなんて、一体どんな鍛錬を積んできたのでしょう! あの場でちゃんと微笑んであげられなくてごめんなさいね、貴方が――あんまり、眩しくて。恥ずかしくなってしまったの。


 これは私のお気に入りのお菓子なの。口を開けて、もらってくださいな。いつも守ってくれる御礼と、ご褒美に。ねえ、甘くて美味しいでしょう?


 長い遠征、本当にお疲れ様でした。国と――私のために命を賭けて戦ってくれる貴方のことを、この上なく頼もしくありがたく思っています。怪我はしていないということね、さすがです。でも、やつれて、日に灼けてしまっているのね。貴方の頬に、触れても良いかしら。疲れを癒してあげたいの。


 ああ、私のファリアス将軍、忠実で清廉な方、私の大切な方――




 あら、もう良いの? まだまだ沢山あったのに。前は、貴方も喜んでくれてたと思うのに。台本にない時に喋るな、ってことかしら。今はそんな気分じゃないの? それとも我慢ならない、って顔なのかしら。

 ああ、分かった! お人形が喋り出したからってびっくりしてるのね。ぜんまいを巻いてもいないのにいきなり動き出したら怖いものね。でも、考えれば当たり前のことでしょう。あたしだって殴られたくはなかったもの。だから必死に頭を絞って、貴方が気に入る女王様になろうと努めたの。だから、お腹の中では色々考えることだってあったってことよ。でも、娼婦の本心なんてお客に見せるものじゃないわ。貴方もそれで満足してたんだから良いでしょう?

 それに、あたしがいるから女王様はまだ生きてるってことにできてるのよ。何カ月も何年もかけて、貴方はあたしを仕込んだものね。誰も気付けなくても無理はないわ。想像もできないでしょう、あのファリアス将軍が、長年娼婦に女王様の振りをさせて遊んでいたなんて。その娼婦が、影が務まるくらいに女王様にそっくりだなんて。それとも、貴方ほどに女王様を見てた人がほかにはいないってことなのかしら。それなら女王様も可哀想ね。


 それで、話があるんだっけ? あたしにかしら、女王様にかしら。長々喋っちゃってごめんなさいね、聞いてあげるわ。貴方が何をそんなに苛々してるのか、その理由わけを。


 さっきのあれ? でも、あたしは上手くやったでしょう? 聞いてた通り、名前を言い間違えたりしなかったでしょう? 疑ってたやつも、ちゃんと納得させられたじゃない。ジジイなんか、感動して涙ぐんでたくらいじゃないの。褒めて欲しいくらいだわ。

 ああ、まさにそこが気に入らないの? あたしが立派な女王様らしいことを言ったのが? エウフェミア様はそんなことを仰らない、って? そうでしょうね、そんな女王様だったらきっとこんなことにはなってなかったし。

 でも、あたしがさっき言った通りよ。王宮で遊び暮らしてた女王様なら、国や民を憂えることなんてしなかった。でも、玉座を追われて辛酸を舐めた後だったらどうかしら。ちょっとは心を入れ替えたり、反省したりってことがあっても良いんじゃないのかしら。こんなことを言ったら貴方は怒るんでしょうけど、女王様って、あたしにとっては知らない方のはずなのに、何だか誰より知ってる気分なの。貴方に気に入られるように、いつもいつもエウフェミア様ならどうするんだろう、って考えていたからかしら。だから、あたし、すごくできてると思うんだけど。


 それは、貴方がそう思うだけでしょう? 絶対そんなことないだなんて、ずいぶん女王様を馬鹿にしてるんじゃない? ううん、貴方は女王様が馬鹿だと思いたいのよ。だから自分が必要なんだ、守って差し上げるんだって思ってるだけ。だから、立派な女王様なんていらないのよ。貴方が求めてるのは、貴方が作り上げたお人形みたいな女だけなのよ。

 それにね、多分、貴方以外のみんなは女王様が変わった方が良いのよ。きっとね、他の人だっておかしいとは思っているかもしれない。いくら痛い目を見たからって、女王様は変わり過ぎじゃないか――偽物じゃ、ないのかって。でもそれを口にする人は意外と少ないわね、そうじゃない?

 つまりは、そういうことなのよ。女王様として振る舞ってるあの小娘は、女王様じゃないかもしれない。ファリアス将軍でさえ欺かれているのかもしれないし、将軍が上手いことそっくりさんを見つけてきたのかもしれない。ふふ、まさか昔からの馴染みの娼婦だとは誰も思わないかもしれないけどね。

 とにかく、でも、そんなことどうでも良いじゃないか、って。みんな結論づけたんじゃないかしら。見ない振りをすることにしよう、って。頭がからっぽの本物よりは、多少まともなことを言う偽物の方がマシだろう、ってさ。どうせ小娘に大した期待はしてないでしょうし、見た目が綺麗なのは同じだものね。


 大きな声を出さないでよ。将軍様は女王様を怒鳴りつけたりしないものでしょう? また疑われちゃうんじゃない? 見ない振りって言っても程度ってものがあるでしょう? バレたら困るのはあたしよりも貴方の方じゃないかしら。ええ、お互い命はないでしょうけどね。でも、貴方が失くすのは命だけじゃないわ。女王様の仇を取るって希望も失くしてしまうんじゃない?

 偉い人たちが兵隊を連れて集まって来てくれるのは、女王様が生きてるって思ってるからよ。女王様を担ぎ上げれば、今も王都を荒らしてる奴らを蹴散らせる、前みたいに飲んで踊って暮らせると思ってるから。貴方は、贅沢なんかに興味はないんでしょうけど。でも、奴らは本物の女王様、貴方のエウフェミア様を殺したんでしょ? 刃に胸を刺されて燃やされちゃった――あれは本当のことなんでしょう?

 ねえ、よく考えて。あたしがいるから貴方は女王様の復讐をする望みがまだあるのよ。いずれはバレるにしても、その前に奴らを滅ぼすことができれば、って、そう思ってあたしを連れ出したんでしょう? ちょっとは感謝しても良いんじゃない? 偽物の癖に大きな顔して、とか思わないでさあ。

 エウフェミア様のお姿を汚すな、って? ちょっと、本気で言ってるの? 貴方があたしにさせてきたことはどうなの? 女王様に対する、それこそ冒涜じゃないかって思うんだけど。あれに比べたら、ちょっと足を組んだり口に手をあてないで笑ったりするくらい、何だっていうのよ。

 忘れないで、そもそも貴方が教えてくれたことがなければ、あたしはこんなに女王様振る舞うなんてできなかったのよ?


 あたしの目的? さあ、何かしらねえ。娼婦なりに国を憂えて、ってことでは納得しない?

 娼婦が女王様と同じくらい何も考えていないなんて、勘違いだわ。あたしがいた店は割と格が高めではあったけど、もっとひどい店やひどい暮らしの人たちだって目には入ってきたものだもの。それに、お客さんから聞くこともあったしね。王宮は腐っているだとか、女王様は飾り物だとか――そうね、だから反乱が起きてもあたしはあんまり驚かなかったわ。


 あら、何に驚いてるの? 女王様が思った以上に人気がなかったこと? それともあたしに他にお客がいたこと? だって娼婦なんだから当たり前でしょう。貴方の女王様と同じ顔と身体を楽しんだ男は、沢山いるってことよ。貴方を怒らせて殴られて、顔が腫れてない夜ならね。ああ、別に恨んでいる訳じゃないから安心して。薬代も口止め料もたっぷりくれたし、男と寝ないで休んでられるならそれはそれで良いことよ。もちろん痛いのが楽しいだなんて趣味はないんだけどね。

 そこじゃないの? どうして教えてくれなかったのか、って? 反乱の火種がそこかしこに転がってたことを? まあ、あたしにだってあんなにはっきり見えてたのに、貴方たちには見えてなかったの? 目の前のお菓子や宝石で頭が一杯だったエウフェミア様ならともかく、女王様を支えていたはずの貴方たちが? こんなこと言っちゃ何だけど、そんなんで忠臣とやらを気取っていたの?


 何度も言わなきゃいけないのが不思議なくらいなんだけど、貴方、あたしに命じたことを覚えてる? あたしは、女王様の――女王様とは知らなかったけど――振りをしなければいけなかったでしょう。エウフェミア様の表情で、エウフェミア様が言うような、というか、貴方が言って欲しい言葉を言わなければならなかったでしょう。で、エウフェミア様は民に嫌われてるだとか女王として相応しくないだとか、そんなことは知らなかった訳でしょう? じゃああたしはそんなこと言えないじゃない。何であたしを責めるのか分からないわ。責めるなら貴方自身じゃないかしら。娼婦で憂さ晴らしするんじゃなくて、本物の女王様の目を開かせてたら良かったのよ。多分、もっと嫌われるのが怖くて強くは言えなかったんでしょうけど。


 別に話をはぐらかしてる訳じゃないのよ。貴方を相手に普通に喋れるのが、別に楽しくはないんだけど、すごく新鮮なんだもの。女王様の振り、決められた台本通りのことじゃなくて、あたし自身の言葉で話せるってことが。娼婦でも考えたり感じたりってことはあるのよ、貴方は想像もしてなかったみたいだけど。ううん、娼婦だけじゃない、女王様も、だったのかしら。中身なんてないって思ってるから、だからあたしなんかを身代わりに仕立てようって考えになるのかしら。前も、今も。


 娼婦が女王様のドレスや宝石を纏って、偉い人たちを跪かせて。美味しいものを食べたり飲んだりして喜んでるんだ、って――思いたいならそう思っておけば良いわ。実際、悪い気はしないもの。バレたら本当の女王様みたいに剣で刺されるか石を投げられるかして殺されるんでしょうけど、国中を騙してるっていうのは、それをあたしと貴方だけが知っているというのは、面白いと思えるのかもしれないわね。あたしと貴方だけの秘密、なんて言ったら変な感じになるかしら。

 貴方はずっとあたしの話を聞かなかったもの。あたしの顔を見ることさえしなかった。女王様についても、同じ。見たいように見て聞きたいように聞いただけよ。それならあたしの狙いについても同じようにすれば良いんじゃない? 好きなように考えていれば良いのよ。どうせ娼婦だと勝手に見下していれば良いの。あたしは女王様ほど馬鹿じゃないもの、人の顔は覚えるし話も聞くし、良い感じに相槌だって打てるのよ。みんなが望むような女王様を演じてみせるわ、おかしいと思われない程度にね。貴方もそれで満足してくれないかしら。


 国のためでも良い、あたしの贅沢のためでも良い、女王様の仇が討てるなら、良いでしょう? ――それとも、何もかもなかったと思っても良いかもしれないわね。それが貴方にとって一番都合が良いんじゃないかしら。

 貴方は女王様の危機に間に合ったの。燃える王宮から、エウフェミア様の手を引いて逃げることができたのよ。そう思えば、全て丸く収まるんじゃないかしら。女王様は危ない目に遭って少しは心を入れ替えて、貴方に頼るようにもなった。民からも臣下からも慕われるようになったし、国も多少はマシになるでしょう。それに何より――貴方は、女王様を燃やしたりしなかった、ってことになるのよ。


 あたしは別に見てた訳じゃないわ。でも、ちょっとでも頭を使えば分かることよ。あたしを身代わりに仕立てるためには、女王様の死体が見つかったりしちゃいけないじゃない。もちろん、女王様が生きていらしたら、貴方は絶対に、何としても助けようとしたんでしょうけど。

 貴方だってやりたくてやった訳じゃないんでしょう? だから別に悪いことなんかじゃないと、あたしは思うわよ。死んでしまった人は文句なんて言わないもの。ただちょっと、女王様の綺麗なお顔を潰して、高価なドレスも剥いで、お城の一番燃えてるところに置いて来ただけでしょう。油を撒いたりとか、燃えそうな布とか木材とかを積んだりもしたのかしら。あたしが女王様の振りを続けられてるってことは、よほど徹底してやったのね。さすが将軍様、やることが思い切ってるし決断も早かったのね。愛する人が死んだっていうのに、即座に死体の始末を考えることができたんだから。


 どうして謝るの? あたしは女王様じゃないのに。貴方もそれを、誰よりもよく知ってるのに。偽物の女王様の声で言葉で、どうして欲しいの? 女王様が言いそうなこと、言うかもしれないことの中で、どれが聞きたいの?




 どうかお気に病まないで、ファリアス将軍。仕方のないことだったと分かっています。全て、私が不甲斐ない女王だったのがいけないのです。私がいなくても、どうか国と民のためにお力をつくしてくださいますよう。天の国から、いつも貴方を見守っています。


 どうして一番必要な時に助けに来てくださらなかったの? 必ず守ると誓ってくれたのは嘘だったというのですか? 女王の危機に間に合わなかったというのに、どうして忠臣を名乗ることができるのでしょう。貴方は私を愛していたのではなかったの? 愛する者を喪った後でも、どうしてまだ息をして生き永らえることができるというの?


 とても怖かったわ。痛くて熱くて苦しかった。どうしてあの人たちは私をあんなに睨んでいたの? あんなに何度も剣を突き刺すほど、どうして私は嫌われていたの? ファリアス将軍、貴方まで……! 貴方が見つけてくださって、私、せめて安らかに眠れると思ったのに。なのに貴方は私にとてもひどいことをしたわ。私を炎の中に置き去りにして――だから私、ずっと痛くて苦しいままなのよ。




 ……止めろと言うのね。では止めてあげましょう。それからどうしたら良いか教えてちょうだいな。貴方はあたしにどんな女王様を望んでいるの? その通りに振る舞ってあげましょう。今日のは……ちょっと気に入らなかったのね。ごめんなさいね。貴方はあたしのお客だもの、仕事はちゃんとしてあげないとね。

 言ったでしょう、別に貴方を恨んでるってことじゃないのよ。お客が娼婦に無理を言うのはいつものことだもの。お代をもらえれば構わないし、今は、お金じゃなくても豪華なドレスや宝石を着させてもらえてるしね。今のは――そうね、完全に腹を立てないのも難しいものね、ちょっと意地悪をしたくなっただけよ。




 貴方が望むなら、ファリアス将軍、貴方を愛する女王にだってなりましょう。貴方は私を炎の中から助け出してくれたのですもの。女王として、御恩に報いなければなりませんね。どうすれば命の御礼なんてできるのかしら。地位でもお金でも足りない、言葉でも言い尽くすことはできない。――では、愛、ならどうかしら。私が貴方を愛したって、みんな当然のことだと思うわ。昼も夜もどうか一緒にいてちょうだい。そして私を守ってちょうだい。ねえ、私のファリアス……?




 これも、嫌なの? 罪を責めるられるのは嫌、逆になかったことにするのも嫌なの? 我が儘な将軍様ね。今までもそうだったのだもの、夢で目を塞いで都合の良い幻に酔っていれば良いでしょうに。

 復讐だなんてとんでもないわ。貴方を恨んでないって言ったのに、本当に人の話を聞かない人ね。憎まれても当然、って今になって気付いたのだとしたらそれも驚き。何度も殴って言うことを聞かせた相手なのに、よくも大事な秘密を任せたものねえ。


 でも安心して、あたしは絶対に秘密をバラしたりしないから。もしかしたら誰かに暴かれることが絶対にないとは言えないけれど、あたしは最後の最後まで女王様を演じ切るから。今は無理でも、いずれは貴方でさえ信じ切ってしまうくらいに。死んだ人の記憶なんて儚いものよ、いずれ貴方は女王様が死んだなんて悪い夢だと思うようにさえなるのかも。女王様を助け出せた幸運に心から感謝して、女王様の愛と信頼を受け取って、手を携えて王都を取り戻すの。ひと晩と言わず何日でも何年でも一生でも、素敵な夢を見させてあげるわ。


 それこそがあたしの目的だもの!


 だってそうすれば、本物の女王様は消えてなくなってしまうでしょう? 誰にも悼んでもらえない女王様は可哀想。でも、すごく良い気味よ。あたしだってこの世から消えてしまって、そして誰にも気付いてもらえないんだから。

 娼婦が客に殴られても蹴られても別に大したことじゃないわ。いちいち恨んでちゃ身が持たない。でも、あたしを殺してしまったのだとしたら話は全然別よ。ただの娼婦でも、女王様じゃなくても、あたしはあたしだったのに。惜しむ人なんてほとんどいないし、店の子や昔の客がそういえばあの子どこ行ったんだろう、ってちょっと思うくらいでしょうけど、あたしはあたしを覚えてる。貴方が聞こうともしなかったあたしの名前、もう誰も知らないあたしの生涯、あたしが生きてきた道を。

 それは、女王様のために消えてなくなってしまったことよ。貴方の女王様を、形だけ生かしておくためにあたしという人間は殺されてしまったの。だからあたしも、女王様に同じことをしてやろうと思ったのよ。女王様が王都を取り戻せば、みんなきっと喜んで歓迎するわ。少しまともになって民に優しくなってたらなおのこと。燃えてしまったかつての、本当の女王様、お馬鹿だけど可愛かったエウフェミア様のことは誰も思い出さないの。王宮の瓦礫や、召使いの死体と区別なく一緒に燃やされて埋められて、誰にも顧みられることはないの。将軍様、貴方のほかは。


 でも、あたしを殺したくてもできないでしょう? 少なくとも今止めてしまったら、女王様の仇は取れなくなってしまうのよ? 一度始めてしまったことを、途中でやめるのってすごく難しいことでしょうし――それに何より、女王様の声と姿で優しくされるって、貴方には堪らない誘惑みたいだから。本物じゃないと知った上でも抗えないくらいに。娼婦は男を喜ばせるものよ。あたしの全身全霊を賭けて、貴方に夢を見させてあげる。本物の女王様を忘れさせてあげる。


 逆らうことなんてできないわ。あたしがあたしとして喋るのはもう終わり。これからは、貴方が何を言おうとも知らない振りで、女王様としてだけ話すから。ずっとあたしに話しかけたりしなかったのに、今になって話そうとするなんて虫が良い話でしょう? だから言ったのよ。今まで通り、都合の良いことだけ見て聞いていれば良いわ、って。さあ、こんなお話はもうおしまい。もう終わりよ――




 ――ファリアス将軍? どうしたのですか、お顔の色が悪いようですけれど。あら、少し熱があるみたい。無理をせずどうか下がってくださいな。今はとても大事な時ですもの、将軍が倒れるようなことがあっては困りますわ。とても頼りにしているのよ、私の大切な方、誰よりも忠実な方。

 下がる前に、どうか頬に口づけさせて。親愛を示すため、忠誠への感謝として、そして労をねぎらうために――ね?

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女王と将軍と名もない娼婦 悠井すみれ @Veilchen

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