第33話 ちくちく内緒話


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 全員がクジを引き終わり、学級委員の一声でクラスメイトが移動をはじめていく。僕も机を持ち上げようとして立ち上がると、満水さんがくるりと振り返り、哀愁の滲んだ笑顔を向けながら軽く口を開けた。


「休み時間とか、そっち行くね」

「うん、待ってる」


 お互いに席を持ち上げてあたらしい席へ移動していく。僕は中央左のうしろから二番目という絶妙な席で、満水さんは窓側の一番前の席。離れてしまって残念だったけれど、そこまで悲観的に考えてはいない自分がいた。僕らの関係は、もうこの席じゃなくなっても揺らがないのではないかと、根拠のない自信があって。


 期末テストが終わってすぐのLHRに、一学期以来の席替えが行われた。小耳に挟んだ話では、中間のあとにする予定だったらしいけれど、文化祭があってLHRが潰れることが多々あったため、二学期も終わるこんな中途半端な時期になってしまったらしい。


「やほー」


 弓峰さんが持っていた机をとなりにおいた。軽く振り返り、うしろの机との距離と、横の位置を調節してから、スカートを押さえつつ腰を下ろす。


「よろしく」と僕は云った。「やっと前の席から移動できたね」

「もうそれだけでめちゃくちゃうれしい」

「でも真ん中の列だと寝にくいよね」

「わかるー。でも正直、テスト終わったあとの授業って受けてなくても特に問題なくない?」と弓峰さんが云った。「あ。ねえあっち」


 弓峰さんが窓側を向きながら手を振った。僕はそちらへ顔を向けると、満水さんが身体を横に向けながらこちらを見ている。僕も前の人の影に隠れながら軽く手を振ってみると、太股のあたりで手をいじりながら、唇をかたく結んで、なにかに耐えているような顔をした。


「振り返したくても、みんなに見られるのが恥ずかしいとみた」と弓峰さんが解説した。

「あーたしかにそんな感じする」

「きょう、席替えするかもって噂流れたじゃん?」

「うん」と僕は弓峰さんのほうへ顔を向けた。「あったね。若藤から聞いた」

「『あの子』それ聞いてからずっとしたくないしたくないって云ってまして。もう疲れましたよ私は」と弓峰さんが溜息混じりに云った。「で、私云ったわけ。いつかするんだから覚悟決めなよって。そしたら『あの子』なんて云ったと思う? 『わかった。絶対となり引く!』だって。それでとなり引いちゃったでしょ私。恨まれてそうで怖いわー」

「ほんと、いつも満水さんとのこと話してくれるよね」

 弓峰さんが下を向きながらうっすらと笑った。「これが私なりの応援の仕方っていうか……罪滅ぼし? てきな感じだからさ」


 教室は、席替えで盛り上がっているせいか、話し声や笑い声が飛び交い、落ち着きなくがやついてる。なのに僕らのまわりだけ音が消えて、ほんのちょっと空気がひんやりしたように思えた。


 いつも満水さんのことを話してくれたのはそういうことだったんだと納得すると同時に、まだ弓峰さんのなかでは、あのときのことが消化できていなかったのだと気づく。僕はちょっとのあいだ考えて、すこしでも気持ちが軽くなってくれたらと思いながら口を開いた。


「前の席のことだから」と僕は顔をそらしながら云った。「席替えしたことだし、過去は清算しません?」


 口にしてすぐ、むず痒くなって首をかいてしまう。もう気にしていないし、僕は弓峰さんを嫌ってもいない。でも照れくさくてストレートには伝えられず、なんだかすこしまわりくどい云い方になってしまった。


「なんだそれ」と弓峰さんが笑った。「……カノジョ以外に、やさしくするんじゃない」

「カノジョの友達って、大切にするものだと、僕は思うけど」

 弓峰さんが短く息をついた。「慣れてないんだよね、そういうの」

「え?」


 そちらへ顔を向きなおそうとしたら「おまえらいいかげん静かにしろー」と担任がやや大きめの声で呼びかける。浮ついていた空気が急速にしぼんでいき、声のボリュームがみるみる落ちていった。


「特にすることないから各自で自習な。わかってると思うが、絶対、に、うるさくするなよ? いいかー?」と担任が念入りに忠告してから教室をでていった。


 担任がいなくなってから、しばらく静寂が満ちたけれど、クラスの中心人物が話しはじめたりしてからは、ぽつりぽつりとそこらで会話に花が咲いていった。あくまで節度を保ちながらだったけれど、自由な雰囲気が教室に広がっていく。


「放課後さー」と弓峰さんがカバンを漁りながら云った。「『あの子』と買い物行く予定なんだけど、もしだったら来る?」

「ごめん。きょうは予定あって。なに買いに行くの?」

「週末にみんなでプール行く予定立てたじゃん? そのとき着ていく水着見に」

「あー。なるほど」と僕は言葉に詰まった。「ん? この時期って水着って売ってるの?」

「わかんない。なかったらしょうがないよねーって話してるけど」と弓峰さんがカバンからノートをだした。「そもそもいいの? ふたりで行かなくて?」

 僕はうなずいた。「満水さんが、みんなでどこかに行きたかったらしくて。ふたりでは、また行けるし」

「なるほどねー」と弓峰さんが云った。「でもなんでいまの時期にプールになったの? いや別に泳ぐのきらいじゃないけどね?」

「前に遊んでたとき、たまたまプールの話になったんだけど、そのあと温水プールについて調べてたらしくて。すこし離れてるけどあったんだって。ウォータースライダーが有名らしいよ」

「どういう流れでプールの話になったのかめちゃくちゃ気になる」

「それは教えません」


 テストが明けてから、僕は満水さんからみんなで温水プールに行きたいと話を持ちかけられていた。メンバーは以前に勉強会をした六人。各自誘ってみると、沼兄妹がちょうど今週の日曜に部活が休みになり、若藤も特に予定もなく、タイミングがちょうどよかったので今週末に行くことになった。


 弓峰さんが教科書を開き、カチカチとシャーペンのお尻を押してノートになにかを書きはじめた。僕はタイミングを見計らうようにちらりとようすをうかがってから「あのさ」と話を切りだす。


「ちょっと相談してもいい?」

「え。なにやだ怖いんだけど」

 僕は声を落とした。「『あの子』最近なにかほしがってるものあったりする?」

「真似しないでもらえる……」

「むしろ気を使ってくれてありがとう」と僕は前の席の人をちらりと見た。

「どいたま」と弓峰さんが云った。「えー。ぱっと思いつかないなぁ……最近マフラー買ってたもんね」

「そうなんだよ。プレゼントに最適だったんだけどなぁ……」


 弓峰さんがなにかに気づいたようで「あー。放課後の予定ってそういう感じ?」と訊ねてきた。

「そういう感じです」


 きょうの放課後、僕は満水さんへのクリスマスプレゼントを探しに行くことにしていた。あれからネットで調べたりしてみたけれど、高額なものだったり、ガッカリされない定番のものだったりと、いろいろありすぎてなにをあげたらいいのか決めきれず、調べるのも煮詰まってしまい、とりあえずお店を巡ってみようと思ったのだ。


「話変わるけど、めっ、ちゃくちゃ、気に入ってるみたいよ、あのマフラー」と弓峰さんが溜めながら云った。「テンション上がったみたいで、買った日に自撮り送ってきて。ほんと私びっくりして。そのときの写真がまたかーいくてさぁ」

「え、ほんとに? 僕、もらってないんだけど……というか、自撮りするんだ……写真撮られるのあまり好きじゃないはずなのに……」

「ショック受けすぎでしょ……」

「写真見たいなー」

「いやダメだから。怒られる」

「内緒にするから。お願い」

「……絶対、だね?」

「絶対」


 弓峰さんが軽くお尻を浮かせて満水さんのようすを確認し、ブレザーのポケットからスマホをだして「えーっと、どこだっけ」とつぶやきながら席と席のあいだに隠れるようにしてスマホを操作した。


「あったあった。これ」


 僕も満水さんのようすを確認してから身体の向きを変える。部屋着らしきパープルのスウェットを着ていて、このあいだ買ったマフラーをぐるぐると口を隠すように巻いていた。目が笑っていて、サイドの髪がスペードのようにふんわりと丸く膨らみ、指を曲げてピースをしている。


「ぁー……っ」と僕は手で顔を隠しながら悶絶した。

「なにその反応。ウケる」

「この写真、もらえない?」

「やだ。見せたの黙っててよ。ほんと怒られるから」と弓峰さんが小声で云った。「この嫌みのない感じ。ただ送りたかったから撮りましたーてきな狙ってない感じすごくない? いやほんと『あの子』じゃなかったら、ふつうにイラッとするからね?」

「ぶっちゃけすぎでしょ……えーっと、あの、話戻してもいい?」

「ん? ああーそうだった、ごめん」と弓峰さんがスマホをしまった。「いやー。ぜんぜん思い浮かばない」

「じゃあ、喜びそうなものってある?」

「なくはないけど……的はずれかもしれないしなぁ」と弓峰さんが髪を指に巻きつけながら云った。「そもそもさ、私と小暮じゃ立場が違うでしょ。私たちが同じものをあげたとしても、友達とカレシじゃ、ぜんぜん反応が違うと思うよ。正解なんてないんだから『あの子』のことちゃんと考えて選んであげて。絶対喜ぶから」


 弓峰さんがにこりと笑いかけて、ふたたびノートになにかを書きはじめた。なにをあげたら正解なのか、プレゼントにふさわしいか、そればかりを気にしていたけれど、その言葉がすっと胸に入ってきて、考えが改まる。


「ありがとう。いつも」

「別にー」


 そのあとは特に話さず、自習時間を終えて休み時間になった。次が移動教室なので、クラスメイトがノートや教科書を持ちながらグループでかたまり、次々と教室をでていく。


「ユコー。いっしょに移動しよ?」

「いいよー。ちょっと待って」


 周囲に紛れるようにしながら、両手にノートなどを抱えて満水さんがやってくると、こちらに目をやって、じーっと見つめてきた。


「ねえ。ユコとなに話してたの?」

「えーっと」と僕はわざと目を合わせながら云った。「放課後、誘われて。きょう、水着買いに行くんだって?」

「うん。ユコがね。わたし持ってるから」

「あーそういえば云ってたね。夏休み、あっちに行ったとき、水着持っていかなかったって」

「聞いて小暮。マユの持ってる水着マイクロビキニなんだって」

「やだ違うー。そんなの着ないー」と満水さんが云った。「ユコがそれ買いたいんだって。極小のやつ」

「おー私か。じゃあもしほんとに買ったらなにしてくれるー?」

「冬休みに毎朝六時に起こしてあげるー」

「うれしくねー。罰ゲームじゃん」

「じゃあ僕がマイクロビキニ買ってこよー」と僕は手を伸ばしながら云った。


 満水さんと弓峰さんが同時に笑って口元に手を添えた。誤魔化したみたいでちくちくと胸が痛み、なんだか申し訳なく思ってしまったけれど、今回ばかりは許してほしいなと思う。本人には絶対に云えない内緒話の中心にあったのは、僕らの大好きな『あの子』についての話題なのだから。

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