第32話 ぺらぺら冬支度


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 中間テスト以来、久しぶりに訪れた街のようすは、すっかり冬の装いに変わっていた。


 チェーン店のカフェの入り口にはあたたかそうな期間限定の飲み物のポスターが貼りだされ、とあるショップのディスプレイに飾られたマネキンは、着丈の長いベージュのコートにプレーンなグレーのマフラーを巻き、インナーにはグリーンの中綿ライナーと、太めの淡いブルーのデニムに黒いブーツを合わせている。それらを見て、冬の到来が間近に迫ってきているのだと、改めて思った。


「マフラーまだ残ってるといいね」

「うん。けど、もうなくなってるかも」

「だいじょうぶじゃない? 前もワンピース残ってたし、たぶんあるよ」

「かなぁ。うん、でもあんまり期待しないでおく。なかったときショックだから」


 となりで歩いていた満水さんが、少々疲れ気味の笑みを浮かべた。期末の勉強で困憊しているのだろう、発言もどことなくうしろ向きだった。僕も今期の成績が決まる大事なテストなので気が抜けず、昨夜も遅くまで詰めこんでいたので、中間のときほど元気が有り余ってはいなかった。


 きょうで期末テストが終了し、僕らは帰りに以前訪れた『CINELA』というお店へ向かっていた。最近寒くなってきて、満水さんがマフラーを新調したいからとのこと。そのあとは、ふたりでご飯を食べる予定になっている。


 お店に着いてドアを開ける。平日だからかお客さんの数はまばらで、以前訪れたときはさわやかな香りがした覚えがあるけれど、きょうはバニラのようなあまい香りに変わっていた。雑貨コーナーはクリスマスが近づいているせいもあって、全体的に赤としろと緑の配色が目立つようになっている。


「いらっしゃいませ」


 階段を上がって二階へ上がると、店員さんが服を畳みながらにこやかにほほえみかけてきた。こちらもお客さんの数は多くない。以前よりも冬物の数が増えていて、ダウンやブルゾンなどのアウター類が目につく位置にあり、ベージュやブラウン、ワインレッドなど、暖色系のものが多くおかれていた。


「なくなってるー」


 レジ前へ移動すると、以前あったところにマフラーはなく、代わりに手袋や革小物がおかれていた。


「配置が変わったんじゃない?」と僕は云った。「ぐるっと見てみようよ」


 満水さんとフロアをまわってみたけれど、別のマフラーはおいてあっても、あのときと同じものは見つからなかった。いやな予感が頭によぎったけれど、口にすることはできなくて、見落としていないかを確かめるように、僕は隅々までくまなく目を通していく。


「いらっしゃいませー」


 そのとき『STAFF ONLY』と書かれたドアから、たぶん前に接客してくれた女性店員さんがでてきた。長かった前髪が眉上のパッツンに変わっている。服装は大きめのアランニットの下にビビットな発色のいいレッドのシャツの襟が見え、下はネイビーのカーゴパンツをロールアップし、足下は赤い靴下に黒のローファー。メイクと髪型が違うせいか雰囲気がかなり変わっていたけれど、声であの人だったはずと検討をつけ、僕は「ちょっと訊いてくる」と満水さんに一声かけてからその人のところへ向かった。


「あの。すみません」

 店員さんが振り返った。「はい。どうされました?」

「以前、マフラーを試したんですけど、そのときのものがまだ残っているか知りたくて」

「かしこまりました、在庫の確認ですね。……あの、私の思い違いでなければ、前にえっと、きょうみたいに制服でカノジョさんと来られてた方ですよね?」

「はい、そうですそうです」と僕は何度かうなずいた。

「そうですよね、そうですよね。覚えてます覚えてます。きょうはおひとりなんですか?」

「いえ、カノジョはあっちに」と僕は目を移した。「あのときのマフラーを買いに来たんですけど、見当たらないみたいで」

「なるほど。たしか……デリバリーがはやかったやつだったと思うんですけど……」と店員さんが目線を下に向けて顔を触った。「少々、お待ちくださいね。確認してきますので」

「すみません。お願いします」


 店員さんがレジの方向へ歩いていき、僕は満水さんのところへ戻った。


「いま確認してくれてるから、ちょっと待ってて」

「なんかごめんね……わたしのことなのに」

「いいよ。気にしないで」と僕はほほえみながら云った。「それより、お昼食べるお店、決めてたりする?」

「ううん、特に。どこか行きたいところある?」

「前行かなかったカフェ寄らない?」と僕は上を指さした。

「ああー。それいいね。そうしよっか。そこのアメリカンバーガーがすごい大きいんだって。写真で見たけどこれくらいだったかな?」と満水さんが手で大きめの輪を作った。

「そんなに?」

「ほんとほんと。厚さもこれくらいあって」と満水さんが指を広げた。「恵大たぶん好きだと思う」

「じゃあそこにしよう。きょう外寒いし、のんびりしてたいな」

「わたしもきょうはいろいろ見てまわる元気ない……あ、そうそう。あ」


 店員さんが戻ってきて、満水さんが話すのをやめてそちらへ目線を動かした。


「すみませんお話の途中に。えっと、たしかおふたつ試着されてたと思うのですが……申し訳ありません、いまはこちらしか残っていなくて」


 持ってきてもらったのは、僕が好きだった格子柄でグレーのラインが入った青紫色のマフラーだった。


「あ、はい。だいじょうぶです、ありがとうございます」

「そっちでいいの? 気に入ってたの、深緑色のやつじゃなかった?」

「どっちもよかったから、ふたつあれば悩んでたけど……でも、これしかないんですよね?」

「そうなんです……ご予約が入っていて、店舗在庫はもうこれだけで。再入荷も、いまのところ予定はないですね……」

「クリスマスプレゼント、とかですか?」

「はい。おそらく。十二月に入ってから増えてまして」

「そうですよね……でもよかった、あって。探してもぜんぜん見つからなかったので……」

「展示用のマネキンに使っていて。汚れなどは見た限りなかったのですが、念のため状態のご確認をお願いしてもよろしいですか?」と店員さんがマフラーを差しだした。

「あ、はい。わかりました」と満水さんがマフラーを広げた。「だいじょうぶそうです。すみません、これ頂いていいですか?」

「ありがとうございます。ご試着はされなくてもよろしいですか?」


 満水さんがうなずいて、店員さんと話しながらレジへ向かっていく。僕はうしろをついていきながら、満水さんのクリスマスプレゼントについて考えていた。そんなにはやくから予約するものなんだ。僕もそろそろ動きださないとまずいかもしれない。


 お会計をして、レジからでてきた店員さんが小さめの紙袋を差しだしながら「ありがとうございます。またお待ちしております」とやわらかな笑顔を向けてくれる。


「ありがとうございます。また、来ます」


 満水さんが笑みを浮かべて紙袋を受け取った。僕はぺこりと会釈をして、いっしょにフロアを横断していく。


「見つかってよかったね」

「うん。さっきありがと、訊いてくれて」


 満水さんがこちらを見上げながらやわらかくほほえんだ。声もちょっと高くなり、さっきまで疲れた顔をしていたけれど、目に活力が戻ってきている。その顔を見て、すこしテンションが上がってみたいでよかった、と僕は思った。まるで自分のことのように嬉しくなり、自然と笑みがこぼれて心地よい鳥肌が立つと、鼻から息がすーっと抜けていく。


 そのまま階段を上がっていき、三階にあるカフェスペースへ。壁と床はむきだしのコンクリートで、その無機質な空間に彩りを添えるように観葉植物がおかれている。特徴的だったのはキッチンがフロアの中央にあることで、丸見えの調理場でキャップをかぶったシャツ姿の男性スタッフたちが手際よく調理をしていた。


「こんにちはー。お客様は二名でよろしいですか?」


 首元の開いた黒いカットソーに短めのエプロンを腰に巻き、デニムをはいた女性スタッフが気さくな感じで訊ねてきた。


「はい。だいじょうぶです」

「かしこまりました。いまですとテーブル席とソファ席、どちらも空いておりますがいかがなさいましょう?」

「テーブル席のほうが食べやすそうじゃない?」

「うん。わたしもそっちがいい」

「かしこまりました。ではご案内いたします」と女性スタッフさんが笑顔を向けながら云った。「二名様テーブル席でーす」


 通路を歩いていると、そこらにいたスタッフから『こんにちはー』と声が飛んでくる。こういうお洒落なお店に慣れていないので、少々肩身が狭く、僕はぺこぺこと軽く頭を下げながら席へ向かった。ピークは過ぎているのか、そこまでお客さんの数は多くなく、イヤホンを耳に入れてノートパソコンを広げている男性や、三、四人の女性が数組かたまって話していたりと、そこまでざわついている感じはしない。


 僕らが案内されたのは端のテーブル席だった。ダークブラウンの四角いカフェテーブルの表面には、ここを訪れたお客さんの数が刻まれているように無数の細かなすり傷がついている。


 カバンの紐を椅子の背もたれに引っかけ、両肘をつきながらテーブルにあったメニューを眺める。そこまで品数は多くなく、A4サイズの紙が一枚おいてあるだけだった。


「ねえねえ」と僕は小声で云った。

 満水さんがゆっくりと顔を上げた。「んー?」

「他の人のちらっと見たんだけど……ボリュームすごくなかった? マグカップも登山用? みたいなやつだったし」 

「登山用」と満水さんがくつくつと笑いながら下を向いた。「ねー。笑わせないで」

「え、そうじゃないのあれ」

「もーいいからはやく選んで」と満水さんが云った。「寒いからあたたかいのにしようかな」

「僕、ホットのカフェオレにする」

「わたしもそうしよ。アメリカンバーガーにする?」

 僕はうなずいた。「真癒子は?」

「アメリカンクラブハウスサンド……食べられるかな?」

「だいじょうぶじゃない?」


 決めている途中で、さきほどの女性スタッフさんがやってきて「失礼いたします。ご注文はお決まりでしょうか?」とおしぼりと水をおきながら訊ねてきた。お互いにそれぞれ食べたい品を伝えると「かしこまりました。カフェオレは食前と食後どちらにいたしましょう?」とふたたび訊ねられる。


「どうしようか?」

「食べたあとゆっくりしたいから、食後にする?」

「そうだね。すいません、それでお願いします」


 女性スタッフさんがメモになにかを書いて「それでは食後にお持ちいたしますね」と云ってからメニューを回収していった。僕はおしぼりで手を拭き、ようやく一息つく。


「二学期、あとちょっとだねー」

「終業式っていつだっけ?」

「たしか二十二日? だったかな? 年間スケジュール見て、あ、クリスマス前に終わるんだって思ったから」

「じゃあ、あと二週間くらいなんだ」


 いまのは前振りなのだろうか。付き合っているものの、誘って断られないか微妙に不安になり、すこし緊張してドキドキしてきたので、僕は水を一口飲んでから口を開いた。


「えっー、と……クリスマス、だいじょうぶ?」


 クリスマスのことを、忘れていたわけじゃない。十二月になって気にかけてはいたけれど、テスト勉強に集中したかったのでなるべく意識しないようにしていた。テスト前にクリスマスのことを考えていたら、愉しみすぎて勉強が手につかなくなると思ったから。


「うん」と満水さんがほほえんだ。「でもわたし、二十五日は家族で毎年ご飯食べてて。二十四日でもいい?」

「ぜんぜんだいじょうぶ」と僕は胸をさすった。「はー。いまちょっと緊張した」

「え、なんでー?」と満水さんがおしぼりを手に取った。「そのつもりだったよー。でも、ぜんぜん誘われなかったからちょっと不安だった。さっき待ってるとき話そうと思ったんだけど、店員さん来ちゃって」

「ほんとごめん。テストあったから集中したくて」

 満水さんがおしぼりで手を拭きながら云った。「いいよー。ね、当日どこ遊びに行く?」

「んー」と僕は腕を組んだ。「どこもけっこう混んでそうだよね」

「たぶんね。わたしあんまり人が多くないところのほうがいいなー。あ、でもイルミは見たい、です」

「なぞの敬語」と僕はポケットからスマホをだした。「探してみるね。……ん、待って。いま気づいたけど、こういうのって内緒にしておいたほうがいい?」

「えーいいよ別に」と満水さんが身を乗りだした。「わたしも見たい」


 僕はスマホをテーブルにおき、満水さんと同じように身を乗りだして、検索画面を指でスクロールしていった。


「あ。映画館の近くでやってるみたい」

「ほんとだ」と満水さんが髪を耳にかけた。「近くていいね。ここ行こうよ」

「なら久しぶりに映画でも見に行く? 最近ぜんぜん行ってなかったし。あーでもベタかな?」

「ベタだねー。でも恵大がキメキメのデートプラン用意してたら逆にやだー」と満水さんが笑いながら云った。

「それ僕どうしようもないじゃない」と僕は云った。「いま映画なにやってるんだろうね」


 画面を閉じ、ブックマークしている映画の情報サイトを開いていっしょに見ていると、なぜか満水さんが僕の小指をつまんできた。


「なにー?」

「なんかぴょこぴょこ動いてかわいくて」と満水さんが云った。「あ。待って。さっきのおもしろそう」


 現在公開中一覧を指でスクロールさせていたら、満水さんの手が割りこんできて、第一関節をぐにゅっと曲げながら画面を戻していく。


「これは?」


 満水さんが顔を上げたので、僕は合わせるように目線を上に向けると、満水さんの顔がすぐそばにあった。不意打ちの近さに驚いてしまって目が開き、自分の意思とは無関係に数回ぱちぱちとまばたきをしてしまう。きょうは試験だったからか、ほとんど化粧をしていないみたいで、肌の上になにも塗られていない素朴な感じがした。


 満水さんもその近さを意識したようで、唇同士を合わせながら、ゆっくりと身体を離した。耳にかけていた髪を元に戻し、くるりと軽く癖のついた横髪を指でとかしつつ目をそらす。


「もうちょっと、見ていい?」

「うん」


 満水さんがコップを持ち、くぴくぴと口に水を含んだ。あまり化粧がのっていないはずなのに、頬骨のあたりがチークを塗ったみたいに赤くなっている。


 さっきまでぺらぺらと絶え間なくつづいていた会話が途切れ、なんとも云えない空気が流れると、僕は目線を下に戻し、無言でスマホをいじりながら映画の情報を調べる。まるで付き合う前のような、心地よくも微妙に歩み寄りにくい雰囲気になり、胸が締めつけられる。


 季節が変わって、身のまわりのいろいろなものが変わっている。それは僕も同じで、こんなささいなやりとりが懐かしく思えるくらいになっていた。


 でも、この感じはきらいじゃなくて。注文した料理が届くまでのあいだ、せっかくなので、この甘酸っぱい空気を久々に味わっておくことにした。

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