一年生 十一月 [秋のイベント編]

第25話 ばたばた文化祭準備


      25 


 十一月から、あわただしい日々がつづいている。

 

 僕は幕を上げて教室に入り、折りたたまれたダンボールを隅において一息ついた。壁一面にかかった暗幕が外光をほぼ遮断し、入口のあたりから並べられた机と椅子が教室を巡るように規則正しくおかれている。天井には蛍光灯を覆い隠すようにたるんだしろい布が何枚か重なって取りつけられ、ぼんやりとやわらかい光が教室全体を照らしていた。


「あ。ねえねえ、どう?」

「壁が黒くなると雰囲気変わるね」

「だよね。取りつけ地味に大変だったんだー」


 満水さんがやってきて、にこにこしながら袖で口元を隠した。全体がネイビーで、肩のあたりにしろの切り替えしがあるジャージの襟を立てて着ている。まわりのクラスメイトたちも体操着のジャージの上だけを羽織ったり、ワイシャツやブラウス姿になっていたりと、身軽な服装で作業をしている人が多かった。


「ダンボール、まだけっこうある?」

「もうそんなにないかな? あとちょっとで終わると思う」

「取りつけ終わったから手伝おうか?」

「持ち場離れてもいいの?」

 満水さんがうなずいた。「やることなくて、他の子もとなりのクラス見に行っちゃった。先に進路作らないと、照明の位置とか角度とか決められないみたい」

「そっか。じゃあお願いしようかな」


 満水さんといっしょに教室をでる。廊下は人が絶えず行き来し、どの教室でも飾りつけやなんらかの作業をしていて、ばたばたと忙しない雰囲気が漂っていた。


 明日、修成祭と呼ばれる文化祭が催され、きょう一日は丸々その準備に当てられている。僕らのクラスは影絵で『ふしぎの国のアリス』をやることになっていた。とは云っても実際に人が動いてやるような本格的なものではなく、シーン別に各グループで作品を作り、見終わるとアリスのストーリーになる、というもの。ダンボールを運んでいたのは進路を作るためと、穴を開け、色のついたビニールシートを張りつけて、一部の雰囲気を変えるために必要だからだそうだ。


「テスト明けてから文化祭まであっという間だったね」

「ねー。文化祭終わったら期末あって冬休みだよ? 二学期ってはやいよね」

「いやほんとに。スケジュールおかしいよね」と僕は云った。「あ、そうだ。当日の予定、どんな感じになりそう?」

「十時から十一時までユコと受付で、そのあといろいろまわる予定。恵大は?」

「十二時から一時まで沼と受付。その時間、やりたい人がいなくて、ジャンケンで負けちゃって……」

「ちょうどお昼だから人気ないよねー。んーどうしよっか。終わったらいっしょにまわる?」

「そうだね。お昼は適当に済ませるよ」

「わかった。じゃあお昼はユコと食べに行くね。一時ごろにそっち行く」と満水さんがほほえんだ。


 話しながら階段を下り、渡り廊下を通って特別棟の方向へ進んでいく。文化祭の準備期間中、邪魔になるからという理由で教室棟に資材や荷物の持ちこみは禁止されており、各クラスは特別棟にある教室に一時的におくことになっていた。


 中庭でもだしものがあるみたいで、渡り廊下から数名の生徒がなにかを準備している姿が見える。角を曲がって特別教室の並ぶ廊下を歩いていくと、すべての学年が入り交じっているせいか人が多く、僕らはぶつからないように避けながら移動していった。


「うす。ん?」


 両手を上げ、たたんだダンボールを何枚も重ねて運んでいた沼と遭遇する。満水さんがなぜここにいるのか謎と云いたげで、小首を傾げながら眉を寄せていた。


「取りつけ終わったんだって。それでこっち手伝ってくれることになって」

「そうか。だが気持ちだけもらっておく。これで最後だからな」

「あ、ほんとに? じゃあ三人で分けて運ぼうか」

「いやだいじょうぶだ。これもいいトレーニングになる」と沼が云った。「こっちは任せろ。のんびり戻ってこい」


 沼がダンボールを持ちながら歩いていく。背が高いので、頭の上にかかげていると通行人にダンボールが当たることもなく、スムーズに移動していって姿が見えなくなった。


「気、使ってくれたのかな?」

「いや、沼は女子でも平気で重いもの持たせるよ」

「そっか。でもまたやることなくなっちゃったー」

「戻るついでに、いろいろ見に行く?」

「うん行くー」


 僕と満水さんは並んで廊下を戻っていく。進行はそこそこ順調なので、多少サボっても特になにも云われないだろう。それにクラスの中心メンバーでもない地味な僕らがいなくなったところで、さして影響があるわけでもない。


「直美さんのクラス寄ってみる?」

「いいよー。なにするか訊いた?」

「沼がホラー喫茶って云ってた。お化けにコスプレして接客するんだって」

「お茶だされるとき驚かされそう」と満水さんがくすくすと笑った。


 一年生の教室がある階まで戻り、いちばん端の直美さんがいるクラスに立ち寄る。外観はほとんど準備が済んでいるみたいで、壁にしろい画用紙が張られた上に無数の赤い手形がついていた。それだけでもインパクトがあるのに、首がほつれて破れた人形や、変なお面が飾られていて、おどろおどろしい雰囲気をだそうとしているのが伝わってくる。


「いるかな」

「ね、見えない。ちょっとしゃがんで」

「ん」


 しゃがむと、満水さんが両肩に手をつき、頭に顎を乗せてきた。バレないようにこっそりのぞきこむと、どうやら衣装合わせをしているらしく、本番さながらの派手なメイクをした女子や、血糊のついたしろいワンピースを着た女子がいたり、ダンボールをかぶった男子がふざけて遊んでいるのが見えた。


「直美さん、いないね」

「だねー」と満水さんの顎が頭の上で動いた。

「いるよ」

「きゃっ」


 満水さんが首に腕を絡めてくる。突然のことで、なにが起きたのかまったくわからないまま息苦しさに耐えていたら「わ、わ。ご、ごめん満水さん」と直美さんの慌てたような声が聞こえてきた。


 僕は満水さんの腕を軽くたたく。それでようやく気づいたみたいで、満水さんが力を弱めて身体を離した。深く息を吸いこむと、体操着についていた柔軟剤と彼女の香りの残滓が鼻に入ってくる。


「うわっ」


 振り返ると、思わず声がでてしまう。前髪で顔を隠し、胸元まであるストレートの黒髪を垂れ流した浴衣の女子が立っていた。ホラー映画にでてくる幽霊みたいな臨場感があったけれど、足下が内履きで、その抜けたところになぜか親近感がわいてしまう。


「直美さん?」

 直美さんが口の端を上げた。「うん」

「笑顔が怖い……完成度、高いね……」

「ほんと、びっくりしたもー……まだ鳥肌立ってる」と満水さんが片腕をさすりながら云った。

「ご、ごめんね。そんなに驚くと、思わなくて」と直美さんが手をいじりながら云った。「戻ってきたら、のぞいてるの、見えたから、声かけようと思って」

「その格好で移動してたの?」

 直美さんがうなずいた。「髪、長いから、前に下ろして、浴衣着るだけで、メイクしなくても、それっぽくなるからって。クラスの人たちに、宣伝で、校内を歩いて来てほしいって、頼まれて。……恥ずかしいけど、すこしでも、力になれたらと思って」

「あーなるほど。そういうことだったんだ」

「そうだ。これ、あげる」


 直美さんが袂から宣伝用のチラシを取りだした。そこには草書体で『1‐F ホラー喫茶やります』と見出しがあり、値段や何時になんのお化けがでるかなどの予定が書かれている。


「よかったら、来て」

「うん、ありがとう」


 僕はチラシをたたんでポケットに入れると、教室から真っ赤な着物を着て、おでこをだした血塗れ風の女子がでてきた。直美さんを見てから、ばっと急に振り返り、ドアに片手をつきながら「みんなー! 切りこみ隊長の沼さんが戻ってきたぞー! メイクはオッケー!? チラシの用意はいいかー!? 宣伝行くぞー!」と拳を突き上げて呼びかける。


「っしゃー行くかー! うっす沼おつかれー!」「あっ。はい。おつかれさまです」「おつかれ沼さん! おかげでいろいろ準備整ったよ! ありがとう!」「はい。メイク決まってます」「っすー沼。いっしょに今年の優秀賞取りに行こうぜ!」「はい。絶対取りましょう」「沼さん先陣おつかれ! 今度はみんなで宣伝しようね!」「はい。勢いついたならよかったです」


 教室から和と洋の入り交じったお化けたちがでてくると、ひとりひとりが声をかけ、直美さんも律儀に頭を下げながら返事をしていた。衣装とメイクの仕上がりがどれも半端じゃなく、大勢で廊下を闊歩する姿は壮観で、僕はぽかんとしながらその光景を眺めていた。


「ははっ。やっべーみんな気合い入りまくりじゃん。負けてられないねー。ほら沼さん、うちらも行こ」と血塗れ女子が直美さんの手を取った。

「あ、はい。じゃあ、またね」

「うん、また」

「宣伝がんばって」


 直美さんが連れられながら、列の最後尾で小さく手を振ってくる。僕らも手を振り返し、直美さんが前を向いたところで、手をゆっくりと下ろした。


「行っちゃったね」

「ですね」と僕は云った。「クラスに友達がいないって聞いてたから、溶けこめたみたいで安心したなー」


 文化祭の準備をしていると、普段は交流がない人と関わったりする。いつもはまるで国境があるかのように、交わることのなかったグループ同士が、人と人が、その垣根を越えていく。知らないだれかと作業をしたり、クラスでまとまってなにかをするのが苦手な人もいるけれど、それがきっかけで仲良くなれることもあるわけで。文化祭が終わっても、その縁がつづけばいいな、と僕は思った。


「僕らも行こうか」


 満水さんがこちらをちらっと見て、軽くうなずき、立てた襟に顔を埋めるようにしながら歩いていく。さっきまでとなりに並んでいたのに、すこし距離を空けられていた。避けられている、とは云わないまでも、あまりくっつきすぎないように意識しているようで、僕はなんでだろ、と考えながらうしろを追っていく。


 そのとき、自分の身体からふわっと満水さんの香りがかすかに漂ってきた。その香りをかいで、ああ、なるほどと合点がいった。もしかしたらあのことを気にしているのかなと思ったけれど、僕は素知らぬふりをすることにする。


 驚いて抱きついてきたことなんて、ノーカウントにしておこう。

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